« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月に作成された投稿

2011/11/29

「栽培職人」という職業があるならば

京都出張が続いている。卒業論文の指導は終了しているが、来年度の相談を受けたり、さらには、修士論文指導が最終段階を迎えたりしていて、この時期、分厚い、というのか、かなり長いメールが毎日届いている。

今年度、3名の方が、京都から登録されてきていて、そろそろ最終の草稿段階に到達している。ところが、みなさんお勤めがあり、面接時間の希望をきいたところ、朝晩、それぞれがバラバラに会わざるをえないような時間設定となった。今日も朝から1名、夕方から1名と予約が入っている。

今日の方々は、前以って草稿を送ってくださったので、問題点も極めて明解になって、もしそれらが話し合ったとおり実現されるとするならば、かなり良い論文になるはずだ。放送大学での論文は、大方、経験的な内容が多いという特徴がある。だから、学術的には、ずいぶんと新しい内容のものが多い。多少、褒めすぎかもしれないが、ここのゼミは論文の成立過程で、いくつもの観念を生み出しているという自負がある。Photo_26それほど、完成度は高いものが求められ、もちろん実現か否かは個性に依存していてわからないのだが、だからバラエティは激しいのではあるが、それでも、ふつうの大学よりはずっと奥深い味のある論文生産が可能となっている。

Photo_27朝のMさんとの話し合いが終了すると、ここが放送大学生の取り柄だと思われるのだが、ものの本でランチの店を調べてきてくださったのだという。じつは、夕方のIさんも同じように、夕飯を一人で食べるのは可哀想だという配慮を見せてくださったのだった。ふつうの大学では、先生の方から提案することはあっても、学生の方から提案されることはない。いつもながら、面白いなと思っている。

Photo_29午前中は、12時半ごろには終わったので、夕方までの少しの時間を見つけて、近代美術館と紅葉見学に出かける。美術館では、竹久夢二展を特集していた。多作な人だったので、これまでかなりのものを見てきているが、それでもまだ見ていない絵画が多かった。特に、「セノオ楽譜」と呼ばれた一連の楽譜表紙絵については、多くのものが展示されていた。右のポスターになっている写真の絵も、楽曲「宵待草」の表紙である。他にも、夢二の家族観などが表現されていて興味深かった。Photo_30夢二の描くものは、時代の象徴的な様子を大づかみで捉えており、夢二自身の境遇とは無関係ではないかと思えるほどに描かれていて、イラストレーターとしての絵画観が現れている。

Photo_32夢二の蔵書の中に、カンディンスキーたちの青騎士の創刊号が含まれていることを、初めて知った。Photo_33画家であれば、当時の世界状況が気になるところだから、現在からみれば不思議ではないが、当時はそれほどの必然性があるようには思えなかったのではないか。けれども、時間が経てば、その意味がわかってくる。

Photo_34近代美術館から琵琶湖からの疎水沿いに出て、野村美術館と、野村別荘の間にある小川沿いに歩みを進める。これで紅葉に至るとは思えなかった。ここまでは、人かげはほとんどなかったが、野村美術館の横から表に出ると、ずらっと観光客が並んでいるのにぶつかった。

Photo_36ほとんどの客は、永観堂へ通じていた。表から見るだけでも、ここだけは、特別のモミジやカエデが植わっているらしいのが良くわかる。すこし離れて門に寄りかかって、写真を撮る人びとを見ていた。僭越ながら、おおよそ3種類の人びとがいることが観察できた。

Photo_37一つは、写真プロを目指す人。この人たちの装備は並大抵ではない。大方はハシゴを片手に持ち、もう片方には、ズームレンズの何キロもの写真機を持っている。けれども、それでもやはりどう見ても、それらがプロではないとわかる一群がいる。

Photo_38二つは、センスがあると自分では思い込んで写真をとっている人。たとえば、他の人々とは違うところに位置していて、特別な陰翳の場所を探すのが得意だ。最初に、特別な視角を見つける人々である。そのうち、それを真似して、多くの人々が寄ってくる。

Photo_41三つには、カメラ群衆だ。闇雲に撮りまくっている。どう見ても、みんなが撮るから撮っている風を装っている。ここの写真に現れているように、同じ姿勢で同じ方向に、ものの見事に右へ慣らへという感じだ。わたしもここの部類に入ることは確実だし、写真に写っている人はホンの1分前のわたしだ。

Photo_43もみじ中心の庭が作られていて、その調合も植木職人の腕の見せ所なのであろうことは想像がつく。黄色と赤の配合は大方のところ、自然が作り出しているのだが、やはり大枠は植木職人が植えたように実現されていることは確かだ。

Photo_44それから、明らかに木樹の高低は、職人によって切り揃えられている。もちろん、直前に調合されたわけではなく、何年もかけてこの状態に至ったことは素人目にもわかるところだ。写真の隅に、職人の名前をクレジットしておきたいと思うほどであった。

Photo_45さて、問題は、学生の方々の論文の仕上がり具合だ。「栽培人」という職業があるならば、それはわたしの職業だと言いたい。あるいは、植木職人でも良いのだが、わたしの役割は、いわば控えめな「栽培職人」ではないかと思っている。論文は明らかに、論文生産の手段であって、これに乗せて、日々観念の育成・生産とその支援を行なっているのが、わたしの仕事ではないかと考えている。今年の論文生産も収穫期を迎えて、8割程度は豊作ではないかという感触を持ち始めている。しかし、最後の1週間が仕上げとしては、最も重要な時期で、ここで樽の中の、葡萄酒の今年の味が決まってしまう。

2011/11/28

読書室の啓示が降りてきた

現代においても、突然のように、啓示が降りてくるなどということが、ほんとうにあるのだろうか。ニーチェが湖のほとりである種の啓示を受けたことはたいへん有名な話だが、私たち現代人にもそのようなことがあり得るのだろうか。

Photo_18今日、京都駅から歩きはじめて、偶然に「読書室」いう空間が、目の前に現れた時には、正直言ってびっくりした。江戸時代に、「五条油小路西入る」という場所に、人びとが集まり、読書空間を共有したことがあったらしい。写真は、その場所である。実際には、幕末期の禁門の変で、建物自体は焼けてしまったらしいが、この場所というものが重要である。ほんの10メートル四方のこの空間が、これらの観念の生産に力を与え、実際には、多くの書物に乗って、世に出て行ったらしい。

Photo_20山本亡洋という京都本草学派の学者がいて、実際に数十回に渡った研究会を維持したところが、ここであったと、ものの本に書かれている。じつは、油小路という場所は懐かしいところでもある。私たちの世代は、東京大学が紛争で入試を中止したことがあって、わたしの旧友のS君が京都大学に来ていて、たびたび下宿に厄介になった。その下宿がずっと上がって行った方ではあるが、やはり油小路だったのだ。

Photo_21さらにじつは、来年のことを言うと、ほんとうに実現するのか、疑わしいと言われてしまいそうであるが、4月から東京では、放送大学の世田谷学習センターが新たに渋谷へ移転することになっている。それに合わせて、すこし今までの面接授業と異なるような試みを行って見ることになった。

これはわたしの場合だが、じつはこれも偶然なのだが、東京文京学習センターで、読書会を行う企画が別に進んでいたのだ。それを渋谷へ転換した次第である。場所はたいへん重要で、ちょっとイメージが変わったかもしれないが、青春時代から渋谷に住んだ経験もあるからして、十分にこちらの意図が貫かれた企画となりそうだという予感がある。また、スタッフも充実することを認めていただいて、当初よりも期待できる内容となりそうである。

渋谷において、京都の「読書室」というものを受け継ぐことができれば、たいへんいいな、と思っている。その時に、山本が志向したように、単なる読書ではなく、読書空間で何が生まれ、何をやり取りでき、さらに、蓄積することができるか、というところまで行ってみたいと考えている。時間はかなりかかるかもしれないが、江戸時代から受け継いだ、という今日のご託宣があれば、鬼に金棒の気分だ。京都での200年以上前の試みを、現代に復活させ、さらに現代版「読書室」を特徴あるものにしたいと考えている。渋谷という、ちょっと変わった場所が与えられたのも、何かの縁かもしれない。京都のサロン文化に敬意を表しつつ、新たな渋谷のサロン文化を作り出す心意気で、当初は臨みたい。

Photo_22夕方になって、K氏と会う約束をしている、いつものMへ出かける。まだ、時間が早かったので、人もまばらで、しばし黙考する時間を得る。クリスマスの飾り付けが眩しい中庭の、いつもの席を占め、ストーブがそろそろ入るかな、という季節感を楽しむ。

白ワインは安い割には、柑橘系の香りがして、すっきりした飲みごこちだった。じつは今年は、わたしのゼミで「世代間倫理」を取り上げている学生がいて、その話内容などを話題にしながら、時を過ごす。その考え方を普及させたH.ヨナスは、ハンナ・アレントなどと「友人」関係にあり、K氏の関心領域に関わっているので、ぜひ話を聞きたかったのだ。Photo_24日本の論者たちの間にも、世代間倫理という考え方が、普遍主義的な倫理観のなのか、相互主義的な倫理観のなのか、という論争が存在するらしい。たいへん面白いところだ。ヨナスの個人生活についても、スキャンダル調の話が伝わっていて、興味は尽きない。さらには、いくつかの興味深い点に話が及んで、次第に夜が更けて行くのが気にならなかった。

最後は、いつものように、スープソーサーよりもたっぷりとした、もっと大きなコーヒー茶碗にアメリカンをいれてもらって、一日を終えることにした。

2011/11/21

富士屋ホテルはなぜレトロのままか

Photo_2どうしても、昔から見ておきたい建物があって、それは箱根の宮の下にある、明治期からたいへん有名な「富士屋ホテル」本館である。写真がよく雑誌に取り上げられるので、すっかりそれらの写真のイメージで頭の中は一杯だったのだが、実際はかなり違っていた。

Photo_3妻と旅に出かけると、良い意味で予想していなかったことがたびたび起こるのだ。今回も、行ってみるとイメージとは全く異なる建物が次から次へ現れたのだ。特に、文化というのは、周りとの調合だと言われるように、ぐるりとした周りが重要なのだ。周りとどのような歴史を作ってきたのかが見所なのだ。

Photo_8例えば、古い写真館が近くにある。これは、このような古い館というものには付きもので、角を回ってその直前のコーナーに、明治時代からの写真が飾られている、その写真館があるのだ。もちろん、ヘレンケラーや、ジョンレノンなどの写真も飾られていて、有名であるためには誇示することが必須だが、明治期の様子を伝えるものを、何も知らない人びとの見えるところに配置することが、周りとの関係で重要なのだ。

Photo_14また、箱根という場所柄から、老舗の組木細工店はここでは必須であるし、現代的な観点からは、女性好みのパン屋や、ケーキ屋、さらに甘味処のついた喫茶店は周辺ぐるりを有機的に構成する配置としては、必ず存在しなければならないものだと思われる。そして、それぞれが日常的な下界の世界を超越していることが必要で、ちょっとレトロ調でなければならないのは、もちろんだ。ここでは組木細工店が典型で、観光地のお土産品程度のものでは駄目で、売れなくともよいから、品が良く、多くの人々を惹きつけるような仕組みが必要なのである。

Photo_11けれども、中心にあるのは、ホテルそのものでこの本体がかしいでいるととんでもないことになってしまうのだが。ここの建物はそれ自体で、ホテルの本質を表している。それはここにきて見ないとわからないのだが、何がここでわかるのかといえば、明治期の変動そのものが保存されている点だ。このことは、たぶん明治期の人々であれば、身に迫ってきたことで、よくわかることなのだが、つまりは、西洋文化と日本文化のすり合わせ問題が起こったということだ。

Photo_9現代人がこの建物を見た時の第一印象は、それほど良いとは言えないだろう。たとえば、ちょっと目にはやはり「キッチュ」ということになるだろう。つまり、現代人がこの建物を建てたら、そのような評価になるかもしれない。けれども、問題は明治人問題である。彼らが西洋風のホテルをこのような山の中に建てるという必要性が起こった時に、どのような反応をせざるを得なかったのか、ということは想像できることである。

問題は、結果として、どのような事態が生じたのかということである。おそらく、当時、富士屋ホテルは商業的には成功したのだと思われる。また、現代において、類稀な建築物として残っていて、これだけの人びとを呼んでいるのだから、現代においても成功しているのだといえるだろう。けれども、この成功は、決して偶然の産物でもない。人びとがこのような自体を望んで行ったことだから、文化そのものと言えるだろう。

もし良い点をあげるとすれば、中心とぐるり周りとの調和の良い点をあげることはできるだろうが、それ以上に、生き残ってきていること自体を指摘していておきたい。100年も生き残った建物は、それ程多くはない。これは凄いことだ。

欠点は多いと思う。見せびらかしで、高価過ぎるし、見栄の固まりでしかない。観光客目当てが見え見えで、高級な客は見るだけで、大衆のバスツアーがもっとも金をおとしているに過ぎないのではないか、と思われる。自分のことは、一応、勘定にいれずに、言うならば。

さて、ようやく結論に到達できたのだが、じつはこの江戸期の様式を残した、西洋様式と容易に融合出来なかった、言ってみれば不器用な、そしてもしかしたら、不調和な状態が、じつはこの建物を存続させてきた原因ではないかと思われるのだ。もしこれがお雇い外国人が建てた近代風ホテルだったならば、とうに飽きられてしまっていて、これほどの時代耐久的な作用を持たなかったのではないか、と考えた次第である。

Photo_16さて、場所は飛んで、箱根から小田急線に乗って、途中地下鉄に乗り換え、至った場所は神田神保町のTという喫茶店である。娘が学士会館で行われるコンサートの切符を渡してくれるというので、勇んで東京に戻った次第である。Photo_17東日本大震災の募金活動の一環で、演奏はベルリン・フィルの弦楽団、演奏曲は弦楽五重奏曲で、それぞれモーツァルトとブラームスのものだった。とくにアンコールで再度演奏してくれたブラームスの第2楽章は、今日一日の変化の激しい私生活を、静穏のもとに戻してくれるに十分の、感情の揺さぶりとそして最後には、安寧を授けてくれるものだった。

2011/11/20

箱根の紅葉直前

Photoうちの近くに、毎年この季節になると、真赤なモミジが咲く。この谷間に住む人たちの目を奪ってきた。ところが、今年に限っては、葉っぱが枯れてしまい、茶色の無惨な姿を見せている。なぜ今年だけ枯れてしまったのかは、諸説はあるがハッキリとはわからない。

それでも、紅葉を見たいということで、妻が箱根の寮を予約した。遅い紅葉の季節を迎えている山に入った。といっても、旅行というよりは、出かけたというくらいのものである。車を運転するのであれば、半日のレジャーというところだろうが、バスであっても一時間ちょっとの小旅行を楽しむ。仙石原まで横浜から、高速バスが出ていて、御殿場周りで箱根に入ってくる。

Photo_3バス自体は、たいへん空いていて、羽田から直行してきた様子の中国人の労働者グループが最大の人数を構成していた。グローバル化もここまで来ているのかというところだ。Photo_4仙谷原から徒歩で、ポーラ美術館を目指す。昨日の強い風と、豪雨とで、道には濡れた落ち葉が散らばっていた。美術館でのお目当ては、藤田嗣治展でポーラ美術館が日本最大の所有をほこっているらしい。

Photo_5今日の一枚は、「理想の住宅」と題された、あくまで想像力の練習として、ミニチュアが作られ、絵画に描かれたものを挙げたい。Photo_10レンガの床と、藤田特有の壁の白地が良くあっていると思う。台所と居間と寝室が一体となっていて、一日中、絵を描くことができる部屋だ。階段で、居間と寝室を区切っていて、この世界の切り分け方も、理想的だ。けれども、明らかに全体的に膨らんだ、余裕部分が過剰に含まれていて、これが藤田の世界を表していると思われる。ここで、写真を掲げられないのは残念だが、興味のある方はまだ時間があるので、ぜひ足を運んだらいかがでしょうか。

Photo_12ちょっと外れると、現代版のイラストと間違えてしまう絵画もあった。何が絵画で、何がイラストかということは、藤田の絵画を見ていくと、明らかになるかもしれない。Photo_14子供を使った職業尽くしは、面白い切り口だと思われる。職業の特徴を捉えて、描いているという点からみると、イラストだといえなくもない。けれども、子供の世界に置き換えていて、現実世界をずっと乗り越えてしまっている。現実世界をの想像を超えていて、一つの象徴世界まで到達している。Photo_15たとえば、石炭運搬人を描いている。頭から黒い布で、運搬袋を背負っている。顔は幼く、辛さよりも楽しさが全面に出ていて、仕事の観念をひっくり返している。こうなってくると、これは絵画ということになるだろう。

Photo_17このあと、美術館を出て、周りを見て歩くが、やはり紅葉は部分的に見られるだけだ。自然のリズムが明らかに今年は狂っている。バスで強羅へ出るが、駅に近づくに連れて、夥しい人びとが道に出ていて、それは深く街を歩くことができなくて、表面的な道に観光客が出ているだけだ、といってしまえば、そのとおりだが、それにしても、駅の人波は紅葉の遅延と同時にかなり異常な状態を醸し出していた。Photo_18駅には、昼に大量に押し寄せたらしい。それで、電車待ちの人びとを規制した標識がまだ片付けられずに放置されていた。ケーブルから降りてきた客で満員の登山電車に乗って、大平台へ向かう。

Photo_20近くの酒屋へ寄ると、甲州のY葡萄酒がおいてあったので、直ちに購入する。Photo_21また、「見る工場」という、箱根特産の寄木細工店があって、オリジナルだというマグネットと、最後に逆転するコマを購入する。

Photo_23この宿は、箱根の谷にせり出していて、多くの家屋が林に隠れ、ほとんど人家が見えない。奥深い谷に面していて、眺望最高の場所であった。Photo_24


例年であれば、当然紅葉は、最高度にたっしているはずであるのだが、今年はまだまだだ。大浴場から、紅葉間近の山を眺め、自然の微妙な采配に思いを寄せながら、一日を終えた。

2011/11/19

「ゲーテの恋」のように論文が書けたら

今日は、東京文京学習センターで大学院ゼミナールである。M2の人たちは、修士論文の締め切りが1ヶ月後に迫ってきているので、早々と論文作成のため欠席との通知が舞い込んでいた。けれども、考えてみると、例年11月には、もうゼミはM1だけのゼミになっていたような気がする。

M1の人たちも、ようやくターゲットの的が少しずつ狭まってきていた。あくまで論文を書くのであって、書籍を書くのではない、と比喩的に言っているのだが、これが比喩であるとは思っていないらしい。つまり、服装には、寒いときには暖かくなる格好が必要であり、暖かいときにはそれなりの格好が必要である、というに過ぎない。

それじゃ、論文らしい論文の書き方とはいかなるものなのか、これはこれで難しい。枚数で、短いから論文で、長いから書籍で、というわけにはいかないのが、論文の面白いところだ。ポイントが一つに絞られているのが論文で、多数のポイントが同居しているのが、書籍だ、などといったら、たぶん大反発に会うだろう。けれども、文化・風土というものがあって、論文文化は書籍文化とちょっとちがうところにあるのではないかと思われる。短編小説と長編小説とに違いにしているが、しかしながら繰り返しになるが、長さの問題ではない。

一つの観念をしっかりと前面に出したいということであれば、やはり論文が似合っている。起承転結の形式で、一つのことを言い切る、というのが論文だと思っている。

今年も新たな観念がいくつか生まれたと思う。観念と言われるまで、高められたものとして存在するならば、やっぱり論文という形式が最適ではないかと思われる。人間の活動を描写し、それが意味を持ってくる。これを一言で俳句のようにいうのは、困難だ。また、本のように、長くなってしまっては、何が追究されているのかわからなくなってしまう。

よく時間的、空間的、中心的、というが、この三つを一つの文章に閉じ込めることは、余程の文学者じゃないとできない。けれども、それぞれ別の文章にバラして、くみあわせれば、いちおう誰でも議論を行うことができるようになるのだ。これが、人間が言語を使い出した根本的な理由だと思われる。

過去の人がどのようなことを言ったのか。現世界の人びとが何を問題にしているのか。これらの中心に何が存在するのか。考えるだけでも、ムズムズしてくるだろう。

雨が激しくなってきたので、ゼミを前倒しして、最後までおこなって、遅めのランチへ向かう。前回もみんなで入ったインド料理で、今日はシーフードカレーとナン。風が出てきて、傘が飛ばされそうになる。

一人だけ都合で遅れてついた方がいて、面白い観点を持ち込んできたので、夕方までおつきあいする。今は現象を追求している段階だが、何となくこれが現代の日本社会にとって重要な観念に発達しそうな気になってきた。というような、思い込みがときには必要なのである。

結局、午前中からゼミを始めていたので、銀座に出る頃には、まだまだ帰宅までには時間があった。今週には上映が終了してしまう映画「ゲーテの恋」を観る。というと、消極的に聞こえてしまうが、この18世紀後半から19世紀に渡って活躍した文学者には、期に触れて読んできた。「親和力」「修行時代」などは、中学校、高校などで読んできたが、「若きウェルテルの悩み」は、読まされたというくらい、まわりのみんなが読んていた。今では、恋愛に古典的も何もないと言えるが、当時はこのような古典的な恋愛が、あり得るのかとさえ、思っていた。

ということで、現代でも、このような映画が成り立つのかは、大変関心のあることだあった。結論からいえば、やはり限りなく古典的だった。第一に、出会いが祭りだということだ。これは遭遇が神がかりであるということの象徴だ。第二に、経済的な理由、親との関係などの制約してくる条件が存在する。第三に、恋が破れて、それに共感する、という部分だ。誰にでも、共通に起こるかもしれないところを、掬いとっている。

むしろ、現代性は、ゲーテの相手役のロッテにあるかもしれない。恋は恋として、結婚は結婚として、さらには、出版をマネジメントする、という面を強調していた。現代の女性に対して、この映画を見てもらいたかったのかもしれないが、この意図もやはり古典的な気がする。

映画の中で、ゲーテが牢獄において、何も資料も見ずに一気に情熱に任せて、小説「若きウェルテルの悩み」を書き上げるシーンが出てくる。小説と論文とは、かなり異なるけれども、このような場所と時間と、そして、なによりも状況が揃っていて、時代背景が後押しするならば、凄いことだなと思う。そんな論文が書けたらな、という願望を抱かせるに十分な映画であることは間違いないだろう。

2011/11/18

映画「マネーボール」

映画「マネーボール」は、野球の映画かと思って見るならば、そうだとも言えるし、どうも違うのではないか、という風にも思える。それじゃ、何の映画かと言えば、最高度の資本主義を描いた映画だと、思う。それも、アメリカ的、新自由主義的映画の典型ではないかと思う。良い意味でも、悪い意味でも。

現在のところ、資本主義市場では、すでに金融中心主義的な段階を迎えている。この前提をもし受け入れるならば、かつてのように、生活必需品をより安く造るとする産業資本主義段階をすでに超越して、芸術やスポーツを売り物にする、資本主義段階に入ってきているのではないかというところまでは、みんなが感じているのだが、その先にどのような世界がありうるのだろうか、と疑問に思っているところだ。それで、このような「マネーボール」的な世界が存在するということは、ちょっと想像逞しくする部分が見えて面白い。現実のシステムを超えようとするところがある。

どの部分かといえば、スポーツを売り物にするのは、通常その選手たちが提供するサービスについてなのであるが、この映画では、選手そのものが売買の対象となる市場を描いている点である。たとえば、ジェネラルマネジャー(GM)である主人公が、ダンカン選手を他球団からトレードで獲得したいというと、オーナーが難色を示す。すると、GMが個人資金を出して、来年度ダンカンの価値が上がったところで、差額を得たい、と申し出るシーンがある。

アメリカの特殊事情であると、現在時点では、片付けてもよいが、資本主義が進み、市場化が進めば、芸術、スポーツ文化は、人、モノ、サービスを含めて、すべて売買の対象になるのだと言える。そこには、この映画で描かれたようなドラマが存在するようになるかもしれないが、それは「金銭文化」の極致という、認識が正しくて、映画の面白さと、金銭文化の浸透とは、軌を一にしていると、わたしは考えておきたい。

今回の読売巨人の、GMとオーナーの対立は、極めてウェットな感じだ。これに対して、マネーボールでは、このような交渉がドライに進められている。権力の問題と考えるのか、それとも金の問題と考えるのか、という違いだ。監督が自分の意見に反対ならば、自分の権限のなかで、自分の意見を通すことに、誰も不合理だとかんがえない。けれども、GMはこの決定を、人を変えることで覆すことは合理的である、とアメリカでは考えていることがわかる。一昔前は、日本人こそエコノミックアニマルだと叫ばれていたが、実はそうではなく、アメリカ人こそ極めて、経済合理的に動く人種であり、この感覚が正常であると思い込んでいる人びとなのだ、とこの映画は描いている。この文化の違いは意外に大きいのかもしれない。

2011/11/15

映画「ラビットホール」

朝起きて、天気が良いのにつられて、千葉市内へ出る。いつものように駅前から、100円バスに乗って、本町3丁目で降りる。「きぼうる」と名付けられた、大きなガラス張りの県の施設があって、多目的なというのか、雑居ビル風に使われている。空間がたくさん取られていて、かなり贅沢な使い方をしている。たぶん、バブル時代の遺跡のひとつではないかと思われる。時代が経ってみると貴重な資源となっている。でも、かなりの税金が使われていることは間違いないだろう。

千葉劇場で、映画「ラビットホール」を上映していて、不思議なことに、ここ以外には首都圏でもあまり上映されていない。映画の趣味が、みんな合うとは思われないが、それにしても偏在は否めない。

千葉劇場の特徴は、年配者が多い点であり、それも女性はグループで来る。男性は圧倒的に一人が多い。それで、全体に落ち着いていて、ちょっと落ち着きすぎているような気もするが、居心地が良い。前の方の特等席は、みんな控えめなせいかいつも空いていて、助かる。今日も前から5番目くらいの、真ん中の特等席を占めた。もちろん、慎み深く、開演直前に席につくことにする。

ニコール・キッドマンが製作に加わったとクレジットされているとおり、冒頭から彼女の趣味が出ていた。彼女がガーデンで花を植えるシーンから、映画は始まる。屋根からのショットで庭が写って、屋根の端からガーデン道具を荷車で牽いて、彼女は登場する。日中にガーデニングという、日常そのものを象徴するシーンは、きっと彼女の趣味ではないかと思われる。そこへ隣の奥さんが現れて、食事に誘われるが、その足元で、花が踏みつけられている。別れてから、その折られた花をじっと見ている。何気ないシーンではあるが、映画全体をそのまま語っている。

ざっくり言ってしまえば、子供喪失感から、いかに回復するかがこの映画のテーマである。ところが、夫婦の問題で難しいところは、片方が深刻で、片方が深刻でなければ、全体としてバランスが取れるのだが、共通の問題というのは、意外に、このようなバランスを取ることが難しいのだ。

そこで、家族以外の、外のグループに頼ろうということになるのだが、これは日本には無い文化だ。きわめて、アメリカ的だと思われる。そこで、映画のようなグループセラピーが主人公たちによって、批判されることになるのだ。ということは、アメリカでも、このようなセラピーの在り方に批判が存在するということで、必ずしもアメリカ的とはいえのだろうか。

主人公は結局、夫や妹や、さらには母親との葛藤の中で、次第に回復を図ることになる。ひとつだけエピソードを紹介するならば、石の比喩はわかりやすかった。子供を失った当初は、重い石を負った気がした。けれども、次第にそれは軽くなって、小石になって行く。しかしながら、それでその小石が消えるわけではない、と母が語るシーンは印象的だった。

2011/11/10

月夜空の下、ささやかな想いが育っていた。

Photo_2久しぶりに、夕べは徹夜の仕事となった。やはり、老化現象が出ているのだろうか。全般的に文章が長い。そこで、削りに削った。これはこれで、文章がみるみるうちに消えて行くのは、快感だ。あれだけ苦労して書いたのに、それがあっと言う間に消えるのだ。

などということを繰り返しているうちに、時間が経ってしまったのだ。すでに締め切りを2回も待っていただいているので、これ以上は待たせるわけには行かない。

メールで原稿を送って、すこし休んでいると、電車の時間になってしまった。これだけ、眠気があると、通勤電車も夢の中だ。東京駅から、流線型の新車である「はやぶさ」に乗って、仙台へ向かう。

Photo_3N先生のプロジェクトで、宮城県の亘理町のいちご農家を支援している。N先生とK先生が毎月訪れて、ヒアリングを重ねている。わたしは支援の支援を買って出たが、今のところはあまり役に立っていない。けれども、支援というものはぎりぎりの必要なときに行うべきものだと考えているので、ふつうはお話を聞くことに徹している。だから、むしろ他の支援活動がそうであるように、こちらのほうがたいへん勉強になっている。

Photo_2途中、農協のふれあいセンターへ寄る。ここには、ちょっと休憩するところがあって、パンやジェラートを食べることができる。写真のパンは、かぼちゃ米粉パンでもちもちしていて、中に甘いかぼちゃがそのまま入っている。Photo_5野菜とご飯をいっぺんに摂ることができる。そしてもちろん、かなり美味しい。野菜が現地のものなので、安心できるのだ。写真でわかるように、ほとんどの商品には、生産者の名前が入っている。ここに来て、これを見れば、誰だって、共同体主義者になってしまうだろう。

Photo_6上の写真のジェラートは、赤い方は現地のいちごが入っている。ちょっと見えにくいが、緑色のほうはよもぎで、わたしはこちらのクリーミーなジェラートが好きだ。程よい、すっきりした野菜味と、クリーム味がとても調和している。そしてまた、よもぎ米粉パンも見つけてしまった。これには、あずきが入っていて、ほどよい緑の味と甘い小豆味が絶品だった。

Photo_7野菜売り場へ行くと、色鮮やかな野菜が目白押しで、唐辛子の干したものを縄で結わえたものは、なんとなく魔除けの雰囲気がある。紫色の古代米をこれに結わえて売っていたので、これも購入してしまった。Photo_6かぼちゃの種類も多く、たぶんそれぞれ味の違いがあるのだろうと想像される。

ここで、東京と地元の生協の方々と落ち合って、Mさんのところへ伺うことになっていた。震災地でふつうの取引が始まり出して間もないが、彼らのような冷静で、かつ社会的視点も持った方がたが事実上の経済を再構築して行くのだと思われる。

Ja_2夕方に見に行くことになるが、亘理のいちご団地の中心がほぼ壊滅状態になってしまったので、Ja川の堤防で守られたこの一帯に、新たないちご団地がつくられつつあった。

手前のハウスのものは、たぶんクリスマスには間に合わないかもしれないが、Ja青々とした肉厚の葉を付けていたから、きっと立派な実をつけることだろう。

Photo_10いよいよMさん宅へ到着した。ガレキはすっかり片付けられ、すでにハウス栽培が始まり、数ヶ月が経っていた。苗床が高設になっていて、だいたい1メートルくらい通常よりも挙げてある。Photo_11塩を防ぐためにである。最初に作ったときには、わたしの胸に達する位の高さに作られていた。試行錯誤という言葉どおりに、お隣の農家と相談しながら、高さを決めていったそうだ。そして、現在では、通常の高さの作りもすでに試されていた。Photo_15何が起こるのか、まったくわからないとき、人はどのような行動を取れば良いのか。これまでの経験を越える知識が必要となったのである。それは、まさにわたしたち現代人の問題でもあるのだ。

お昼には、亘理町名物の「はらこめし」と「はらじる」をごちそうになった。混ぜご飯と鮭の切り身にいくらがかかっている。Photo_14北海道との関係が強いので、その食文化も入ってきたのだろうか。そのあと、夕方から、かつてのいちご団地の中心部へ、みんなで向かった。

今回ほんとうにすごいなと感じた点が、二点あった。写真に映っているのは、いちごの苗である。

Photo_7なぜここにいちごが植えられているのか。この海外沿いの砂地がかつてはこの地域最大の産地だった。カマボコ型のハウスが乱立していたところだ。それほど、ここの土地はいちごに合っていたのだそうだ。それを津波が襲った。そのため、ここにあったいちご畑は壊滅状態に陥った。そして、すべての瓦礫が撤去されたあとでも、塩を被った土地だけがこのように荒れたまま残ったのだ。

Photo_16いちごが塩に弱いことは、通説となっている。だから、残留した塩が取り除かれなければ、いちごは育たないと、みんな考えた。ところが、どうだろうか。少なくとも、ここの一ヶ月では、育っている。社会の思い込みというものが、いかにわたしたち全体を支配してしまっているのかを示している。いちごたちは、育ちたいと思っているのだ。いちごをめぐる環境は、すでに現実を大きく超えている。自然というものの、懐の深さを、素人のわたしでさえも思い知った次第だ。

Photo_18空には、満月の月が輝いている。月の隣には、漆黒の夜空に木星がポイントを加えている。ずっと目をしたに降ろして来ると、海岸の防風林が、守るものが失くなって、なんとなく意味もなく並んでいる。じつは、Mさんの話によると、この場所に夜来るのはご法度で、警察官の職務質問を受けてしまう場所だった。当時、クリスマス近くになると、いちご泥棒がここへきて、夜ハウスからごっそりと盗って行ってしまう事件が頻発した。いちごが価値をはなっていた時代、それはほんの一年前なのだが、今はもうない。夜空の月と星が、空しく輝いているだけだ。

それにしても、ここに植えてみないか、というK先生の慧眼と、実際に植えてみたMさんの試みは、素晴らしかったし、映えある一歩だったと思う。この土地に密着し、ここを離れずに、とにかく続けてみることに意味があるということだったのだ。経験と想像力の勝利だ。

Photo_22二番目の話は、いちご畑を観察していると、その現実を超えて、日本全体の現状がわかってきた、という事態だった。Mさんによると、この地域にハウスがずらっと建っていたのだが、それを担っていた中核の世代が、団塊世代だったのだ。それで、震災を受けたために、新たな設備投資が必要なのだが、その借金を完済するには、一世代では無理なのだそうだ。後継者のいるうちは継続できるが、多くはダメらしい。

Photo_20つまり、一番人数の多かった世代がまともに被害を被ったために、再建できない状況も、最大の世代である団塊世代の状況に依存しているということになる。震災はすべての世代に平等に起こったわけではないのだ。Photo_21最も多く、最も強大だったところをじつは直撃していた。この事実は津波によって明らかになったのだが、じつは日本のあらゆるところで、このことは起こっているのが現実だ。

つまり、病気や事故、制度改変などの日常の出来事で、最も直撃されているのが団塊の世代で、社会からの撤退を余儀なくされているという現状があるのだ。

Photo_19さて、すっかり日が落ちてしまった。いつものように、S店へ寄って、いちごと、うめ、そしてゆずの羊羹、それから、いちごのジャムを購入して、帰路に着いた。月夜空の下、小さな小さな想いが育っていた。

続きを読む "月夜空の下、ささやかな想いが育っていた。" »

2011/11/04

学術と政治の夢を見ながら、海とウォーキングを楽しむ

Photo夜になって、雨が降ってきた。先ほどまで、海辺の公園に座って、今日一日の幸運な天候を感謝していたのとは、大違いだ。今日は、神奈川学習センター恒例の、ウォーキングの日であった。

Photo_4今週は卒業研究の仕上げの段階に入っていて、学生の方々からは、連日分厚いメールが送られてきている。昨日も三人の方から相談を受けたところだ。もし卒業研究が終わっていれば、何人かの方々も参加してくるのでは、と期待していたが、やはり論文作成に専念しているらしく、見えなかった。今年度は、震災の影響や、仕事上の理由で、何人かの方が途中で卒業研究を最後まで成就することができず、ゼミナールにとっても、特別の年になった。

Photo_8ウォーキングのほうは、薄曇りで丁度良かった。歩くとふつうは汗ばんで来るのだが、今日はそんなに暑くもなく、寒くもなく、今日のためにセットしてくださったような一日の天候だった。

京急線の金沢文庫駅に集合して、8班に別れて、それぞれ10数人のグループで行動した。称名寺の入り口に到着した。わたしの班は5班で、リーダーWさんが場所場所での歴史・地理などの説明を交えて、引率してくださった。

Photo_9称名寺入り口の門に差し掛かったときに、1班を引率してきたFさんの解説している姿を見かけたので、挨拶の合図を送ると、話しながら会釈を返してくださった。Fさんは全体のリーダーでもあり、毎月のリーダー勉強会を主宰している。このような会がうまくいくには、特定の人びとが情熱を持って維持していく必要がある。もちろん、他の方々の助けも必要なことは言うまでもないが、会全体が乗り移ったかのような人格の存在は必須である。

運慶の像のあることで有名な、光明院は現在は、この門を観るだけである。けれども、4柱作りで、清楚ではあるが、基礎のしっかりした、質実剛健という鎌倉期の特徴をよく表している。

Photo_11さらに、山門はもっと大きく、この模様を伝えている。金剛力士像も千年余の風雪に耐えて、剛毅な様子を伝えている。これらが、野の中でそのまま維持されてきたということは、ほとんど信じられない状況だ。Photo_12戦国期になると、ここの金沢文庫の資料は、豪族、大名、幕府などによって、略奪されたらしい。力の背景がないままに、これだけ残っていることのほうが、奇跡的だと言えよう。

Photo_46称名寺は、平泉の毛越寺を模して建てられたらしい。天国への道を想像して作られた橋をわたって、極楽浄土の本堂へ導かれる。

本堂の後ろには、ずっと自然の丘が連なっていて、昔は、海の中に半島が突き出て、その一角がこのように盆地のように囲まれた別天地だったのだろう。Photo_16海からの遠方の訪問者たちには、強い印象を残したことが伺える。権力者が宗教と学術の形で見せびらかしを行い、力を誇示するのに最適な装置だった、と想像される。

Photo_18センター所長のW先生、リーダーのFさん、さらにサポーター事務局のKさんの挨拶を聴く。全体で、100名を越える参加者があったそうだ、また、放送大学生以外の方が、3割であったとのこと。そういえば、第1回に参加した時も、イタリアからの留学生も参加していたことを思い出した。地域への貢献大なることを思った。

池を臨みながら、昼食を取り、山へ登るグループと、近くの文庫を散策するグループとに別れて、お昼休みを楽しむ。わたしは、Hさんのグループとベンチに座り、雑談に余念がなかった。この後のことを考えると、ここで歩く力を貯めて置かないと到底最後までついて行けないと、ただちに認識していたのだ。これはあとで、正しいことが証明された。

H先生ともう一人のH先生は、ストレッチ体操をこなして、それっとばかりに勇んで山へ登っていった。このような元気な先生方がいるかぎり、放送大学の未来は明るいし、こうでなければ、学生と対等に付き合うことはできない。わたしはもっぱらコミュニケーションに精を出す事にきめ、歳相応のことを行うことに決めた。

称名寺から道なりに坂を下ってくると、不自然に曲がりくねった国道16号線にY字に交差するところに出る。

Photo_20山道をなだらかに斜めに海岸線の大きな道に合流するように、鎌倉時代の地図にはなっていて、なぜ16号線が曲がりくねっているのか、の理由がそれで分かった。この16号線が内湾になっていた海岸線沿いの道だったのだ。曲がりくねったほうが、自然だったのだ。この道を平潟湾のほうへ向かって歩く。

Photo_19途中、R寺という、かなり裕福そうな、格式が高い寺があって、国宝や重要文化財を複数保持しているらしい。宝物殿も立派なものが建っていた。目を吸い寄せられたのは、みんな同じで、「ぼけ封じ観音」という現世利益の観音像であった。霊験を試そうなどと大それた方はいなかったが、それでも賽銭箱の音は絶えなかった。裕福な寺は何かが違う。これは皮肉ではなく、現実だ。

Photo_22さらに、平潟湾へ近づくと、今度は明治期の歴史物が出来してくるのだ。まず、「明治憲法創設の地」の碑が建っていて、この近くの「東屋」という料亭で、金子や伊東たちが草稿を練ったらしい。

瀬戸神社の前を通り、金沢八景の駅に出る。八景の由来となる行くつかの風景を見て歩く。Wさんが浮世絵をプリントしてきて、添えられた歌などを鑑賞しながら、頭と足の両方の満足するウォーキングとなった。

Photo_25平潟湾を左に見ながら、海岸沿いを戦前海軍基地のあった方向を目指す。この平潟湾は、現在では、水が透き通っていて、近くの釣り客が釣り糸を垂れていた。飛魚などが獲れるらしい。一緒に歩いたTさんたちは、ちょうど結婚して、横浜へ関西方面から移ってきて、このへんの住宅地を探して歩いたらしい。Photo_24

話を聞いていて、わたしも思い出したのだが、結婚したときに、いくつかの公団住宅に応募して、多摩地区とこの金沢地区とそして、八王子地区を選んだのだ。そして、結局八王子が当たったのだが。金沢地区が当たっていたならば、このような風景のもとで暮らしたのか、と思い、ちょっと違う、太公望のような人生を想像してみた。

Photo_29Photo_30そろそろ疲れが出てきた。坂道を登って、そこをさらに下ると、グループがずっと先を歩いているのがわかった。

野島に入って、海軍があり、現在は住友造船が占有している夏島を臨む公園が集結地だった。

Photo_32そのとなりが伊藤博文の別邸で、現在公開中であった。海に面して座敷のガラス戸がざっと並んでいて、東京の雑務を逃れて、一人で考えるには最適の場所だっただろう。この島は、住人数が限られるという地域協定があったところで、保護された別荘地という雰囲気だ。

Photo_31縁側のある別棟もゆったりとしており、特別に作られた風呂場も、長時間の湯浴みに耐えられるほどのゆったりした作りだった。

Photo_34最後は、金沢八景の駅前に戻り、打ち上げとなった。久しぶりに使われた筋肉が、焼酎のアルコールで、弛緩するのを感じながら、家路に着いた。Photo_35

街中を散策するのも良いけれども、今回のように、さまざまな海の変化を楽しむウォーキングも気持ちよいな、と思った。それに、学術の文庫と、政治家の別邸という、贅沢なものに触れることもたまには必要ではないかと感じた次第である。

Photo_47いつか、素敵な図書館のそばの別荘を借りきって、議論しながら、勉強に励むようなことをしてみたい、という気分を煽るような一日の出来事だった。

続きを読む "学術と政治の夢を見ながら、海とウォーキングを楽しむ" »

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。