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2012年2月に作成された投稿

2012/02/28

トランクをゴロゴロと引いて、東福寺近辺を歩く

Photo京都駅の南のほうには、いろいろな風景があるらしい、といつもの大学での雑談の中での聞いていた。ということもあったが、じつは旅に不確実なことは付きもので、京都駅に12時38分に着くことはわかっていたのだが、40分発のバスがあり、間に合わないなとは思っていたが、バス停へ急いだのだが、案の定すでに姿はなかった。

Photo_2そこで、宿のある出町柳まで京阪電鉄に乗るために、東海道線の線路に沿って、山科方面へ向かって歩き出した。たぶん、いずれは京阪線と交差して、そこに駅が出現するだろうと目論んだのだ。

Photo_3とは言え、トランクいっぱいに、40冊ほどの本を持参しているので、ちょっと無謀な気もしたが、やはり旅で歩きたいという気分に負けてしまった。殺風景な長屋や、資材置き場が並ぶ街を、ガラガラとトランクを引きずりながら、散歩を楽しむ。

Photo_4京都駅から京阪へ出る人は、JRで一つ戻って、東福寺で京阪線に乗り替えるらしい。歩くような暇な人は皆無らしい。途中、京都に来たな、という感慨を新たにしたのは、鴨川に突き当たり、河岸を歩いた時だ。もちろん、上流で見られるような自然の土手は、京都の南では失われていて、コンクリートで覆われてはいるのだが、これが上流に繋がっているのだと想像するだけで、朝に横浜にいて、今は京都なのだなという不思議さに、何の変哲もない景色なのだが、ついて回る想像力の違いが付け加わるのだ。

Photo_5ゴチャゴチャとした街並みをかき分け、なぜ同じような道が何本も存在するのかを想いながら、東福寺駅近くに出ることができた。途中、二回ほど道を訊いたのだが、最初のご夫婦はベストアンサーを探ろうとしてくださり、連れて行ってくださる勢いだった。単なる散歩者ではないことを感じさせる方々であった。二番目に訊いた人は、地元の人で、いかにもここが複雑な道筋を保っていて、口で説明することが困難な街であるのかを悟らせてくださった。近くに行ったらまた聞いてください、というアドバイスを受けたのだった。

Photo_6やはり、寄り道は必然なのだが、ビビンバの素敵な店が目の前に現れた。喫茶店風でもあり、落ち着いてランチを取れそうだ。それに、そろそろトイレタイムである。京都の家らしい、奥まったところまで歩いて行って、素敵なトイレをお借りした。

Photo_7あとは電車で一直線だった。宿舎について、届いていた段ボールいっぱいの本と資料をベットの上に広げて、一週間のメニューを練って就寝した。

2012/02/26

集合意識は、どこで育まれるか

Photo この写真に写っているのは、思いがけずばったりと出会った、野生のニホンカモシカである。雪の中で、正面からの姿は、たいへん格好良い、と思う。すっと立っていて、素朴な眼をして、こちらを警戒することなく眺めている。雪の中のお嬢さんという雰囲気だった。

ところがである。わたしたちの姿を認めて程なくして、すたこらと坂道を上って、逃げ始めたのだ。その姿たるや、雪の中のカバという風情である。後ろからみると、栄養が良いのか、だいぶ太っている。Photo_3その重みで、雪の中へ足が沈んでしまう。ずぼ、ずぼ、と先ほどの鹿のごとくの、すっとした感じはどこへやら。自分の老年振りを棚に上げてしまうのであるが、中年太りのおじさんの歩調であった。せっかくの好印象が台無しであった。メタボの間抜けさは人ごとではない。こちらも昨日の料理がお腹に残っているのを感じつつ、温泉へ向かう。

Photo_4 朝起きて、宿の窓を開けると、雪が舞っている。表の共同浴場からの湯気と雪とが、冬の季節を構成している。朝風呂は、Y館の内風呂に入った。六角形のドーム型の建物に、湯気が蓄積して、朝のボンヤリした気分とマッチしている。湯の温度は、かなり高めなので、数を数えている間に、汗が吹き出て、手足の血管が働き出すのを実感する。Photo_5 そのうち、身体中が電気ストーブのように、熱を放出し始める。何か野菜を放り込んだら、煮立ててしまう勢いの温度である。じゅっとばかりに、朝茹での卵みたいに入って出た。それでも、何人かの我慢強い人たちはまだ入っていたのには恐れ入った。

Photo_6 集合意識は、どこで育まれるか。経験したてなので牽強付会の気もしないではないが、最も原初的な形のひとつは、温泉の大浴場ではないだろうか。ロールズの向こうを張って、無知のヴェールならぬ、裸のヴェール(語義矛盾ではない)でも唱えようか。Photo_7 湯船で一緒のお湯に入るだけで、他人のような気がしなくなるし、話しかけたくなるということが、その原型振りを表している。

Photo_8車に乗って、「法師温泉」という、日本秘湯の会の古株温泉を、K先生の案内で訪れた。ここの大浴場は、知らない人たちが、話をしながら、長時間湯浴みするのに適している。 第一に、湯船は10ほどの矩形に区切られているものの、それぞれ5,6人ずつ入ることができるから、50人以上が一度に入ってしまう。Photo_9第二に、男女混浴であり、女性にとっては入りにくい面もあるが、形式上は平等の作りになっている。大浴場に、男の低い声ばかりでなく、女の高い声も響くのはたいへん良い。 第三に、お湯が温めであるために、長湯できるようになっている。長湯するときには、当然会話が進むことになるだろう。

Photo_10 さらに、今回は「地熱エネルギー」についてのセミナー付きの温泉研修旅行である。環境の専門家であるS先生も同行しており、ひとしきり議論が続いた。温泉は好きだが、社会科学としてこれほど問題があるとは思わなかった。不覚を恥じた。Photo_11 たいへん勉強になったのは、温泉権という考え方であり、権利としてまだ不確定なところがあるということだ。もっとも、それを言い出したら、すべての権利はかなり不確定なものだということになってしまうのだが。

2012/02/25

雪が残っている群馬県での先生方の合宿に参加して、心身ともにリフレッシュした

Photo_5群馬県の温泉にて、放送大学の先生方との合宿があった。昨年も来た湯宿温泉だ。到着してすぐ、昨年と同様にセミナーを開いて、早々にいくつかの決定を行っていった。本当に楽しむためには、そのまえに仕事を片付けなければならない。

T先生がおっしゃるには、このような別天地へくることには、いわば「転地効果」があるのだという。常日頃、放送大学本部で議論を行っているのだが、ここで全員の先生が集まっても、やはりそれは公式の行事である教授会のときでしかなく、ほとんどいつも時間が少ないのだ。それと異なって、場所が変わったことによって、一日たっぷり時間を取ることが出来るし、効果のほどは本当かどうかは別にして、多少想像力も柔軟になるし、許容の幅も広がる効果が望めるのだ。

Photo_6新しい考え方には、新しい環境が必要だということかもしれない。具体的な議論の内容は、今後の新しい放送授業の企画に関してであったが、そのことはともかくとして、今回興味深かったのは、議論の中核というものはどのようにして生ずるのか、という典型の議論が行われたことだ。ちょっとだけ出すならば、一つには、機軸というものが必要であり、二つには、それがどの範囲まで広がりを持つものなのか、ということを確かめる必要があるということであった。

Photo_7もっとも、この二つの関係は、逆転するかもしれない。放送大学としては、教養の広がりを得てから、中核を刻んで行くことがむしろ得意なのかもしれない。学問の領域は今日複雑に絡み合っているから、それを解しながら、かつ組み合わせることができればというところだろう。

さて、このような会を積み重ねた結果は、2年後には、放送大学の印刷教材という形になり、さらに3年後には、放送教材というものに定着されて行くことになるだろう。その時に、学生の方々が、ここでの議論の雰囲気を、少しでも感じていただけるならばたいへんありがたいと思う。

今回は、S先生が定年を迎えるので、お別れ会を兼ねている。S先生は建築学の先生で、実際に建築事務所を持っている。普通の設計だけを担当する建築事務所とはちょっと違っていて、環境全体をデザインすることで知られている。近年では、広島市民球場なども手がけられている。行きのバスで隣の席に座ったので、お話をいろいろ聞くことができた。

Photo_8中でも特に印象に残っているのは、事務所のスタッフが40名ほどいらっしゃって、その統括を行っている話だ。30年間くらい一緒に、運営していくと、途中で建築設計をやめて経営の方へ回る人が出てくるという現実は、特に興味深かった。どのようにして、転向を図ったのだろうか、想像するだけで興味深々だった。そのうち、ヒアリングを行いたいと思ったくらいだった。

Photo_9宿舎となったY館をちょっと出た隣に、町の共同浴場がある。K湯というのだが、宿舎の内湯も良いのだが、このような共同浴場の良い点は、地域の方々と話ができるところにある。たまたま毎日来るという、おじいさんと孫娘さんが入っていた。4、5人はいれば、いっぱいになってしまうようなところなので、3人くらいがちょうど良いくらいだ。

昔は、朝風呂にもきていたとおっしゃっていた。けれども、最近の若い住人たちは、次第に内風呂を作るようになってきていて、共同浴場の利用は減りつつあるのだそうだ。高齢化も影響していて、歳を取ると、外湯は難しいと言っていた。そうは言っても、家族中で共同浴場へ行くという伝統は、この建物が存在しているから続いているのだろう。湯元のホスピタリティと、住民たちの共同性とに、共感を感じた入浴であった。

Photo_10住民たちの共同性には、変容があるらしい。たとえば、かつて浴場の掃除は、住民たちの当番で行っていたのだが、現在は専門の掃除人を頼んでいるとのことであった。

2012/02/24

遠くに行ってしまったものに対して、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」ものとは何だろう

Photo_4映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観る。父親とたいへん仲の良い少年オスカーが、9.11で父を亡くす。父親とどのような遊びを行ったか、ということは、父親の思い出のなかではかなりの部分を占めるという普遍的なことをうまく使っていると思った。この映画では、ブランコのシーンや、探検調査ゲームがあげられていて、これらが後の物語で重要な役割を演ずる。

身近な人が亡くなったときに、その当事者のどこがおかしくなるのかは、よくわからない。けれども、そこから回復することは、可能なはずで、なるべく「自生的」に回復することを、この映画では重視している。この点でアメリカ的だな、と思う。そして、「自生的」の裏で何が必要なのかも、最後に明かされるが、それは一見アメリカ的ではないように見えるかもしれない。けれども、何かちょっとわからない雰囲気がこの映画には漂っている。その原因はどこかと見つけていくと、人と人の結びつきでも、やはり個を大切にするということを中心になっていて、この点に関しては、やはりアメリカ的だなと思ってしまう。

ネットワークが重要だ、という共通認識が存在することは、人間の社会ではかなり了解されていても、やはり場所によって、ネットワークの在り方が異なるだろう。この映画で感動的なのは、場所が異なり、人が異なっていても、それぞれの場所でネットワークから外れたり、ネットワークが壊れたり、さらにはネットワーク自体が存在しなかったりという問題があることが、訪ねていく先々で明らかになって行くことだ。

この映画のアイディアで気に入ったところを、一つだけあげろというならば、やはり「鍵」のエピソードは秀逸だと思う。詳しいことは映画を見ていただくとして、大雑把にいえば、次の如くだったと思われる。

父親の死後、封筒に入った「鍵」を父の部屋から発見する。鍵の収まる鍵穴を見付け出すべく、一つの旅が始まり、それを巡ってのドラマが始まることになるのだが、結局のところ、鍵自体は重要ではなく、むしろ鍵を巡って起こったネットワークが重要であったという物語だ。これを観て、現実の生活を振り返っても、ほぼ同じではないかと思った。

402735_283577035033801_238518536206中心にあることが重要であることのも事実だが、往々にして、その周辺に真理や重要なことが存在する場合もあるのだと言える場合が多いのだ。あえて、プロセス主義だと言われようとも、甘んじる他ないのははないかと思う。

2012/02/16

「神」を見たことがあるか、としか言い様のない一日もある

Photo義理の関係であるが、きわめて近しい親戚が今日一日で、同じ日に二人も亡くなった。それだけでなく、やはり近しい若い人が、新たな人生を歩み始めることを決めた。

人生の中の一日で、途轍もなく大きな力が一度に働き、何かがぎゅっと凝縮して現れる。そして、その凝縮したものは、次から次へ渡って行くのだ。このような一日というものがありうることを、ようやくにして知った。

Photo_2昔、高校時代の国語教師N先生が授業中におっしゃったことがある。わたしは座高が高かったにもかかわらず、この頃は一番前の席に座ってからよく覚えている。君たちは「神」を見たことがあるか、と。クラス全員に、突然問いかけたことがあった。どんな神でも良い、あたかも神の起こした奇跡のようなものでも良い、と。遅ればせの宗教体験と言ってもよいかもしれない。

言ってみれば、生と死とが交錯する、そんな一日だったのかもしれない。朝、5時に妻から電話がかかってきて、支度をしてすぐ、朝の一番列車に乗って、秋田へ向った。昨日、会議に出ていて、今日の午前中に報告を送らなければならなかったが、新幹線の中で書いて、秋田駅で送ることができた。

Photo_3病室へ赴き、病院からの葬送に立ち会った。ベッドから搬送用の器具へ移す時、ずっしりと重かった。それは体重という意味ではなく、一人の死というものの重さだと思った。

2012/02/10

キノコについての想いを辿るのは楽しい

20120210キノコについての想いを辿るのは楽しい。小学校時代からの特別な意味をつねに思い出させてくれるからである。すこし大袈裟な言い方かもしれないが、このキノコの記憶があることが、田舎育ちの一つの良い点だと思われる。田舎者と言われようとも、わたしの心のよりどころとなってきた気がする。

20120210_2キノコは、食べ物であると同時に、わたしの環境そのものだからだ。信州の北西部で育ったのだが、ここには、キノコ狩りという風習があって、学校で連れて行ったり、家族で行ったり、町内会の旅行として行ったりしてきた。このような風習は、季節が限定されているし、さらにキノコの取ることのできる環境が近くになければならないから、地域でもかなり限定される活動となっていると思われる。

20120210_3逆にいうならば、キノコ狩りのできるという経験を持っているだけで、すでにその環境の一員であることを認められたと言っても過言ではない。田舎のメンバーシップというものがあるならば、その重要な構成要素だと思われる。まだ、観光キノコ狩りというビジネスが成り立つまえのことである。

20120210_4だから、実際には、キノコの生えている場所を知っているのは、栽培している農家でなければ、キノコ狩りの名人がいなければならない。また、キノコには毒キノコというものがあって、これを見分けないとはいないという、食べ物としてのタブーが存在しているのも、キノコの面白いところである。

20120210_6ところが、ここが地域の閉鎖的であって、とても良いところだと思われるのだが、名人は親子であろうとも、ほぼ絶対的に密集地を教えることはないという点である。そしてこれは、環境の進化としては正しいのではないかと、わたしは思っている。

20120210_7もしキノコ狩りの名人がたくさんいたら、美味しいキノコは直ちに絶滅してしまうではないか。さらに、もし名人が世襲制だったら、その周りのキノコは永遠に独占されてしまうではないか。名人が一代限りだから、つまりは名人の絶対数を限ることで、キノコの絶滅を防いでいるのではないだろうか、と思われる。

20120210_9ということで、如何にキノコを食することには、自然に対する手続きが厄介なものであるのかを、信州に育ったものであれば、知っているのだ。何もここで信州生まれをひけらかすことは、ないのかもしれないが。じつは、今日は恒例の「清談会」であった。放送大学をご退官なさった先生方もお呼びして、Y先生ご推薦の六本木にある「G」へ集った。ここは、中国雲南のキノコ料理で名立たる店である。

20120210_10最初の前菜の中にも、キノコが使われていたが、味を見て歓談しているうちに、皿からはあっという間に、料理が消えてしまった。一応、当番として司会をしなければならないと観念していたが、すっかりOBの先生方の毒気とキノコの香味に当てられて座っていたら、司会なしでどんどん話は進んで行った。

松茸入りの薬膳スープは、アッサリとして好評だった。車海老と虎掌茸の炒め物は、想像していたものとかなり違った。牛肝茸の香味炒めは、こってりとしていた。肉と魚の料理が続き、さらに、豆腐料理と点心が出る頃には、紹興酒が何本かに達して、酔いが回ってきた。

20120210_11Y先生が店の若主人を呼んできて、雲南名物である「米線」の盛り付けをテーブルで見せてくださった。ここには、アジア的と呼ばれるものの原型が保存されているのを感ずる。コメを中心とする文化、麺を中心とする文化、薄い醤油味を中心とする文化が保たれている。

20120210_12キノコの効用が酔いとと一緒に、身体の中をめぐり出す頃、先生方を車で帰し、こちらも六本木の喧噪を避けるように家路に着いた。

2012/02/07

「情報は権力なり」という神話を確かめたいと、映画「エドガー」を観る

Img_0284情報は力なり、というセリフが出てくることで、有名になった映画「エドガー」(クリント・イーストウッド監督)を観てきた。なぜちょっとした単なる情報が権力の元になりうるのだろうか。歴代の大統領たちのもとで、米国のFBI長官として48年間に渡って米国の情報を支配してきた、ジョン・エドガー・フーバーの半生を描いた映画だ。いつもは、クリント・イーストウッド監督だと、自分の名前が前面に出るのだが、今回は背景に退いていて、映画の描き方でも、クイント・イーストウッドらしさが、あまり見られない。

クリント・イーストウッドらしさとは、メリハリの効いた、アクセントのはっきりした映画ということだ。今回は、デカプリオの過剰な役作り以外は、淡々と事実関係をそのまま流しているばかりだ。むしろ、歴史の筋に忠実な運びの映画となっている。

出だしが穿った作りになっている。「情報」世界の典型例は、国会図書館だという、一般受けしやすいところから入っている。わたしもこの米国図書館に惹かれて、二度も訪れた記憶があるのだが、入り口ホールに置いてある、グーテンベルクの活版印刷の聖書を眺めて、閲覧室のボックスに入った図書カードを引いて、席に座っていると係の人が図書を席まで届けてくれるのだ。

映画のシナリオでは、図書カードだけでは、うまく行かないことを示して、このエピソードで映画の全体を暗示させている。カードから異なる文献に行き着いてしまうことを、皮肉に描いていて、情報の行き違いが他人の人生を狂わせてしまうことも有りうることを示唆していて、そこから映画が始まっている。カードの貧弱な情報だけでは、内容の判断もできないのは当たり前のことだ。書籍でさえも、現物に当たらなければ、内容はわからない、ということだ。

フーバーは科学捜査の先駆者で、指紋鑑定のオーソリティになるのだが、この図書カードのエピソードが後の筋に効いてくるのだ。有名なリンドバーグ誘拐事件の犯人を最後に指紋鑑定などで追い込んでいる、と描いている。映画のなかで使われた図書カードのキーワードが「無節操」というのも、クリント・イーストウッドらしい皮肉である。

いくつかの疑問点がある。単なるスキャンダルが、じつは情報としての権力の元になるとこの映画は言いたいのだが、それでは、フーバー自身のスキャンダルをこの映画がきちんと描いたかといえば、そうでもないと思われる。

それで、この映画の核心は何かといえば、フーバーの「極秘ファイル」の存在であるとわたしは思う。ここで使われている論理は、先日ここで指摘したデュシャンの「泉」と同じ構造を持っていて、たいへん興味深かった。

つまり、権力を左右するような情報は、本来は公式的で正統な実力であるはずである。ところが、実際は、権力に座る人の情報操作によって、権力が発生してしまうし、それならば、権力に座る人を情報操作すれば、実際の権力を得ることができるだろうということになる。それで、権力に座る人の弱みを情報として獲れば、実際の公式的な権力を実質的に得たことになるだろう。

その元となるのがが、「極秘ファイル」である。内容は、権力者の弱みとなるスキャンダルの情報が集められたものとなる。けれども、この情報をフーバーは滅多なことでは外に出さなかった。「極秘」とされたのだ。

脅迫の遂行と同様にして、表に出さないことで、機能するのが「極秘ファイル」の役割だ。そして、フーバーが亡くなるときに、個人秘書によって廃棄されてしまう。結局、存在していたのだろうけれども、最後に姿形が無くなることで、もっともっと存在感を増したものとして、フーバーの「極秘ファイル」は現在でも存在感があるのだ。

Img_0286映画の中心は、「極秘ファイル」なのだから、これをもっと効果的に映画に登場させて欲しかったと思う。今回の映画では、いかに「極秘ファイル」における「不在の実在性」を映画で描くことが出来るのかが試されていたのだと、勝手ながら考えているのだ。

2012/02/04

放送大学発祥の地を懐かしんで、壊される前に世田谷学習センターを訪ねた

Photo_7ここ数日、寒い日が続いていたが、今日は晴天だったので、途中から気温が上がってきた。オーバーは必要だが、ストールはいらない。歩いていたら、汗が出てきて、外気の冷たさと丁度良い加減となった。

Photo_8東京世田谷学習センターが閉所するということを聞きつけてから、一度はお別れにいかなければと考えていた。世田谷に所属したことはなかったが、面接授業やその他で、ずいぶんお世話になったのだ。

Photo_9こちらとの関係でいうならば、まずは面接授業を数年に一回はこなしてきたというつながりがある。三階の一番奥にある、少し大きめの講義室が、階段教室になっている。このブログでも、一度くらいはその様子を書いたことがあったかもしれないが、すでに忘却の彼方だ。廊下の窓から、そっと写真を取らせていただいたが、もっと階段は急斜面だった気がするが、記憶などというものは当てにならない。

Photo_10階段教室だから、学生の方々の顔がすべて見える。一番低いところにいるわけだから、もちろん、上から目線が通用しない。絶えず、上から見られているという感じもあるが、むしろ全て対等に目線が合うという感じで、慣れてくるに従って、語りかけるという感じがある。取りわけ、ここの階段教室には、窓を超えて設定されているので、窓に目を向けても、自然な感じがする。講義をしながら、窓の外を見るのは、ふつうは気が引けるが、ここはきわめて自然だ。

Photo_11当時、わたしは神奈川学習センター所属だったが、駅からの曲がりくねった道を辿って、ここの非常勤講師室にたどり着き、一日中授業を担当した。それから、友人のI氏を頼んで、面接授業を担当していただいていたので、最終日になると、待ち合わせて学芸大学の駅前で呑んだりした。

1936_2古いということの良さがわかるのは、大人になってからなのだが、それはここの建物が良いとわかるということだ。古さがわかるということは、昔の状態を知っていることがないと言えないが、今日はここの写真展を見ていて、放送大学が入る前から、つまり戦前の青山師範時代からの歴史があり、そのころからの古さが存在することが付け加わって、感激した。この写真では左の白い建物が世田谷学習センターで、隣が学大附属、その奥にも大きな建物が1936年当時には建たっていたらしい。ここに通っていた時代には、たしか学長公舎はあったが、大きな建物はすでになかった。

Photo_12階段を降りて、各階に手を洗う水道と流しがあり、衛生主義の小学校時代の建物の様子がうかがいしれた。柱と柱の間隔が狭く、いかなる地震にも耐えることができそうな、建物で、それは図書館の建物としても適していることを示している。図書館短大が一時ここに入っていたのも、そのような構造のせいかもしれない。

写真展の写真には、歴代のセンター所長や当時の助教授の先生がたが、若い顔のままで写っていた。年月は確実に過ぎたことを思い知った。若い先生方が老けた、という意味でなく、もちろんそれもそうだが、昔が懐かしくそのような時代もあったのだという思いが先に立ったのだ。

Photo_14放送大学広報番組「大学の窓」の撮影班が、来ていて、今日の閉所式の様子を取材するのだということだったので、写真展の様子も、最後の世田谷学習センターの様子も、広報として流れる予定だ。この建物が壊されるまでに来所の予定のない方は、この番組を観たら良いと思う。

Photo_15窓班の方々、宣伝しておきました。ついでに、窓班を写真に撮ろうと思っていたら、すでにあちこち撮影しているらしく、つかまらなかった。センター所長のA先生は、今日の閉所式に出るためにタキシードに身を包んでいて、たいへん忙しそうだったが、廊下で雑談の相手をしてくださった。また、社会と産業コースのA先生も、最後の面接授業を行なっていたのだが、わたしの姿を見て、廊下まで挨拶に出てきてくださった。最後まで、皆さんが世田谷学習センターを愛好していることを知る訪問となった。

Photo_16さて、この学習センターとの繋がりで、忘れることができないのが、わたし自身の放送大学への就職面接がここで行われたことだ。当時、オーバードクターとなっていて、民間の研究所に通っていたのだ。それで公募があり、現在ほどは厳しくはなかったけれども、それでも数十人が応募する状況の中で、ようやく最後まで残り、最後の面接として本部のあった、この地へ試験を受けに来たのだ。まだ、放送大学が開学する3年前で、その後3年間は何も関係なく、どうやって暮らしていったら良いだろうか、というぐらいの就職だった覚えがある。

Photo_17今は、学生の控室になっているところに、哲学のO先生と、経済学のK先生がいらっしゃって、面接試験を受けたのだ。一緒に就職した経済学史のU先生も、ここで面接を受けていた。

Photo_18まだ、現在の幕張での放送大学本部が建たっていない時代の話だ。この世田谷学習センターはつまりは放送大学の発祥の地であることになる。もっと正確にいえば、隣の高校に、最初は準備室が間借りしていた時代もあるから、二代目の本部ということになるだろう。一説によると、この写真の高校の守衛室が先生方の溜まり場だったというのであるが。Photo_19さて、世田谷学習センターが更地になってしまい、放送大学の痕跡がまったく無くなってしまうのは、放送大学の起源が失われるようで、たいへん残念な気がする。

大学というところは、つまりは、精神の共和国たるところなのだから、建物は必要としない、というのは正論だが、やはり精神にも枠組みが必要で、思い出をつなぐ場所としての建物は、精神の一部と言って良いと思われる。

Photo_20昼食は、学芸大学の街へ出て、「L」というティールームでサンドウィッチと薄味の紅茶を飲む。冬の寒い中でも、陽射しは強く、格子のガラス窓から入ってくる。その暖かさにツラレて、この温室のような喫茶室の中を覗き込んでいく往来の人びとがいたが、覗くことができる魅力ある建物は必要だ。Photo_21何かがこの世から無くなってしまうという、なんとも寂しい一日となった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。