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2011/11/29

「栽培職人」という職業があるならば

京都出張が続いている。卒業論文の指導は終了しているが、来年度の相談を受けたり、さらには、修士論文指導が最終段階を迎えたりしていて、この時期、分厚い、というのか、かなり長いメールが毎日届いている。

今年度、3名の方が、京都から登録されてきていて、そろそろ最終の草稿段階に到達している。ところが、みなさんお勤めがあり、面接時間の希望をきいたところ、朝晩、それぞれがバラバラに会わざるをえないような時間設定となった。今日も朝から1名、夕方から1名と予約が入っている。

今日の方々は、前以って草稿を送ってくださったので、問題点も極めて明解になって、もしそれらが話し合ったとおり実現されるとするならば、かなり良い論文になるはずだ。放送大学での論文は、大方、経験的な内容が多いという特徴がある。だから、学術的には、ずいぶんと新しい内容のものが多い。多少、褒めすぎかもしれないが、ここのゼミは論文の成立過程で、いくつもの観念を生み出しているという自負がある。Photo_26それほど、完成度は高いものが求められ、もちろん実現か否かは個性に依存していてわからないのだが、だからバラエティは激しいのではあるが、それでも、ふつうの大学よりはずっと奥深い味のある論文生産が可能となっている。

Photo_27朝のMさんとの話し合いが終了すると、ここが放送大学生の取り柄だと思われるのだが、ものの本でランチの店を調べてきてくださったのだという。じつは、夕方のIさんも同じように、夕飯を一人で食べるのは可哀想だという配慮を見せてくださったのだった。ふつうの大学では、先生の方から提案することはあっても、学生の方から提案されることはない。いつもながら、面白いなと思っている。

Photo_29午前中は、12時半ごろには終わったので、夕方までの少しの時間を見つけて、近代美術館と紅葉見学に出かける。美術館では、竹久夢二展を特集していた。多作な人だったので、これまでかなりのものを見てきているが、それでもまだ見ていない絵画が多かった。特に、「セノオ楽譜」と呼ばれた一連の楽譜表紙絵については、多くのものが展示されていた。右のポスターになっている写真の絵も、楽曲「宵待草」の表紙である。他にも、夢二の家族観などが表現されていて興味深かった。Photo_30夢二の描くものは、時代の象徴的な様子を大づかみで捉えており、夢二自身の境遇とは無関係ではないかと思えるほどに描かれていて、イラストレーターとしての絵画観が現れている。

Photo_32夢二の蔵書の中に、カンディンスキーたちの青騎士の創刊号が含まれていることを、初めて知った。Photo_33画家であれば、当時の世界状況が気になるところだから、現在からみれば不思議ではないが、当時はそれほどの必然性があるようには思えなかったのではないか。けれども、時間が経てば、その意味がわかってくる。

Photo_34近代美術館から琵琶湖からの疎水沿いに出て、野村美術館と、野村別荘の間にある小川沿いに歩みを進める。これで紅葉に至るとは思えなかった。ここまでは、人かげはほとんどなかったが、野村美術館の横から表に出ると、ずらっと観光客が並んでいるのにぶつかった。

Photo_36ほとんどの客は、永観堂へ通じていた。表から見るだけでも、ここだけは、特別のモミジやカエデが植わっているらしいのが良くわかる。すこし離れて門に寄りかかって、写真を撮る人びとを見ていた。僭越ながら、おおよそ3種類の人びとがいることが観察できた。

Photo_37一つは、写真プロを目指す人。この人たちの装備は並大抵ではない。大方はハシゴを片手に持ち、もう片方には、ズームレンズの何キロもの写真機を持っている。けれども、それでもやはりどう見ても、それらがプロではないとわかる一群がいる。

Photo_38二つは、センスがあると自分では思い込んで写真をとっている人。たとえば、他の人々とは違うところに位置していて、特別な陰翳の場所を探すのが得意だ。最初に、特別な視角を見つける人々である。そのうち、それを真似して、多くの人々が寄ってくる。

Photo_41三つには、カメラ群衆だ。闇雲に撮りまくっている。どう見ても、みんなが撮るから撮っている風を装っている。ここの写真に現れているように、同じ姿勢で同じ方向に、ものの見事に右へ慣らへという感じだ。わたしもここの部類に入ることは確実だし、写真に写っている人はホンの1分前のわたしだ。

Photo_43もみじ中心の庭が作られていて、その調合も植木職人の腕の見せ所なのであろうことは想像がつく。黄色と赤の配合は大方のところ、自然が作り出しているのだが、やはり大枠は植木職人が植えたように実現されていることは確かだ。

Photo_44それから、明らかに木樹の高低は、職人によって切り揃えられている。もちろん、直前に調合されたわけではなく、何年もかけてこの状態に至ったことは素人目にもわかるところだ。写真の隅に、職人の名前をクレジットしておきたいと思うほどであった。

Photo_45さて、問題は、学生の方々の論文の仕上がり具合だ。「栽培人」という職業があるならば、それはわたしの職業だと言いたい。あるいは、植木職人でも良いのだが、わたしの役割は、いわば控えめな「栽培職人」ではないかと思っている。論文は明らかに、論文生産の手段であって、これに乗せて、日々観念の育成・生産とその支援を行なっているのが、わたしの仕事ではないかと考えている。今年の論文生産も収穫期を迎えて、8割程度は豊作ではないかという感触を持ち始めている。しかし、最後の1週間が仕上げとしては、最も重要な時期で、ここで樽の中の、葡萄酒の今年の味が決まってしまう。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。