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2012/02/04

放送大学発祥の地を懐かしんで、壊される前に世田谷学習センターを訪ねた

Photo_7ここ数日、寒い日が続いていたが、今日は晴天だったので、途中から気温が上がってきた。オーバーは必要だが、ストールはいらない。歩いていたら、汗が出てきて、外気の冷たさと丁度良い加減となった。

Photo_8東京世田谷学習センターが閉所するということを聞きつけてから、一度はお別れにいかなければと考えていた。世田谷に所属したことはなかったが、面接授業やその他で、ずいぶんお世話になったのだ。

Photo_9こちらとの関係でいうならば、まずは面接授業を数年に一回はこなしてきたというつながりがある。三階の一番奥にある、少し大きめの講義室が、階段教室になっている。このブログでも、一度くらいはその様子を書いたことがあったかもしれないが、すでに忘却の彼方だ。廊下の窓から、そっと写真を取らせていただいたが、もっと階段は急斜面だった気がするが、記憶などというものは当てにならない。

Photo_10階段教室だから、学生の方々の顔がすべて見える。一番低いところにいるわけだから、もちろん、上から目線が通用しない。絶えず、上から見られているという感じもあるが、むしろ全て対等に目線が合うという感じで、慣れてくるに従って、語りかけるという感じがある。取りわけ、ここの階段教室には、窓を超えて設定されているので、窓に目を向けても、自然な感じがする。講義をしながら、窓の外を見るのは、ふつうは気が引けるが、ここはきわめて自然だ。

Photo_11当時、わたしは神奈川学習センター所属だったが、駅からの曲がりくねった道を辿って、ここの非常勤講師室にたどり着き、一日中授業を担当した。それから、友人のI氏を頼んで、面接授業を担当していただいていたので、最終日になると、待ち合わせて学芸大学の駅前で呑んだりした。

1936_2古いということの良さがわかるのは、大人になってからなのだが、それはここの建物が良いとわかるということだ。古さがわかるということは、昔の状態を知っていることがないと言えないが、今日はここの写真展を見ていて、放送大学が入る前から、つまり戦前の青山師範時代からの歴史があり、そのころからの古さが存在することが付け加わって、感激した。この写真では左の白い建物が世田谷学習センターで、隣が学大附属、その奥にも大きな建物が1936年当時には建たっていたらしい。ここに通っていた時代には、たしか学長公舎はあったが、大きな建物はすでになかった。

Photo_12階段を降りて、各階に手を洗う水道と流しがあり、衛生主義の小学校時代の建物の様子がうかがいしれた。柱と柱の間隔が狭く、いかなる地震にも耐えることができそうな、建物で、それは図書館の建物としても適していることを示している。図書館短大が一時ここに入っていたのも、そのような構造のせいかもしれない。

写真展の写真には、歴代のセンター所長や当時の助教授の先生がたが、若い顔のままで写っていた。年月は確実に過ぎたことを思い知った。若い先生方が老けた、という意味でなく、もちろんそれもそうだが、昔が懐かしくそのような時代もあったのだという思いが先に立ったのだ。

Photo_14放送大学広報番組「大学の窓」の撮影班が、来ていて、今日の閉所式の様子を取材するのだということだったので、写真展の様子も、最後の世田谷学習センターの様子も、広報として流れる予定だ。この建物が壊されるまでに来所の予定のない方は、この番組を観たら良いと思う。

Photo_15窓班の方々、宣伝しておきました。ついでに、窓班を写真に撮ろうと思っていたら、すでにあちこち撮影しているらしく、つかまらなかった。センター所長のA先生は、今日の閉所式に出るためにタキシードに身を包んでいて、たいへん忙しそうだったが、廊下で雑談の相手をしてくださった。また、社会と産業コースのA先生も、最後の面接授業を行なっていたのだが、わたしの姿を見て、廊下まで挨拶に出てきてくださった。最後まで、皆さんが世田谷学習センターを愛好していることを知る訪問となった。

Photo_16さて、この学習センターとの繋がりで、忘れることができないのが、わたし自身の放送大学への就職面接がここで行われたことだ。当時、オーバードクターとなっていて、民間の研究所に通っていたのだ。それで公募があり、現在ほどは厳しくはなかったけれども、それでも数十人が応募する状況の中で、ようやく最後まで残り、最後の面接として本部のあった、この地へ試験を受けに来たのだ。まだ、放送大学が開学する3年前で、その後3年間は何も関係なく、どうやって暮らしていったら良いだろうか、というぐらいの就職だった覚えがある。

Photo_17今は、学生の控室になっているところに、哲学のO先生と、経済学のK先生がいらっしゃって、面接試験を受けたのだ。一緒に就職した経済学史のU先生も、ここで面接を受けていた。

Photo_18まだ、現在の幕張での放送大学本部が建たっていない時代の話だ。この世田谷学習センターはつまりは放送大学の発祥の地であることになる。もっと正確にいえば、隣の高校に、最初は準備室が間借りしていた時代もあるから、二代目の本部ということになるだろう。一説によると、この写真の高校の守衛室が先生方の溜まり場だったというのであるが。Photo_19さて、世田谷学習センターが更地になってしまい、放送大学の痕跡がまったく無くなってしまうのは、放送大学の起源が失われるようで、たいへん残念な気がする。

大学というところは、つまりは、精神の共和国たるところなのだから、建物は必要としない、というのは正論だが、やはり精神にも枠組みが必要で、思い出をつなぐ場所としての建物は、精神の一部と言って良いと思われる。

Photo_20昼食は、学芸大学の街へ出て、「L」というティールームでサンドウィッチと薄味の紅茶を飲む。冬の寒い中でも、陽射しは強く、格子のガラス窓から入ってくる。その暖かさにツラレて、この温室のような喫茶室の中を覗き込んでいく往来の人びとがいたが、覗くことができる魅力ある建物は必要だ。Photo_21何かがこの世から無くなってしまうという、なんとも寂しい一日となった。

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コメント

 東京世田谷センターがとうとう閉所になるのですね。なんともいえない趣のある建物で、かなり歴史があることは感じ取っていたものの、戦前に建てられたということははじめて知りました。
 前に東京文京センター――わたしが入学して最初に所属した・思い出ぶかい学習センターです――が新しくなった際は、こちらのウェブログにて坂井先生はもっぱら前向きに受け止めておられたような覚えがあります。それだけに、今回の記事を読み出したとき、先生がかなり寂しがっておられるのがいくぶん意外に感ぜられました。しかしおしまいまで拝読したとき、先生が東京世田谷センターにつよい思い入れをお持ちである理由がわかった気がいたしました。本学の就職面接をあそこでお受けになったのですね(それにしても、K治先生はともかく、O森先生に面接をされるとなると、わたしなどは頭の中が真っ白になってしまいそうです……)。
 もともとあの学習センターは本学の本部だったということもこれまで存じませんでした。わたしが入学したころ、「東京第一センター」と呼ばれていたゆえんですね。南関東に住んでおりましたころは、面接授業を受けたりテープを聞いたりするためにあそこにもときどき参りました。味のあるあの校舎がなくなるのはわたしも一学生としてさびしい思いがします。
 閉所式については「大学の窓」で見ました。実家は神奈川にありますし、ときどき出張で東京に行ってもいるのですけれども、うまく閉所日までに帰省できそうにないため、テレビでのお別れとなりそうです。関東を離れて丸三年――もはや自分の知っている東京文京センター、東京世田谷センターは思い出の中にしかなく、もし将来南関東に戻って昔のように学習センターに通うことになっても、どこか違和感をいだいてしまうことは避けられそうにありません。
 最後に少し近況です。わたしは南関東にいたときはとくに同好会には入っていなかったものの、鹿児島センターでは「異文化交流会」なる同好会に入っています。月に一度学習センターに集まって、どこか一つの国について資料で学ぶ会です。わたしは鹿児島へは仕事で参りましたため、こうしたものにでも入らないと勤め先以外での友だちが一人もできませんので――。
 先生が6月に面接授業でこちらにいらっしゃるということを、神奈川センター所属のH崎さんから聞きました。どうぞお気をつけてお越しください。当日は大へんお忙しいことと存じますけれども、授業の合間に鹿児島センターの非常勤講師室にご挨拶に伺い、五分でもお話できましたら幸いです。

ご無沙汰しています。「東京第一学習センター」と呼んでいたことを思い出させてくださいまして、ありがとうございました。今はちょっと予定がたちませんが、近くになりましたら、連絡を取らせていただきます。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。