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2011/08/21

協同組合とマネジャー

ミラノの協同組合の物語である。というと、須賀敦子を思い浮かべてしまうが、この映画は書店の協同組合ではなく、「180協同組合」である。神奈川学習センター時代に、学生の方でこのような協同組合に属していて、「もうすこし給金が多くならないと、ひとりでは暮らしていけない」と相談を受けたことがあった。もちろん、わたしには力不足でどうしようもできなかったし、当時ただ話だけを聞くだけに止まった。

映画「人生、ここにあり」(原題は「君ならできる」)だが、わたしの見るところでは、何はなくとも、「マネジャー」が重要であるということが、この映画の核心だと思う。組合員たちの個性あふれるドタバタが魅力的であるのはもちろんのことではあるが、それと同時に、じつはかなり悲しくもあるところも重要なのだ。そして、ひとりの組合員の死のエピソードは、衝撃的であるのだが。それでも、やはり現代的な問題としては、「マネジャー」というものを描いているとわたしは思う。

労働組合から転勤させられたマネジャーのネッロは、精神病院から退院させられた元患者たちの協同組合を運営することになる。毎日を無気力で過ごす組合員たちに対して、自分たちで仕事を作って、金を稼ぐことを提案する。会議・討論の真似事から始めて、次第に信頼を獲得していく、という物語だ。もちろん、良いことだけが起こるのではない。むしろ、窮地から、いかに脱することができるかが、映画としての見ものだ。

マネジャーは詳細に分ければ、経営学者ミンツバーグが言うように、多様で複雑な要素が入ってきてしまうのだが、大雑把に言えば三つのタイプがあるのだと思う。ひとつは、支配型であって、ビジネス現場でよく見る「俺について来い」式のマネジャーだ。もうひとつは、契約型で、事務的で契約で双方が合意したことだけ管理する「俺もやるからお前もやれ」タイプだ。そして、三つ目が重要で、支援型で、「手助けするからやってみたら」式の方法である。

それぞれ一長一短があるので、どれが最も良いとはいえないにしても、映画では三番目を描いていて、これがうまく行った例となっている。たとえば、冒頭のエピソードは象徴的だ。新任になって現場にたった早々、組合員のひとりに殴られる。けれども、殴った相手をかばうことで、人びとの信頼を獲得していく。マネジャーは計画を立てるが、その計画を実現するには組合員の合意の意思が重要なのだ。

それから、たとえば組合員のフェイス・ワークが描かれている。体面を保つためには、自信というものが存在し、自主的に動き始めないと、マネジャーだけでは現場は動かない。もちろん、日常生活でも大切で、もしこれに失敗すると、生きていけないことになる。それも映画のなかでは最も辛いところだが、うまく描いていると思う。世の中に、自分の体面を保てるような、どのようなビジネスが存在するのか。それを見つけてくるのが、マネジャーの役割だ。この点で、この協同組合が「モザイク床の板張り」というビジネスチャンスをものにしたことは大きかったと言えよう。この現実のドラマは、映画的で特殊な事例であるが、普遍的な問題も扱っていると思う。現実感がある。

わたしにもう少しマネジャー的才能があったら、冒頭の彼に適切な助言が言えたのかもしれない。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。