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2011/07/08

人生何を残すか

映画「木漏れ日の家で」を観る。妻に一緒に行こうか、というと、インターネットで調べて、OKということになった。91歳の女性アニェラが主人公の物語であることは確かだが、それにもまして、脇役の犬やよそよそしい息子や孫、近隣住民の演技というか、支援というか、が素晴らしい。

年齢が90歳を超えると、一人で生きるということに、どのような意味があるのか、ということがひとつのテーマとなってくる。そのとき、一緒に暮らすものがいれば、それに付随して意味が出てくるだろう。人間は関係で生きている動物だからだ。しかし、人生そうは上手くできていない。そこで結局のところは、人間がいなければ、モノや動物が代行することになる。

この映画の場合、最初は犬で、最後は家ということになるだろう。このこと自体は住むことの重要性を表しており、たいへん自然なことに思えるが、それでも最後はどのような結末を整えるかが問題となるだろう。今回の家は、かなりの問題だ。ちょっと見たときには、木造のあまりに古い建物なので、映画に再利用するので、無理したのではないか、とも思われたのだが、よく見ると、愛着が湧いてくる建物だ。

玄関がテラス風になっていて、そこで太陽を十分得ることが出来るようになっている。さらに、そのうえの二階が温室風のテラスになっていて、ここで一日暮らすことができたら、素晴らしいな、と思えるところになっている。

玄関を出て、表に回ると、何と思わず懐かしさの原因がそこでわかってしまったのだ。表の構図が、わたしの田舎の家そっくりなのだ。縦長のガラス戸が4つ並んでおり、それには、両開きの鎧戸がついている。主人公は、これを外から閉めるのだ。やはり、そうなのか。じつはわたしも、通常外から閉めるのだ。いろいろな理由があるのだが、全部勘案すると、このような結果になる。そしてさらに、二階には大きな口の開いた窓が鎮座している。この全体的な構成がそっくりなのだ。

樹々がびっしりと生えている山では、このような純粋木造物は、かなりの年代が経とうとも、腐らずに保つことができるのだ。さいごに、この建物の決着がつくと同時に主人公の生命が潰えることになるが、それは山の精霊、魔法使い、魔女的なものの宿命と言えるかもしれない。魔女は、土地に固有な存在なのだ。

真夏になって、ようやくにして田舎が呼んでいる。映画のように、仲良しの「犬」がいるという状況も悪くはないし、年中住むのであれば可能だが、夏だけ一緒といういうわけには、いかないだろう。近くにいる、三匹の犬をもうちょっと可愛がることにして、自前で飼うことは自制しようと思う。今日は珍しく、妻がイタリアンを御馳走してくれた。その足で、K大午後の講義へと向かった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。