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2012/01/10

J.ポロックの「細密な線の重層的」な絵に、何を観たか

Photo昨日、じつは学生の方々と別れてからが、身体的には大変だった。昼は、同志社大学の学食でみなさんと一緒に済ませた。じつは上の階には、イタリアンのコース料理を出すレストランがあって、そちらへみんなで行ったのだが、時間がかかるらしいので昨日はパス。残念ながら、次の機会に回すことになった。

学食は好評で、会社の食堂よりずっと良いとのことだった。その理由が現実的だった。会社食堂の場合には、その会社の関連会社になりがちであるために、味が落ちるそうだ。大会社ほど、この傾向があるのだという。

Photo_2みなさんと別れてから、かねてより行きたいと狙っていた、愛知県立美術館で開催されている「ジャクソン・ポロック展」へ駆けつける。名古屋と京都との距離は、約30分で、ほぼ通勤圏の距離だ。織田信長の天下取り気分を醸成したのも十分理解できるところだ。

妻からはそんなに無理しなくても、ポロック展は東京にも来るから・・・。と数日前に言われていたが、まえにもそれで、見逃してしまった展覧会がいくつかあるので、思い立ったら吉日と考え、合宿3日分の洗濯物・荷物持参で、展覧会場へ走り込んだ。会場は大盛況で、ポロックがこれほど人気あるとは意外だった。しかも、代表作ではなく、初期や晩期の作品が中心である展覧会で、これだけの人が見に来るとは・・・。考えてみれば、具象画と違って、抽象画にはそれ自体に向い合って楽しめばよいという、気楽さがかえってあるのかもしれない。

Photo_3今回の展覧会では、前述のように、1950年ごろのポーリングを中心とした最盛期と言われる作品以外のものが数多く展示されていることが特色となっている。中には、ユング派の精神分析手法の影響を受けた作品も展示されていて、ポロックが早くから、潜在性に興味を持っていたことを示す作品も展示されており、この傾向を知ることができたのはたいへん興味深いことだったし、ラッキーだった。

Photo_4多層的である、という評価は、観て誰でも思いつく特徴だ。展示の説明パネルにも、ポロックの特徴として、「細密な線の重層的な」表現を挙げていた。幾重にも積み重ねられた、線と色とデザインとが様々な連想を生むし、色自体の連鎖を追っても楽しい。

Photo_6問題は、抽象の問題である。なぜ近代になって、具象から離れて抽象に至る絵画が多く現れてきたのか。ポロックの場合には、どのような問題を観ることができるか、という点が興味深い点である。抽象に至る筋道には、たとえば、カンディンスキーの内的必然性という理由や、モンドリアンの単純化という理由や、さらに有名なところでは、シュルレアリスムの自動化などがあって、これらはたいへん解りやすい抽象の必然性だ。もちろん、言葉にしてしまうと表面的なものになってしまうので、溢れ出るものはこれらの言葉では納められないことはわかるのだが。

Photo_10それで、ポロックでは、そのような溢れ出るものに、どのような特徴があるのか。ポロックの人気は、ポーリング(流し込み)にある。この表現方法が瞬間的で、それ自体完結しているような総合性を持っているところにあると思われる。この技法は、ちょっと模倣してみたいという気にさせられる。前衛的でパフォーマンスを行うには、格好の技法だ。なぜ人気があるのか、がこれでわかる。絵を描いたことのない人でも、このポーリングならば、できるんじゃないか、という錯覚を覚えるからだ。

Photo_9それで、今回の会場には、ポーリングを行なっているポロックの当時のビデオが流され、その隣にはニューヨーク州のスプリングスにあった制作スタジオが再現されている。とくに、ポーリングの液が垂れたあとの床が、そのまま写真で復元され、その床に裸足で上がることができるようになっている。ここだけは、写真撮影が許されているのだ。上から目線で観ていると、さっそくポーズを真似する人たちがいて、それで何がわかるのかは定かでないが、体験的な理解ができたという雰囲気だけは醸しだされていた。

抽象のもっとも良い理解は、「体験」だ、というかなりパラドキシカルな状況が、ポロックには存在する。その意味でも、抽象的な世界に生きなければならない現代人にとって、示唆するものが盛りだくさんのポロック展であった。

今回の展覧会の特色は、評論家のクレメント・グリーンバーグの評論解釈を大幅に取り入れた点である。彼のポロック解釈は、「オールオーヴァー(画面全体に均等に散りばめられた様相)」である、とするものだ。この解釈が世界中にヒットしたことになっている。たとえば、絶頂期に制作された、「インディアンレッドの地の壁画」をみれば、なるほどと思う方法だ。

http://hamajubiyama.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/16/s.jpg

このことは、たいへん逆説的なことだ。ポロックは若い頃から精神的に深く、さらに多層性を探求するような形で、絵を描いてきた画家だと思う。今回出品されている、初期の自画像や、「西へ西へ」などの絵にはじまって、精神分析医との接触からの描法へと発展させてきたことがわかる。ところが、1940年代後半になって、ほんの数年間描いたオールオーヴァーな絵が最も人びとに評価されることになったのだ。深く深くの絵画も反映されていないわけではないが、けれどもそれよりも、広く均等な絵画が評価されたことになる。

晩年には、全体的でオールオーヴァー的な絵画から、また個別で、深く深くの絵画へ帰っている。けれども、もはやこれらはあまり評価されなかった。ここには、批評と作家との葛藤を読むことができそうだ。人生には、このような逆説的なことがたびたび起こるということだろうか。この1950年頃のほんの数年間のポロックの、溢れでた、あの輝きはいったい何だったのだろうか。

Photo_11ポロック展のあと、せっかく名古屋まで来たのだからと、もう一つ展覧会を回った。さすがに、お腹が空いたので、濃厚な名古屋の味、味噌煮込みうどんを食べ、さらに、名古屋と言えば、Kのコーヒーとシロノワールで、休憩をたっぷりとって、新幹線で帰路についたのだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。