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2011/12/26

家族崩壊と、「習慣の転換」との関係はあるか

9fccbf834036d651b38edb5699398fda1昨日、宿で映画監督の森田芳光氏が亡くなったのを知った。同世代だったので、多くの作品を観ている。最近の小雪主演の映画「わたし出すわ」なども楽しく観た。「A列車で行こう」も期待していた。

けれども、みんなの一致するところ、代表作は「家族ゲーム」であるということになるらしい。1980年代という時代を映している。「家族崩壊」神話という物語の方法があって、社会科学では、都市化や、工業化などがその典型な説明要因となる。それに対して、家族内部の要因として、家族崩壊を語るようになってきたという系譜が存在すると思われる。

習慣の変化ということも社会的変化としていうのではなく、個人間の意識の問題として語られるようになったのだと思っている。このなかで、家族とは、「習慣だ」、という映画「家族ゲーム」の考え方は、時代に対する強いメッセージだったと思う。

今は亡き伊丹十三の夫婦家族に、これも今は亡き松田優作の他者が入り込んでくることで、家族の変調が明らかになってくるのだ。映画のなかで、このようなシーンがあった。伊丹十三演じる夫には、目玉焼きを毎日食べる習慣があった。その食べ方は、黄身をジュっと吸うように食べるのだが、ある日ジュっと吸っても、黄身が出てこない。堅焼きで目玉焼きが出されたのだ。妻が言うには、ずっと堅焼きだったでしょっという場面は、とりわけ印象的であった。20年近く前に観たので、記憶が間違っているかもしれないが、大筋はそのとおりだったと思われる。

二人関係において、双方で趣味をすべて把握することは難しいとしても、大雑把にだいたいどのようなものかがわかっているのが、二人関係の親密さ加減でその習慣がわかるのだと思われる。もしここの部分が何らかの原因で失われると、失語症のように、相互コミュニケーションが失われることになるだろう。このところをうまく描いた映画だったと思う。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。