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2012/01/05

「平凡にして偉大なすべての父と母へ」というオマージュ

Photo「平凡にして偉大なすべての父と母へ」というオマージュというのか、映画の最後のキャプションにこのような文句が入った映画「海洋天堂」を観た。何が平凡かといえば、父と子の物語であるところが平凡であり、何が偉大かといえば、父と子の普遍的な物語であるからだ。けれども、この言葉に相当する平凡さを、これまで誰が実現できたであろうか。

ガンを患い、命の短いことのわかっている「父」と、自閉症で、この世で暮らしていくことができるのかわからない、けれども泳ぐことだけは抜群にうまい「子」がいる。この二人が最後にどのような関係に行き着くのか、さらに、この関係性が維持される可能性はあるのか、これらの点でたいへん興味深い二人関係を描いている。二人関係それ自体は「平凡」だが、描かれていることは、たいへん普遍的で、「偉大」だと思う。

ヒントは、母の死である。母も、この子の母として、泳ぎがうまかったらしい。ところが、溺れ死んだ、ということになっている。なぜ泳ぎ上手な母が、溺れて死んだのか。映画の中には表に現れてこないが、母と子の関係が第一段階で、この映画が描いている父と子の関係が、第二段階で、さらに、父の死後にもう一つの段階が描かれている。そこでは、海亀と子が第三段階を形成するのだ。

わたしたちは母や父からの庇護のあと、どのような親子関係を築くのだろうか、と考えると、この映画の構成が極めて多くの意味を含んでいることに気づく。たとえば、経済的に自立したからといって、親子の二人関係が終わってしまうわけではないのだ。それじゃ、どのような関係であれば、在りうるのだろうか。

自立以後の親子関係とは何だろうかを、この映画はかえって教えてくれる。父が亡くなって後に、親子関係が世の中に成立していることがかえってわかることになるのだ。この映画の答えは明瞭であって、「海亀」をひとつの象徴として見せている。それはわたしの勝手な解釈なのであるが、そう外れていないのではないかと思っている。

海亀に託すことのできる、平凡さは非凡だと思う。母に寄って、現実を知り、父に寄って、可能性を理解し、海亀と共に、自分を生きることに目覚めたのだと思われる。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。