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2011/12/27

金ピカ文化のシンプルさを観て、なぜ金閣寺が成り立ったのかを想ってきた。

Photo 「金ピカ」ということについては、きわめて質素な家庭にわたしが育ったために、どちらかといえば、否定的な文化として忌避すべきものだ、と認識してきた。それは、金とはいえ、主として「貨幣」、あるいは「儲け」というものに対する、抑制された感情、あるいはむしろ反作用であったのかもしれない。ところが、一方でご先祖様の商家の伝統もわたしの家には存在していて、お正月には「繰り回しよく、かきとる」と言いつつ、甘栗と干し柿を食べる習慣があったりする。

それが、経済学を学ぶようになってくると、貨幣的なものや、金的なものについても理解せざるを得なくなり、かえって、不幸な身の上話を聞いてやるような、愛おしい感情が芽生えてきている。だから、「金ピカ」についても、大人になってからは、見直す機会が増えている。

Photo_2 今回、何十年か振りに、金閣寺(鹿苑寺)を拝観した。門をくぐって、目の前の池に映る金閣寺は、以前であれば、その煌びやかさは、権力者の見せびらかしで、黄金の持つハロー効果を最大限利用したものだろう、と思ってしまったところだろう。しかし、よくみると、金閣寺は色の使い方がシンプルで、一階部分は、むしろ枯れた雰囲気を持っている。

義満の時代にどうであったのかわからないところはあるが、江戸期の後水尾天皇ころに、京都で一つの動きがあり、このシンプルさが文化の基底に据えられた時代があった。この影響は驚くべきで、京都のあらゆるところに見られるようになったのではないか、と想像できる。

Photo_3 なぜ金閣寺が江戸のシンプル文化の一つなのか、ということについては、あまり確証はなかったのだが、じつは今回のテーマである「金ピカ」に引きつけていえば、金閣寺の金ピカは単色で、極めてシンプル文化の要素を濃厚に受けていていると思われるところがあるのだ。この金ピカに緑や赤が入ってきたのであれば、それは、別の宮廷文化の系統になってしまうのであるが。たとえば、隋や唐の文化の影響のある平安期までの宮廷文化であれば、赤や黄色や緑の真の意味の金ぴか文化であった。

ところが、禅宗や茶の湯が日本に伝わり、さらに江戸期の民衆文化が宮廷文化へ影響を及ぼすようになると、時代全体が変化するような動きが現れたらしい。そしてそこで、鹿苑寺などにサロンが設けられるようになったということを知って、なるほどを思ったしだいである。このことは、寛永文化論の熊倉功夫氏の幾多の書物に詳しい。

そこで、何が言いたいのかといえば、たとえ「金ピカ」であろうとも、二重三重の複雑な表現があって、「金ピカ」とみれば、画一的な黄金神話で物事を解釈することは、誤ってしまう場合があるのではないかということである。はじめは、黄金神話で作られたものであっても、時代が変わり、人が変わりすることで、金ピカ文化もいわば地味な文化として立ち現れることがあるのだ。江戸時代の寛永文化には、このような変化が濃厚に表れてきたということだと思われる。

さて、そのように解釈し直したとしても、それじゃ黄金の輝きにこのように人びとが惹きつけられるのはなぜか、を説明していることにはならないと、反論されそうである。つまり、黄金神話は神話を崩しながら、何度も黄金神話を作り変えてきた、ということではないか。その時に、揺り戻されるモデルとして、金閣寺モデルは特別な位置を占めていると思われる。「金ピカ」の中のシンプルさなのか、それとも、シンプル文化の中の「金ピカ」なのか、その表象として、今日は金閣寺をじっくりと観てきた。

雪が降ってきて、合間には陽が射してきた。その変化の中で、金の輝きは、陽の光で変幻自在に変わるのだ。光が当らないところは真っ黒だし、光がまともに当れば、真っ白なのだ。このコントラストの違いに気づけば、金一色だけで、無限のグラレーションを実現できることを知った。

残念ながら、大書院や方丈などは、今回公開されていなかったが、あの後の時代の若冲作品や、当時の後水尾天皇の足跡が、この鹿苑寺に記録されているところを鑑賞することはできなかったのだが、サロンの中で彼らの間に、どのような会話がなされていたのか、さらに後の時代にその伝統がいかに影響を与えて、若冲がここに絵を残すことになったのかをちょっと想像したくなってしまったのだ。来年早々に、同志社大学でゼミナールを開くことになっている。隣の相国寺に、じつはこれらの作品があるらしい。それに当然、修学院離宮や桂離宮との関係は興味深いところだ。

Photo_4 京都の観光客も年末になって、家に戻ったのではないかと思われた。それで、四条河原町あたりの喫茶店ですこし休もうと思って出たのだが、なんとお休みだった。さらに、もう一軒へ行くと、今度は地元の仕事納めを終えた旦那さんや和服のカップルたちで満員であり、よそ者の入る余地はなかった。そこで初めていく店で、Tという老舗の喫茶店の二階に陣取ることにした。ここもかなり古い調度品で飾られており、タバコを気にしなければ、申し分ない場所だった。Photo_5 観光で訪れた喫茶店マニア(わたしもそのひとりということになるが)たちが、ほぼ全員が写真を撮っていったのはさすがだなと思った。最初の部屋にわたしは陣取っていたので、津々浦々から集まって来たカメラに、わたしの姿も何枚となく収まったのである。宮廷文化から抜け出てきたとたんに、世の中、民衆文化だらけの年末模様となった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。