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2011/08/12

生活雑器と手触り

朝少し肌寒い。朝食には、毎夏の定番となっているパン・ド・カンパーニュの天然酵母パンである。いつもながら見かけは悪いが、噛むほどに味が出て来る。この味を毎年続けるのは大変だろう。ゴミ出しを終えてから、大糸線に乗って、松本へ出る。観光客が増えて来たらしい。電車は満員だった。とはいえ、二輌編成では混むのも仕方ないのかもしれない。

Photo娘が休みをとって、やって来る。仕事で昨夜は遅かったらしく、目をしょぼつかせている。さらに、バスが遅れて、中で十分過ぎる睡眠をとって、降りてきたらしい。さっそく一年に一回の松本中町巡りを始める。

わたしたちも、今ではすっかり観光客とかわらなくなってしまったが、中町での買い物にはわが家とわたしの歴史がある。母が戦前、女学校に通っている頃、地方都市の中心地として、松本は繁栄していた。ここが民芸運動の一つの中心であった。その頃から、母はちきりや工芸店へ通っていて、その後わたしが生まれ、わが家の食卓には、早くから普段使うような益子焼き食器が並び、トイレには砥部焼の一輪挿しがあった。

わたしが幼稚園時代には、園がこの近くにあって、通園の寄り道筋に当たっていた。さすがに、幼稚園時代には自分だけでは買い物は出来なかったが、小学校時代には進出した。友人と少年探偵団を組織して、松本の街中を歩き回り、親たちをやきもきさせ、ゆうゆうと蕎麦を食べたのも、中町だった。中町と縄手一帯は、安いプレゼントを購入するには最適な場所だった。父の誕生日が同じだった友人と、プレゼントを探していて、お金が足りなくなり、図々しくもちょうど通りかかった幼稚園の先生から借金したのも、この道筋であった。

Photo_2今回、娘は生活什器を充実させようとしていた。まずは、漆器のI店に入る。この店も古くからあって、観光地と化した前も今も変わりない。昨年来た時に、綺麗な真っ赤な小盆が飾ってあって、目の保養をして帰った覚えがある。当然、今年はその盆は売れてしまってもうない。木曽福島という町に住んでいたことがあって、漆器が身の回りにたくさんある経験を持っている。漆器は身近な什器なのだ。

この店には、木曽の漆器が多く仕入れられている。その中でひときわ目を引いたのは、「古代あかね塗り」の椀で奥深い澄んだ塗りが特徴だった。店先での撮影は行わなかったので、見せることができないのが残念な程、深みのある漆だった。漆器は通常手で触ると、曇りが出るので、他の店には白い手袋が用意されているものだ。けれども、この店では遠くからじっと腰をかがめて眺めていたら、店主が持って触ってもいいですよ、と言ってくださった。

Photo_3多用丼としても使える、すこし現代的な形をした漆器を娘は選んでいた。スープにも粥にも使える欅木地のものだ。木目が入って薄く出来ているにもかかわらず、使いやすい小振りの丼椀である。この品がこの棚に並ぶまでには、多くの試練があったと想像される。木地は現在、アジア諸国が主流となりつつあるなかで、国内でこれだけの薄い木地をいかに実現できるのか、どのような塗りが木目を際立たせることができるのか、など聞いて見たいことがたくさんある、現代的な課題の詰まった逸品だと思われる。試されている部分も含めて、注目されて当然の品だと思う。

ここに来て、棚を見て行くと、このような想像力を掻き立てるようなものが並んでいる。高級仕立ての高額なものもさることながら、日常の妥当な価格のものについても、客の目を楽しませ、なおかつ逆に客の審美眼を験させるものもあるのだ。

Photo_5毎年おじゃまする「C工芸店」には、とくに日常品が充実している。今回、刺身醤油用の小皿が山の家にはなかったので、使いやそうなものを選んだ。Img_3316黒いもの、ちょっと絵の入ったものなどがあり、娘は益子焼きの四角い小皿を、そして、わたしは使ううちに貫入が入って行くのが楽しめる白い小皿を選んだ。家で使います、と言うと、何十年変わらぬ応対をしてくださる店主の女性が、にこにこしながら新聞紙に包んで、最後はここの包装紙を被せてくれた。

Photo_6何年も前から買おうと思っているものも、いくつかあって、目に栄養を与えてくれるが、お金を貯めてから、また夏に訪れようと思う。じつは、ここではわたしたちの結婚式の引き出物を購入したのだが、その後その製作所が閉じてしまったために、同じものを手に入れようとしても、3倍くらいのお金を出しても、手に入れることが出来なくなったらしい。良いものが集まるところではこのようなことがたびたび起きるのだ。

中町の魅力は、新しい店が良いものを全国から集めていて、新作作家の登竜門的な場所となっている点である。原宿や青山と同等に作家たちが展覧会開こうとする意欲を持つ場所となっていて、しかも、陶磁器に限られず、木工やランプや刺繍、布製品に至るまで多様な展覧会が開かれている。このようなクラフト文化のメッカとなっているところは、日本の中でも珍しいのではないかと思われる。

Photo_7Img_3331

C店の向かい側に並んでいるTや、Mでも、今年は白磁のものが並んでいて、娘は飯碗や蕎麦猪口を購入していた。Tでは、一人ひとりにブルー文字の手紙が渡されていた。ちょっとブッテいる感じがしないでもないが、生活にこれらの雑器がどのようにかかわるのか、を考えるともしかしたらという想いにとらわれる。ふつうは何気ない、言葉の介在しない物として購入するのだが、考えてみれば、たしかに文面にあるように、この一つの碗が食卓に並ぶことは、「小さな革命」となる場合もあるかもしれない。

Photo_11昼食はいつものT堂で、山里定食。栗おこわと山菜の組み合わせは、山の生活に適している。そして、ちょっと甘いものが欲しかったら、クリームあんみつも良いと思う。Photo_12これにも栗ぜんざいがかかっていて、山の趣味がいただけるのだ。木工品だったら、C民芸、現代ものだったら、GN店、そして昔からの漬物だったら、Mによれば手に入る。他のひとには評判はイマイチだが、セロリの粕漬けは好物だ。

Photo_8Photo_9Photo_10

少ない時間だった。途中で、急須の素敵な展覧会もあって名残惜しかったが、すでに予定の時間もすぎ、お小遣いも使い果たしたので、電車に乗って山のなかへ帰ることにしよう。街の店先には、ステッカーが貼られていた。
Img_3335目立つのは、今年のNHKドラマ「おひさま」のものと、20周年を迎えたサイトウキネンコンサートのもので、これらが競い合っていた。圧倒的にサイトウキネンが優っていたのは、この街の性格を表しているのだと思われた。Img_3336

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。