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2011年9月に作成された投稿

2011/09/26

まだまだ旅は終わらない

09252部屋に薄明かりが差し込んできて、街に朝日が差し始めた。今朝の人通りはまばらで、人声もあまり聞こえない。向かいのアカデミア美術館の壁が、陽を受けて紅くなってきた。

0925旅はまだまだ終わらない。そろそろアリベデルチと呼びかけられる回数がふえてきたのだが、旅特有のハードルがいくつか待ち構えていた。まず最初に、宿をチェックアウトしようとしたら、宿代とは全くべつに、ヴェネチアの都市税というのを、現金支払いで求められた。この8月に導入されたばかりだとのことだ。

0922金額は大したことはないので、すぐ支払ったのだが、じつはこの現金は、空港までの船賃として残して置いたものであった。宿代はカードで支払うから問題はないが、宿の人に確かめると、船の中での支払いだから、たぶん現金支払いだとのことだった。

09252_2こんなことであれば、お土産などをカードで支払って、現金を温存しておくべきであったと思ったが、後の祭りだ。結局、船をひとつ遅らせて、銀行に走ることになった。朝早かったので、両替は、まだ開いていない。カードで現金を引き出すしか方法はなかった。朝のザッテレ海岸沿いは、気持ちの良いランニングコースになっていて、海からの清々しい風が吹いている。グランデに入ることのできない、大きな客船も、こちらへはゆうゆうと入ってきている。

09252_3昨日、ここを歩いていて、海沿いに銀行が二、三軒あるのを記憶しているのが幸いした。日本にいても利用しないような、カードローンをこのようなところで使うことになるとは思わなかった。自動支払機も英語表示に変わるので、すぐに現金を手にすることができた。「ベニスの商人」ではないけれど、どんな時にお金が必要になり、そこに思いもかけない金貸シャイロックが現れるのか、予想がつかないものだ。日本へ帰って、肉一ポンドを要求されないようにと祈った。

0925_3無事、次の船に乗ることができたのだが、次に起こった問題は、この船が空港まで1時間だとガイドブックに書いてあるにもかかわらず、じつは1時間40分もかかってしまったことだ。もちろん、船に乗った醍醐味は十分堪能して、海からしか眺めることのできない風景もたっぷり観ることができたのは、感謝している。0925_4造船所や、海軍などもあったし、ムラノ島の風景も海からの眺めることができた。さらに、海の高速道路とみんなに呼ばれる、杭を打ったラグーナの道も観ることができた。

Photo_4船着場での標識に徒歩7分と表示されていたのをみたときには、まだ30分余裕があった。けれども、空港に入った時にはさすがに、これはマズイと思い出したのだ。カウンターへ行くと、すでに終わりました、ととうとう言われてしまった。

係りの人に待機していただいて、電話連絡の上、緊急の入り口から入って、どうにかセーフであった。窓口の方が、 国内線と国際線も含めて 必死に手続きをしてくださったのだ。荷物も、最後の運搬にどうやら間に合ったらしい。じつは、わたしたちのすぐあとに、同じ便の客がもう一組いて、自分のことは棚に挙げつつ、上には上があるものだと思った次第である。

帰りの飛行機は、結局2時間遅れ、と言っていたのだが、さらにずいぶん遅れが出た。もちろん、ローマで乗り換えたので、その後の遅れであって、わたしたちのせいではない。機内では、映画を観たのだが、さらにミラノとヴェネチアを振り返る十分な時間があった。とりわけ、手元に残った美術館や博物館の入場券と、交通の切符にはカラフルなものが多く、記憶を呼び戻す効果がある。以下で、記念のために、列挙しておきたい。

フォルツア城の入場券Photo_6

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2011/09/24

ティントレットの最大の絵画

0922五日目になると、疲労が溜まってくるのかと思っていたがそれ程ではない。むしろ、イタリアの環境に慣れてきた感じだ。朝の食事をきちんと取っているためかもしれない。

このヴェネチアの宿は、親子二代で運営しているらしい。最も中心となってしっかりとマネジメントを行っているのは、母親と思われるかなり年配の女性だ。だいたい朝にフロントを務めていて、コンピュータの中の、各部屋の管理画面と睨めっこして、電話でかかってくる予約に対応していた。

09252このフロントは、天井の低い中世の宿の様相を呈していて、入り口をくぐって入るような感じだ。カウンターだけの部屋で、機能的な仕組みになっている。そこからは、階段が繋がっているのだが、たいていは荷物を持っているために、奥のエレベーターのほうへ行ってしまう。

0925_2ミラノのホテルもそうだったが、数百年も経ったような建物の内部に、エレベーターをつけるには、このような二人乗りのものが良いと思われる。エレベーターの左に行くと今朝も朝食を取った、中庭形式の食堂に至る。

0924_3今日の最終的な目的は、海事博物館を観ることと、昨日の続きで、ティントレットのすべてを踏破することだ。とは言ったものの、ものの本によると、まずはサンマルコ広場からはじめよと書いてあり、昨日の市場に続いて、政治の中心たるサンマルコ広場を外すことはできない。もちろん、フローリンなどの名だたる喫茶店文化も、観ておかねばならない、ということで、二日目の訪問は結果として、ドカーレ宮殿のティントレットということになった。

Photo1500年代になるころに、なぜヴェネティア派が栄える様になったのかについては、当然、スポンサーの存在は抜くことはできないが、そのスポンサーの要請の大半は、これまで宗教の要請が強かった。だから、これに政治的な要請が加わると、要請の程度は倍加することになる。

この意味で今日のドカーレ宮殿のティントレットには、重要な意味があったのではないだろうか。そして、彼はこれまでの連作に加えて、この宮殿の作品を仕上げることに関しては、組織的な対応を迫られたことになる。つまり、宮殿の絵画という大量で大作の絵画を仕上げるには、需要側のスポンサーの条件もさることながら、供給側のスタジオ制の整備も、重要な意味を持ってきたのだと思われる。

Photo_3このことを象徴的に表しているのが、世界最大の屋内壁画と称される「楽園」だ。このような宮殿の大広間という場が提供される必要性があったし、さらにキリストとマリアを中心とする数々の物語が、部分部分に小分けれて、それぞれの担当に配置されなければならなかった。

ひとつひとつの物語が部分的に完結し、なおかつ、全体としての物語も保持して、このホールの物語性を主導しなければならなかったからである。

楽園が主たるテーマであるが、ヴェネティアの成功の物語はどうしても必要な要素だったと思われる。ティントレットが描く、戦争の物語は晩年の新しいテーマだ。スペクタクルも、全体の統一は必要であるものの、部分的な物語の積み重ねで全体を描いていくことが可能である。

さらに、宗教で発揮した、序列的人間関係の描き方も、ひとりひとりはティントレットそのものだが、全体としての統一よりも部分的な詳細さをうまく描いている点は、ティントレットという工房の存在があればこそ、可能であったと考えられる。ティントレットには、何本の腕が存在していたのだろうか。

宮殿見学では、英国人の次はフランス人、次はドイツ人、さらに日本人と集団入り乱れて通り過ぎていく。ここでは、写真についてはたいへん厳しかった。ほかの美術館では、フラッシュは禁止されていても、写真はOKのところがあったのだが。そこで、事件が起こった。フランス人の流暢なガイドがしゃべっていて、その集団の中の人が写真を撮って、一度注意されたのだが、そのあとまた写真をとったのだ。そのときの監視員からの注意は、これまでに見たことがないくらい、激しいものだった。ヴェネチアとフランスの歴史を彷彿とさせるような、もちろんそんな歴史意識の問題ではないことはわかるが、攻撃的なものであった。

0924_4なんやカンやあって、牢獄の見学まで結局フルコースの見学となってしまった。従って、歴史の勉強は、またの機会に行うことにしようと思う。細い路地を入っていったところに、魚の美味しい店があるということだったので、入る。たぶん、夜になるとかなり高くなってしまうので、ランチをと考えたのだが、それでも内部で食べる人は少なく、もう一組がいただけだった。

09242料理はごくごく繊細な前菜と、飛びきり美味しい魚料理だった。ズキーニの花の中に、これまで食べたことのないような、クリームチーズが入っていて、周りのカリッとしたものとの調和が素晴らしかった。09243


魚はスズキを簡単に焼いたものだったが、ソースが淡い感じで、きゅうりとの取り合わせがうまく合っていた。

このあと、いくつかのオプションはあったのだが、ティントレットの墓のある教会など、どう観ても、このあとの時間からして間に合わない距離にあった。Photo_8そこで宿のそばにあり、ほぼ毎日散歩コースに当たっていて、趣のある館のグッゲンハイム美術館へ向かうことにした。

毎日、ルネッサンスばかりだったので、最後に現代へ戻る必要があった。ペギー・グッゲンハイムがニューヨークでの生活を切り上げて、娘と一緒に過ごす場所として、世界中でどこが良いのか、と考えてここが選ばれたのだと思われる。2ポロックは、やはり特別扱いで、一室が与えられていた。

美術館の最後の部屋に、1枚印象的な絵があった。U.ボッチョーニの少女を描いた線画だ。彼には「未来派」という先入観があったので、作者が違うのではないかと思えるほどだった。家族を描いたシリーズの1枚らしい。個人蔵となっていたので、今後観ることはできない1枚だろう。カンディンスキーにしても、同じように、具体的なものを描いても、相当に素敵な世界や人物を描き出してしまうのだ。またいつか、もう一度観てみたい1枚である。

0924_5夜には、クラシック・コンサートを予約していた。右の写真は、ヴィヴァルディが指揮者を務めていたピエタ教会であるが、ここをはじめとして、本島の数か所で、毎夜コンサートが開かれている。宿のすぐ近くで、朝のうちに予約を済ませておいたのだ。曲目は、やはり、ヴィヴァルディの「四季」、そして、バッハの「組曲2番」で、アンコールに1曲。

0924_6教会の建物は、祈りの音がグワングワンと響くように作られている。そこで、その共鳴を打ち消すような演奏が求められるのだ、と娘に教えられた。席の座り心地は極端に悪かったが、それを我慢してでも余りあるほどの、臨場感あふれる演奏だった。最後の夜にふさわしい、音楽だった。

2011/09/23

ヴェネチア本島の縦断

3今日は、ヴェネチアの本島を縦断して、街の成り立ちを建物を中心にして観てまわることに決めた。アカデミア橋を渡って本島に入った途端に、前も後ろも、湧いて出るように、観光客に囲まれてしまった。Photo

過去、千何百年に渡って、交易商人を引きつけ、さらに独特の文化と文明を築いて、世界中の人びとを引きつけて来た街がここにあると実感した。

0923それにしても、サンマルコ広場に着く頃には、狭い路地では身動きができないほどになった。店の多様性も驚くばかりで、どこにもあるような、相変わらずの観光客目当てや、職人工芸品を売る店はそれなりに客を集めていることは確かだが、Photo_4この多くの観光客の大半は庶民層であるのだから、価格の競争も激しさを増して来ているように見受けられる。

0922_2ブランド戦略についても、富裕層を狙うことも必要であるかもしれないが、それだけではこの人波として押し寄せてくる観光客にはに勝てないと思われる。

0923_2サンマルコ広場では、歴史があって名高い、フローリンなどの喫茶店を見物するだけにして、早々に今日の目的地のリアルト橋へ向う。ちょうどフローリンでは、この古さを映像に取り入れようとする広告や宣伝の映像を撮っていた。そして、楽団が広場へ向かって演奏しており、喫茶店という趣からは相当離れた存在と化していた。かつて、J.J.ルソーたちが寄ったころのフローリンに、できれば入りたいと思った。

0922_20観光客の波に押されながら、リアルト橋へ着く。この観光客に対して、地元の人でも反感を持つ人たちが居ることは察するところだ。写真のような、書付が裏のポスターなどに見られた。

0923_3シェイクスピアが「ベニスの商人」を描いた中心地がここで、取引所の意味ですでに、リアルトという名称が使われていた。この場所で、金を借り、返さねば、肉と引き換えるという証文が書かれたのである。

0923_5リアルト橋を越えると、聖ジャコモ教会があり、この辺で銀行というシステムが発生したことになっている。 

Photo_9この庇のしたで、当時の世界金融がやり取りされていたのだ。まさに、東西を結ぶ国際的な市場というものが発生したところだ。交易商人たちがここを闊歩して歩いた中世を想像してみた。0923_4市場には、公正を図る裁判所がかならず附属するのだが、その象徴とも言うべき、女神像が建物の角に立っていた。魚市場もかなり古い。

09232昼食は、リアルト橋の近辺の店を考えていたのであるが、穀物倉庫や商館を観て歩いているうちに、袋小路に迷い込んだり、運河に出て行き止まりになったりして、ほかの観光客に道を聞かれたりしているうちに、かなり魚市場や商店街から離れてしまった。

0923_6近くでレストランの固まっているところをみつけ、ラ・ズッカ、かぼちゃという名前の店にはいる。テラスもあったが、中に入ると、運河沿いの席を作ってくれた。注文をしていて、大方はメニューを観てわかったのであるが、飲み物を聞かれて詰まってしまった。09232最後に、水の種類を聞かれたのだが、聞き返したら、奥から日本人の女性が出て来て、エプロン姿で親切にも応対してくださった。

0923パスタとラザニアが美味しかった。とくに、ラザニアには微妙な味が良く出ていて、今回の旅行の食事のなかでも、かなり上位の味であった。

0923_9そのあとは、地図のまったく役に立たない、路地の世界に足を踏み入れてしまった。けれども、南へ南に進んで行くと、その探していた建物が現れて来るから不思議だ。道は人びとを発散させると同時に、まとめる力も持っているらしい。

0923_10S先生に推薦していただいた、聖ロッコのスクオーラにある、ティントレットの壁画群を観ることになる。一階と二階に展開するこれらの絵画は、並大抵の意識では成就できないほどの、仕事量だと思われる。この空間を提供したスクオーラの推進力はかなりの実力だと思われる。

今日注目した絵は、二つある。というとかなり効率が悪いように思われるかもしれないが、あまりに多過ぎてどれを選んで良いのか実際のところは、わからないのだが、ティントレットにこだわるならば、とりあえず二枚にしておこう。

0923ひとつは、二階の角に掲げられていた、最後の晩餐の絵だ。これまでの常識的な描き方に従えば、最後の晩餐では、キリストを中心とした大きなテーブル席を思い出す。ダ・ヴィンチの有名な絵でも、真ん中にキリストが配置され、左右に、弟子たちが展開するという、構図を崩したことがない。これに対して、このスクオーラの最後の晩餐は、斜めにテーブルが並んでいて、斜めの位置から描いているのだ。なぜこのような配置にしたのかは、明らかである。それまでの、常識的だった 絵画を引っくり返したいと考えていたからである。

時代と世界と、さらに、人々の考え方を変えたらどうなるのかということが、絵として描かれて、教会関係者たちに受け容れられて行ったことを示している。ヴィジョンということが、もし描かれるとしたら、このような過去の情報の組み替えがどうしても必要だったことがわかる。

時代が変わるということを、過去の情報の書き換えという手法で成し遂げている点で、時代を十分に変化させていると、考えることができる。過去の情報を書き換えて、過去から現在への同一性を保つことで、ヴェネチア共和国の伝統というものを繋いできていると考えられる。

この作業は、並大抵の仕事ではない。それまでの伝統を打ち消して、そのうえでさらに繁栄の物語を繋いでいかなければならなかったからである。ティントレット中に、ある時期から、明瞭にこのような歴史的な、とでもいうような、自覚が現れているのを観ることができる。

さて、もう一枚は、キリストの磔刑というかなり大きな絵である。壁画に近いほどの、大きさだ。しかも、かなり完成度が高くて、色彩の配合や塗り方に至るまで、洗練された絵となっている。

特別の部屋であって、この絵は、多くの寓意が隠されていると思われるが、勉強不足でどこまで理解できたかは定かではない。目立ったのは、ピエタにつながる文脈で、ティントレットはキリストに対するマリアの感情をかなり人間的な位置に引き下ろしている点だ。支援的なモデルケースからすれば、マリアがキリストの支援者として、ワンアップする位置から支援するのが過去の解釈であったが、それに対して、この絵の場合には、両方がダウンする構図で一貫している。同等たいぷのモデルであるということなる。

この構図は、磔刑のしたで嘆き悲しむマリアよりも、もう少し感情を表に出したものだと思われる。それに対して、いつも現れるのは、キリストを抱きかかえる第三の人物である。これがマリアである場合が多く、先日のロンダニーニのピエタのように、圧倒的にキリストとマリアの関係として、この期のキリストを描いてしまうことは可能である。

Photo_5けれども、ここはもう少し推理を入れることも可能かもしれない。第一の推理は、キリストの社会的な位置づけである。マリアとキリストだけの関係に閉じ込めてしまうと、それは家族関係で完結してしまうことになるのだが、それに第三者を入れることで、社会性を呼び込むことが可能になる。

Photo_7今日の最後に、本島で車の見ることのできるローマ広場へもまわってみた。ヴェネチア人も車を持っているのである。ただ、本島では使う場所がないというだけだ。

2011/09/22

ヴェネチアでも「ピエタ」

0920_16三日目の朝も、快晴で、旅日和だった。テラスにての食事も今日で最後かと思うと、毎日届けてくださった係りの方にも、なんとなく情が移るのだ。いつものドォーモの鐘がなってほどなく、ドアをコンコンと鳴らしてせわしなく入って来て、朝食を届けてくれた。0920_17贅沢だと思えるのだが、それはそうではなく、ホテルの部屋が狭いので、却って部屋で朝食を摂って欲しかったらしいのだ。それが証拠に、当初、15ユーロだと言われていた値段も、10ユーロに割引されていた。

0920_18昼には、ミラノの中央駅へ着かねばならないので、朝の散歩と言っても、それほど遠くへは出られない。これまで近づくのは夜だけだった、ドオーモの天辺まで登ってみようということになって、スカラ座の横へ直に出る道を、ようやく昨日習得し、今日はその近道を通って、スカラ座の裏から広場へはいる。

0922ドオーモの外見は、コンクリートの塊のような薄ペラな感じだと当初は思っていたが、それは石というものに対する見識がなかっただけで、中に入ってみると、ゴシック建築特有の天にのぼっていく象徴的な作り方を行っていることがわかる。0922_2すべて大理石でできている。屋上に至るまで、内部からみると、重厚な感じがあるのだ。

一つの頂点に向かって複数の頂点が組み合わさっていわば、加速度的に建物自体が急激なピラミッド構造を示している。そして、観光客もその先端を目指して登る。人間はこのような加速度的な構造がトコトン好きなのではないかと思ってしまう。0922_4とくに、この景色をカメラに納めたいという人びとが多く、ほとんど頂上にまで登った人は、だいたい立派な一眼レフのカメラをもっていたのは、偶然なのであろうか。

09225景色自体はミラノの全景で、どうということはないのだけれども、やはり頂点ということにこだわったつくりなのだと思われる。09226


いくつかの頂点がそれぞれ何かを指し示しているかのような世界を演出していた。

娘が日本のソニープラザみたいな、デザイン・スーパー・マーケットというところに行きたいというので、お付き合いする。手作りの陶器や、台所用品がたくさん並んでいる。ここでも文房具では、モレスキンと、たいへん手触りの良い、LEGAMIのノートが占めていて、日記帳のトピックス用手帳をちょうど探していたので、こちらの目立つ、赤のものを購入する。見た目よりずっと手触りが良い素材で作られている。

0922_5さて、のんびりとしていたので、時間が迫って来てしまった。ホテルに戻り、荷物をもって地下鉄の駅からミラノ中央駅へ向う。木漏れ日が、そろそろ秋を感じさせる。何とか15分前には、ヴェネチア行の特急へ着く。0922_6ちょうど昼食時間だったので、駅のバールで丸い大きなパンにチーズと生ハムを挟んだものを、注文して、娘はさらに甘い菓子パンも購入して、席に着く。番号が飛び飛びなので、席を見つけるのに苦労したが、無事にインターネットで取った席に座り、車掌さんの検閲も無難に過ごすことができた。

0922_7窓の景色には田園風景がすぎて行ったが。0922_9自分の好きなものが目に入るらしい。09223_2


葡萄畑がかなり多くを占めているという印象を持った。鉄道の旅の最後には、海に出て、その中を進む汽車という構図である。ヴェネチアに来たのだな、という感慨を持った。

0922_8終点のサンタルチア駅を降りて、駅舎を出ると、目の前がいわゆるヴェネチアの大運河で、ここから定期船にのって、宿のあるアカデミア橋まで下って行った。途中、古い建物で歴史を負った場所が次から次へと現れる。その建物の間には、小運河が流れ出て来ていて、水上タクシーやゴンドラなどがそこから出てくる。0922_10


かなりの混み合いを見せるが、衝突寸前で、体を交わしていく。リアルト橋を過ぎ、運河に面した広場を観ながら、ようやくアカデミア橋を観る場所に出る。ここまで来ると、乗客も少なくなっている。

0922_11橋のたもとのバールを左にみて、綺麗な石畳の小道を、アカデミア美術館沿いに下ると、すぐ宿がわかった。入り口も小さな小ホテルという雰囲気だ。0922_12部屋にはいると古い家具で統一され、改修したばかりのトイレ回りがあり、すっかり居心地の良い空間に、わたしたちははまることになった。

アカデミア美術館が、7時過ぎまで、観覧できることがわかっていたので、移動の疲れも何のその、ヴェネチア派が集められた空間へ飛ぶことにする。昨日のブレラ絵画館の続きにすっと入っていった。

0922_13ティントレットと、 ヴェロネーゼの大作ぞろいだった。ティントレットの聖マルコシリーズも、他の画家と異なり、楽しめたが、やはり今日も一番の関心は、「ピエタ」場面である。昨日のベッリーニのものと比べて、ティントレットのピエタは、神を描くというよりも、人間としての受難を憐れむという場面を描いている。

0922_15ティントレットの解釈は、マリア自身も失神してしまう、という意味を付け加えることで、他の画家と異なっている。神との同一化という方向性を失神という表現におきかえているのだ。これまでのマリアが支える形式なのか、マリアが支えられるのか形式に対して、両方ともにダウンしてしまう形式が現れることになった。

0922_16何がここで変わったのか、ということは、ひとつの系譜の考え方としては正当なものだと思われるが、ヴェネチアという都市でこのことが生じたことは、重要な意味をもっていると思われる。都市に住む人びとがこのような芸術を求めたという現実があったと言えよう。

0922_17夕飯は、散歩に出て、グッゲンハイム美術館前の運河沿いにある飲み屋さんで、軽く済ませる。

2011/09/21

ピエタの多様な解釈

0920_15今日も身体にとって、ハードな一日となった。昨夜、時間が間に合わなかった、スカラ座の博物館を訪れた。われわれと同じように、オペラファンで無くとも、世界各国の団体ツアーの格好の巡り場所であるらしく、次から次へあらゆる言語が飛び交う空間を現出している。

0921_4たとえば、いくつかの間があって、団体客がそれぞれの部屋ごとに、集まっている。日本人を案内するガイドの話をイヤーホンで違う言語に、翻訳しながら、聞いていると言った具合だ。

0921_5オペラ通の人びとは、団体客のこない、さらに上にある、ライブラリーで本を検索し、知識の蓄積に余念がない様子だった。ロッシーニなどの自筆手紙など満載であった。人形には、舞台で使われた、魔笛などの衣装が付けられ、展示されていた。

0921_6スカラ座ツアーのもう一つの呼び物は、練習風景を聴かせてくれるサービスだ。リハーサル前には、劇場の席に案内され、劇場の生の雰囲気を味わうことができた。そのうち、席にガラス窓が取り付けられるころには、指揮者が現れ、音声チェックの機械が調整され、舞台に出演者たちがラフな服装で現れる。

今晩の出し物は、貴族の男性が女性と会って、出かける場面から始まるらしい。同じ場面を二回ほど繰り返していた。

リハーサルの舞台には、ある種の組織論的力学が働いている。わたしはむしろこちらに関心があった。つまり、なぜリハーサルが必要で、リハーサルでは何が問題になるのか、という点である。わたしたち放送大学のリハーサルと同様で、一人の演技から、複数の人の演技、さらに客が入るときの演技には、合わせる基準が異なる。たぶん、タイミングが最も重要になってくるのだ。シナリオもあるのだが、シナリオに載せることのできないことが、リハーサルの対象となるのだ。

0921_7次に向かったのは、徒歩十分ほどのところにあるブレラ絵画館で、ここには後期ルネッサンスのヴェネチア派の大作が集められているとのことで有名で、ベッリーニやティントレットなどを中心に観て回る。それにしても宮殿の壁一面を使ったような大作が、その状況そのものを大きな状態でみることができるのだ。このような大きな部屋自体、ひとつの文化環境だと思われる。それぞれ絵のまえには、椅子が用意されていて、じっくりと観ることができる。

注目したのは、サンマルコ広場の絵や聖マルコの絵もさることながら、キリストの死に対するマリアの「ピエタ」を題材とした絵だ。昨日からの続きである。キリストとマリアの関係についての考え方が、ここには如実に反映されている。

ベッリーニの場合には、夫婦の関係を重視した人間的な展開を中心に描かれていることがわかる。ティントレットの場合には、夫婦関係も描かれているが、さらに弟子との関係や世俗との関係が描かれていて、さらに複雑な人間関係が描かれている。

ここに至って、中世以来の宗教的な意味付が少し背景に退いて、人間社会の物語としてこのピエタが復活していることが現れているのではないかと、思われる。それにしても、マリアの顔色の悪さは、ヴェネティア派の場合には、特別だ。どう観ても、聖なる家族として描かれてはいないことが理解できる。それでは、宗教関係がスポンサーでないとすると、人間的な、これらの絵のスポンサーはだれだったのだろうか。これらの楽しい推理をさせてくれる空間が用意され、いつでも開かれているのは、たいへん良いことだと思われる。二階にある絵画館を出て、したにおりてくると、美術大学が入っていて、大学らしい活気ある空気が流れていた。

0921_8絵画館界隈には、オープンテラス形式のカフェが並んでいた。その一角に陣取り、昼食を食べる。オフィス街にも近いらしく、コーヒー一杯だけで、読書を楽しむOLも見かけた。

0921_9娘の関心ある雑貨・子供のオモチャを観て回ろうとということになり、都心部をはなれて、新興の再開発が行われている、ガリバルディ地区へ行く。0921_10ここでハイテックという、日本でいえば、東急ハンズや無印良品のような文房具と雑貨の店がある。古い家を改造していて、地下室も使って、素敵な空間を作っている。09212このような趣味趣向は、世界共通のものがある。ここでは、イタリア製文具の代名詞的なモレスキン社のシネマ・ノートとラベル・ノートを購入した。

0921_11そう言えば、ガリバルディの駅で、娘がチョコレート屋を観ていたら、「ここのは高いからやめなさい」と助言してくれた、年寄りの女性がいて、その女性が、このハイテックにも現れたから驚いた。類は類を呼ぶの類いなのだろうか。うちの母親のような性格の人も、世界共通であることにびっくりしたのだった。

0921_12今回の旅行で、中心となった物語がいくつかあって、19世紀の小説のモチーフをなぞってみようということも、話していた。今日の午後は、買い物の合間を縫って、二つの教会を訪れた。わたしたち日本人は、アミニズム的な宗教観のもとにあるので、仏教徒でありながら神社に詣でることも気にならない。同じように、教会に入るのも、小さなときから習慣化している。西欧の都市にある、教会の静かで自省できる空間の存在は、それだけでかなり魅力的だ。0921_13B教会とC教会では、そのような時間をそれぞれ1時間ほど持つことができた。もっとも、教会を出ると、すっかりまた世俗的な自分に戻っていて、このこと自体反省することしきりであった。C教会には附属の書店があり、須賀敦子が関係していたことでも有名である。

0921_14この日の最後になって、道に迷ってしまった。ペックという食料品店がどうしても見つからないのだ。街の人びとに聞くと、きりっとした若い女性の方が、親切にも、近くまで案内してくださった。地図上のインデックス線を見間違えていたらしい。娘がバルサミコ酢やかなり臭い匂いのチーズなどを購入していた。

0921_15夜の鐘の音が街を流れながら、今日一日が暮れて行く。

2011/09/20

支援することと支援されること(ピエタ)

0921今朝は、朝の七時半に近くのドォーモの鐘が鳴り響き、頼んであった朝食が、部屋に運ばれてきた。この古い建物のテラスで食事を取ることになった。朝から快適な一日が始まった。生絞りのジュースが美味しかったし、パンも素朴な味で、このあと、この種のパンが毎日出たが、この宿のパンが一番おいしかった。

0920今日の目的は、念願のロンダニーニのピエタを観ることと、ミラノを舞台とした19世紀の小説の跡を辿ることにあった。ダンテ通りを北に、徒歩5分で、スフォルツア城へ着く。城周りを一通り観たのちに、中へ入るが、思った以上に収集品が充実していて、なかなか目的のピエタ像にはたどり着かない。

0920_2ロンバルディア地方は、昔から交通の要所であったために、多くの石像が残されている。とくに、興味を引いたのは、唐草模様となった葡萄の意匠が変遷して行くのが面白かったことだ。0920_3

それから、縄文土器と弥生式土器の時代が、日本にあったように、ロンバルディアにも、粗っぽいロマネスク様式から、ロンバルディア派が生じて洗練されて行くのを見ることができる。

0920_4問題は「ロンダニーニのピエタ」だ。ミケランジェロの最晩年1564年の制作で、最後死の三日前まで作っていたと言われている。他のピエタの解釈には二つの解釈が並んで来たと言えよう。一つ目はピエタそのもので、マリアのキリストに対する哀れみの情が表現されたものだ、という解釈で、最も古典的なものである。この場合、マリアの情をキリストへ注がれるものとして、いかに写すかが問われることになる。ところが、ミケランジェロは最初の構想を翻して、キリストの顔の位置をマリアの右肩へ移動することになる。そこで、にわかに、ピエタの意味が異なるものになったと言われている。

09204_3二つ目は、キリストを中心に置いた解釈があり、マリアを背負っているキリストという解釈があり得るだろう。クライアントは、精神的には、支援者を逆に支えている面をもっている。支援論的にいえば、キリストの位置から、マリアの位置をワンアップしたと解釈できるかもしれない。

09208三つ目が微妙な位置づけだ。ミケランジェロが第一構想から第二構想へ移る過程で、これまで二つの別の像を描いていたミケランジェロは、マリアの右肩にキリストの顔を描き始める。これによって、クライアントと支援者が一心同体となる。あたかも、二人の像が一人の像の如くに一体化する契機が訪れることになる。これは、協力関係というものの、一つの理想を表現している。

092010さて、問題は第一構想と第二構想との関係になってくる。なぜミケランジェロは当初の構想を捨てて、第二構想へと移行したのか。上記の第三の理由があるからなのだろうか。けれども、右腕が残されていて、未完の状態であることによる、この作品の力というものがあるように思われる。第一構想があり得たから、第二構想があり得たのであって、両方の動的な過程そのものが、このピエタの作品の力なのだという解釈はどうだろうか。

09206ベンチに座って、1時間ほど眺めた。「support」ということを考え出したら、この像から離れることが出来なくなった。どこかに書く機会があったら、再挑戦してみようと思う。

0920_5さて、途中、多くの彫刻があったのだが、そして写真のような他の作者のピエタ像などもあって、それらはわたしたち素人が見ても十分に2時間はかかる行程だった。が、それは日記に任せておいて、一気に問題の像へきてしまった。0920_6娘は別行動をして、途中の展示物で、皿に描かれたマリア像が気に入ったらしい。25歳以下は入場料無料という制度があって、それも利用したとのことだ。

0920_7当初の予定を大幅に超過して、まだ半分も終わっていないことに気づき、昼食を食べたあと、もう一度戻ってくることにする。お昼は、昨夜の散歩のときに目星をつけておいた、コンヴィヴィウムというレストランへ入る。まずはリゾットとピザを食べることにするが、前菜あたりでお腹がいっぱいになってくるほどの量であった。ワインはTという銘柄で、たいへん美味しかった。名前を教えてもらったのはよいが、特別な醸造所らしく、どこの酒屋へ行っても、置いてないと言われ、ついに手に入れることはできなかった。

0920_8スフォルツア城の収集品では、絵画も後期ルネッサンスを中心にして、充実している。偶然なのか、工事中でこの16世紀の部屋に最初に出て、それから前後の時代を順に見ていくような通路構成になっていた。これから始まるヴェネチア派の前哨戦が始まったという感じである。0920_9やはり、ヴェネチア派のティントレットの肖像画はすこし違っている。

その後、陶器博物館や楽器博物館などを回ることになるが、それも全体から見れば、一部に過ぎず、いくつもの美術館・博物館で構成されていて、すべての開館状況を把握している人もいないらしい。0920_12それに、お昼の休憩時間が長く、途中で数時間入ることができないところがあるのも、要注意である。

0920_10最後にひとつ、陶器博物館を回っていたら、18世紀ウェッジウッドのクリームウェアで出来たカップ&ソーサーを見つけた。ヨーロッパの貴族は、このようなところは、抜け目ないところだ。

0920_14最後は、歩き疲れてしまい、城のちかくのカステロというバールで街を眺めながら、一休み。その前から、ミラノの街見物のツアーバスが出ているらしい。0920_11どのバスも二階建てで、満員だった。

2011/09/19

経済衰退と文化の深い関係

0919北イタリアのミラノに来ている。今回は、「社会の中の芸術」という授業科目の関連で、さらに、社会的論理を芸術の中に呼び込んでいる作品と考え方を収集しようという試みだ。もっとも、自費研修であることから、勉強だけではなく、社会全体を観察しようという、娘を伴った気楽な旅行となった。

とりわけ、以前から気になっている点があった。文明の栄えたところでは、経済衰退と文化・芸術との関係が深く現れてくることが多いという事象だ。英国の衰退論には、多くの議論が存在することは知っているのだが、他の文明国ではどうなのだろうか。

イタリアではどうなのだろうか。ローマ帝国衰退と文化との関係は歴史ではよく取り上げられるが、その具体的な現象は、都市文化にはどのように現れてくるのだろうか。なぜミラノに来たのかといえば、それは以上のことがあったからなのだ。さらに、ヴェネチアでは、貿易衰退期がルネッサンス期にあたっているということもある。

けれども、それにも増して、もうひとつの旅行の理由があった。それはいつも、放送大学の評議会で隣の席に座るS先生が、哲学から観た芸術について一連の作品をお書きになっていて、とりわけ印象的な評論に、「ロンダニーニのピエタ」に関する作品があり、それを読んで、一度はミラノを訪れなければと考えていたからだ。

「ミラノとヴェネチアは初めてですか」と先週の評議会でも言われてしまった。「ピエタはもちろんですが、ティントレットとベッリーニも観て来たほうがいいですよ」とちょっと呆れ顔なのか照れ顔なのかなさって、細かいことを教えていただいたところだった。先生は、20年程まえに、3回ほどいらっしゃったとのことだった。

0919_2さて、今日は、成田からミラノへの直行便だったにもかかわらず、飛行機が大幅に遅れて、マルペンサ空港に着くと、空がすっかり闇に包まれてしまっていた。空港から鉄道に乗って着いたカドルナ駅で、空腹だったので、さっそくピザを頬張った。駅から10分ほどのところにある宿は、18世紀の古い建物群がならぶミラノの中心街で、一階には本屋や美術品の店が入ったマンションの2階、3階、4階を占める、いわば「民宿」という雰囲気のホテルだ。

0919_3日中はドアが開いているのだが、夜になると頑丈な扉が閉まってしまって、初めて来た者には到底入ることができないようなところだった。表札には宿の名前が書いてあるが、扉は固く閉まっていて、周りの店もはすべて鎧戸が降りている。外からは、到底ホテルのようには見えない。

0919_4ところが、偶然友人を訪ねて来た親切なミラノっ子で、歴史家の面持ちのある方が現れて、内部と連絡を取ってくれた。連絡をとって、扉の内部へと導いてくださった。この建物は歴史的な建物らしく、Mercantという名称がついているところを見ると、昔は商人の館だったところかもしれない。それにしても、もし入れなかったら、どうなっていたのだろうか。

0919_5フロントの女性は親切で、部屋を案内して、ダブルの部屋をツインにするか、それとも、初めからツインの部屋にするか、など面倒を見てくれた。最初に案内された部屋が、4階のテラスに面した部屋で、部屋と同じくらいのスペースが自由に使え、しかも、朝食もここへ持ってきてくださるというので、決めることにする。

0919_9夜の散歩として、歩いて5分くらいのところにある、街の中心のドォーモとスカラ座へ行き、外見だけ観て帰ってくる。ちょうどスカラ座が跳ねたところらしく、楽器をもった団員たちが帰宅するところだった。産業や商業は今いちの状態だが、文化は盛んな街だ。0919_7

文化に関心がなくても、街を散歩すれば、スカラ座のようなところに当たる。プログラムも、柱に掲げられていて、天井桟敷に通うツウたちがいかにも現れそうな街だ。

0919_15古い町並みをダンテ通りをさかのぼり、明日行く予定である、0919_16スフォルツア城へ向かってゆっくり歩き、宿に戻った。



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2011/09/17

ゼミの新しい拠点

放送大学の東京文京学習センターが、新しくなった。元の筑波大学の茗荷谷にあった建物をすべて壊して、新しく作り直したのだ。

10月から、ゼミで使おうと申し込んでいたが、9月にも使うことができるということなので、第10講義室を借りることにした。面接授業もまだ始まっていないし、開校のセレモニーもまだなので、サークルの一部と、わたしたちのようなゼミが使っているだけである。

茗荷谷は、ひところは学生街というイメージだったが、近年大学生よりもマンション住人のほうが目立ってきた。それから、印刷工場がたくさんあった街だったのだが、それもマンションに変わってしまい、今はやはりソフト系のサービス業が多くなっているような気がする。

地下鉄の駅を降りると、二年前までは、まだ 同潤会女子アパートビルが残っていて、モダンではあったがオールドモダンの雰囲気があった。並木道もそれに似合っていたのだが、今日行ってみると、駅前のセリでた雑居ビルも、歩道分だけ退いた近代ビルになってしまった。

文京の学習センターへ入っていった第一印象は、ゆったりしているということだった。一階のエントランスには、椅子がバラバラ置いてあるだけで、何もないのだ。奥のほうには講義室があって、筑波大学の授業がすでに始まっている。また、図書室も共用で、こちらも学生がいっぱいだ。こんな一等地なのだから、ここに通ってきて図書室が利用できるのであれば、東京の学生は恵まれている。

二階は、放送大学がほぼ占有しているのかな。それでも、共用の講義室とゼミ室も申し分ないほどたくさん並んでいて、授業再開を待っているという感じだ。講義室は今流行りの、ガラス張りの部屋になっていて、明るいし、中がスケスケに見通せる。中で飲み物を飲んでいると、見付かってしまう。10月から、第一演習室から第三演習室辺りを専用に割り振られている。この小さな部屋からどのような観念や知識が立ち上がって行くのだろうか、思い描いてみた。

今日借りた第10講義室は、40人ほどの中規模の教室だが、机の配置はゆったりとしていて、廊下というのか、共通スペースの続きに設置されているので、なんとなく外から見られているような感覚をもってしまう部屋である。逆に考えれば、イベントなどのような見せる催しのときには、見栄えのする部屋になるだろう。

ゼミは、最終コーナーを回ったところだ。そろそろ、草稿の全体が見てくる学生が多くなっている。じつは、これからが論文の面白いところだ、と当事者たちは思いようがないだろうが、終わってみると、じつはこの時期に、自分の頭の中で、ぐるぐるといろんなことが回転していて、仕事場で他の人から話しかけられても、無視してしまう、心理状況にある時期だったことがわかるのだ。

という緊張感を揉みほぐすためには、美味しい物を食べるに限るので、久しぶりに播磨坂のパスタ屋さんへ、十数人で繰り出す。タイミングよく、奥のテーブルが空いていて、それぞれ好みのパスタを食べながら、雑談に精を出した。すこしは気分が晴れたでしょうか。

結局、周りが暗くなる頃、ゼミは終了して、互いの健闘を祈って散会した。

2011/09/15

映画「うさぎドロップ」のドロップとは何か

「うさぎドロップ」という名前がどこから出てきたのか、それが知りたくて映画を観た。最初から細部にこだわって注意して観た。もちろん、うさぎは出てきた。主人公の一人であるりんは「うさぎ」が好きで、ぬいぐるみもうさぎだ。原作が漫画であるところからだと思われるが、イラストはたくさん出てきて、いたるところで、うさぎがオンパレードである。

ところが、ドロップは最後まで出てこなかった。原作には出ているであろうことは、推測できる。映画でも、最後の最後まで座っていると、dropという文字が一箇所だけ出てくるのだ。けれども、けっきょく、うさぎとドロップを結びつけるものは、映画には、一切出てこなかった。だから、今でもわたしのなかでは、この題名は謎のまま残されている。

映画「うさぎドロップ」では、とりあえず、題名は関係ない。そのまま観ても、問題ないと思われる。この物語は、一人のおじいさんが死ぬところから始まる。このおじいさんには子供がたくさんいるのだが、その上に、隠し子として6歳の女の子が残される。そこで、この子を誰が面倒をみるかということになり、もう一人の主人公であるダイキチが名乗りを上げる。そこから、代理性を主題とした物語がスタートする。

「所詮、代わりじゃん」という人物が出てきて、代理性という世間一般の観念を批判しようという、意図はかなりはっきりしている。一般の受け取りとは異なるかもしれないが、この映画は、そうゆう意味では相当観念的な映画である。

ところが、この観念の匂いを消そうとすると、かなりの感情移入を覚悟しなければならない。そこで演技過剰になってしまっている。不必要な感情表出を入れすぎたのではないか。たとえば、子供がふたりで墓のまえで、大声で泣くという状況はあまり考えられない。映画とはいえ、それはやりすぎだろう。

という風に、最初に批判しておけば、あとはかなり良好な映画だと思う。現代社会の、代理状況を良く描いている。本物の親子より、擬似的な親子のほうがリアリティがある、という状況は、今日の社会では、かなり現実感がある。

最初が肝心である。人間関係は出逢いによって、始まるから、このときになんらかの同意の存在が必要となってくるだろう。この物語の出逢いは、一人の死ということであるが、それが通常は、近づけるだけの必然性が必要となるのであるが、それがここではかなり希薄であるのだ。これは意図したものであるというところが現代的だということだろう。

代理性の必要条件は、親しく近しい関係よりも、すこし他人的であり疎遠な関係のほうが、成立し易いという特性を持っているという点にある。このような認識は、現代において出てきた関係であって、すこしまえまでは、このような描き方は行わなかったのではないかと思われる。

過剰が良い方向で出ているシーンもあって、りんを引き受けたのち、行き詰まったときに、女性雑誌のヒロインと踊る場面を夢想するシーンがあって、これはかなり映画的で飛んでいる。このような場面の転回がこの映画には必要であって、連続性を強調する泣きの場面は、全くいただけない。

この映画でどこがよかったのか、と聞かれたならば、それは映画の冒頭だ、と答えるだろう。主人公のふたりが並んで歩いていて、女の子を抱っこする。なぜ良いかと言えば、それは女の子を育てたことがあって、ふたりだけでどこか彷徨する経験を持った人であれば、この良さはすぐわかることである。

冒頭の疑問点に戻りたい。「うさぎドロップ」は想像力を刺激する。これまでは、これが一体のものと考えたから、考えが詰まってしまったのではないか。原作を読まなかったものの特権として、いろいろのことを想像して見ることができる。

たとえば、うさぎの形をしたドロップでは、うさぎの形が重要なのか、それとも、ドロップの甘さが重要なのか、と考えることも可能だろう。

あるいは、うさぎという比喩と、ドロップという比喩が別物であると考えたら、どうなるだろうか。あるときに、うさぎとドロップが出会って、もともと結びつくはずのないもの同士であったはずなのだが、うさぎの形がドロップの甘さを支え、ドロップがうさぎを支える関係が、この物語で成立したことを言いたいのかもしれない。

誰がうさぎで、誰がドロップなのかは、観てのお楽しみなのだ。

2011/09/08

先端医療か、地域医療か

Photo_8川崎のチネチッタへ行く回数が増えている。時間があれば、やはりゆったりと、もちろん、気分の問題だが、観たいと思う。今日、グローバル化の最先端を行っていて、隣を歩く人が何語をしゃべっているのか、わからない街は数多くあるけれども、川崎ほど錯綜している街は少ないだろう。群衆の孤独と、都市の自由を味わうとしたら、この街を散歩するに限る。

M地方から帰って来てから、それこそあっという間に時間が経っていく。M地方では、ゆるやかに時間がすぎていたので、平静というのはこんなものか、と思っていたが、帰って来てしまうと、そんな時間感覚は、過去のものとなりつつある。平静とは、もっと忙しいものだったのだ。

Photo_9そんな中で、M地方をロケ地として撮った映画「神様のカルテ」が封切られた。この小説では、M平という信州らしい呼び方になっていた。これならば、M市も入るし、A野も含まれることになる。アルプスの山並み、黒と白のコントラストの城郭、適度な人口規模の小都市、そして比較的大きな民間病院を写すだけで、なぜこの街に日本中から人びとが集まってくるのか、という事情がわかってしまう。自慢しているわけではないのだけれど、この街の場合には、観光で集まるだけでなく、この地方へ住みたいと思っている人びとがいるということがあって、わたしの子供時代からの疑問だった。

北杜夫や辻邦生などが、学生時代をここで過ごしたという有名な例もあるが、わたし自身の経験でも、ここの大学を受験に来た人を、小学校時代に案内した記憶がある。山登りが好きだ、山が好きだという答えが帰ってくるのが不思議だった。

「神様のカルテ」は、M地方の大きな民間病院に勤めて5年になり、新婚一年目に当たる「イチシ」君が大学病院からの誘いを受け、進路に悩むが、一人の患者とのやり取りを通して、将来を決めていくという人格形成型ストーリーの「教養小説」映画だ。妻の「はる」とのやり取りも、心和むなあ。

イチシというのは、「一止」と書いて、ふたつを合わせれば、「正」ということになるらしい。このことは、盆地であるM地方の特徴を表していて限りないのだ。山に当たって、ちょっと考えるのだ。それは、かなり、当たっていると思う。この字に現れる「滑稽なまでの生真面目さ」という趣きは、いまでも健在だ。

映画のなかでは、つぎのように描かれていた。古い旅館を改造した寮を、友人が出て行くというので、「追い出し祭り」として、徹夜で飾り付けを作る。それに対して、その友人が笑ってしまえば、ユーモアということになるのだが、どうやら、ユーモアの一歩手前で引いてしまう。奥ゆかしいのか、真面目すぎるのか、いずれにしても突き抜け方に、スッキリさがない。何らかの引っ掛かりを必要としてしまうところがあるのだ。このような生真面目さを、ユーモアとして楽しんでしまえるところまで、あと一歩という感じである。わたしとしても、あと一歩手前で立ち止まっているところが好ましく、これを楽しみたいのだ。

このような「積極的な消極性」という性格は、九州や北海道の人びとから見れば、前世紀的で理解できないかもしれないし、M地方でもすべての人がこのような性格をもっているわけではないが、やはり昔からの、山に閉ざされているという地域特有の性質を具現しているところがあり、その結果として、このような性格が定着したのではないかと思っている。

主人公が悩む「先端医療か、地域医療か」というモチーフは、かなり現代的な問題だ。医療に限らず、あらゆる産業の問題でもある。技術進歩を重視するのか、それとも、サービスの厚さを重視するのかという、問題を孕んでいる。そして、この両方を狙うことができる地方は、日本の中でも限られてくるだろう。その意味でも、M地方の特色が出ていたと思う。

街の中心地から、城山のほうへ登っていく坂道は、わたしの少年探偵団時代には、それほど馴染みのあった街ではなかったが、合唱団のコンクールや学校訪問で訪れた時があって、この辺りにあった高校から、街を眺める景色と似ていて懐かしかった。この街に残っていたら、誰かと眺めていたであろう景色である。

Photo_10さて、「支援学」という学問分野が始まって、すでに四半世紀が経ってしまった。その間に、学問分野が広がったのはたしかだけれども、それ以上に、現実の広がりはもっと広がってしまったと言える。支援モデルの中核の一つは、明らかに「医師」モデルであったことは間違いない。クライアントに対して、どのような助けをおこなうことができるのかが本質的な問題であったのだ。

「神様のカルテ」は、一人の患者とのやり取りを通して、この「医師モデル」の痛いところを、間接的に突いている。この物語は、今後も姿を変えて、品を変えて現れるだろう。今後も、注目して行きたい問題だ。

2011/09/06

白磁の二重性

すこし期間の長い旅行を計画している。と言っても、一週間だが。それでも出ようとすると、それまでに片付けなければならない問題が生じてきてしまう。とくに何がというわけではないが、図書館本の返却だけは、チェックしておかなければならない問題だ。この期間に、ちょっと物陰に隠れて忘れてしまう危険がある。

放送大学図書館からは、常時数十から数百冊借りているが、一般図書として借りる場合は、ルールにしたがって返さなければならない。たくさん借りる必要のあるのは、この大学特有の問題で、常にテキストを自前で書かなければならない、という事情があるからだ。次から次へ借りると同時に、次から次へ返さなければならない。

さらに、K大図書館からは、50冊借りることが許されていて、しかも6カ月も借用できる。図書館の天国のようなところなのだ。この図書館の席は、良く借りるし、また専門分野の図書が数多く揃っていて申し分ない。けれども、近年それでもこれらの分野を超えて発達する分野が数多くなり、そのためにこの図書館でも、不足を感じるようになってきた。

Photo今年度は、ここに強力な、W大図書館が加わることになった。こちらは、学部や専門図書館がそれぞれ貸し出し期間が異なる為に、さらに在庫管理が必要になった。さてそこでだが、相変わらず、前書きが長くなってしまったが、今日は、W大学の講義が前期で終了したので、それに合わせて、すべての図書を返却することにして、まだ夏休みのW大キャンパスを訪れた次第である。

Photo_2このW大の図書館の中でも、最もお世話になったのは、じつは教えている文化構想学部の図書館ではなく、社会科学系、なかでも洋書の充実しているT記念図書館であった。改めてこの建物を眺めてみると、正門の脇にあるにもかかわらず、あまり目立たない。メインの入り口とは異なるところからはいることもあって、入り口からして地味な感じだ。

Photo_3写真でわかるように、Y記念館と同じ建物なのだが、裏からはいる感じである。入り口には、特徴ある「石羊」がおかれていて、朝鮮李朝の墳墓の趣を持っている。

Photo_4ここに収められている洋書は細かなテーマ別に並べられていて、そのテーマの古い本から、新しい本へたどっていくことができる。研究者にとってたいへん便利だ。それに最大の利点は、品揃えがすこぶる良いことである。

Photo_5もっとも、大学Web検索から逃れているのだが。 12日が返却期限の本をどさっと持ってきた次第だ。

Photo_6また、ここは通常、大学院生が閲覧することになっているので、中央図書館ほどの混雑はないことも、気に入った理由である。授業の前に、早めにきて随分と利用させてもらった。

南門と正門の中間に位置しているのだが、その道を隔てた反対側には、タワービルが立っていて、ここの14階には、展望のたいへん良い食堂が入っている。学食を中心にチェーン展開しているらしい。日替わりランチで、スイス風ハンバーグを食べる。大きな窓からの景色も、おかずに加えることができるだろう。

Photo_7写真にあるように、眼下に先ほど寄ったT記念図書館があり、後ろに法学部、工事中なのが、政経学部で、後ろに演劇博物館、さらに奥に中央図書館が見える。空からみると、まだまだ、空間的には活用できる部分が少なくないと思われる。街に溶け込む大学という意味では、都市型特有の典型を示している。完成型としては、ロンドンのLSEのように、街そのものが、大学であるということになっていくのでないだろうか。またあと半年後に、お世話になることになろう。

今日の二つ目の訪問は、千葉市美術館である。ここで「浅川伯教・巧」展を開催している。李朝の白磁・青磁にどうしても目が行ってしまうが、それ以外にも吟味されて、収集された綺麗なものがたくさん集まっていた。綺麗ということは、均整がとれていたり、直線が美しいということではなく、むしろ、中心を外し、白にも様々な白がありうることを示しているようなものである。このような、手垢のついたものであるがゆえに、美しさにつながっているということが観て取れるものは、探そうとすると、なかなか現実には存在しない。

Photo_8なぜ浅川兄弟は、柳などが注目するまえに、早い段階で李朝磁器に注目したのだろうか。この点は、この展覧会を観た人びとが必ず持つ疑問だ。朝鮮に教師として渡って、日ごろ日常生活を営む中で、出会いがあった、という説明は説得的だと思われる。ある日、道具屋で、ということである。けれども、その後、窯の発掘にまで手を染め、かなりのところまで深入りしていくことになる。

白磁の透きとおった美しさは、表面にあるガラス状のものと、奥にあるものとが一体となって出てくるところにある。表とその下の層との組み合わせが重要だ。表面の明るさと、二層目の複雑さとが、日本と朝鮮の歴史とダブるにしたがって、その両方に通じた浅川兄弟のひたむきさに敬意を表すると同時に、彼らの考えに想いを馳せたのだった。

もう少し時間が欲しいというところが帰り時かもしれない。名残惜しいけれども、研究会の約束をしていた本部のゼミ室へ向かう。もちろん、いつものお菓子屋で、ロールケーキを買うことを忘れなかった。

2011/09/05

宇宙人の共通性

以前、伊藤若冲展が、千葉美術館に来たとき、隠居ということが江戸の習慣として働いていたことに注目した。若冲がそうであったように、京都の商人を早々に退いて、絵描きに転身する。人生において経験を積んだ人だけが、はじめてそこで、遊ぶことの意味がわかるのだと思う。それは、月曜日から土曜日まで働いて、日曜日に休むということで、休日というものの意味が出てくるのと同じだと思われる。

放送大学にいてよかったと思えるのは、このことを十分理解して入学してくる人びとが多いからである。隠居制度が近代の労働社会と対立しているという説を立てようとしているわけではない。むしろ、9対1くらいの割合で、近代にあっても、隠居制度は労働と対抗し、なおかつ、並存して存在して来たのではないかと思う。

それがここへ来て、にわかに高齢化社会の進展によって、高齢者雇用が叫ばれるにしたがって、もちろん、労働社会では極めて致し方ないことはわかるが、それでも隠居の価値という観点から見ても、危機に瀕しているのではないかと思われる。いよいよ日本から隠居制度が葬られるのではないかと、危惧を感じている。

近世の隠居を思い浮かべると、ちょっと違ってしまうかもしれない。語弊があるかもしれないが、「減価償却」を終わったものを再生し、ちょっとだけ違うことに活用してしまおうという、計画があっても良いのだと思う。すこしはゆっくりとしたものになるのかもしれないが、そんな考えが必要になってきているのではないかと思われる。

ということで、天野祐吉の対談集である「隠居大学」を読む。6名の隠居の天才たちを招いた対談で、そのまま深夜放送でも流されたらしい。

中でもとりわけ魅力的だったのは、現実を超える論理を提供していた、詩人のTである。「老人は宇宙人」である。という命題は、かぎりなく人びとを安心に導く、比類のない考え方であった。

現実が厳しくなればなるほど、生き延びるものは、少数者に限られてくる傾向を見せるのが、近代の競争社会である。そこで、この論理だけでは、少数しか維持できないので、したがって全体社会としては維持できないので、少数選択論から、もう少し土俵を広く考える思考方法が発達することになる。そのときの「広く」という論理に、よく寛容論が使われる。どのようにして、社会の包摂範囲を広げることができるのか、という論理である。

いくつかの考え方の系譜がある中で、具体的に良く使われるのが、「人間だから」という共通論理の広げ方である。さらに、これに対して、「宇宙人だから」という広げ方がここで提案されている。この考えは奇妙だが、面白い。つまり、人間を超えているという意味で普遍性を持っていると同時に、宇宙人という特殊な状況の小さな範囲も受け入れてしまおう、という考え方である。実際に、宇宙人が現れたらどうなるか、ということではなくて、実際に存在しないものにまで、想像力を広げて見ることがここでは必要なのである。

人間だから、という論理には、利他主義的でヒューマン的な偽善の匂いが漂っているが、宇宙人だから、と言ってしまうことによって、通常の人間レベルを突き抜けてしまっていると解釈できるのである。

2011/09/04

ゴーストのゴーストと現実世界

Photo_4世の中を、現実の世界と、ゴーストの世界とに分けて観てみる、という考え方には、二元論を安易に受け入れてしまっているという批判もあるが、意外に、現実を説明していて好きだ。ゴーストが荒唐無稽な幽霊であると、ちょっといただけないのだが、ケストラーの「機械の中の幽霊」のように、ゴーストと呼んでおくと、とりあえず現実との対比のなかで、あいまいでも、現代的なとでもいうような要素がはっきりしてくるのを面白がっている、あるいは、そのような雰囲気が維持されても、おかしくないような錯覚を楽しんでいるというところがあるのだ。

今回の面白いと思ったゴーストは、R.ポランスキー監督「ゴーストライター」に出てくるゴースト現象である。一時、この映画の宣伝がすごく頻繁に行われていて、大々的な公開になるのかもしれない、と思わせていたのだが、急速に宣伝は収束して、今回も少しの映画館でひっそりと封切られただけだった。

Photo_5ユアン・マクレガー演じるゴーストライターが、元英国首相ラングの伝記を引き受けることになって、米国の孤島にある別荘(この辺の景色が映画的だ)へ赴く。ここで前任者のことを調べるうちに、サスペンス状態に陥っていく。何が本物で、何がゴーストなのか、それは普遍的な問題だ。

映画自身は、サスペンス物語で、罪のない荒唐無稽な陰謀説史観の物語である。だから、ストーリーの筋を云々しても始まらない。現代のゴーストがどのようにして生まれ、どのようにして消えて行くのかが焦点である。

英国のB首相をモデルにしたような政治家を1人登場させている。彼のゴーストライターが、ユアン・マクレガー演じる映画の主人公である。念のいったことに、このゴーストライター君には、映画の中で、固有名詞が付けられていないし、最後に、彼が存在しなくても、現実の世界にはなんの変化も生じないようになっているのだ。その意味でも、ゴーストであり、現代人すべてに共通する人物像である、と作者は皮肉っているのではないかと思われる。

Photo_6世の中で、専門家が一人増えれば、ゴーストがふたりずつ増えていく。これが現代社会の本質的なあり様である。そこをうまく突いていると思われる。ゴースト問題の楽しいところは、ここに問題点が集中するからである。

内容に立ち入らずに、何が面白かったのかといえば、ゴーストライターがゴーストであることは、納得できるが、ゴーストライターの依頼主自体が、結局のところ、ゴーストでしかなかったという落ちになっている。英国人特有のユーモアだなあと思う。けれども、こう言って笑える人はどの位いるのだろうか。むしろ、現代人ならば、身につまされてしまう人のほうが多いのではないかと、わたしを含めて思ってしまうしだいである。

そういえば、主人公が場末のホテルへ泊まらなければならなくなって、カウンターの人とユーモア話になって、英国人ですね、と言われる場面がある。米国人と英国人の区別として、ユーモアがあるかないか、という基準のあることがよくわかる場面だった。

この映画のようなCIA陰謀説は、とりあえず置くとしても、なぜ当時、B首相は米国のB大統領のイラク侵攻に賛成したのだろうか。保守の共和党と、革新の労働党では、重要事項であればあるほど、意見が合うはずはない。ここに、この映画のように、サスペンスの入る余地があったし、これからも様々な物語が語られていくことになるだろう。

2011/09/03

マーラーのアダージョ

Photo_2今年は、マーラーの年だ、と言っていた割には、マーラーのコンサートへ行っていないのに気がついた。没後100年だというので、マーラーを描いた映画「君に捧ぐアダージョ」は見たのだが、そしてそれはそれで、フロイトとの関係も面白かったのだが。けれども、それでコンサートへ行ったとは言うことはできないだろう。そんな折に、妻の友人から有難くも、券をいただいたので、二人でいそいそと出かけた。

妻は何事にも、準備万端を済ませておくことを信条としていて、わたしの性格の対極にある。昨晩も、アバドのマーラー全集をわたしから取り返し、ヘッドホンでくりかえし聴いていた。

小学校時代に、予習・復習という習慣が着くらしい。妻はきちんと、予習を行って、宿題を忘れたことがないそうだ。他方、わたしはと言えば、そのような習慣は身につかなかった。高校時代に、印象悪い、ひとつの思い出がある。予習していなければ決して判らないことを、授業中に質問されたのだ。英詩がテキストに出ていて、この作者は誰なのか、という質問だった。教科書には、まったく載っていないのだ。ところが、わたし以外は、みんなすらすらと答えるのだ。聞くと、前日の塾で予習したのだ、という。受験校にいるんだな、と思った。

思い出しついでに、良いイメージの印象も存在する。じつは、今日の日フィルのコンサートに関しては、中学校時代から高校時代にかけて、学校の帰りに良く通った思い出がある。小学校時代に信州の生活をしていて、以前に述べたように、バイオリンを習っていて、一応音楽生活もさせてもらっていたのだが、このように毎月のように、コンサートを聞く生活に入るとは思わなかった。人生で言えば、いわばこれが人間としての「予習」と言えるかもしれない。学校の予習は行わなかったが、人生の予習は、大都市特有の生活で、たっぷりと「予習」させてもらったといえるだろう。

田舎から出てきて、なるほど大都市の子供は恵まれているな、と感じた。当時、池袋の先に住んでいて、高校時代には、池袋、新宿を通って、渋谷の先へ通っていた。N響のときには、日比谷へ。日フィルのときには、後楽園の文京公会堂へ。そして後には、渋谷公会堂へ通うようになった。まだ、渋谷にパルコもなく、ジロウと教会があっただけだった。パルコ文化以前の渋谷文化もあったのである。

Photo_11今日の席は、サントリーホールの前から二列目で、中学校時代に通っていたときも、この位置をキープしていた。同好会まではいかなかったが、F君を中心として、常連層を形成していた。

Photo_12今日は、マーラーの交響曲3番である。6楽章まであるから、4楽章で拍手をしないでよ、と妻に言われていた。1楽章あたりは、どうも取っ付きが悪かったのだが、ここでの主題が繰り返されて反芻されるにしたがって、次第に身体の中に入ってきた。それにアルトの「ツアラツーストラかく語りき」の一節を歌詞とする歌曲が入ったり、子供たちの合唱が入ったりする頃には、すっかり巻き込まれてしまった。

そして、もっともグッときたのは、「ゆるやかに、平静に、感情をこめて」という指示のある、第6楽章のアダージョである。ゆったりとした弦楽奏がえんえんと続く。くりかえし繰り返し、しかし、急ぐことなく、少しずつ変わっていく。楽団員の顔を見ていても、音に乗せて、丁寧に感情を送り出している。この粘り強い、えんえんと続く、永遠のイメージは、明らかにニーチェの主題に似ている。終末の中にあって、諦めずに粘り強い歩みを保っている。なにか、心がへこんでしまうときには、これを聞くと、何とか平静を保つことができるかもしれないという、期待を抱かせることだろう。

Photo_3コンサートのあと、娘のアパートに呼ばれていた。昔はいわゆる下町だったのだが、近くに美術館やギャラリーが出来はじめて、にわかに文教的な雰囲気の町になりつつあるところだ。散歩のあと、手料理とワインをご馳走になった。

2011/09/01

ピザと美女

今の季節には、来年度の卒業研究の申請書が集計されて、全国からわたしたちの手元に送られてくる。放送大学卒研の特色は自分でテーマを選ぶところにあると謳っているため、わたしたちが、学生の方と指導の先生方とをマッチングさせることに邁進しなければならないことになっている。

とくに近年、地域の学生の中に、自分の住んでいる近辺の先生に指導を仰ぎたいという方が増えてきている。つまりは、全国の大学の先生方にお願いすることになってきていて、これだけでも大変な仕事になりつつある。今日も、北海道から長崎まで学習センターの所長の方々へお願いを申し上げたところだった。準備の良い所長の方々が多く、すぐに先生方を割り当ててくださるので、たいへん助かっている。こんなに手広く、卒業研究を行っている大学は日本には、ほかに存在しないのではないかとさえ、考えている。

さて食べ物の話に移るが、横浜で予約を取るのがたいへん難しい、と言われている店がある、と妻が聞きつけてきて、これはかなり珍しいことなのであるが、予約を取ると宣った。こういう自発的行為(好意)は、最大限尊重する主義だ。

名前は覚えられないのだが、何とか地図を読み取って向かう。Cという店であった。イタリア語の場合、具体的なものと関連づけて覚えることができないことで、固有名詞が頭に残らないらしい。意味が分かっていないのだ。

行ってみると、まず、看板が出ていない。建物はデザイナー事務所でも入るようなレンガと大きなガラスの近代的なビルだ。ふつうのオフィスと言っても、通りそうだ。それほどに素っ気ないところなのだ。余程、料理そのものに自信があるらしい。入り口には、「今日は予約で満席です」という板がかかっている。

「注文の多い料理店」ではないか、と一瞬頭を過ぎったが、そんな空想を打ち消して、ドアを開いて、妻のあとから中へ入る。

この建物には、中二階や二階もあるらしいことはわかるが、そちらは見えない。わたしたちは1階に通され、この階はすでに4組の予約客でいっぱいだった。よくしゃべる女性のグループもいたが、席は程よく切り離されていて、落ち着いて食事が楽しめるようになっている。最初は、客席が一階だけにしかなく、4組だけのランチで贅沢だな、と思っていたが、それでは採算が合わないだろう。

ランチメニューは3種類で、軽いコースか、デザートが付くコースか、魚料理か肉料理のつくコースかで、それぞれ負荷される値段が異なっていた。もちろん、わたしども老人夫婦としては、軽いコースに挑戦だ。

料理でも何でも、最初が肝心だ。その点で、ここのスープは味わったことのない、強いインパクトを与えるものだった。といっても、それほどスープに詳しいわけではない。英国の田舎で味わったミネストローネが一番だと考えているくらいだから、わたしの舌は大したことないと自認している。けれども、これはじゅうぶん美味しくいただけた。もちろん、特別なものではないが、トマトソースの濃縮されたものに人参味のスープが加わって冷してある。つまり、スープでしかも冷えているのだが、サッパリ感ではなく、濃厚な食感を強調するものだった。デミタスカップで出てくるのも変わっていた。

Photo印象に残っているのは、何と言ってもピザだ。シシリアンと呼ばれていることから想像できるように、魚の香りと塩っぱい味のトマトソースの乗ったピザだ。写真からは、ふつうのトマト味のように、見えてしまうかもしれないが、味わいは魚味の強いものといえる。妻は、魚醤が使われているのではないかと言っていた。

以前に、銚子に通っていたときに、古い醤油屋の博物館があって、醤油が醤というものから発達したことを知って、原点にある味は、大豆中心のすっきりしたものではなく、魚などの入った臭いのきついドロドロしたものであることを理解していた。だから、それがイタリア料理の中に含まれていたとしても、それほど不思議ではない。良く合った味だ。今でも、そのピザの味のことを考えると、舌の付け根から唾が湧き上がるくらいだ。

じつは、料理の前に、S美術館に行ったのだ。「藤島武二・岡田三郎助」展を見て来たところだった。藤島の人物像と、岡田の三越ポスターは、わたしのように絵画にそれほど詳しくないものにとっても、戦前の日本美術の中でもとくに記憶に残っている。

Photo_2二人の画家を比較する意図は明らかだ。本質的な違いを際立たせようというところではないか。言われてみれば、黒田清輝の東京美術学校において、ほぼ同じような経歴を持っていて、それ以前はかなり異なるものの、また、その後の内容も相当異なるが、似た経路を辿っていることがわかる。大きな視点で見れば、この二人は後半生で、社会的な共通点が多い。ステイタス、絵画技術、環境、留学など、似ている。

だから、この二人を並べるならば、共通点を言うほうが、楽かもしれない。しかし、このように絵画を並べてみると、その違いのほうが圧倒的に目立ってしまうのは、表現ということの成せる技だと思われる。

女性の斜めに向けられた顔が描かれていて、わたしが覚えているのは、顎の線と、頬の白い部分だけなのだが、そこだけが記憶の中では、ぐぐっと迫って記憶にどうしても残ってしまうのだ。見る人の気を惹きつけて止まない。この印象にすぎないほんの小さなことであるにもかかわらず、これだけのために、この展覧会全体が存在するかのような、この現実はいったい何なのだろうか。

午後は、絵の印象と、ピザの塩味、これだけで一日の終わりを付けることができたのだった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。