« 学術と政治の夢を見ながら、海とウォーキングを楽しむ | トップページ | 映画「ラビットホール」 »

2011/11/10

月夜空の下、ささやかな想いが育っていた。

Photo_2久しぶりに、夕べは徹夜の仕事となった。やはり、老化現象が出ているのだろうか。全般的に文章が長い。そこで、削りに削った。これはこれで、文章がみるみるうちに消えて行くのは、快感だ。あれだけ苦労して書いたのに、それがあっと言う間に消えるのだ。

などということを繰り返しているうちに、時間が経ってしまったのだ。すでに締め切りを2回も待っていただいているので、これ以上は待たせるわけには行かない。

メールで原稿を送って、すこし休んでいると、電車の時間になってしまった。これだけ、眠気があると、通勤電車も夢の中だ。東京駅から、流線型の新車である「はやぶさ」に乗って、仙台へ向かう。

Photo_3N先生のプロジェクトで、宮城県の亘理町のいちご農家を支援している。N先生とK先生が毎月訪れて、ヒアリングを重ねている。わたしは支援の支援を買って出たが、今のところはあまり役に立っていない。けれども、支援というものはぎりぎりの必要なときに行うべきものだと考えているので、ふつうはお話を聞くことに徹している。だから、むしろ他の支援活動がそうであるように、こちらのほうがたいへん勉強になっている。

Photo_2途中、農協のふれあいセンターへ寄る。ここには、ちょっと休憩するところがあって、パンやジェラートを食べることができる。写真のパンは、かぼちゃ米粉パンでもちもちしていて、中に甘いかぼちゃがそのまま入っている。Photo_5野菜とご飯をいっぺんに摂ることができる。そしてもちろん、かなり美味しい。野菜が現地のものなので、安心できるのだ。写真でわかるように、ほとんどの商品には、生産者の名前が入っている。ここに来て、これを見れば、誰だって、共同体主義者になってしまうだろう。

Photo_6上の写真のジェラートは、赤い方は現地のいちごが入っている。ちょっと見えにくいが、緑色のほうはよもぎで、わたしはこちらのクリーミーなジェラートが好きだ。程よい、すっきりした野菜味と、クリーム味がとても調和している。そしてまた、よもぎ米粉パンも見つけてしまった。これには、あずきが入っていて、ほどよい緑の味と甘い小豆味が絶品だった。

Photo_7野菜売り場へ行くと、色鮮やかな野菜が目白押しで、唐辛子の干したものを縄で結わえたものは、なんとなく魔除けの雰囲気がある。紫色の古代米をこれに結わえて売っていたので、これも購入してしまった。Photo_6かぼちゃの種類も多く、たぶんそれぞれ味の違いがあるのだろうと想像される。

ここで、東京と地元の生協の方々と落ち合って、Mさんのところへ伺うことになっていた。震災地でふつうの取引が始まり出して間もないが、彼らのような冷静で、かつ社会的視点も持った方がたが事実上の経済を再構築して行くのだと思われる。

Ja_2夕方に見に行くことになるが、亘理のいちご団地の中心がほぼ壊滅状態になってしまったので、Ja川の堤防で守られたこの一帯に、新たないちご団地がつくられつつあった。

手前のハウスのものは、たぶんクリスマスには間に合わないかもしれないが、Ja青々とした肉厚の葉を付けていたから、きっと立派な実をつけることだろう。

Photo_10いよいよMさん宅へ到着した。ガレキはすっかり片付けられ、すでにハウス栽培が始まり、数ヶ月が経っていた。苗床が高設になっていて、だいたい1メートルくらい通常よりも挙げてある。Photo_11塩を防ぐためにである。最初に作ったときには、わたしの胸に達する位の高さに作られていた。試行錯誤という言葉どおりに、お隣の農家と相談しながら、高さを決めていったそうだ。そして、現在では、通常の高さの作りもすでに試されていた。Photo_15何が起こるのか、まったくわからないとき、人はどのような行動を取れば良いのか。これまでの経験を越える知識が必要となったのである。それは、まさにわたしたち現代人の問題でもあるのだ。

お昼には、亘理町名物の「はらこめし」と「はらじる」をごちそうになった。混ぜご飯と鮭の切り身にいくらがかかっている。Photo_14北海道との関係が強いので、その食文化も入ってきたのだろうか。そのあと、夕方から、かつてのいちご団地の中心部へ、みんなで向かった。

今回ほんとうにすごいなと感じた点が、二点あった。写真に映っているのは、いちごの苗である。

Photo_7なぜここにいちごが植えられているのか。この海外沿いの砂地がかつてはこの地域最大の産地だった。カマボコ型のハウスが乱立していたところだ。それほど、ここの土地はいちごに合っていたのだそうだ。それを津波が襲った。そのため、ここにあったいちご畑は壊滅状態に陥った。そして、すべての瓦礫が撤去されたあとでも、塩を被った土地だけがこのように荒れたまま残ったのだ。

Photo_16いちごが塩に弱いことは、通説となっている。だから、残留した塩が取り除かれなければ、いちごは育たないと、みんな考えた。ところが、どうだろうか。少なくとも、ここの一ヶ月では、育っている。社会の思い込みというものが、いかにわたしたち全体を支配してしまっているのかを示している。いちごたちは、育ちたいと思っているのだ。いちごをめぐる環境は、すでに現実を大きく超えている。自然というものの、懐の深さを、素人のわたしでさえも思い知った次第だ。

Photo_18空には、満月の月が輝いている。月の隣には、漆黒の夜空に木星がポイントを加えている。ずっと目をしたに降ろして来ると、海岸の防風林が、守るものが失くなって、なんとなく意味もなく並んでいる。じつは、Mさんの話によると、この場所に夜来るのはご法度で、警察官の職務質問を受けてしまう場所だった。当時、クリスマス近くになると、いちご泥棒がここへきて、夜ハウスからごっそりと盗って行ってしまう事件が頻発した。いちごが価値をはなっていた時代、それはほんの一年前なのだが、今はもうない。夜空の月と星が、空しく輝いているだけだ。

それにしても、ここに植えてみないか、というK先生の慧眼と、実際に植えてみたMさんの試みは、素晴らしかったし、映えある一歩だったと思う。この土地に密着し、ここを離れずに、とにかく続けてみることに意味があるということだったのだ。経験と想像力の勝利だ。

Photo_22二番目の話は、いちご畑を観察していると、その現実を超えて、日本全体の現状がわかってきた、という事態だった。Mさんによると、この地域にハウスがずらっと建っていたのだが、それを担っていた中核の世代が、団塊世代だったのだ。それで、震災を受けたために、新たな設備投資が必要なのだが、その借金を完済するには、一世代では無理なのだそうだ。後継者のいるうちは継続できるが、多くはダメらしい。

Photo_20つまり、一番人数の多かった世代がまともに被害を被ったために、再建できない状況も、最大の世代である団塊世代の状況に依存しているということになる。震災はすべての世代に平等に起こったわけではないのだ。Photo_21最も多く、最も強大だったところをじつは直撃していた。この事実は津波によって明らかになったのだが、じつは日本のあらゆるところで、このことは起こっているのが現実だ。

つまり、病気や事故、制度改変などの日常の出来事で、最も直撃されているのが団塊の世代で、社会からの撤退を余儀なくされているという現状があるのだ。

Photo_19さて、すっかり日が落ちてしまった。いつものように、S店へ寄って、いちごと、うめ、そしてゆずの羊羹、それから、いちごのジャムを購入して、帰路に着いた。月夜空の下、小さな小さな想いが育っていた。










« 学術と政治の夢を見ながら、海とウォーキングを楽しむ | トップページ | 映画「ラビットホール」 »

日常生活の関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/53247854

この記事へのトラックバック一覧です: 月夜空の下、ささやかな想いが育っていた。:

« 学術と政治の夢を見ながら、海とウォーキングを楽しむ | トップページ | 映画「ラビットホール」 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。