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2012/04/23

90歳を超えれば、大往生だ

今年にはいってから、大正9年生まれの身近な親戚と遠い知り合いが、3人も亡くなった。義母と、父の友人だった勅撰歌人のM氏、そして、M氏とも諏訪清陵で同期であった、今回亡くなった、わたしの伯父Tである。すでに90歳を超えたところなので、わたしの近辺でも最長老であった方々である。90歳を超えれば、大往生といっても良いと思われる。

雨が降る中、妻と娘を伴って、告別式に出てきた。親戚の挨拶の中で、伯父の紹介があった。江戸時代から続く信州諏訪の「亀長」の屋号を持つ、刀や鍬などの金物関係の商家の当主で、15代目に当たる。この家は、相当な金持ちだったらしく、「諏訪は亀長で持つ」と称されたらしい。その後、むしろ分家筋に当たる「亀源」や「亀泉」などが、味噌や酒の醸造などで勢いを持つようになってきたらしい。祖母の葬儀が諏訪の正願寺で営まれたときに、大勢の親戚がいるので、驚いた記憶があるくらいだ。

中世から現代に伝わる「諏訪上社」の古文書や、江戸幕末上州「茂来山鉄山」のたたら製鉄経営で、名前が散見される。明治になってから、安曇野に今でも残る水力発電機を利用した松本島内工場で、日本初の「電気製鋼」を行った家としても記録されてきている。鉄鉱石と電力が豊富に手に入ったから、当時は十分採算が取れる事業だったと思われる。現代の特殊鋼へ技術が引き継がれて来ていると聞いている。

伯父は根っからの技術屋さんという性格を持っていたが、当主としての伝統を受け継いでいたので、カメラのレンズを専門とするメーカーの役員を長く務めていた。生活はきわめて質実かつ合理的で、信州人特有のきまじめさを持っていて、しかもさっぱりとした性格だった。

毎年夏になると、わたしが諏訪にある放送大学の学習センターで講義を行うので、そのあと、諏訪湖畔からすこし入ったところにある「鰻屋」さんで、会食するのが習わしとなっていた。戦前の横浜工高出身だったので、横浜の弘明寺のことは詳しくて、よく学生時代の横浜のことを話したことを覚えている。当時は、三殿台の丘に登れば、切り通しで一回降りる程度で、尾根伝いに横浜山手まで行くことができた。学生達の散歩コースだったらしい。戦後は、駐留軍の住宅が建ってしまったので、このコースはわたしたちのころには、流行らなかった。このように、物事を正確に話すことに長けていたから、最盛期の亀長時代などの話を、脚色なく話していただいたのを懐かしく思い出した。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。