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2011/11/04

学術と政治の夢を見ながら、海とウォーキングを楽しむ

Photo夜になって、雨が降ってきた。先ほどまで、海辺の公園に座って、今日一日の幸運な天候を感謝していたのとは、大違いだ。今日は、神奈川学習センター恒例の、ウォーキングの日であった。

Photo_4今週は卒業研究の仕上げの段階に入っていて、学生の方々からは、連日分厚いメールが送られてきている。昨日も三人の方から相談を受けたところだ。もし卒業研究が終わっていれば、何人かの方々も参加してくるのでは、と期待していたが、やはり論文作成に専念しているらしく、見えなかった。今年度は、震災の影響や、仕事上の理由で、何人かの方が途中で卒業研究を最後まで成就することができず、ゼミナールにとっても、特別の年になった。

Photo_8ウォーキングのほうは、薄曇りで丁度良かった。歩くとふつうは汗ばんで来るのだが、今日はそんなに暑くもなく、寒くもなく、今日のためにセットしてくださったような一日の天候だった。

京急線の金沢文庫駅に集合して、8班に別れて、それぞれ10数人のグループで行動した。称名寺の入り口に到着した。わたしの班は5班で、リーダーWさんが場所場所での歴史・地理などの説明を交えて、引率してくださった。

Photo_9称名寺入り口の門に差し掛かったときに、1班を引率してきたFさんの解説している姿を見かけたので、挨拶の合図を送ると、話しながら会釈を返してくださった。Fさんは全体のリーダーでもあり、毎月のリーダー勉強会を主宰している。このような会がうまくいくには、特定の人びとが情熱を持って維持していく必要がある。もちろん、他の方々の助けも必要なことは言うまでもないが、会全体が乗り移ったかのような人格の存在は必須である。

運慶の像のあることで有名な、光明院は現在は、この門を観るだけである。けれども、4柱作りで、清楚ではあるが、基礎のしっかりした、質実剛健という鎌倉期の特徴をよく表している。

Photo_11さらに、山門はもっと大きく、この模様を伝えている。金剛力士像も千年余の風雪に耐えて、剛毅な様子を伝えている。これらが、野の中でそのまま維持されてきたということは、ほとんど信じられない状況だ。Photo_12戦国期になると、ここの金沢文庫の資料は、豪族、大名、幕府などによって、略奪されたらしい。力の背景がないままに、これだけ残っていることのほうが、奇跡的だと言えよう。

Photo_46称名寺は、平泉の毛越寺を模して建てられたらしい。天国への道を想像して作られた橋をわたって、極楽浄土の本堂へ導かれる。

本堂の後ろには、ずっと自然の丘が連なっていて、昔は、海の中に半島が突き出て、その一角がこのように盆地のように囲まれた別天地だったのだろう。Photo_16海からの遠方の訪問者たちには、強い印象を残したことが伺える。権力者が宗教と学術の形で見せびらかしを行い、力を誇示するのに最適な装置だった、と想像される。

Photo_18センター所長のW先生、リーダーのFさん、さらにサポーター事務局のKさんの挨拶を聴く。全体で、100名を越える参加者があったそうだ、また、放送大学生以外の方が、3割であったとのこと。そういえば、第1回に参加した時も、イタリアからの留学生も参加していたことを思い出した。地域への貢献大なることを思った。

池を臨みながら、昼食を取り、山へ登るグループと、近くの文庫を散策するグループとに別れて、お昼休みを楽しむ。わたしは、Hさんのグループとベンチに座り、雑談に余念がなかった。この後のことを考えると、ここで歩く力を貯めて置かないと到底最後までついて行けないと、ただちに認識していたのだ。これはあとで、正しいことが証明された。

H先生ともう一人のH先生は、ストレッチ体操をこなして、それっとばかりに勇んで山へ登っていった。このような元気な先生方がいるかぎり、放送大学の未来は明るいし、こうでなければ、学生と対等に付き合うことはできない。わたしはもっぱらコミュニケーションに精を出す事にきめ、歳相応のことを行うことに決めた。

称名寺から道なりに坂を下ってくると、不自然に曲がりくねった国道16号線にY字に交差するところに出る。

Photo_20山道をなだらかに斜めに海岸線の大きな道に合流するように、鎌倉時代の地図にはなっていて、なぜ16号線が曲がりくねっているのか、の理由がそれで分かった。この16号線が内湾になっていた海岸線沿いの道だったのだ。曲がりくねったほうが、自然だったのだ。この道を平潟湾のほうへ向かって歩く。

Photo_19途中、R寺という、かなり裕福そうな、格式が高い寺があって、国宝や重要文化財を複数保持しているらしい。宝物殿も立派なものが建っていた。目を吸い寄せられたのは、みんな同じで、「ぼけ封じ観音」という現世利益の観音像であった。霊験を試そうなどと大それた方はいなかったが、それでも賽銭箱の音は絶えなかった。裕福な寺は何かが違う。これは皮肉ではなく、現実だ。

Photo_22さらに、平潟湾へ近づくと、今度は明治期の歴史物が出来してくるのだ。まず、「明治憲法創設の地」の碑が建っていて、この近くの「東屋」という料亭で、金子や伊東たちが草稿を練ったらしい。

瀬戸神社の前を通り、金沢八景の駅に出る。八景の由来となる行くつかの風景を見て歩く。Wさんが浮世絵をプリントしてきて、添えられた歌などを鑑賞しながら、頭と足の両方の満足するウォーキングとなった。

Photo_25平潟湾を左に見ながら、海岸沿いを戦前海軍基地のあった方向を目指す。この平潟湾は、現在では、水が透き通っていて、近くの釣り客が釣り糸を垂れていた。飛魚などが獲れるらしい。一緒に歩いたTさんたちは、ちょうど結婚して、横浜へ関西方面から移ってきて、このへんの住宅地を探して歩いたらしい。Photo_24

話を聞いていて、わたしも思い出したのだが、結婚したときに、いくつかの公団住宅に応募して、多摩地区とこの金沢地区とそして、八王子地区を選んだのだ。そして、結局八王子が当たったのだが。金沢地区が当たっていたならば、このような風景のもとで暮らしたのか、と思い、ちょっと違う、太公望のような人生を想像してみた。

Photo_29Photo_30そろそろ疲れが出てきた。坂道を登って、そこをさらに下ると、グループがずっと先を歩いているのがわかった。

野島に入って、海軍があり、現在は住友造船が占有している夏島を臨む公園が集結地だった。

Photo_32そのとなりが伊藤博文の別邸で、現在公開中であった。海に面して座敷のガラス戸がざっと並んでいて、東京の雑務を逃れて、一人で考えるには最適の場所だっただろう。この島は、住人数が限られるという地域協定があったところで、保護された別荘地という雰囲気だ。

Photo_31縁側のある別棟もゆったりとしており、特別に作られた風呂場も、長時間の湯浴みに耐えられるほどのゆったりした作りだった。

Photo_34最後は、金沢八景の駅前に戻り、打ち上げとなった。久しぶりに使われた筋肉が、焼酎のアルコールで、弛緩するのを感じながら、家路に着いた。Photo_35

街中を散策するのも良いけれども、今回のように、さまざまな海の変化を楽しむウォーキングも気持ちよいな、と思った。それに、学術の文庫と、政治家の別邸という、贅沢なものに触れることもたまには必要ではないかと感じた次第である。

Photo_47いつか、素敵な図書館のそばの別荘を借りきって、議論しながら、勉強に励むようなことをしてみたい、という気分を煽るような一日の出来事だった。

Photo_27

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。