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2012/02/07

「情報は権力なり」という神話を確かめたいと、映画「エドガー」を観る

Img_0284情報は力なり、というセリフが出てくることで、有名になった映画「エドガー」(クリント・イーストウッド監督)を観てきた。なぜちょっとした単なる情報が権力の元になりうるのだろうか。歴代の大統領たちのもとで、米国のFBI長官として48年間に渡って米国の情報を支配してきた、ジョン・エドガー・フーバーの半生を描いた映画だ。いつもは、クリント・イーストウッド監督だと、自分の名前が前面に出るのだが、今回は背景に退いていて、映画の描き方でも、クイント・イーストウッドらしさが、あまり見られない。

クリント・イーストウッドらしさとは、メリハリの効いた、アクセントのはっきりした映画ということだ。今回は、デカプリオの過剰な役作り以外は、淡々と事実関係をそのまま流しているばかりだ。むしろ、歴史の筋に忠実な運びの映画となっている。

出だしが穿った作りになっている。「情報」世界の典型例は、国会図書館だという、一般受けしやすいところから入っている。わたしもこの米国図書館に惹かれて、二度も訪れた記憶があるのだが、入り口ホールに置いてある、グーテンベルクの活版印刷の聖書を眺めて、閲覧室のボックスに入った図書カードを引いて、席に座っていると係の人が図書を席まで届けてくれるのだ。

映画のシナリオでは、図書カードだけでは、うまく行かないことを示して、このエピソードで映画の全体を暗示させている。カードから異なる文献に行き着いてしまうことを、皮肉に描いていて、情報の行き違いが他人の人生を狂わせてしまうことも有りうることを示唆していて、そこから映画が始まっている。カードの貧弱な情報だけでは、内容の判断もできないのは当たり前のことだ。書籍でさえも、現物に当たらなければ、内容はわからない、ということだ。

フーバーは科学捜査の先駆者で、指紋鑑定のオーソリティになるのだが、この図書カードのエピソードが後の筋に効いてくるのだ。有名なリンドバーグ誘拐事件の犯人を最後に指紋鑑定などで追い込んでいる、と描いている。映画のなかで使われた図書カードのキーワードが「無節操」というのも、クリント・イーストウッドらしい皮肉である。

いくつかの疑問点がある。単なるスキャンダルが、じつは情報としての権力の元になるとこの映画は言いたいのだが、それでは、フーバー自身のスキャンダルをこの映画がきちんと描いたかといえば、そうでもないと思われる。

それで、この映画の核心は何かといえば、フーバーの「極秘ファイル」の存在であるとわたしは思う。ここで使われている論理は、先日ここで指摘したデュシャンの「泉」と同じ構造を持っていて、たいへん興味深かった。

つまり、権力を左右するような情報は、本来は公式的で正統な実力であるはずである。ところが、実際は、権力に座る人の情報操作によって、権力が発生してしまうし、それならば、権力に座る人を情報操作すれば、実際の権力を得ることができるだろうということになる。それで、権力に座る人の弱みを情報として獲れば、実際の公式的な権力を実質的に得たことになるだろう。

その元となるのがが、「極秘ファイル」である。内容は、権力者の弱みとなるスキャンダルの情報が集められたものとなる。けれども、この情報をフーバーは滅多なことでは外に出さなかった。「極秘」とされたのだ。

脅迫の遂行と同様にして、表に出さないことで、機能するのが「極秘ファイル」の役割だ。そして、フーバーが亡くなるときに、個人秘書によって廃棄されてしまう。結局、存在していたのだろうけれども、最後に姿形が無くなることで、もっともっと存在感を増したものとして、フーバーの「極秘ファイル」は現在でも存在感があるのだ。

Img_0286映画の中心は、「極秘ファイル」なのだから、これをもっと効果的に映画に登場させて欲しかったと思う。今回の映画では、いかに「極秘ファイル」における「不在の実在性」を映画で描くことが出来るのかが試されていたのだと、勝手ながら考えているのだ。

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コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。