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2011年8月に作成された投稿

2011/08/30

クールな関係とホットな関係

午前中、民主党の代表選があるので、ストリーミング同時配信の民主党チャンネルを見ていた。放送大学の研究室には、放送の大学だというので、以前にはテレビが一台必ず配給されていた。けれども、このご時世で、自分で購入すべきだということになった。それで、ほとんどの研究室からテレビが消えたのだった。何か事件が起こると、カンファレンス室のテレビにお世話になるのだが、今日はあいにく、Aさんがお休みだったので、ネットテレビで見ることになった。

第1回目でO元代表側のK氏が過半数を取らなければ、決選投票では負けることは、ほぼみんなわかっていた。絵に描いたように、第2回目に逆転して、N氏が代表になった。ところが、ネットテレビを見ていてちょうど決選投票のときに、じつはこちらのほうで事務的な大きな問題を抱えてしまって、相談のために係の方がいらっしゃっていて、集中して見ることが出来なかった。残念だった。けれども、投票に持ち込まれたときには、ほぼ半分は決まっていたと言えよう。

「投票」というのは、たいへん「メカニック」なやり方だと思う。本来はN氏に対する議員の対応は、千差万別であろう。それを形式的なひとつのメカニズムに集約してしまって、感情や雑感は省略されてしまうことになるのだから。一度、投票形式の土俵に上がってしまえば、それ以外のことは眼中になくなることになる。それが投票というものの、形式主義的な問題点であり、面白くもあり、悲しくもあるところだ。政治家の間では、決定の方法論として、投票は最もクールな関係を築いている。

今回とりわけ、わたしが注目したのは、N氏とM氏との関係であった。最初M氏はN氏を支持していたのだが、最終的には自分も代表候補に立つことになった。身内だった人がライバルになったときに、相手を思いやるのか、それとも、投票のメカニズムに任せるのか、という選択が行なわれるのだと思う。政治家だから、ウェットな心情よりも、最後はメカニカルな投票が決定してくれる、と両者とも思ったのではないか。その結果、両者の間の話し合いは中断され、表に出ての投票での決着になったと思われる。本来ならば、ここは両者ともに投票のメカニズムに出処進退を任せてしまうのではなく、無理をしてでも話し合いで決めるべきだったのではなかったのではないだろうか。それとも、形式というもの自体が必要だったのだろうか。

Photo さて、きょうの問題は、「メカニック」ということである。午前中の事務的な問題点も先送りすることで、今日のところはおさめてしまったので、早々に切り上げて、映画「メカニック」を観に行く。久しぶりの川崎チネチッタである。じつは先日チネチッタへこの映画を見ようと駆けつけたところ、3分前に本編が始まってしまっていて諦めたのだ。この映画の主人公の信条である、「周到な準備が勝利を導く」を肝に銘ずべきだと思った。

Photo_2 映画「トランスポーター」での演技で人気のあるジェイソン・ステイサムが演じるアーサーはメカニックと呼ばれるプロの殺し屋だ。闇の組織に雇われて次々と暗殺を行なう。殺人の痕跡を残さないことを信条としているプロだ。

アーサーにひとつの仕事依頼がある。それはアーサーの恩人の暗殺であった。友人を殺すときには、猶予を与えてから殺すのか、それとも、意識させることなく殺すのか。「メカニック」としての答えは後者であり、後に恩人の息子にこう尋ねられたときも、後者だと答えている。けれども、実際には、アーサーは前者を選択しているのだ。

メカニックというイメージは、無機的でクールな関係だが、人と一緒に動いているものだ。そこに有機的なものが入る余地がある。実際には、人間は完全に無機的でない。そこで、無機的になる場合には、有機的な要素と無機的な要素をも分解して、切り離さなければならない。投票に入る場合、殺しに入る場合、この切り離しが行なわれ、クールな関係が成立する。

本来、一緒に存在する物を切り離したときに、何が生ずるのか。この深刻な影響をさらにメカニックに扱うのか、それとも、やはり無機的にはできないとして人間として解決するのか、このところをきちんと認識するかしないかで、人間というものの質が異なるものになってしまうのだと思われる。

2011/08/26

海と貧乏

Photo_12 2,3日前に、もし晴れて身体がきつくなかったら、久しぶりに逗子から葉山へ行こう、と妻と話していた。県立美術館のすぐそばにある「山口蓬春記念館」へは以前から行きたいと言っていた。Photo_13暑さと雨のどちらかが襲ってくるならば、夏の逗子を歩くのは厳しいな、と考えていたのだが、ちょうど雲が出るらしいということもあって、思い切って出かけることにする。

Photo_28距離はたいしたことはない。家を出て、40分後には、逗子の街を歩いていた。天気予報が外れたらしく、太陽が幅を利かせている。 駅前には、ここから三浦、鎌倉へ散っていく観光客や地元の住人たちが列をなして、バスを待っている。駅前商店街には狭い道に、混雑待ちの乗用車が詰まっている。昔ながらの魚屋さんなどが軒を連ねている。駅前からなぎさ通りに入って、詰まっている自動車群をかき分けて進む。Photo_30 途中、すでに役割を終えたような商家に蔦に絡まっていたり、材木屋さんの倉庫に夏休み宿題用の廃材が固められていたりして、目を飽きさせない。日陰を縫うように、蕎麦屋に到達して、静かな室内でしばし涼を取り、天ぷらせいろを食べる。

Photo_14 バスには海水浴客が子供達を連れて大挙押し寄せてくるのかと思えば、逗子の海岸では、むしろ成人したペアやカップルが多いらしい。小さな海岸がたくさんあるので、バスの客はそれぞれの海岸で振り落とされて行くだけだ。

Photo_15 三ヶ丘海岸と呼ばれているのは、すこし切り立ったいくつかの崖を背景とした海岸だからだろうか。山口蓬春の自宅だったところが、現在の記念館として再生されている。名だたる人びとの邸宅を設計した吉田五十八によってここの画室が作られている。このような役割を持っていた場所の含んでいる過去は、訪れる人びとの想像力を刺激して、ここに座れば、あたかも絵を描く主人公の気分になれるかもしれないといった気持ちになれるが、おそらく画家自身もここに座って、気力充実していた時と、消沈していた時とがあったに違いないことを想う。

Photo_16 桃の下図だと思われるが、すっと強い線が引かれている写真が展示されていた。この下図段階の強い線が、今回の下図展では、いたるところに見ることができた。この強い線に多くのことが現れているように思えた。絵の性格として、常に正攻法で、本質に肉迫する画法を確立している。この姿勢は、一貫していて羨ましいくらいだ。

Photo_18 今日の一枚となると難しいが、「市場」は好きな一枚となった。下図とはかなり違った趣が反映されていて、途中で何が起こったのかを想像させる。白いテントがキイポイントとなっている。これによって、市場が成立していると同時に、上からみると、隠されてもいるのだ。何が隠されているのか、それは人びとの表情から読み取るよりしょうがない。

Photo_19 記念館をでて、御用邸へ向かって散歩しようという予定であったが、今日の陽は予想外の強さだった。それでも、少しだけでも海に出てみようということになって、県立美術館の横の道から下る。この道が長く続いて、いつも通るたびに、海に出る期待を数倍に拡大させてくれる。

Photo_20 海の持つ包容力は山彦たるわたしにも理解できるが、海彦たる妻は、海を見ていると、もっと違う感情を持つらしい。ほっておくと、3時間くらいは黙って、見つめている。

海岸にも成熟ということがあるのだと思われる。まず、子供が少ない。すでに夏休みを終えてしまったのだろうか。Photo_21また、食べ物屋さんが少ない。海水浴客もいまは車できてしまう時代だ。シャワーも家に帰って浴びればよいらしい。ということで、いわゆる海の家というものも少ないのだ。いかに少子化の時代であっても、海水浴場がこんなにも様変わりしているとは思わなかった。

Photo_22 靴を脱いで、足だけでも入りたいと思う海岸であった。実際に、洋服のままで飛び込んでしまった人もいるくらいだ。押し寄せる波の規則正しい音と、水辺から吹いてくる涼しい風に漂って、しばらく頭のなかを空っぽにすることに執心した。すでに空っぽであったことは、忘れたままだったが。

Photo_23 昨夜読んだ海に纏わる小説を思い出していた。貧乏の物語である。けれども、貧乏というものを「風」の貧乏と見るか、「火」の貧乏と見るかで、物語は180度異なる。

Photo_32 ふつう、貧乏は「火」の貧乏と見られていて、これから生きようとする人にとって、ふつう以下の生活は火で焼くがごとく、欲望が燃えつのる生活となる。火の車などという言葉もあるくらいだ。渇望が生じ、不足している物に対して、どうしても仕方ない必要性が生じてしまうのだ。本人にとって、無いことは恥であり、どうしようもない貧乏状態である。

Photo_25 これに対して、「風」の貧乏が日本人の中にはあって、とくに俳人たちの伝統の中で培われてきている。長野県に住んでいたこともあって、通っていた幼稚園の方針で小林一茶の俳句を300ほど覚えさせられたことがあった。そのときに、このような生き方をすこし学んだ気がする。風のごとくに移動して、自らが互酬の媒体となって、地方を渡り歩くのだ。それには、身軽でいないといけないので、最小限の物しか必要ないのだ。

Photo_26 妻が吉村昭の『海も暮れきる』を図書館から借りてきて部屋にあったので、読ませてもらった。日が暮れるばかりか、空や海までも、暮れ切ってしまうほどに、極限の生活があり得るということだ。俳人放哉が最後の8カ月を小豆島で暮らした生活を描いた作品だ。その家の前に建てられた碑に刻まれている「いれものがない両手でうける」がすべてのここでの生活を表していると思う。

Photo_27 風のように移動できなくなった俳人は、最後には、海に辿り着く。友人に住みたい場所の条件の最後に「ソレカラ、スグ、ソバニ海ガアルト、尤ヨイ」という希望を出していた。なぜなら、「・・・海を見ていると、暖かく抱擁されているようなやわらいだ気持になる。海を眼にして祈りの安息が、どのような心の動きから発しているのか、かれは知っていた。それは、死を願えば海に歩いて入っていくだけでかなえられるからであり、いつでも自分の肉体を受け入れてくれる海が身近にあるということに、深い安らぎを感じていた。」からであった。「かれは海を見るのが好きであった。」つまりは、「水」貧乏ということもあるのでないかと思われるが、ここまできてしまうと、精神的には、むしろ贅沢の考えと言われてしまうかもしれない。

高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す    放哉

海から帰ってしばらくすると、空がにわかにかき曇り、夜まで土砂降りの雨となった。容赦なく降り注ぐ雨水は、小豆島ならば、どのような降りになったであろうか。

2011/08/23

寛容と復讐

Photo 午前中、大学で溜まっていた書類の山を片付ける。とはいえ、この暑さだ。冷房を切っていると、熱風が外から吹き込んでくる。大方のものが片付いた段階で、節電に貢献するために、午後の早い時間に千葉市内へ出かける。

Photo_2 昼食には、この暑さのせいか、甘いものが無性に食べたくなったので、久しぶりに、Rへ入って、スイート・ランチを頼む。この店のランチメニューのなかでは、シチュー・ランチも好きなのだが、それからピザ・ランチも売り切れてしまうほどの人気なのだが、最初に来た時の出会いが良かったので、甘いトースト系のランチ、数種類あるのだが、をときどき食べたくなる。

Photo_3 これは、この店の取り柄で、ランチに来ても良いし、おやつの時間に来ても堪能することができるようになっている。これだけのバリエーションを載せているところをみると、少なからず愛好者がいるのだといえる。けれども、やはり女性客がほとんどであることは間違いないところだ。

Photo_4 今日は、林檎煮とバニラアイスクリームを乗せたバタートーストだ。リンゴとバター、さらには、アイスクリームとパンの風味が一体となって、味覚を襲う。トーストは、写真でわかるように、厚く切ってあるので、ちょっとした食べ方がある。真ん中をくり抜きながら、バターのかかったところを中心にして食べて行くのだ。芳ばしいバター風味がとりわけ鼻を刺激する。

Photo_6 映画の時間までは少し間が空いていたので、まずは、コーヒー豆をいつもの焙煎屋さんで大量に買いこんだ。ケニア、ガテマラ、コロンビアの香りがリュックの布を抜けて漂ってくる。今日は、さきほど甘いものをたっぷり食べたので、いつものケーキ屋さんの前は通り過ぎる。コーヒーの強烈な香りだけを持ちこみながら、C劇場へ入る。

デンマーク映画「未来を生きる君たちへ」を観る。まず、デンマーク映画というのが、珍しかった。夜になっても、外のベンチでただ空を眺めたり、海を遠望したりする情景が北欧だというイメージを伝えてくる。それは、主人公のもう一つの活動場であるアフリカの砂塵や砂漠の昼の情景と対称をなしていて、映像の厚みを加えている。

Photo_7映画の中で、スウェーデン人がいじめに遭うのだが、北欧ではリベラルな倫理観が強い人びとだというイメージが強いので、北欧の国同士で差別のあることがテーマになるとは思わなかった。それは、ちょっと意外な感じがした。けれども、いじめは世界共通現象であって、国によって異なるかもしれないが、存在しないということはないだろう。

Photo_8スウェーデン人の子供エリアスとその父親で医師のアントンを通して、彼の家族が暮らすデンマークの街と、アントンが働くアフリカの難民キャンプとが映画の舞台である。この家族にロンドンから転校してきたクリスチャンとその父親。この二組の家族が二人の子供を通じて絡む。デンマーク語の原題は「復讐」であり、デンマークでのいじめ、アフリカでの暴力に対して、復讐と寛容の間を、ぎこちなくではあるが、いかにバランスさせるのかが描かれる。

核心は複数あって絞ることはできないが、普遍的な倫理観が問題となっていることはわかる。それは万国共通の問題だ。復讐と寛容と言ってよいかどうかは判らないが、たぶん倫理観には閾値というものがあって、寛容を規準として行為するにも限界があり、また復讐にも限界があるということを言おうといているのだと思われる。実際には、具体的な事件を巡って、これらの判断が問われている。ある種の寛容を忍耐強く持てば、事態は好転するかもしれない。けれども、あまりに寛容にしすぎると、反動は必ず生ずるので、事態は悪化するかもしれない。

この間のバランスを決定するのは、個人の解決というものの限界を超えているとしか言いようがない。映画の中でも、二人の父親がこのバランスをうまく演じていたが、一人だけでは解決できない問題がこの世には存在することをうまく描いていた。

自分の立場になって考えてみると、自分の子供たちとこれほどのコミュニケーションをとってきたのか、寛容と不寛容を上手く組み合わせてきたのかと問われれば、ほとんど否定的な返事しかできないと思われる。

ということは、かなり精神的な意味において、これはこれでかなり「映画的」だと言ってよいのではないかと思われる。これほどのコミュニケーション能力は、現実にはなかなか持つことができないのではなかろうか。そして、これほどの子供というのも、なかなか存在しないのではないかとも言えるかもしれない。もちろん、これほど考えのある子供たちが映画のなかではなぜこんなバカなことをやってしまうのか、というのは疑問だろうけれど。結論からすれば、映画的にみて、子役の二人の演技が素晴らしいということになってしまうかもしれない。

2011/08/21

協同組合とマネジャー

ミラノの協同組合の物語である。というと、須賀敦子を思い浮かべてしまうが、この映画は書店の協同組合ではなく、「180協同組合」である。神奈川学習センター時代に、学生の方でこのような協同組合に属していて、「もうすこし給金が多くならないと、ひとりでは暮らしていけない」と相談を受けたことがあった。もちろん、わたしには力不足でどうしようもできなかったし、当時ただ話だけを聞くだけに止まった。

映画「人生、ここにあり」(原題は「君ならできる」)だが、わたしの見るところでは、何はなくとも、「マネジャー」が重要であるということが、この映画の核心だと思う。組合員たちの個性あふれるドタバタが魅力的であるのはもちろんのことではあるが、それと同時に、じつはかなり悲しくもあるところも重要なのだ。そして、ひとりの組合員の死のエピソードは、衝撃的であるのだが。それでも、やはり現代的な問題としては、「マネジャー」というものを描いているとわたしは思う。

労働組合から転勤させられたマネジャーのネッロは、精神病院から退院させられた元患者たちの協同組合を運営することになる。毎日を無気力で過ごす組合員たちに対して、自分たちで仕事を作って、金を稼ぐことを提案する。会議・討論の真似事から始めて、次第に信頼を獲得していく、という物語だ。もちろん、良いことだけが起こるのではない。むしろ、窮地から、いかに脱することができるかが、映画としての見ものだ。

マネジャーは詳細に分ければ、経営学者ミンツバーグが言うように、多様で複雑な要素が入ってきてしまうのだが、大雑把に言えば三つのタイプがあるのだと思う。ひとつは、支配型であって、ビジネス現場でよく見る「俺について来い」式のマネジャーだ。もうひとつは、契約型で、事務的で契約で双方が合意したことだけ管理する「俺もやるからお前もやれ」タイプだ。そして、三つ目が重要で、支援型で、「手助けするからやってみたら」式の方法である。

それぞれ一長一短があるので、どれが最も良いとはいえないにしても、映画では三番目を描いていて、これがうまく行った例となっている。たとえば、冒頭のエピソードは象徴的だ。新任になって現場にたった早々、組合員のひとりに殴られる。けれども、殴った相手をかばうことで、人びとの信頼を獲得していく。マネジャーは計画を立てるが、その計画を実現するには組合員の合意の意思が重要なのだ。

それから、たとえば組合員のフェイス・ワークが描かれている。体面を保つためには、自信というものが存在し、自主的に動き始めないと、マネジャーだけでは現場は動かない。もちろん、日常生活でも大切で、もしこれに失敗すると、生きていけないことになる。それも映画のなかでは最も辛いところだが、うまく描いていると思う。世の中に、自分の体面を保てるような、どのようなビジネスが存在するのか。それを見つけてくるのが、マネジャーの役割だ。この点で、この協同組合が「モザイク床の板張り」というビジネスチャンスをものにしたことは大きかったと言えよう。この現実のドラマは、映画的で特殊な事例であるが、普遍的な問題も扱っていると思う。現実感がある。

わたしにもう少しマネジャー的才能があったら、冒頭の彼に適切な助言が言えたのかもしれない。

2011/08/18

帰りの道中にて

Photo 世の中に、暑い世界と涼しい世界があるということは、通常は地球規模の話であって、海外旅行をしなければ、あるいは、夏の北海道を夢想しなければ達成できない相談だったのだが、それがいとも簡単に、実感できるのは、いつもこの季節特有の皮膚感覚と五感全体に繋がる感覚が発達してきたからである。春秋になれば冬夏の両季節を通ずるような、季節感があるように思っていたが、それは間違いで、真夏に氷を食べるから、寒暖の差が感じられるのである。

写真に写っているのが、「真夏の氷」に見えないのは当然だが、気温差10度の二つの世界が同時に写されていることは、誰が想像出来るであろうか。左側が気温25度の世界であり、右側が35度の世界である。ほんの少しだけれど、木の茂りが違っているのがわかるだろうか。左側には虫が飛び交い、右側には消毒された空気がただよっている世界なのだ。

というわけで、いとも簡単にいつものことではあるが、25度の仙翁の生活から、35度の現実世界に引き戻されることになった。大糸線は、通勤通学客に加えて、観光登山客で足の踏み場もない。先日の電車でもそうだったのだが、通常の二両編成のところに、多くの普通じゃない乗客が殺到したのだから仕方ないけれども。

現在時点では、高速バスを利用すると、片道2400円で新宿・東京へ着く。対して、JRは、乗車券・特急券合わせて、片道8000円を超える水準なのだ。ヒタヒタと、高速バス需要の伸びが押し寄せて来ている。こんなことで競争に勝てるのだろうか。もちろん、まだまだ料金の3倍差を補っても、時間の正確さなどのサービスの良さにはかんして、JRにかなりの優位性がある。

米国でのバスの優位性が確立されたことと比べて、パターナリズムだと言われようとも、日本のJRにはまだまだ良い点はある。米国の個人主義の強さが、バス網を促進し、さらに乗用車化を進めて来たのだが、そこにはコミュニティの崩壊と個人主義の進展とが背景には存在していたと見ている。

実は今日は、80歳を超える老親を連れて、JRに乗り込んだのだが、ドアに寄りかかっている母に対して声をかけて下った方が、一時間に3名もいた。その後、荷物に掛けさせたせいで、お尻が痛かったと言われてしまった。社会調査の真似事をするに、思わぬ結果とはいえ、老親に鞭打った所業を許してもらいたいと思う。さらにその後にも、首都圏に来てからも、若い方に声をかけられたのだ。実際に、座ることができるかどうかよりも、声を掛ける習慣がまだ絶えていないかということ自体が重要なのである。まだまだ、JRのソーシャルキャピタルは健在であるところが多いと言えよう。

それにしても、母は良く耐えてくれたと思っている。お尻の下の荷物から、信州で珍しい勝沼ワインのレアものを買ってあって、それが出てきたのだ。これが当たっていたら、痛いはずである。それから、わたしにまで声をかけてくださった方にも、社会的には、十分意義あることだと伝えたいところだ。顔を見て、ちょっとまずった、という表情をしていたが、手遅れだ。わたしゃ、まだまだ、席を譲られたくはないのだ。でも、感謝している。

Photo_11 松本ですこし時間が出来たので、すこし歩く。先日、時間が無くて、通り過ぎた急須の展覧会は、定休日ではないのに、残念ながらお休みだった。入口からちょっと覗かせていただいて、縦長の素晴らしい形をした西洋風急須を鑑賞させていただいた。Photo_4 このメインストリートで、これだけのギャラリーを維持するのはたいへんだろうと思われる。けれども、松本の人びとの文化に対する伝統もまだまだ健在だと思うので、ぜひ頑張っていただきたいと思う。

Photo_5 ゆっくり歩いて、結局のところ、C店にまた行くことになった。本来、来年購入する予定であった、カップを買うことに決めた。この一年何が起こるかわからないのだ。この店のものは不断に使うことが考えられているので、名前の入ったものは売られていない。けれども、聞くと答えてくださる。今回の八面粗く切った白磁カップは、島根で焼かれたものだそうだ。

Photo_9 家へのおみやげを聞くと、いらない、という返事だったが、「まめ板」があるよというと、二つ返事で好物だというので、購入。昔、松本の家で、飴売りの自転車が回ってきた。S飴というところの、白い板状の飴と、たぐり飴だった。Photo_10 ときどき、その飴屋の引き出しの中に、まめ板もあって、飴専門の割るための小さな金槌で、ポンポンと割って、売ってくれた。懐かしい味だ。そして、今回の山での収穫は、論文への道しるべを手に入れたことだが、それは抽象的なものなので、具体的写真で替えて置こう。

2011/08/15

風味のある蕎麦

Photo 秋桜の満開は今年の猛暑のせいなのか、遅れている。まだ、花の群生が見られないのだ。その代わりというのか替わってというのか、増えたのは、ソバ畑だ。二毛作なので、秋そばの花はまだ付けていないのだが、白い花が一斉につける頃は壮観だと思われる。Photo_3これはたぶん、NHKドラマ「おひさま」効果なのだと思われる。親戚のT家情報によると、大町でロケが行われたそうだ。そのロケが行われたソバ畑の隣に、やはり広大な菜の花畑があって、こちらも昨年ロケの対象になったほど黄色が素晴らしいということで、今年も見に行こうと考えていたら、鹿に食われて全滅したのだそうだ。

Photo_4近年の都会における「ソバ・ブーム」は、このような帰結を持っている。この田舎街のなかにも、ソバ屋さんよりもむしろ粉屋さんが目立つのも、都会の影響が作用しているのかもしれない。

と考えていたら、T叔父さんがいらっしゃって、親戚から手打ちのソバをいただいたからと言って、昼時間にちょうど間に合うように、半生ながら出来たてに近いソバを届けてくださった。さっそく湯掻いていただく。 Photo_5この鼻に抜けて行く風味は、やはりこの地に来ないと味わえない。それは幻想だと言われようとも、もし地域の固有性というものがあるとすれば、真っ先に「ソバの風味」と答えたい。ツユも美味しかったので、ソバ湯と混ぜて何杯も飲んだ。

Photo_6 そのほかに、今夏美味しかったもの。ソバと一緒にいただいたササゲは、味噌和えにすると、見かけよりずっとやわらかくなっているのがわかる。きゅきゅという食感を楽しむことができた。Photo_7 ミニトマトは、色も一緒に楽しめる。もちろん、味も素晴らしかった。

Photo_8 暑かったせいか、モモも期待させる味だった。残念だったのは、滞在期間が短くて、十分に熟れるのを待てなかったことだ。Photo_9 毎日一個食べるごとに甘みが増していくことはわかったのだが、ほんとうに甘くなる前に、当地を離れなければならなかったのは、返す返す残念だった。

Photo_10 稲と栗は豊作を予感させた。季節に至らずに、十分稲穂が垂れるところまでには至らなかった。しかし、今夏の暑さでは、育ちが悪いわけはなかろう。栗もたわわに成り始めていた。Photo_11 先日の栗ご飯に入っていたのは、小布施の栗だが、当地の栗もにわかに成長を始めているから、今年はきっと豊作に違いないだろう。

Photo_12 どんぐりも熟すのを待たずに、木から落ちてきていた。それほど、熟していることをアピールしたいのだろうか。Photo_13 野に実った山葡萄も、葡萄酒にしたら、さぞ美味しかろうにと、想像されたが、その種のものかどうかは確証がなかった。

農協の販売所に出ていた、茗荷は新鮮さが売りだった。仕事が終わったあと、固い木綿豆腐にまぶして、口に入れ、清酒の冷酒を一杯飲むと、窓から忍び込む冷気も気にならなくなるほど、身体が解けるのを感じた。Photo_14 同様に、農協から購入したかぼちゃは、片手にひょいと乗って余りあるほど小さな実だったが、切ってみると、肉厚で甘くとろける味だった。Photo_15 スープにした、かぼちゃも美味しかった。

街に出たとき、酒屋の前のたらいの中に、きゅうりやトマトが無造作に入れてあって、十分に冷えていた。子どものころに、味噌や塩を持ってきたりして、縁側でかぶりついたことを思い出した。Photo_16 思い出しついでに。それにつけても、T家の大きな梅漬けは、程よい甘みと、柑橘系の酸味が効いていて、夏には最適な食べ物だ。夢にまで出てくる味というのがあるのだ。

2011/08/14

控え目の問いかけ

Photo_15川の土手を散歩した。娘が川の水辺に降りる階段を見つけたのだ。これまで、漆の木をすり抜け、脚を笹に切られながら、川原におりていたのは何だったんだろう。Photo_14このところ、天候が不順で、街では35度を超える天気が続いているが、こちらでは夕方には、雷雲が発達し、適度なお湿りがあり、朝晩はかなり涼しい。遠雷を聴きながら、夜を惜しんで鳴く蝉たちと一緒に、人生を振り返るのはまだまだ早いのかもしれないが、確実に近づいていることは確かだ。

Photo_17

夕べの雨もこの激しい流れとなって、下って来るのかと思うと、ぐるり回りの自然連鎖に改めて驚きの感を持ってしまう。高い山並みを背景に持つ川の流れは、いつまでも心を捉えて離さない。

Photo_16

また、川底が見通せる透明感は、社会の透明感に似ていて、底には色とりどりの石を抱きながら、表面は流れて行くのだ。

Photo_18

流れの筋を読みながら、ちょうど社会の流れと同じだなと思いつつ、川の音の複雑な伴奏を楽しんだ。

今夏の散歩で目を愉しませてくれた花々。どうしても、派手な花には目が行ってしまうのは仕方ないとしても、派手な花は派手なりに、意匠を考えていて、毎年同じだというわけではない。

Photo_19たとえば、ノウゼンカズラ(凌霄花)については、ここ数年来、スカイツリーに匹敵するくらいの、他を圧倒的に凌駕する本物のツリーが一本あって、これで決まり状態を続けて来たのだが、それが崩れたらしい。いつもの庭には見られなかった。定点観察の一つにもなっていたのに残念だが、しかし、同時に新たなノウゼンカズラの戦いを見ることになった。高さで争っていたが、今年は花の色で争っている。薄い紅色なのか、あざやかな紅色なのか、この勝敗は来年見ることにしよう。写真はバスから撮ったが、あざやかな方は残念ながら、映像が流れてしまった。

Photo_20大きな背景を持つと、花自体も大きくなるらしい。ムクゲの白い花びらがこれ以上広げることは重力に逆らうことになるかもしれないと思えるほど、広げている。ユリの花は、こちらでは毒々しい色を示す。これも野生である証拠であり、全体の野原のなかでは、このくらいの毒々しさはかえって、周囲環境を際立たせる役割を持っている。Photo_21もちろん、マキャベリが権謀術数を駆使しても、その毒々しさは、かえってドンキホーテのように、社会のなかではそよ風の吹くが如くであったと同じで、影響の度合いは考えていた程でないのだ。それと同じように、野のユリの原色はワンポイントですらない。野原の一つの背景として働くことでしかないのだ。

これに比べると、ムラサキツユクサの目立ちは際立っている。よく目を凝らさないと気づかないかもしれないが、緑のなかのブルーの威力は、驚くべき効果をあげている。もし写真に写っているなかで、全部が緑の葉っぱだけであったら、どうあろうか。これに象徴される自然界の多様性はかなり失われてしまうことであろう。Photo_22このブルーがチョコチョコはいっていることで、わたしが散歩して、目をあちこちに配る意味が出て来るのだ。ユリのように、有るだけで存在感を誇示するものの必要だが、ムラサキツユクサ的な環境依存の、いわばハマっている存在感も必要なのだ。遠くから見てもわからないのだが、しかし全体の中にあって、確実に彩りを与えている存在が重要なのだと思う。

緑のトンネルはいつ見ても、調和の一つのモデルだ。上を見上げると、空がチラホラと見えるのだが、ポッカリと穴が空いていることは稀だ。Photo_23同様にして、高いところから下をみれば、地上の広がりのなかでも、地面が露出しているところはほとんどない。むしろ全体はスカスカであっても、ほぼ万遍なく覆っている。けれども、混雑していない状況を作り出すと同時に、すべてを網羅している。調和という言葉が当てはまる状況があるとすれば、これを除いてはない、とも言える状況だ。

Photo_8 そして、その緑のトンネルのしたには、そのトンネルに保護されているかのような低木の雑林や、底層の植物群が生えている。そのなかにあって、今年も、写真にあるようなフシグロ仙翁は、底層の草ぐさが単調に陥りがちになることを何とかくい止めるために、そっとした配慮としての控え目の問いかけ(humble inquiry)を林の中でも見せている。

2011/08/13

コミュニティの人間関係

午前中、1冊の本を読んでまとめるつもりであったが、前半で大方のすじが見えてしまった。そこで、あとは整理に当てることにした。

Photo_2 行動というものの性格は、途中で、このように方針がかわる。そこで、立ち止まって考えている暇のないときには、行動はとてつもなくわからないほうへ向かってしまうようなきがする。今読んでいるマキャベリを主人公とする小説は、絶えず知略に長けていても状況に翻弄される主人公の有様が描かれていて、飽きることがない。(『昔も今も』ちくま文庫)

Photo 午後からは、墓参りに出かける。いつものコミュニティバスに乗って、街の中心地にあるT寺へ向かう。途中歩いて、移動するところがあるのだが、急に晴れ天気になってしまい、太陽の日差しが厳しい。何台もの車が追い抜いて、寺に吸い込まれていく。みんな若い世代の人々で、子供連れも目立つ。先日、親戚のTさん宅に寄ったときに、すでに草刈りをしていただいたとのことで、墓周りはたいへんきれいだ。一年間の非礼をお詫びして、背の高い墓にお参りする。

Photo_3 今回は、母と娘を連れてきたのだが、わたしが諏訪で墓に迷ったように、娘も自分の家の墓がわからないようだった。これを不信心と呼ぶか、地理音痴と呼ぶのかは、本人の選択に任せたい。お世話になっているT家の墓にも線香を供える。

Photo_4 もうひとつ、近くの菩提寺に寄って、こちらも挨拶を済ませて、来年の法事の相談をお願いすることにする。日頃の不義理が祟って、という年齢になったのを感じた次第であるが、一年に一回であっても、緩い習慣として持続することが重要であることがわかる。

D寺の角を曲がって、大通りにすこし向かったところに、昨年気がついたのだが、新しい喫茶店が出来た。昨年はちょうど店が定休日だったので入ることが出来なかったのであるが、今日は品書きも外に出て、本日のコーヒーとしてドミニカをあげていた。このO市では珍しい豆を商っているなと思って、入ることにした。

Photo_5 入ってみると、店の窓際に、東京南千住のカフェBで見た焙煎機が鎮座している。しかも、パナマのゲイシャ種をメインメニューに出している。もしや、と思って聞いてみると、やはりそうだった。わたしが「社会の中の芸術」で取材させていただいたTさんのところに、3,4年ほど前に、夫婦で弟子入りして、免許皆伝のもとにここに店を開いたのだそうだ。

T氏のインタビューのときに、全国に弟子たちが散っていて、100名を超えると仰っていた。その一人にお目にかかったことになる。タップリとしたカップに、Bでも味わったコーヒーを飲んだ。Photo_6おそらく、この店はO市でもこの味で、妥当な位置を確立していることだろう。この街自体は、衰退期に入って久しいが、県外から新しい血を取り入れながら、多様な方向性を目指さざるを得ないのだと思われる。

近くには、Aという蔵があり、以前は酒屋の倉庫だった。そこを改造して、創作家たちが活動拠点にしている。これらの多様な結びつきが上手く作用すれば、社会関係資本を蓄積していくことになるだろう。Photo_7 コーヒー文化の緩い関係と、地域文化の強い関係との新たな融合方向に期待したい。

2011/08/12

生活雑器と手触り

朝少し肌寒い。朝食には、毎夏の定番となっているパン・ド・カンパーニュの天然酵母パンである。いつもながら見かけは悪いが、噛むほどに味が出て来る。この味を毎年続けるのは大変だろう。ゴミ出しを終えてから、大糸線に乗って、松本へ出る。観光客が増えて来たらしい。電車は満員だった。とはいえ、二輌編成では混むのも仕方ないのかもしれない。

Photo娘が休みをとって、やって来る。仕事で昨夜は遅かったらしく、目をしょぼつかせている。さらに、バスが遅れて、中で十分過ぎる睡眠をとって、降りてきたらしい。さっそく一年に一回の松本中町巡りを始める。

わたしたちも、今ではすっかり観光客とかわらなくなってしまったが、中町での買い物にはわが家とわたしの歴史がある。母が戦前、女学校に通っている頃、地方都市の中心地として、松本は繁栄していた。ここが民芸運動の一つの中心であった。その頃から、母はちきりや工芸店へ通っていて、その後わたしが生まれ、わが家の食卓には、早くから普段使うような益子焼き食器が並び、トイレには砥部焼の一輪挿しがあった。

わたしが幼稚園時代には、園がこの近くにあって、通園の寄り道筋に当たっていた。さすがに、幼稚園時代には自分だけでは買い物は出来なかったが、小学校時代には進出した。友人と少年探偵団を組織して、松本の街中を歩き回り、親たちをやきもきさせ、ゆうゆうと蕎麦を食べたのも、中町だった。中町と縄手一帯は、安いプレゼントを購入するには最適な場所だった。父の誕生日が同じだった友人と、プレゼントを探していて、お金が足りなくなり、図々しくもちょうど通りかかった幼稚園の先生から借金したのも、この道筋であった。

Photo_2今回、娘は生活什器を充実させようとしていた。まずは、漆器のI店に入る。この店も古くからあって、観光地と化した前も今も変わりない。昨年来た時に、綺麗な真っ赤な小盆が飾ってあって、目の保養をして帰った覚えがある。当然、今年はその盆は売れてしまってもうない。木曽福島という町に住んでいたことがあって、漆器が身の回りにたくさんある経験を持っている。漆器は身近な什器なのだ。

この店には、木曽の漆器が多く仕入れられている。その中でひときわ目を引いたのは、「古代あかね塗り」の椀で奥深い澄んだ塗りが特徴だった。店先での撮影は行わなかったので、見せることができないのが残念な程、深みのある漆だった。漆器は通常手で触ると、曇りが出るので、他の店には白い手袋が用意されているものだ。けれども、この店では遠くからじっと腰をかがめて眺めていたら、店主が持って触ってもいいですよ、と言ってくださった。

Photo_3多用丼としても使える、すこし現代的な形をした漆器を娘は選んでいた。スープにも粥にも使える欅木地のものだ。木目が入って薄く出来ているにもかかわらず、使いやすい小振りの丼椀である。この品がこの棚に並ぶまでには、多くの試練があったと想像される。木地は現在、アジア諸国が主流となりつつあるなかで、国内でこれだけの薄い木地をいかに実現できるのか、どのような塗りが木目を際立たせることができるのか、など聞いて見たいことがたくさんある、現代的な課題の詰まった逸品だと思われる。試されている部分も含めて、注目されて当然の品だと思う。

ここに来て、棚を見て行くと、このような想像力を掻き立てるようなものが並んでいる。高級仕立ての高額なものもさることながら、日常の妥当な価格のものについても、客の目を楽しませ、なおかつ逆に客の審美眼を験させるものもあるのだ。

Photo_5毎年おじゃまする「C工芸店」には、とくに日常品が充実している。今回、刺身醤油用の小皿が山の家にはなかったので、使いやそうなものを選んだ。Img_3316黒いもの、ちょっと絵の入ったものなどがあり、娘は益子焼きの四角い小皿を、そして、わたしは使ううちに貫入が入って行くのが楽しめる白い小皿を選んだ。家で使います、と言うと、何十年変わらぬ応対をしてくださる店主の女性が、にこにこしながら新聞紙に包んで、最後はここの包装紙を被せてくれた。

Photo_6何年も前から買おうと思っているものも、いくつかあって、目に栄養を与えてくれるが、お金を貯めてから、また夏に訪れようと思う。じつは、ここではわたしたちの結婚式の引き出物を購入したのだが、その後その製作所が閉じてしまったために、同じものを手に入れようとしても、3倍くらいのお金を出しても、手に入れることが出来なくなったらしい。良いものが集まるところではこのようなことがたびたび起きるのだ。

中町の魅力は、新しい店が良いものを全国から集めていて、新作作家の登竜門的な場所となっている点である。原宿や青山と同等に作家たちが展覧会開こうとする意欲を持つ場所となっていて、しかも、陶磁器に限られず、木工やランプや刺繍、布製品に至るまで多様な展覧会が開かれている。このようなクラフト文化のメッカとなっているところは、日本の中でも珍しいのではないかと思われる。

Photo_7Img_3331

C店の向かい側に並んでいるTや、Mでも、今年は白磁のものが並んでいて、娘は飯碗や蕎麦猪口を購入していた。Tでは、一人ひとりにブルー文字の手紙が渡されていた。ちょっとブッテいる感じがしないでもないが、生活にこれらの雑器がどのようにかかわるのか、を考えるともしかしたらという想いにとらわれる。ふつうは何気ない、言葉の介在しない物として購入するのだが、考えてみれば、たしかに文面にあるように、この一つの碗が食卓に並ぶことは、「小さな革命」となる場合もあるかもしれない。

Photo_11昼食はいつものT堂で、山里定食。栗おこわと山菜の組み合わせは、山の生活に適している。そして、ちょっと甘いものが欲しかったら、クリームあんみつも良いと思う。Photo_12これにも栗ぜんざいがかかっていて、山の趣味がいただけるのだ。木工品だったら、C民芸、現代ものだったら、GN店、そして昔からの漬物だったら、Mによれば手に入る。他のひとには評判はイマイチだが、セロリの粕漬けは好物だ。

Photo_8Photo_9Photo_10

少ない時間だった。途中で、急須の素敵な展覧会もあって名残惜しかったが、すでに予定の時間もすぎ、お小遣いも使い果たしたので、電車に乗って山のなかへ帰ることにしよう。街の店先には、ステッカーが貼られていた。
Img_3335目立つのは、今年のNHKドラマ「おひさま」のものと、20周年を迎えたサイトウキネンコンサートのもので、これらが競い合っていた。圧倒的にサイトウキネンが優っていたのは、この街の性格を表しているのだと思われた。Img_3336

2011/08/10

真夏の夜の夢、あるいは「マイクロ発電ファイナンス」

Photo_4放送大学からメールが届いて、幕張本部地区の電力使用量が許容量の1200キロワットを超えそうなので、各研究室でも節電して欲しいとのことだった。他の大学でも同様の状況ではないかと思い、W大で発表されているインターネット上の電力使用量グラフをみると、これまで昨年を下回る使用量を記録して来たのだが、ここ2,3日に限って、昨年を上回っていることがわかる。とくに、午後のピーク時には大幅に電力が消費されていて、まさにここのところは危機的であることがわかる。

さて、何が関係してくるのかわからないのが、人生の良いところだ。信州の山奥に籠って、仕事をしているのだが、毎日散歩をしていて、今年はダンプカーの往来が激しいと感じていた。どうしたのか、と思っていた。その原因となっている場所まで、散歩の足を伸ばす。

Photo_5近くに渓流があり、かなり勢いのある、水量豊かな用水が流れているが、どうやらその脇に工事現場があるらしい。猿山に向かってちょうど急な斜面が始まる辺りだ。歩いて行くと、突然巨大な掲示板が現れた。

Photo_6この掲示板は、写真に見えるように、「現場作業」という仕事を考える材料としては、たいへん興味深い情報を提供してくれている。まず目に飛び込んで来たのは、「危険予知活動表」という、凄い名前の付いている版だ。内容は、今日一日の作業工程のチェックリストである。図入りで、作業で何を注意すべきかが、一目でわかるように書かれている。おそらく、今朝現場の作業員がここに並んで、現場監督がこれを掲げながら、今日一日の工程をチェックしたのだと想像できる。

Photo_7現場作業という仕事は、サボろうと思えばいくらでも理由がつくし、他方急ごうと思えば、いくらでも効率良い作業を図ることができる。だから、妥当な作業を毎日行うには、それなりの現場の工夫がいるのだ。一般論としては、このようにわかっていても、それじゃ、実際にどうなのかといえば、現場でしかわからないことが多い。このような意思統一をおこなっているのだ。

Photo_8次に目を引いたのは、注意訓である。項目ごとに、なるほどと思われる、日常の教訓がまとめられている。自分の仕事にも、当てはまることが数多くあるなあ、と感心する。

安全・安心を図示するとしたら、このようになるのだろうな。細かいところでは、熊と出逢ったらどうするのか、蜂にされたらどのような注射を打つのかまで、書いてあるのだ。

Photo_9どうやら、発電所が建設されつつあるらしい。3.11以前から、東電でも五月雨式に多く計画されつつあった、マイクロ発電がここでも計画されているのだ。この近辺には、すでに三つ存在し、さらに、もっと大きな規模、つまり「小水力発電」と呼ばれる規模の発電所がここに建設されている。将来、原子力発電に期待出来ないならば、このような代替的な方法をいくつか、多様に確保しておく必要があるのだと推測される。

Photo_10ダムは必要としないで、落差が少しでもあるような農業用水や下水施設で、マイクロ発電は可能なのだということだ。だから、村の水車で発電する、という発想なのだと思われる。昔の小さな水車というイメージが、発電で復活しているのだ。ここでは、近くの籠川からの用水が山腹を突き抜けてかなりのエネルギーを温存して、走り出ている。水車としてもかなりの優秀な水車を動かすことができるらしい。

1掲示板を見ていたら、白髪で人懐こい感じの現場監督が現れて、見て行きますか、と誘ってくださった。じつは、これからあるグループを案内するから、一緒にどうぞ、ということだった。話していると、クルーザーに乗った10数人の方々が到着して、説明を聴き出した。どうやら、関西のR大の夏ゼミで、大町市の高瀬ダムを見学に来て、さらにマイクロ発電施設を見学して回っているらしい。先生と思われる方が3名で、学生が10名ほどのグループであった。

Photo_11発電施設は、それほど大きくはない。水路とタービンを保護するだけだから、1年ほどの建設期間で出来上がるそうだ。用水路から、発電水路へ分けるところの工事が施設の奥の斜面に向かって行われていた。用水路は、写真にあるように、大きな口径の鉄菅から、一定量が制御されて導かれる。横に用水路が流れる。

Photo_12なぜ直接用水路で発電を行わないのか、という工学的な質問を先生方は飛ばしていた。用水そのものには、枯葉などの余計なものが流れているし、季節によって水量も違うだろうから、何処かで制御が必要だ、と答えていた。写真には、滝になる程の激しい水流が写っているから、これを制御するとなると、それ相当の施設が必要となろう。

Photo_13けれども、疑問に思うのに、なぜこれまでこのような素晴らしい発想が、表に現われなかったのであろうか。どうも、発電施設の規制が厳しかったらしい。管理者などを常駐しなければならないとなると費用は嵩む。おそらく、ここはコンピュータで遠隔管理されるのだと思われる。農業用水の権利についての規制もあったのではないかと思われるが、それらの規制が緩和されたらしい。そして、最大の理由は、規模の経済性だと思われる。大規模にしないと採算が悪いという事情があったと推測される。

Photo_14いずれにしても、身の回りのマイクロなエネルギーにも、わたしたちは意識しなければならない時代に生きているということだと思われる。この小さな発電所で、1000キロワットが発電され、約600世帯分の電力がまかなえるということである。減価償却された用水の二次利用というのは、経済衰退期にあっては、本当のところ、かなり良い発想だと思われる。

こうなったら、大学もそれぞれひとつずつ、小さな発電所を作ったらどうだろうか。放送大学の使用量が、ちょうどこの発電量とほぼ一致しているのも、何かの符合ではあるまいか。何が言いたいのかといえば、次のような空想も面白いではないか、という「真夏の夜の夢」である。

すでに、地方公共団体がこのようなマイクロ発電を企画して、東電に電力を売却する事業の存在することは知っている。もっと進めてみることは可能になりつつある。首都圏にある民間企業体・大学・その他の団体が、山間地を借りる。そこに流れている川を利用して、マイクロ発電を行なう。この電力を東電に仮託して、送電線を利用して、首都圏に送ってもらう。発電と同等量を首都圏で受け取る。余った電力は東電に売る。「マイクロ発電ファイナンス」と名付けたいが、いかがだろうか。

2011/08/09

追究される味

先日の上諏訪での面接授業に駒ヶ根市から来ていた学生のYさんから、焙煎豆をいただいた。さっそく淹れてみることにする。林のなかの、木漏れ日が差し込むテーブルには、そよ風が吹いて来て、コーヒー生豆の香りを散らしている。

Photoじつは、写真で見るように、豆自体たいへん綺麗な粒である。ピーベリーと呼ばれている小粒の豆である。これまでは、ジャマイカ系の大粒の平豆と対照させて、高級豆として、飲んだことはあるが、今回はグアテマラであるという。わたしにとって、初めての味だ。

見てのとおりの、粒ぞろいであることからして、かなり手がかかっていることはよくわかる。一本のコーヒーの木から採れる量が限られているらしいので、そもそも出荷段階で、形の揃っているものだけが売られているものと思われるが、それでもさらに、ハンド・ピッキングを丁寧に行ったに違いない。

Photo_2本来、ピーベリーという形自体が、大きさについて不揃いの目立つ性質を持っている。それは、たぶん楕円形である通常のコーヒーの平豆とは異なって、真ん丸い形をしているからだ。少しでも大きさが異なると不揃いと言われてしまう、特別の形だ。今回は本当に綺麗な形のものを持って来ていただいたのだな、と感じた次第である。

焙煎にも微妙な影響の出ることが予想される。つまり、真ん丸いために均質な焙煎が可能になるだろう。さらに、ミルにかける場合にも、豆が小さいために、このわたしの山の家にあるような貧弱なミル器械でも挽きやすい。カリカリと軽い音をたてて、粉になっていく。

肝心の味は、どうだろうか。わたしは舌にチリチリと来る焦げ味をいちばん苦手とするのだが、それはまったくない。それどころか、まろやかなコクが感じられる。上品で、甘い風味を乗せていて、苦味と酸味を抑えている。たいへん稀有な味に仕上がっている。

Photo_3豆自体の持っている潜在力を最大限に評価してやることが、焙煎の場合には最も困難なことなのだが、それを達成している。たぶん、グアテマラの潜在力は、コクということになるのだろう。このような抑制の効いたコクの味わいはなかなか稀有であると思われるのだが、見事に出している。

たぶん、何回かの試行ののちに、最も良い部分を持って来てくださった、という感じである。神様が降りて来たといえるような、焙煎具合であったに違いない。焙煎士を目指して勉強中だとおっしゃるYさんは、控え目だが、芯の強さがありそうな人柄を感じさせるのだが、この味もそのとおりである。駒ヶ根市を検索してみると、数軒の自家焙煎の店が載っている、たいへんな少数激戦区である。だから、舌も肥えているのだろう。Yさん、本当にご馳走様でした。


2011/08/08

士族の湯と庶民の湯

何度も湯に入ることができるのが、温泉地の良いところだ。地元の人たちが朝湯に入ってから仕事に就くという習慣も、温泉地ならではのものと言える。こんな恩恵に浴することは滅多にないので、早速温泉に赴くとすでに複数の客が入っている。考えることはみんな同じだということだ。

Photo_8妹から戸籍を調べてみたらと言われていたので、朝の散歩を利用して、宿から5,6分のところにある諏訪市役所へ向かう。この暑さのなかで、すでに秋を感じさせるコスモスの花が咲いていた。Photo_9途中、先日の映画「八日目の蝉」に出て来たような写真館がにゅと現れたので、早速写真に収めたが、こちらはすでに閉館したようである。けれども、街の人々がたくさん写った写真が飾られていて、役割を終えてからも、街の記憶装置としての役割をまだ保っていることがわかった。けれども、もう少し違った再生の方法もあるのではないかとも思うのではあるが。

Photo_11市役所は高島城の隣にあり、この城を巡っては、あまり詳しいことは知らない。有史以来、武田の治世時代も、街道の要所であり、かつこの地方の中心を成していたので、豊かな城下町であったことは確かだ。この城も昔はもっと大きかったらしく、路地を入って行くと、三の丸温泉にぶつかった。身分制きびしいときには、士族の湯と、庶民の湯とが異なっていたことがわかった。

Photo_10また、三の丸跡には、現在では有名な味噌醤油の会社がはいっていて、イメージ通りの黒く、長い壁が、周囲との間を隔てていた。

戸籍のほうは結局空振りで、明治元年まではすでにわかっていたのだが、それ以前は戸籍には残っていないそうだ。近世研究家の論文を読む機会があって、文書に残っているところでは、先祖様は当地で鉄製品の農機具などを商っていたらしい。その関係で、群馬県にあった「たたら製鉄」の鉄山にも、出資していたこともわかっている。

その後、本家と分家の間で、養子のやり取りがあり、複雑な家系を形成してきたらしい。何度も伯父さんから、近代になってからの電気製鋼業を営んでいたころのことは聞いており、論文も読んではいるのだが、何しろ当時はそういうことに関心がなくて、家系についてはキチンと記録に残していなかったのが悔やまれる。宿を早々に引き上げて、旅支度をする。


2011/08/07

芸術文化はなぜ赤字構造なのか

二日目の面接授業に入った。問題は、なぜ芸術文化活動が赤字構造になり、これに対して、公的援助をすべきか否かという点である。この問題をじっくりと学生の方々と議論しておきたかった。

結論を急ぎ、社会経済的にまとめるならば、9つくらいの考え方があるのだが、なかでも需要面から「市場の失敗」が起こるとする「外部効果説」、あるいはもっと限定的な「公共財」効果をあげる説が有力である。もちろん、これに対しては、近年には新自由主義的な立場からの反論が急追しており、芸術文化活動に関する解釈には、きわめて対立的な構図のあることを示している。

さらに、このことは、規範的な面からの対立にも反映されている。芸術文化領域に関しても、経済社会と同様に、みんなが芸術文化を楽しむ権利があり、公平性が保たれるべきだという立場と、これに対して、趣味文化領域に近いことについては、個人の選択に任されるべきだという立場の対立が大きな問題となっている。もっとも、この辺までは、新自由主義と社会民主主義の対立構図を、経済政策から発展させて、文化政策にもあてはめることで、整理ができるので、学生の方々も理解しやすいらしい。

その後がじつはもっと問題があり、興味深い分野へ入ってくるのだ。芸術文化活動の供給過剰説やコスト病仮説、文化財ストック説などがあるのだが、今回わたしはこれらのほうをむしろ力を入れて解説を試みたのだ。そして最後に、いつのものように、9つの説についての説得力を学生のグループごとに評価してもらった。

その結果には、長野学習センタークラスの特徴が表れていた。公共財的な性格を特に評価しており、中でも「外部効果」の存在することが、芸術文化であると考える方々が大勢を占める結果を示した。たとえ赤字体質があっても、公的な援助を行なって、国民全体の公平な享受を図るべきだという意見が表に出てきた。そして少数派として、新自由主義派、コスト病派が見られる結果となった。他の学習センターと比べても、社会民主主義的な傾向の強いという、クラス特徴が現れたのだった。

さて、スクーリングは恒例の拍手で幕を閉じ、学生の方々も電車に合わせて、早々に家路に着いたのだった。

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上諏訪には、古くからの街並みが残されていて、街をすこし歩けば、古い土蔵や壁が至る所に見られる。また、諏訪湖畔には、絹紡績産業が華やかなりし頃に建てられた、大浴場と市美術館が入っている「片倉会館」や文豪たちが泊まって、文筆活動に勤しんだ旅館群がある。

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岡谷の蚕糸博物館を見学がてら、わたしの面接授業に参加してくださった神奈川学習センターのKさんと一緒に、薬用酒Yが経営する信州豚のレストランで夕飯を食べる。そのころには、昨晩に続き、花火が打ちあがり、夏真っ盛りを感じさせたのだった。

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2011/08/06

表に現れないこと

Photo_2毎年思うことだが、夕方から朝にかけての涼しさは、やはり信州へきたな、という感じがある。朝も、気温は高いにもかかわらず、湿気が少ないせいだろうか、暑さをそれほど感じない。

Photo上諏訪駅前にある長野学習センターへいく道が整備されていた。昨年ちょうど工事中であり、ハンコ屋さんの古い建物がブルドーザーによって、一瞬に倒されて水が撒かれた現場を通った思い出がある。なぜハンコ屋さんを覚えているのかといえば、放送大学では出欠簿へハンコを押す習慣がまだ残っていて、ときどき家にハンコを置き忘れてくるために、全国のハンコ屋さんに馴染みがあるのだ。今回は大丈夫だったが。

講義は10時に始まり、17時15分まで、途中昼食をはさんでいるが、それでもたっぷりと講義時間をとっている。今年は、格差問題をずっと面接授業では行なうことにしており、徳島や大分ではそのとおりにしたのだが、長野だけは昨年までのテーマの「芸術文化の経済社会アプローチ」を行なうことにしていた。もうすこし議論して確かめておきたかったことがあったからだ。

その一つは、学生たちの芸術文化体験を俎上に乗せようという試みだ。なぜ芸術文化が社会にあり得るのか。という問の前に、原体験としてまずはどのような体験を持っていたのかを聴くことから始めることにしていた。社会科学が経験を苦手とし始めたのは、ちょうど近代になって、実証学問が幅を効かせるようになったからである。だから、それ以前の原初的な感情をどのように社会的な研究に導くことができるのか、経験から始めてみたいと思ったのである。

今回も、参加者が興味深い体験を語ってくださった。たとえば、なかでも印象的だったのは、芸術文化の表現する者と鑑賞する者との側にわかれて、まずは語られたことだ。本来、人間のなかでは、両者は融合されているものだと思われるが、それが人生の流れのなかで、どちらかに偏って出てくるという傾向のあることがわかり、興味深かった。だからこそ、社会の中では、表現者と鑑賞者との間の相互作用が重要になるのだと思われた。

表現者の方では、中学生時代に吹奏楽団に所属していて、クラリネットから金管へそして打楽器の大太鼓をたたくようになった経験を語ってくださったNさんがいた。そのなかで、重要な演奏会の最後、太鼓を打つべきところで打つことができずに終わってしまったことがあったという、このNさんの体験は誰にでも共通していて、あたかも目の前に見えると思えるほど痛烈なものだった。評論家のチェスタートンの逸話が思いだされた。芸術家の健全性とはなにか、それは苦無くして美しさを生みだすことができることだ、といっていた。強迫を感じてしまうと、美しいものも苦しくなってしまう。

さらに、原初的な相互作用として、「母の讃美歌」という体験を語ってくださったFさんの言葉はとりわけ印象に残る言葉だった。母が讃美歌を歌うときには、特別な感情がその裏に隠されていて、それが子供として悲しかったということだ。芸術文化で何が伝わるのかということを考えた場合、表に現れることよりも、むしろ表に現れないことのほうが重要である場合があるということではないか。

Yさんは、M市の市議をしていて、ちょうど芸術文化政策についての市政質問を行なったところで、なぜ芸術文化が赤字体質を持っていて、公的な援助を必要としているのか、という今回のテーマにぴったりの問題意識を持って、参加してきた。これについては、今回取り上げる交響楽団の経済学や、職人経済のあり方は参考になっただろうと思われるが、いずれご意見をお聞きしたいものである。

参加者に対して、ちょっと謝らなければならないのは、放送教材では「コーヒー文化」と「ワイン文化」も取り上げていて、これについての講義を聴きたかったとおっしゃる学生の方もいて、今回は残念ながらリクエストに応じられなかったことだ。駒ヶ根市から参加したYさんは、コーヒーの焙煎師を目指しているとのことで、焙いた豆を持ってきてくださった。後日、有り難く、味見してみたいと思う。

Img_2929_2夜は、恒例のうなぎ屋Fでうな重を食べた。毎年、伯父さんとこの店で会うことを楽しみにしていたのだが、今年から高齢のために東京へ引っ越してしまったために、会えなかった。代わりに、先祖の菩提寺S寺にお参りをしてから、こちらの店に回った次第だ。

Img_2932隣には東京からの研修できている社員グループが座っていて、聞き耳を立てていたわけではないが、聞こえてきてしまった。社員特有の先輩から後輩への訓示が飛び交っていて、面白い会話を楽しんでいた。世代は巡る。

Photo_3夜の花火大会は、毎日15分ずつ一ヶ月間ずっと行なわれており、ことしも華やかだった。明日も晴れそうだ。台風の影響で天気が心配されていたのだが、暑気に勢いをそがれたに相違ない。ずっと逸れてしまったようだ。湖の青と空の青がまぶしい朝がまた来るのだろう。


2011/08/04

大根おろしと卵焼き

W大での講義も今期最終を迎えた。今年は震災の影響で5月始まりだった。それで心理的に長く感ずるのではないかと思っていたのだが、始まって見るとそんなことはなく、むしろまだ学生たちの名前を覚え切らない状態で、もう少し時間があれば、討論も自在にできたのでは、と思われるくらい短かった。

終わって見ると、12位の職業を取り上げて、全部についてのインタヴューに当たって、単に教室内だけの、講義だけのものからは抜け出すことができ、これだけバラエティある職業を取り上げることができて、思った以上の成果だと思われる。

一回一回はそれほどインパクトはなくても、10以上の職業を集めて見ると、多様かつ共通点を持った性質が明らかになった。

なぜ職業では合う合わないということが存在し、また社会に合う合わないという職業が存在するのだろうか。という、すこし野心的な視点からせめてみたのだが、それが良かったのだと思われる。最後の討論も、良い観点が出ていて、グループごとの特色が十分発揮できていたと思われる。

現代の学生にとって、職業というテーマはたいへん重要であり、一年後二年後にどうなるかということよりも、むしろ現在の学生が就職ということに目を奪われているという現実に驚かされたのだ。職業というのは、当たり前のことだが、一生涯に関わることであり、長期で、かつ全体的な構成を問題にすべき問題であることを忘れさせようとしているかのような状況が問題なのである。

時間が終わってから、一人の学生が教壇まで来て、雑談をしていった。それで、高校の後輩であることがわかった。ひとりひとり話すと、ここの学生とは意外な共通点があるかもしれない、と以前から感じていた。ひとつはこれだったのかもしれない。

Photo_12演習が終わると、今日は最後なので、O先生が良いところへに連れて行ってくださるとのことで、以前からお話を伺っていた。蕎麦屋のI店であった。Photo_13確かに旨いものが次から次から出て来て、それも奇を衒ったものではなく、「蕎麦屋でお酒」の江戸的伝統に即した料理が目白押しだった。

Photo_14「枝豆」もシャキシャキした新鮮なもので、次の「田楽」がまた良かった。タレは濃厚な味でいくつもの味が複合された秘伝のタレという趣きだ。「卵焼き」はO先生の定番らしく、大根おろしをかけて、たっぷりと量があった。Photo_15魚は「若鮎の天ぷら」で、肉は「鴨のあみ焼き」。一通り食べると、お腹が一杯になってしまった。

Photo_16O先生は、アルコールは駄目で、彼のブログをみてもこの一年間ぐらいは飲んだという記録はない。だから、全然飲まないものと思っていたが、決してそうではないらしい。今日は、ビールを一杯付き合って下さった。

Photo_19このような店が育つのは、W大というものの魅力と言えよう。大学というところは本来、文化複合体的なものであって、近くに伝統的な味を保持していることが重要なのである。このような店をキチンと維持していることが、文化としての大学に相応しいと言えよう。

Photo_17O先生、御馳走様でした。そのあとは、当然のように、喫茶店Gでケーキとコーヒー。O先生はチーズケーキで、わたしはチョコレートケーキ。それぞれ紅茶とコーヒーだ。こちらは明日から信州で、すでに夏休みモードに入りつつあったが、今週末W大はオープンキャンパスで、まだまだ仕事が続くらしい。


2011/08/03

アングリー・ボーイ

採点の山場を迎えている。現在のところ、わたしが主任講師をしている科目の受講生は放送大学だけで、前期で2500名あまりである。1年間ではこの倍ということになる。これは6科目分である。さらに現在、他の3科目に担当講師として出ている。このように多くの科目を制作しているのも、放送大学カリキュラムの「多様化」という流れにしたがった結果であると自分では考えている。

このうち、記述式の答案を課しているのは、放送大学の3科目で、約1000名ほどの受講生がいる。K大では170名で、W大では40名を引き受けていることを考えれば、放送大学は普通の大学の規模概念からは程遠い性格を持っていることがわかる。一学期にせいぜいのところ、百人を持てば、だいたいは通常の大学のノルマ(このノルマという言葉がロシア語であったというのは、最近知ったのだ。)は達成できる。だから、通信制であることを割り引いても、数千人の受講生がいるというのは、想像がつかないだろう。

もっとも、語学や心理学のように、単科目で数千人の受講生のある科目もあって、これらは日本の教養科目の概念からすれば、予想される結果であるかもしれない。どのような大学でも、教養科目は大勢の受講生を抱えていて、規模の経済性を目指しているからである。けれども、最近はいわば「多品種少量」の、つまりは多様な科目で、少しずつの受講生を受け持つようなものが出てきているのだ、という認識が行なわれつつあるのだ。

この採点となると、本当に想像を絶している。そこで多くの先生方は、択一式を用いて省力化を図っている。わたしの科目でも大勢は択一式に頼らざるを得なくなってきているのが実情だ。けれどももちろん、このような科目も必要なのだが、やはり社会科学の試験は意味を問うものが多いので、論述形式を選びたいとすこし頑張っている。

その結果、大変な状況が待ち受けている。今日はF先生の支援のもとに、採点を一日かけて行った次第である。約1000名の記述式試験答案は、眺めているだけでも壮観である。全部を読めば、800字を課しているから、1000×800で80万字を読むことになる。もちろん、一日ですべて行なってしまうことは無理だ。けれども、1000名の中には、欠席者なども含まれているので、大変といっても仕事の許容範囲内の話なのだ、

今、採点の最後に差し掛かっていて、そろそろお借りしている学習センターの閉所時間が近づいているのだ。あともう少しのところまで来ているのだが、急ぐわけにはいかない。センターの職員の方に無理を言って、30分ほど延ばしていただいて、ようやく完成した次第だ。マラソンを10時間かけて完走した気分はこんなものではないだろうか。心臓がばくばく言って、とどまるところがない。

それで、目もショボショボして今日はこれ以上何もできないだろうと、F先生と意見が一致して、関内の馬車道にあるTというパブへ繰り出す。先日、原宿で入った店の姉妹店で、こちらの馬車道店のほうが二階建てで広い。カウンターでエールを1パイント買って、自分でテーブルに着く。英国のパブ風である。

Photo_11ここの「アングリーボーイ」というエールは、たいへん評判が良く、先日のF君も、今日のF先生も、一杯目で旨いと言ってくれた。連れて来た甲斐があった。酒の話題は、移民のグローバリゼーションだった。F先生が先日香港まで行って仕入れて来た移民統計の解釈がたいへん興味をひいた。労働力のグローバリゼーションと、資本のグローバリゼーションはかなり複雑な関係を持っていることがわかった。

Photoわたしは英国風の生ぬるいエールが好きなのだ。原宿では試してみなかったがが、季節エールのなかにその店の限定品があって、それを立て続けに飲んだのだが、ビールだとこんなにも飲まないのだが、やはり好みというのは恐ろしいものだ、と思いつつ、さらにお代わりを続けたのだった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。