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2012年3月に作成された投稿

2012/03/31

読書とは、フィルタリングだ

Photo_13読書会を催した。参加者は16名で、グループ討論するにも、結果をまとめるにも、ちょうど良い人数だった。これでも、参加者全員から発言をもらうには、時間内では難しかった。じつは、この読書会はたいへん欲張った企画だったのだ。

読書会の第一の目的は、4月から新しくできる放送大学の渋谷学習センターで始まる、「読書会形式の面接授業」の模擬実験を行って、本番に備えようということにあった。先生方にも4人ほど参加いただいての重厚な読書会となった。このなかで、読書会なので、やはり本を読んでくるという作業がどうしても、自宅で行ってくる必要のあることが痛感された。けれども、放送大学の性質上、毎日大学へ来るわけではないので、あらかじめ読んでおくことが難しい。4月からの第1回目は、すこし工夫が必要であろう。本番までには、この問題を解決して臨みたい。乞うご期待。

Photo_14第二の目的は、「電子書籍における読書」ということを考える企画だった。これは、今回のスポンサーが電子テキストについて考えることで、お金を出してくださっているので、この目的を外すことはできない。そこで、カリエールとエーコの著名な対談集である『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』を取り上げて、この中で取り上げられている「紙の書物」と「電子の書物」との比較を通じて、間接的に電子書籍について考えてみることができたと思う。電子テキストのいくつかの試みや、わたし自身の作成した電子テキストも、冒頭に紹介したが、物珍しさが先に立って、「前のめり」の感が否めない。読書会では、書物の持つ「フィルタリング(濾過)効果」について、多少なりとも議論できたのは良かったかもしれないが、ちょっと時間配分が悪く、討論までいけなかったのは反省材料となった。この点でも、4月からの読書会では、もっとおもしろい議論が出来るように工夫の余地があることがわかった。

第三の目的は、修士修了生の会である「比較地域研究会」の例会にあった。SさんやHさんが活躍して、今回初めて読書会形式を取ってみた。取り上げた論文は、貧困問題に関する計量論文であった。この点に関しては、同じレベルの知識の共有が必要で、また討論として成り立つためには、賛成派と反対派の設定が必要で、そこから議論が始まるのだ、という基本的なことを学んだ気がした。フェイスブックを利用しての「事前読書会交流」も行われて、おもしろい試みが出来たと思う。Sさんはソーシャル・リーディングの一種だとおっしゃっていた。これについても今後のOB/OG会交流で、どのような方法があるかということの課題となった。

201203311などなど、初回なので反省点はあったが、とりあえずスタートしてみてから、次第に内容を整えていきたいと考えたところだ。いずれにしても、東京圏でも遠くから、中には大阪や岐阜から駆けつけてくださった方々がいらっしゃって、たいへん感謝している。読書会が終了した後は、以前のケーキ屋さんがイタリアンの店Kに変わっていて、そこでワインをいただきながら、雑談を楽しんだ。春の嵐の雨も、家路に着く頃には、ようやく収まって明日からはまた晴れの日が続きそうである。左の写真は、Sさんが撮ったもので、フェイスブックの「比較地域研究センター」(公開)に貼り付けられたものを拝借した。

2012/03/27

鬼に訊け

Photo_12「鬼」という語感には、むしろ好ましい感じがあった。それは、この映画「鬼に訊け」にも感じられることだった。何かに憑かれたように集中して、周りを不幸に陥れてしまう象徴として、鬼というものがふつう描かれることのようだが、どうもこの映画の趣旨は違うらしい。「職人」ということの考えが変わる一本だ。

このドキュメンタリー映画の主人公は、西岡常一という奈良の宮大工である。代々、法隆寺の修理に携わってきた家に生まれ、いずれ棟梁になる運命を背負っていた。お祖父さんに育てられ、20代にして、リーダーを任されたらしい。途中、太平洋戦争に出兵するが、そのときに「将来自分を必要としないならば、命を取ってくれ」と法隆寺に祈ったということだ。ここには、千年を超える、普遍的な命のやり取りが反映されている。「鬼」の一面である。

もちろん、「槍かんな」や「ちょうな」の手練れなどは、職人の見せ場としては面白いが、それは職人の手仕事の一つの側面に過ぎない。とはいえ、映画のなかでは、なぜ「台かんな」ではなく、「槍かんな」が使われるのか、ミクロン差の削りくずなど、見所満載である。むき出しの木肌にとって、カビが着くか着かないかで、数百年の違いが出るらしい。生態系に長じていなければ、大工はできないということだ。

最も興味深かったのは、西岡常一のお祖父さんが、常一の学校進路について口出しをして、常一が工業学校志望だったのに対して、農学校へ入ることを勧めた話だ。大工は、木を扱う仕事であるから、木についてとことん知らなければならないという思想だった。これも、千年思想の一つだ。奈良には、このような時代を超えた、長期的な考え方をする人たちを育ててきた伝統があることを知って、京都に対抗して、奈良がその後も建築や芸術で優位を保った理由がわかった。常一は、60歳を過ぎて、法隆寺を出た。薬師寺の棟梁を引き受けることになる。この映画は、主として、薬師寺の復元作業を追っている。奈良へ行く楽しみが、またひとつ増えた。

横浜のJ&B劇場で、この映画を見ようと思っていたのだが、好評だった追加上映も先週終了してしまっていた。それで、朝早く、千葉劇場へ駆けつけたのだった。見終わった後、お腹が空いたので、いつもの喫茶店で、よく煮込んだロールキャベツ定食を食べ、珈琲を飲みつつ、「職人」ということの観念を見直した。何と評判が評判を呼んで、来週は写真美術館でも上映するらしい。現代の日本に必要なドキュメンタリー映画だと認められて、鑑賞した者としてもうれしい。

2012/03/24

ハレの儀式後に「なまはげ」が出てきた

Photoポケットの中に、一枚のキップを持っているときのように、気持ちが旅にふっと向かう時がある。このようなときに、汽車に乗っていると、気分が解放されて頭の中が自由になる。本来、ハレの儀式へ行くときにも、このような機能があったものと思われる。

渋谷のNHKホールで開催される放送大学の学位授与式に向かうが、あいにくの雨だ。土曜日にもかかわらず、横浜から乗った東横線は混んでいた。やはり、学期末や年度末の行事があるからなのだろうか。行楽客に混じって、礼服姿の人びとが目立つ。

Photo_2少し早く着いたので、パルコ通りにある近くのコーヒー屋さんへ入って一服。入るときにすれ違いざまに、神奈川学習センター所属のNです、と挨拶された。やはり時間を潰していた卒業生の方だったらしい。けれども、いくら学位授与式場が近くても、わたしの顔を特定できるとは到底思えない。

Nhkあとで懇親会でも会ったので聞いたら、わたしが電話で相談に乗ったことのある学生の方だった。うかつにも、そのことは忘れていたのだが、声だけでは覚えられない。そういえば、懇親会で「以前お会いしたことがあります」とほかの方に言われた。O県の名札を付けていたので、「面接授業のときですか」と返答すると、「違います」とおっしゃる。「ネットのなかですよ」ということらしい。声や映像で覚える知覚を発達させなければ、生きられない時代になったのかもしれない。

Photo_3すでにホールの玄関には、入場のための行列ができていて、それをかいくぐって会場に入り席に着く。卒業生の方が今日の主役なので、教員は端役で席も例年3階の一番隅に追いやられている。ところが、今年はコース主任だったので、大学院のコーディネーターの先生方と一緒に前方の席を占めることになった。ホールの前の方から観客席を見上げると、このホールの巨大さがよくわかる。紅白歌合戦で客席の人数を数える場面があったが、ここに立って見ると、隅々まで網羅することは到底出来ないと思われるほどの大きさだ。ローマのコロセウムと同じで、大量観客時代の遺跡としての資格を十分持っていると思う。

Photo_4また、テレビカメラが動きやすく造られていて、その点でも放送大学向きなのだ。今年の総代に指名された方のひとりは、わたしのゼミ出身のT氏だったので、「ご面倒をおかけします」と始まる前に挨拶を済ませた。いつもながら、落ち着いた雰囲気を維持した方だ。

Photo_5途中で席を抜け出していく方々がいらっしゃるので、どうしたのか、と思っていたら、皆さん舞台の裏手から壇上に現れた。放送大学の合唱団は自前のボランティアで組織されている。神奈川学習センター職員のN氏や教員のY先生など、なおかつO学長が指揮をとっていて、多士済々なのだ。臨場感が3階席とは異なる。

Photo_6学長や文科大臣などの祝辞が続き、さらにそれを上回る、いつものように感情の入った答辞が読み上げられ、儀式は滞りなく終了した。わたしの後ろの席には、見覚えのある学生が座っていたが、夫婦で放送大学生なのだが、今日は一人だという。来年には、奥さんも学位授与式に出て、ここで二人の写真を撮りたいのだそうだ。

Photo_7懇親会も相変わらず、盛大に行われた。いつものとおり、ゼミ生の方々とおしゃべりに夢中になっていたら、料理が大方無くなっていた。昨年亡くなった同僚のS先生の指導学生もいらっしゃっていた。最後まで忙しくなさっていたことなど、話をすることが出来た。卒業式には、このような今年一年の気になっていたことが一気に吹き出して、目の前に現れるから不思議だ。

Photo_8最後には、秋田の「なまはげ」が登場して、会場を盛り上げていた。正真正銘の男鹿半島の「なまはげ」だそうだ。持っていた小道具にそう明記されていた。ゼミ生の方々と、珈琲を飲みに、四谷の街に出る。途中、聖イグナチオ教会の脇を抜けて、四谷三丁目のほうへ向かうが、昔のような学生とビジネスの街という雰囲気は無くなっていて、なかなか喫茶店が見つからない。仕方が無いので、チェーン店にはいって、しばし卒業式後の余韻に浸る。

Photo_9話題になったのは、今度の読書会で出てくる「阿呆・馬鹿・間抜け」論であった。T氏の説によると、間抜けがstupid、馬鹿がfool、阿呆がidiotではないかと英語の語感を述べていた。「間抜け」はうっかりした行為、「馬鹿」が他者に迷惑をかける行為、さらに「阿呆」は声高に馬鹿さを誇ってしまう行為ということだ。場所によって、たとえば関西と関東では、間抜けと阿呆の基準が違っているという説が出てきた。いずれにしても、愚かであるという共通点がある。

Photo_11ということで、ゼミ生のみんなで身の回りにある「愚かさ」を挙げては笑ったのであるが、やはりこのような話題を繰り広げていくと、それは自分に返ってくる。そして、自分の愚かさがわかっている人は愚かではない、という常識的な結論に達することになった。学位授与式にふさわしい話題に終始したところで、再会を約して別れた。

2012/03/16

「村山知義」展覧会を観ながら、如何に多様な世界にわたしたちは住んでいるのかを理解した

Photo_18妻と一緒に、葉山の神奈川県立近代美術館へ久しぶりに行く。その前に腹ごしらえをというので、逗子の街にある「V」というイタリア料理の店で、ピッツァのマルガリータを食べる。石室焼きでこんがり焦げていて美味しかった。大きなガラスで囲まれた食事室で、美味なるものをゆっくり食べるということの大切さがわかった。ときどきは行いたいものだ。一人で来て、本を読みながら食べている人もいたが、ここは意味はなくとも、しゃべりながらの食事が似合っている。

Photo_19このへんは、昔からの街並みが続く、小さな商店街だ。表通りにはかつての賑わいはない。人は多いように思えるが、需要に繋がっていないのだろう。けれども、ちょっと横丁に入ると、洒落た店が並んでいる。向かいの蕎麦屋さんには、遠くから食べにきたような人びと、とくに年配の人びとが、次から次へと入って行くのが見えた。

Photo_20駅前からバスに乗って、海岸通を南に下る。いつも変わらぬ、見慣れた街が続く。冬の期間は、サーファーたちも寄り付かないので、街が引き締まって見える。日常生活が正常に営まれている。車も住人たちだけならば、渋滞することはない。Photo_21釣竿を一本持って、歩いていても、誰からも注目されることがないのが、この葉山の良いところだ。都会で資産をなして、引退後暮らしている人たちの多い、余裕の街だ。

「村山知義」という名前を聞いて、そのすべての作品を同一化することのできる人は少ない。つまり、彼の長生きした人生のなかで、「転向」とまでは言わないとしても、度々の路線変更を行ってきた人だ。

Photo_22カンディンスキーをはじめとするバウハウスの紹介者で芸術誌「マヴォ」の編集者という初期の、戦前の「村山知義」と、現代の週刊誌に長期に連載されていて映画化がされた『忍びの者』を書いた「村山知義」が同一人だったのは、言われるまでは意識したことがなかった。別人として、認識していた。それに、「マヴォ」誌での活躍や、演劇人の顔も、別だと見ていた。時代も違えば、作風もジャンルも違う。どうしてこんな多様な人格が存在することができたのか、不思議だ。

展覧会の題名が、それを表している。「すべての僕が沸騰する」と名付けられていて、時代その時代に「沸騰」すべき感情を育ててきた人なのだ。何人かの肖像画にそれが現れていて、細密画の如くに詳細な細部が具象的に描かれている。演劇にも見られたように、感性を具象化する手法に秀でていた人なのだ、と思った。なぜ早くに抽象画から離れてしまったのかがわかる。

また、そうみると、なぜ「忍びの者」に惹かれたのか、も理解できた。つまり、「忍びの者」は時代の中で、潜在的に存在する人びとである。彼らを描くことで、これまで言葉にできなかった真実が具象化されて表に現れることになるのだ。市川雷蔵が山から谷へ忍びの小走りする姿が、一瞬目の前を過って行った。

彼の初期の頃の絵を探っていたら、何とわたしとの間に不思議な縁のあることがわかってきた。わたしの曾おじいさんは、日本で電気製鋼を始めた人なのだが、その妹の配偶者の方がHさんという美学者であった。吉祥寺に住んでいたらしい。この方は、ロールスロイスなどのクラシックカーを戦前から集めていることでも有名であった。わたしの名前にある「素」という字は、デザイナーであったHさんの息子の方から、一字いただいたと聞いている。

じつは、Hさんは若いときにバウハウスへ美学研究に行っていて、たぶん村山知義とそこで知り合ったのではないかと思われるのだが、何枚か彼の絵画を持っていたらしい。後に、それらが近代美術館へ寄贈されている。

Photo_23いつもの小道がわたしたちを海に誘っている。冬の海岸は、人がいないことで、かえって存在感を新たにしている。自分さえ、この世にいなくなっているかのようだ。ぐるっと、海から太陽へ、太陽から岬へ、岬から灯台へ、灯台から海岸へ、海岸から丘へ、丘からまた岬へ、そして、海へ太陽へ。Photo_24誰もいないのだ。遠くに漂う舟が見えなかったならば、このまま自分も消えて行ってしまいそうだ。

Photo_25美術館の向かいにある山口蓬春記念館で、春の気分を予習する。遅咲きの梅の花が迎えてくれて、なだらかな丘の麓にある建物をぼんやりと背景としている姿を見せてくれた。玄関には、梅の木が枝垂れていて、たくさんの梅の花をつけていた。

Photo_26吉本隆明が亡くなったというニュースが流れた。高校生の頃から、周りにたくさんの読者がいた。そのような世代に属している。高校の友人から知らされて、初期詩集を読んだのがはじめだ。このように、みんながそれぞれの吉本像を持っていた。

大学生時代には、大学紛争の名残があった大学の連続講演会に、吉本が来て、学生との激しいやり取りを行ったことは、いまでも覚えている。それから、やはり印象深いのは、家族という問題に取り掛かるキッカケをつかんだのが、彼の初期の著作「マチウ書試論」だったということがある。

当時通っていた大学には、同じ講義を一度も行ったことがないと豪語していたN教授がいて、いつもダンディな洋服を着ていた。夜は、銀座に通っているという噂だった。ちょうどユダヤ文化論を取り上げて、家族や国家などの社会論を講義していた。そこで、レポートが宿題となっていた。参考文献が必須だったので、わたしはこの「マチウ書試論」を取り上げたのだった。レポートの内容は忘れてしまったけれども、有名な「絶対の関係性」という言葉が出て来て、これだと思ったことを覚えている。

Photo_27たまたま、妻が図書館から、生前最後の出版になるかもしれない著書「老いの幸福論」を借りてきていて、数日前に読んだところだった。この中で、物事を長続きさせるためには、危機に際して、時には短く考えたほうが良い、というような直観的だが、相変わらず鋭いことを言っていた。

数年前に、吉本が鎌倉の海で溺れて、一命が助かるという事件が起こった。それで、その時にこの世で観念を作り出す場所の一つがここにある、という思いを認識し、もしこの場所がなくなったら、世界が変わってしまうかもしれない、という思いがした。もちろん、このような場所は、吉本に限らないのだけれども、そのような場所を作っていくということが重要なのだと自覚した。それぞれの吉本が存在する、ということは、このようなことなのかもしれないと思った。

2012/03/12

ドンブリ一杯の大きなイチゴをようやく食べることができた

Photo_3Nプロジェクトで、宮城県の亘理町を訪れている。大雪が伝えられて、道行きが困難であるというので、出発時間を遅らせていた。それで、仙台には早目に着いた。かつて、仙台で閉じ籠って仕事をした時に、いくつかの長居できる喫茶店を探してあったので、時間つぶしには困らない。

Photo_4風が強いので駅から離れたくないと思ったので、丸善の上にあるホシヤマ珈琲店で読書。31日の読書会で使う『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』は、噛むほどに味が出る対話集で、この著者のような人たちはたとえ紙の書物が絶滅しても、種として絶滅することはないだろうと思えるほどだ。それにしても、わたしたちはなぜ読書するのだろうか。

Photo_6昼になって、N先生の運転で、南相馬市へ向かう。N先生たちは、震災直後の一年前に、ここを訪れたらしい。まだ、崩れた家々がそのままで、打ち上げられた漁船がたくさん見られたとのことだ。現在残っている家や船は、記憶として遺されているものだけで、ほとんどが片付けられている。

Photo_7わたしたちの日常と同じだ。この場にずっと佇むことが許されていないということだ。家々がガレキとなってしまい、その瓦礫が一掃されると、それを見ていたわたしたちの目も変わっていることを自覚せざるを得ないのだといえる。一年間のこれだけのことが、ここで起こったということは、その変化があるから分かるのだが、じつはそれを見つめる人々が日々変わっているにちがいないのだ。見つめている人がかえって、この場所によって見つめられていることを感ずる。

Photo_8福島第一原発の制限地域ギリギリのところまで行って見る。たぶん、交代で誘導が行なわれているのだろう。三重県警のお巡りさんに静止され、ターンすることになった。海岸沿いの被害の激しかったところを、亘理町へ戻る形で、国道35号線沿いに北上する。南相馬市を遠ざかるに従って、まだ壊れた家々がそのままの状態で、放置されている地域が多くなっている。Photo_9家の前には、解体処分なのか、残すのかを表示する板が立てられていた。順番を待っているところなのだろうか。すでに家具も運び出されて、人気の無くなった住宅ほど寂しいものはない。人びとの中での記憶消去の順番も、これに従って行われるのだろうか。

Photo_10結局、いつも訪問しているMさん宅に着いたのは、三時過ぎだった。前回訪問した時に母屋が倒れかかっていて、Mさん一家は避難所生活を強いられていた。今回も、精神的な理由からという、経験者にしか理解できない理由で、まだ家族は避難所生活を送っている。Mさんも夜になると、怖いのだという。

Photo_11今回、その母屋はボランティアなどの援助で、内装にも手が入れられて、物理的には住める状態にまでなっていた。玄関の柱には、写真でわかるように、当時の水のついた跡が残っていて、拭いても消えないほどの泥を被ったことをうかがわせる。特に、柱の一番下には、かなりあとまで水没していたことのわかるような、すでに木自体が変質してしまっていることがわかる。

Photo_12今回の訪問の目的のひとつは、震災後倒れてしまったハウスの跡に、再び高設の苗床のハウスが作られ、そこで穫れたイチゴを食べさせていただくことにあった。写真のように、ドンブリ一杯の大きなイチゴを出してくださった。その味に感激した。穫れたてで、かなり甘いのだけど、特別な香味を持っていて、深い味のイチゴだった。

Photo_13このイチゴがここにあるのは、昨年きた頃に、Mさんがひとつの決断をしたことで可能になった、とわたしは思っている。それは、ここを動かない、という決断だ。このことが、なぜ可能だったのかは、わたしにはわからない。Photo_14実際には、家族の一部を分離してまで、ここにMさんが残るという努力をしていることは確かで、これがなかったならば、このイチゴがなかったであろうことは確かだ。Photo_15だから、とりわけ感慨を深いのだ。Mさんは、不思議な言葉だが、「ボイドのフライング」という控え目な表現をとっていたが、これは照れであろうと解釈した。動かなかったことが、その後いくつかの行動につながって行くのだが、それはまた伺う時もくるであろうと考えている。

Photo_16今回も、夜空にハウスの光が、輝く時間になってしまった。イチゴは多年草で、次から次へでてくるのですよ、というMさんの言葉を聴きつつ、仙台へ向かった。Photo_17

2012/03/09

「おとなのけんか」を転回させるのは、何だろうか

Photo映画「おとなのけんか」を観た。どのように「けんか」という感情的なものを、劇に定着できるのか、それを観たいと思った。ところで、「おとなのけんか」と「こどものけんか」と、どこが違うのだろうか、理性的な感情というものがあれば違うのかもしれないが。映画を観ていると、疲れがでる分だけ違うのか、深刻になりすぎるところが違うのか、とも思えてくる。

今日は、妻と葉山の近代美術館へ行くつもりだった。けれども、このところの天候不順は、外へ出る気力を失わせる。ここは晴耕雨読で、仕事を行え、というご託宣だと思われるので、朝から本へ向かう。

昼になって、4月から始める「読書会のような授業」、あるいは「授業のような読書会」の準備のための模擬授業用宣伝ポスターを作ったので、それとテキストを持って、東京文京学習センターを訪れる。わたしたちの「商売」では、宣伝活動ということが苦手であって、授業の「深み」を持たせることは、いくらでもできて、それで難しくなってしまうのであるが、「広がり」を持たせ、易しくすることがどうも上手くいかない。それで、窮地の策として、学生の方々を呼び込んで、コミュニケーションを通じることで、「広がり」を確保しようということになる。

このことがどのような効果を持っているかは、今後の課題だが、たぶん放送大学の学生の方々はたいへん多様なので、議論を戦わせているうちに、それなりの面白さが出てくるのではないかと楽観的に考えている。このような情宣活動は、遠隔教育の大学の最も不得手とするところだが、経験的にいえば、遠隔であっても、直接会って密接なお願いをすることが鉄則である。そして帰りに、有楽町の映画館へ向かう。この映画がかかっているのは、東京ではここだけなのだ。

「おとなのけんか」の原作は日本の演劇でも成功したらしい、と聞いて、へえーと思った。国の違いや文化の違いがあるにしても、そしてかなり特殊な喧嘩を描いている割には、普遍的な視点が随所に散りばめられているからだ。

コメディで最も笑えるのは、出演者全員が真にマジメに演技をする時である、とある映画監督が言っていたことだが、この映画はそのことを最も忠実に描いている。ニューヨークのブルックリン。こども同士がけんかになり、これをめぐってロングストリート夫妻(ペネロペとマイケル)とカウワン夫妻(ナンシーとアラン)のけんかが始まる。後者のこどもが前者のこどもを棒で殴ってしまうという事件が起こり、このけんかを冷静に話し合いで解決しようとロングストリート家に面々が集まる。ところが、主義主張の違いや偏見の存在などがさらけ出されるに従って、夫妻対夫妻の対立に止まらず、男と女、さらには夫婦内部の争いにまで発展していく。ほんとうに興味深いけんか劇である。けんかを避けるために、4人が集まったのであるが、このことを理性的に避けようとしたことが、かえってけんかを拡大してしまう、という人間の非条理がうまく描かれていると思われる。

演技の中心は、ジュディー・フォスター演じるペネロペであることは間違いないが、じつはフォスター自身の実際の性格が、演じているような性格ではないことも現れてきて、人間というのは何とも複雑な生き物だなと再認識させられた。したがって、真によく演じているのは、渋みを出した悪徳弁護士役のアランではないかと思われてくる。

映画を描く時に、何と何が対立するのであるのか、たとえば映画の中で、マイケルがハムスターを捨てることに対して、これに賛成なのか反対なのかが、ひとつの争点として浮かび上がってくるのだが、それを言葉に定着させなければならない。映画のシナリオの段階で、この対立とそれぞれの理由が正当でないと、映画の面白さが出てこない。シナリオライターの腕が問われることになる。

二組の夫婦が二時間に渡って、言葉を激しく交わし合う物語だ。けんかの争点を明らかにして、その争いが面白くなければ映画として成立しない。ということは、人間を類型化する必要が出てくることになる。マイケルとペネロペ、アランとナンシー、この状況が4人であるというところがひとつの見所である。2人でも、3人でも、まずくて、4人であるところから、それぞれの対立と、グループ間の対立とが、際限なく続く仕組みを発達させている。

スタートから面白い。こどものけんかを収めるために、合意文書を書くのだが、危害者の意図性を巡って、弁護士であるマイケルがまず気を咎める。ほんのちょっとのところから、傷口が広がっていくのだ。あらゆるけんかがそうであるように、結果よりも、プロセスに基本的なけんかの種があるのだ。これは、かなり普遍的なことだと思われる。だから、ここで家に帰ってしまえば、そういうことにはならなかったのに、という、帰りがけのシーンがいくつも出てくるのだ。なぜそこで、わざわざ戻ってくるのだ。これでもかこれでもか、と劇は進んで行くのだ。

シナリオライターの意図があるとするならば、それは4人全員が、全く異なる4類型を持っていて、譲れない価値観を持っているという共通点があるというところだ。普通の世界では、これだけ異なる価値観を持っていたら、結婚などするはずがないと思われるのだが、そこが映画であり、劇であるという架空のけんかの面白いところだと思われる。

ペネロペは、アメリカ人特有のひとつの典型で、普遍的な倫理観を持っていて、人道的で人権主義的な思想の持ち主だ。このようなタイプは、アメリカでは、ジェーン・フォンダ的、と呼ばれているらしいが、さもありなんと、この呼び方を理解した。明らかにジュディー・フォスターはジェーン・フォンダ的を演じていて見事なのだが、彼女自身は明らかに、ジェーン・フォンダ的ではないところが、面白いところだと思われる。マイケルは、むしろヘンリーフォンダ的というのだろうか、ジョン・ウェイン的心性と、アイバンフォー的騎士道精神を兼ね備えている。

これに対して、アランは製薬会社の弁護士をしていて、絶えず携帯でしゃべっている。資本主義の信奉者だ。ナンシーは金持ちだが、あまり教養はなく、美人を鼻にかけているようなところがある。結論を言ってしまうならば、ペネロペが普遍的な人道主義を見せて、「社会民主主義」に偏るならば、それ対して、アランの悪徳弁護士が「新自由主義」を見せて対立する。また、潜在的なところでは、マイケルの「保守主義」とナンシーの「共同体主義」が争いを見せるのだ。きれいな類型を描いたことで、けんかがすっきりと整理されることがわかった。でも、なぜ新自由主義と共同体主義とが結婚し、さらに保守主義と社会民主主義とが結婚するのだろうか。この想定のほうが、実際の劇そのものよりも非条理のような気がした。

最も注目したのは、けんかの次元がぐっと転回するシーンである。何回かあるのだが、その中でも特に使えるなと思ったシーンがある。けんかを転回させるのは、理性よりも感性であり、潜在的な動きが圧倒的な力を持つ。保守主義者であれば、いわゆる「卓袱台をひっくり返す」という怒りの手段が常套だ。Photo_2これに対して、この映画の中では、卓袱台をひっくり返す以上のすごい効果を持つ方法のあることを教えている。それは、ナンシーが場面の潜在的な雰囲気を読み取って、どおっと行う、いわば生理的な力だ。これは、有効だった。理性や合理を一気に吹き飛ばしてしまった。映画が終わってから、映画館前の喫茶店で、雨をみつつ「けんか」の余韻を冷やしながら、カフェラテを飲んで帰路に着いた。

2012/03/06

如何にして、武家文化を優越しようと考えたのか

Photo_6雨模様が続いている。朝から強い雨が降っている。けれども、気温は暖かく、すでに春の雨だ。近くの叡山鉄道茶山駅から軽軌道電車に乗って、二つ目の修学院駅で降りる。あらかじめ時間を計算して行ったつもりだが、修学院離宮の門に着くには、早すぎる時間だ。そこで、周りのゆきとどいた石垣と植え込みをぐるりと見て回る。以前きた時には、夏でまだ携帯電話を持っていないころで、電話ボックスを探して、長距離電話をした覚えがある。このように、何度も修学院離宮に通ってくるのは、日本人の歴史の中で、この離宮をめぐる文化の状況が特別の意味を持っているのではないかと思うからだ。

Photo_7待合室で観覧のダイジェストであるDVDを見せてもらい、イメージを作ってから、案内の方に従って、下離宮から、見て回ることになる。寿月観という清楚な建物が残っており、居心地の良さそうな佇まいである。苔むしたる庭が広がり、装飾的なものは極力省略されている。自然を楽しむと同時に、それを言葉で表し、コミュニケーションの道具として使ったものとして、これらの建物が存在しているといえる。もし言葉をあまり使わずに自然だけを楽しむのであれば、これほどの意匠は必要なかったに違いない。言葉さえあれば、このように何もないところに置かれたとしても、決してあきることはなかったであろう。

Photo_8一見、上下の離宮にとって、横道に逸れる中離宮は無駄な施設のように見えてしまうのだが、シンプルさの中に余裕を読み込むのが、この時代の特徴だと思われる。棚田が広がる、いわば世界を表す生活の場を通って、松並木からすこし逸れたところに、客殿と楽只軒がある。世界というものが、貴族から武士へ移り、それが何度となく展開したことを自然に学習した結果だろうと思う。単なる思いつきで棚田を取り入れたのではなく、文化の在り方の基本を上手くすくい取っていると思う。

Photo_10作りは凝っていて、書院の棚などにも余裕が見られるが、これが王朝文化の中核かと尋ねられれば、ちょっとちがうと直ちに言えるような、棚なのだが、その構えは雄然としていて風格がある。武士文化への気兼ねや、対抗などの嫌味の部分がなぜ存在しないのか、そちらの方にむしろ興味を覚えた次第である。

この頃には、雨が激しくなってきて、温かい雨なので救われているが、そうでなければ、ビショビショに濡れてしまって、気持ちも萎いでしまうところだ。隣雲亭では、質素さも極まっていて、見学者の中にもシンプルさがこれほどとは思わなかった方々がいたようだった。多くの見学者は、このシンプルさを特殊な在り方だと知って参加しているのだが、それにしても、ここまで徹底されているとは思わなかったに違いない。それほど、京都の市内を離れて、このような離宮を作る必然性が後水尾上皇には存在していたのであろう。そして、その複雑な心情が、現在では日本人の中核的な心情を反映していると言えるのではないだろうか。

Photo_11このような心情の現れとして、「大刈込」を挙げておきたい。池は庭園の中で人為の極致である。けれども、この人為性を如何に隠すことができるのかが、庭園の自然さを表現するには大切になるところだ。もし武士文化の元であれば、池を作る際に大工事を行い、その石垣が如何に大変だったのかを自己顕示するだろう。それは、中世の城建築における常識的な感性だったといえるだろう。城の石垣は、建築物として優秀であることはその通りだが、それ以上に顕示欲が強い建築物である。

Photo_12これに対して、後水尾上皇は、明らかにこの逆を行ったことがわかる。これほどの石垣を持っていて、しかし徹底的にその石垣を隠した建築物を他には例を見ない。これが修学院離宮の離宮たる所以だと思われる。大刈込こそ、離宮の隠れた中心だと思った。Photo_13そして、この石垣があるために、池が成立し、下の棚田が存在し灌漑ができたのだと、指摘されれば、この離宮全体の自然と文化のシステムが如何に一体のものとして、熟慮されたものであるのかが理解できるところである。

2012/03/04

「詩仙の間」に座し、K書店で本を渉猟して、読書会を催す気力を養った。

Photo仕事と疲れの量の両方が極致にまで達して、均衡点間近になってきたので、それを理由として小雨が降る中、20分ばかりのところまで、散歩に出る。雨のため、気温が上がったので、濡れることを気にしなければ、散歩にちょうどよい。

Photo_2北大路通りを東に歩いて、比叡山に連なる山間地にあたり、坂をちょっと登ったところに、詩仙堂がある。手前のバス停には、「一乗寺下り松」とあり、縁があるようで昨日ちょうどNHKテレビで、映画「宮本武蔵」が放映されており、一乗寺下り松での吉岡道場門下生との決闘場面も写っていた。

Photo_8そこから、両側に木造の落ち着いた住宅がならんていて、それが途切れたあたりに、詩仙堂がある。江戸初期1641年に、「石川丈山」が造営したとある。明日行くことになっている、ちょっと北にある修学院離宮は、1655年に出来たのだから、詩仙堂はそれより十数年早く作られたことになる。いずれにしても、江戸期のシンプル文化の典型であることには、間違いない。

Photo_9丈山は、かなりの曲者であったと思われる。あちこちに奉職しているが、いずれも求められて、あるいは推薦されていて、交流の広さを表している。社交に長けていたばかりか、詩仙堂をはじめとして、いくつかの造営を手がけているし、学芸についても、漢詩と隷書に通じていたということである。部屋には、いくつかの書の模造品が掲げられていた。

Photo_12今回、詩仙堂の「詩仙の間」に腰掛けて、雨の音を聞いていた。観光客が夕方になって途絶えたのが幸いして、静寂の中での景色を楽しんだ。この「詩仙の間」は、読書室であったらしい。四方には、詩片が掲げられており、本を散らかしていても十分のスペースが確保できる。縁側が巡らされており、冬の寒い時期には、寒さよけにもなっている。この静けさの中での読書は、格別の集中ができたであろう。

Photo_5今年は以前から大々的に宣伝しているように、公式・非公式の読書会を催そうと意気込んでいる。OBの学生の方からは、ソーシャル・リーディング、つまりは読書を種にして、交流を高める会となるように企画すべきとの提案も受けている。少しずつ形を整えて行って、読書会の枠組みをもう少し幅ひろく、構えを緩やかにした会を持続させて行きたいと考えている。以下、ちょっと宣伝です。

お知らせ:読書会の開催
3月31日(土)14:00から、東京文京学習センター2階第1講義室にて、
(第1部)『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』カリエール&エーコ著
・紙と電子の書物について読んで考えます。
(第2部)『金融危機とマクロ経済』東大出版会
・貧困について読みつつ考えます。
参加自由・無料です。テキストは、東京文京学習センター窓口で配布中。
比較地域研究会、坂井ゼミ主催。
もし時間があれば、ご参加ください。

Photo_13しっとりと濡れた砂地の坂道を、叡山鉄道の一乗寺駅に向かって、下った。この通りには、喫茶店が両側に夥しく存在する。ベトナムの喫茶店街ほどではないけれども、どのように客を奪い合っているのかが想像できそうであった。そんな中での存在のあり様として、この写真のようなものも、一つの手ではないかと、思われた。「インキョカフェ」というのは、詩仙堂が隠遁生活の場であったところから、名をとったものだろうか。生き残りの策として、背水の陣という、命名であると思う。

Photoちょっとびっくりしたのは、一乗寺駅の踏切を超えて、少し行ったところにある書店である。外から見ていると、何やら本屋なのに、雰囲気が街の本屋さんというものではないのだ。写真のように、レンガに緑の扉というのに誘われて、つい入ってしまった。何やら、客でいっぱいで、見て歩くにも人とぶつからないように注意する、というくらいなのだ。なぜ今時、新刊本本屋でこんなに客が入っているのだろうか。書棚を見ていくに連れて、それがわかった。本の品揃えが並でないのだ。

Photo_2たとえば、「クレーの日記」の8千円の本の横には、「北斎漫画」のシリーズ文庫本が並んでいる。反対側には、「河鍋暁斎」の岩波文庫が隣同士なのだ。人名で並んでいるわけでない。芸術文化の棚であることはまちがいないが、並び方は独特の並びがしていて、ここの店主の趣味が一つの世界を作り出しているような感じだ。

モランディの下には、グールドがならんていて、そうなのかという感じがない訳ではない。Z大学が近くにあるので、デザイン関係の本揃えが特に素晴らしかった。また、雑貨も素敵なものが並んでいて唸らせた。来週からは、廃刊となったポパイと宣伝の展覧会も催されるとか。

Photo_3古い古典だけが並んでいるわけではない。新刊本が中心だが、少し前の気になる本もキチンとフォローされていて、書棚を追う目を楽しませてくれる。一度入ったら、半日は簡単に時間を潰せることができる。よくもまあ、カタログや大都会の本屋さんが見逃してきた本で、魅力にあふれる本を探し出してきたな、という感じである。このような本屋さんが、京都の片田舎に、ヒョイと現れてくるところが、京都らしいところなのでもしれない。

Photo_4来週にはちょうど母の誕生日が巡ってくるので、プレゼントにちょうど良い本(郷里の「松本」の写真と文章の本)を見つけ、ラップでくるんでもらった。何という本屋さんか確かめずに入ったので、外に出て、写真を撮っていたら、女主人の方がこちらを見て、笑っていた。わたしのような観光客がたくさんくるのでしょうか。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。