« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月に作成された投稿

2011/07/22

竹下通りでの暑気払い

Photoやはり昨日に続いて涼しい日となったのだが、新橋で打ち合わせを終えた後、大学時代の友人F氏と会うことになっていた。原宿で待ち合わせとなった。けれども、打ち合わせが早く終わってしまい、時間が相当あったので、青山近辺を散策することにした。こんなことができるのも、暑気払いするような暑い日であれば、歩くことなど、とんでもないことだが、涼しい暑気払いの効用と考えたい。

Photo_2大学院生時代の友人Sさんの家が青山にあったので、3度ほど案内してもらったことも思いだした。もっとも、いつもすぐに、表参道のビルの地下にあった緑色基調の居酒屋に入ってしまったので、散策は食前運動のようなものだったが。国道246からすこし入っただけで、洒落た住宅や静かな喫茶店、高級そうな(何が高級で、なぜ高い賃貸料を払えるのかはわからないのだが)事務所がいくつもあった。そして、すぐ住宅街が連なり、静かな街へ入っていった。

Photo_3多くがコンクリート造りになったほかは、数十年たっても街の雰囲気が変わらないのはたいしたものだと思う。住人が変わっても、不変な要素が街には存在することの証拠だと思われる。こんなところに、ショールームやギャラリーを作っても、需要はないのではないかと思われるような場所でも、すでに数十年経っている。

Photo_4だから、地方のように人が集まらないから閉鎖するというわけではないところが立派というより、表現が見つからない。都市の恐ろしさはこのようなところではないかと思われる。時々は、向こうを張って、土地の雰囲気を理解できない住人が現れても仕方ないだろうが、この写真のような成金的で新しいビルが増えるようになると、一般客が付くのだろうが、かえって街の雰囲気は台無しになってしまうから、場所というものの持つ雰囲気は大切だと思われる。

伝説的な大きなカフェがあって、喫茶店というよりも、サロンというに相応しい場所があると聞いていた。その前を通ると、テラスに何人か座って、ゆったりとした雰囲気を持っていたが、どうも一人で来るようなところではないな、と直感的に察したので、そこへは入らずに、もちろん原宿に行かなければならないということもあって、横道をすこし進んで、昔ながらのお屋敷が残っているところを通り抜け、表参道へ出て行った。

Photo_9ここもじつは不思議なところで、古いものを無理やり新しくしたために、混交の妙が至る所に見られる。かつては、同潤会アパートが典型例だったが、現在ではヒルズになってしまった。けれども、同じような例は、写真の看護協会ビルに有名ブランドが入っているなど、面白い現象だと思われる。

Photo_7問題は、竹下通りである。これもかなり若い時代に、大学時代の友人K氏が結婚披露パーティを行なうと言うので、行ってみると、この竹下通りから1本入ったところが会場であった。当時から、高校生などの若い女性たちが多い通りであったが、今行ってもさらに若返ったような女性世代が通りいっぱいに溢れている。

Photo_10じつは以前、沼津に行ったときに魚市場の隣に、本場のエールが飲める店Tがあることを知ってわざわざ飲みに入ったのだ。その店が数年前から東京へ進出して来たことを知って気に留めていた。中目黒にできたことは知っていたのだが、昨年から原宿、さらに横浜の馬車道にも出店しているので、ぜひ久しぶりの味を楽しみたいと機会を伺っていた。

F氏とは17年前に二週間ほど、ふたりで英国を縦断して、十分にエールを味わった仲間なので、ちょうどタイミングも良く、この店を選んだ次第である。ところが、店に入ると、予約客で席がいっぱいで座る余地がないのだという。それほど、途中から混みだした。

沼津店のイメージからすると、エールを好む人は外国人だけで、日本人はビールが冷えていなければ飲まないと思っていた。このような店は到底流行らないだろうと高を括っていたのだが、どうもこの生ぬるいエールを冷やしたところで、日英の折衷が成立したらしい。けれども、こんなに冷えたエールは邪道ではないだろうか。美味しければ良い、ということで良いのだろうか。

友人Fくんは、すっかり良いのだ、という顔をしたので、そのまま飲むことにした。確かに、温度をべつにすれば、旨いのだ。Fくんは、ジャーナリストなのだが、それ以外にも音楽を嗜んで、趣味の人としても悠々自適の生活をしている。違っていたら失礼だが、仕事論からみると、「余暇人」類型に属すると思われる。

Photo_8「やりたいようにできるように、仕事を持っていくことも必要なんだ」という意見の持ち主だ。仕事に自分が合っているのかは、その人自身にとってもわからないものだ。希望する仕事にはじめは就いたとしても、その後どうなるのかはなかなか予想はつかない。とにかく、仕事に就いてからは、自分のやりたいようにできるように調整できるか否かがその後の人生を決定する。こんな説だったが、なんとなく「余暇人」類型としての説得力を持っていた。

最後は、竹下通りがこれほど有名になる前から、ここで喫茶店を開いているという、P喫茶店でケーキセットを食べて、帰宅する。

2011/07/21

男の日傘

W大の演習に行く前に、O先生と雑談をしていると、熱中症の話になり、どのようなタイミングか忘れてしまったのだが、わたしの昔話へ戻っていってしまった。

昔、わたしがある団地に住んでいて、学生時代だったので、無料奉仕で駆り出されることになった。夏祭りである。ジュース売りだったか、風船釣りだったか、忘れてしまったが、とにかく全部売り切れるほどに働いた。

団地だから、コンクリート広場であり、八月の厳しい照り返しの中で、今日のような熱中症の考え方などは存在しないときだった。帽子もかぶらず、水分はかなり補給したような気がするが、それでも足りなかったのだと思われる。

日射病と当時言っていたので、そのような観念はあったと思われるが、その夜から熱が出てしまい、三日三晩寝込んでしまった。熱が下がらないのだ。頭痛はかなりだった様な気がするし、水分ばかり随分とっていた気がするが、それでも熱は下がらない。家族に聞いても当時のことはあまり記憶にないという。だから、本人が感じるほど重病ではなかったのかもしれないのだが、今日的な感覚からすれば、十分に重病だった。

治った後には、人生観が変わったなどとは言わないとしても、少なくとも、日射病の恐ろしさが身に染みている。父がよく帽子を被っていたのを、揶揄していたのが、帽子必要論者に変わった。とくに、夏の麦わら帽子は、必需品となった。麦ら帽子だけは、数種類持っている。

それにしても、男性には、日傘が流行らないのはなぜだろうか。熱射病対策としては推奨して意味あるものだと思われるが、傘メーカーも男の日傘を宣伝しているのを見たことがない。もしあっても、見逃すほど少ないものだと思われる。今年の夏は、究極の暑さ対策が立てられることが望まれるが、日傘というのは、いかがだろうか。雨傘については、日本では一日数十万本が消費されると言われていて、日傘までは手が回らないかもしれないが、梅雨が終わったら、ぜひ日傘増産に踏み切っていただきたいものだと考えている。

さて、そうなったら、どのような男性用日傘が出てくるのか楽しみである。ぜひ1本購入し、リュックの携帯品に加えたいと考えている。

2011/07/19

暑気払い

「暑気払い」の早すぎた感がある。今週に限って、じつは3回の暑気払いの会が予定され、着実に消化しなければならない。けれども、この涼しさだ。今日は、同僚の先生方と海浜幕張で、焼酎を中心としての純粋に暑気払いの飲み会だった。ところが、台風6号が近づいてきていたので、雨の心配をするほどの天気だった。そこで、暑気払いどころではないのだが、珍しい組み合わせのメンバーだったので、ビルの最上階にあって幕張を見渡せる居酒屋に集まった。

晴耕雨読の精神からして、雨模様の暑気払いに相応しい(?)話題だと思われたのは、大学の理念ということだった。放送大学には、当初から「新しい教養、新しい生涯学習」を遠隔的な手段で行なうという教育目標は存在するが、それ以外には、理念と呼べるものは存在しない。かつて、K先生やS先生が「どこから来て、どこへ行くのか」というゴーギャンの言葉を引用したり、校歌にあるベーコンの「知は力なり」を持ってきたり、ということがあったが、それなりの効果はあったが、それ以上に定着したものとなっていない。

そこで、設立30周年を記念して、標語を募集したらどうか、などという夢物語を酒の肴にしたのだった。E先生によれば、中国には四字熟語の理念が存在するというのだ。北京の精華大学のものが有名で、「厚徳載物」つまり、徳を持って、物事を成し遂げる、というのがあるそうだ。放送大学にも、欲しいなということになった。ただ、これだけ多様な人びとが集まっているので、募集しても選ぶのはなかなか大変かもしれないという意見もあった。なんだかんだ言って、架空の話なので、酒の宴では、最適の話題だったと思う。

2011/07/18

「くろがね」と謄写版

Photo_6桜木町駅前で、映画を観た。今回は場所が問題で、同じ映画でも、桜木町で観たことで、感情の揺さぶりが30度くらい違ったであろう。この映画のなかのシーンと同じに、桜木町駅前から海岸通りを抜けて、山下公園に入り、ニューグランドホテルの並木道をすぎるというコースを辿りたかったぐらいだ。

Photo_5映画「コクリコ坂から」の基調は、昭和30年代の横浜である。この雰囲気は十分出ていたと思う。たぶん、道路の混み具合は、このとおりで、1964年のオリンピックまでは高速道路がなかったので、海岸ベリの道路はとくに混んでいたと思う。また、昨日合宿の指導で参加してくださった島根大学のI先生が北京から帰ってきたところだとおっしゃって、北京のスモッグの酷さを報告された。それは、まさにこの映画のはじめに、ブオっとトラックから吐き出される排気ガスの黒さに、つまりは日本の昭和30年代の排気ガス模様と似ていた。

130年代と変わらぬこともある。前にも書いたことだが、横浜に住んでいて良かったと思えるのは、霧笛の音である。朝、これが遠くから聞こえてくると、すっと爽やかな元気が蘇るような気がしたものだ。この映画のように眼下の海岸を船が行き交うのを観ていても、また、少し内陸部で音だけを聞いて想像力を逞しくすることも同等に横浜的であるのだ。

Photo_7このときの横浜の海岸を洗ってきた風は特別なのだ。映画がすこし淡白に見えるのも、土地柄を表わしてる。物事にこだわらない、右から左へ交差させて行くことを好む横浜気質というものの性質を表しているのだと思える。そこで、この映画で描かれているように、バンカラや古いモノを大事にするということが横浜においてあり得たかどうかは、おそらくフィクションなのだ。横浜のこれまでのイメージは、常に新しいモノを好み導入することに秀でた性質があるからだと言えよう。けれども、これを契機にして、横浜の古さを見直すきっかけになれば良いと思われる。現実に、先日紹介した様に、素敵な洋館は多数保存されているし、ボランティアはたくさん揃っているのだし。

たぶん、細かいところにこだわっていることが、この映画を長生きさせるもとになるのではないかと思われる。最後に丘の上の家から、港近くまで坂道を一気に下る「オート三輪車」は、「くろがね」というプレートがかかっていて、懐かしかった。オート三輪の三社があって、ほかのダイハツやマツダは残ったが、くろがねはブランド名としては残っていない。そのためだろうか。博物館でもあまり見ることはないようだ。オートバイから自動車への連続的進化の途中がよくわかる現物であり、ときどきは思いだす価値のあるものだと思われる。

もうひとつ懐かしかったのは、謄写版とガリ切り板である。新聞部の必需品であった。ふつう学校の放課後に、ヤスリ板でガリガリと、なんと言ったものでしょうかすっかり名称を忘れてしまっているが、蝋紙に字を刻んでいくのだ。そして、時間が足りなくなると、ヤスリ部分だけ家に持って帰るのだ。このような細かい描写は、新聞部員でなくてはわからない。

自分のことを思い出すならば、最も多く謄写版を利用したのが、小学校5年生から6年生のときだった。図書館だよりを編集していた。当時、信州松本の源池小学校で、図書係は同時に機関紙も発行することになっていた。放課後には、職員室の入口に置いてあった、謄写版にかかりっきりになっていた。そのとき、片手刷りの技術を身につけたと思う。刷る時間は早かったけれども、インクを垂らす表面の絹面への負担が大きく、次第に破れ気味になったのを記憶している。全校生徒向けだったので、枚数が多かったのも負担になったと思われる。

Photo_8映画の中で、部室に一台謄写版が置いてあるのは恵まれている。でも、高校生ならばありえたのだろうか。今ならパソコンとプリンター、そしてコピー機というところだ。Photo_9
Photo_10帰りは、やはり桜木町から野毛へ出た。いつものDでギネスを飲みながら、横浜とはという想いをめぐらせた。


2011/07/17

最後まであきらめず

Photo毎夏の恒例となった、大学院合宿が始まった。学生の発表が40名ほどになり、2日間では収まらないので、3日間を費やすことになる。16日は気温が40度に達するかと思えるほどだったが、その熱波の襲来している幕張のセミナーハウスに集合した。

合宿の目的は、二つある。ひとつは、それぞれの発表を行うなかで、他者との違いを際立たせ、自分の独自性を強調し、できれば、論文作成の勢いをつけることができるというものである。異化効果だと言っても良いだろう。自宅でモンモンと悩んで論文作成するのも、良い方法だが、それにもまして、論文作成は比較して、それ以上の効果を得ることが大事だと思う。とりわけ、先生方の同意が得られるならば自信を得ること間違いなしだ。

参加していた同志社大学のN先生が良いことをおっしゃっていた。放送大学の学生は、すでに個人的な歴史を持っていて、取り柄がはっきりしているという利点があり、これを最大限引き出すことが良い論文につながるのだと。

もうひとつは、他者との間で、一緒に論文作成を作成しているんだという思いを持つことは大切だと思う。応援、支援というべきか、集団効果というべきか、そこに社会的な関係が生ずることが起こる。今まで、ひとりだけの作業だったのが、突如として、共同作業を行っているかのような感覚がそこに生ずることになる。この周波数をいかに掴むかかが、実際のところ重要なことかもしれない。

このことは、実質的なことでなく、フィクショナルなことであると考えている人もいるかもしれない。けれども、実際にこの過程に入って見るとわかるのだが、いわば一緒に乗合バスに乗った気分になるから不思議である。同じ乗合バスでも、それぞれの目的地はちがうにもかかわらず、共通の気分が生まれるのだ。それが一種の義務感にまで高められれば、教師にとっては思いがけないボーナスとなるが、学生にとってはもしかしたら、良い意味での重荷になるかもしれない。結局は集団効果はいえ、自分に関わってくるところへの関心に過ぎない、と最初はみんな思っていたが、実際に体験してみるとどうもそうではないらしい。

宇都宮市の路面電車新設運動を繰り広げているOさんは、ユーロッパ型の既設路面電車と比較して、宇都宮の場合に何が足りないのか、ということを報告していて、当初は路面電車であるから、設備の問題であると考えていた傾向が見られた。けれども、最終的には、大きな問題に突き当たったことを報告している。つまり、宇都宮の人びとの間での「路面電車」的なものの存在あるいは存在可能性である。ヨーロッパでは数世紀重ねて路面電車を維持して行くという習慣が成立した。この習慣の在り方じたいがじつは重要であるのだ。さいごは「公共」という表現を使うらしいが、路面電車的な「公共」というものがいかに描かれるか、大いに期待している。このような認識に到達できることも、ゼミナール効果といえると思われる。

さて、この二つの効果の両方を得られた人は少ないかもしれないが、そのあとの懇親会を含めれば、この効果もよく浸透するかもしれない。なでしこジャパンの頑張りが、ゼミを行っている三日間のうちに現れた。優勝したニュースが途中伝わったが、その顰みに習うとするならば、「最後まで諦めない」、という澤選手の言葉こそ修士論文作成でも求められていることだと思われる。うしろで肩を組んでいるという集団効果を表す名文句だな。集団効果のなかでも最も文字になり難いものだが、見事にものにしたのではないかと思う。歴史的な壮挙と比べれば、論文作成は小さなことかもしれないが、同じ文脈が流れていることは間違いないだろう。


2011/07/12

ネットワークの美

映画「Biutiful」を観る。映画のローマ字表記がそのまま映画の題名になっているのは、綴りを間違えているからであり、それが映画全体を表しているからである。家族という美しいモノを夢見た「娘」の描いたとおりには行かず、表記を間違えたように、現実も名称とずれて進んでしまうのだ。

主演の父親役バルディムは、このような現実と夢の境目を演じさせたら、右に出る者がいない役者だ。これまでも印象に残る演技をたびたび見せている。映画の中では、死んだ人の霊と交換できるという能力を持っている。天井に死者が浮かび上がり、夜になると黒い蛾となって、現れる。

彼は、そこで死んだ人、あるいは死を迎えるであろう人とのネットワーク作りに秀でている。けれども、彼が媒介することで重要なことが明らかになってくる。あくまでネットワーク作りであるのだが、ほんとうのところは、逆にネットワーク崩壊の物語であるのだ。近代という物語が組織形成の物語であったのだが、それは同時に家族崩壊物語であることは多くの論者たちが言っていることだが、さらにネットワーク崩壊の物語が語られるのが、ポスト近代という物語だ。

主人公が取り持つ、アフリカ系不法移民のネットワークは路上販売のやり過ぎで、崩壊して行く。それを支えていた警察ネットワークも脆かった。さらに、最も主人公が思い入れをしていた、中国人ネットワークは最悪の結末を迎える。それらに隠に陽に、媒介者として、主人公は関わって行くことになる。けれども、最も重要なネットワークは、本人が当事者である、彼の家族ネットワークであり、子供二人と妻との関係には涙が出てきてしまうほどの関係を示すことになる。

出だしと最後の同じシーンが効果的であったかどうかは分からない。すでに霊媒者としての能力を超えた領域に入った時には、主人公の霊媒能力も限界に達するものという解釈だろうか。ネットワーク破壊者であっても、極限の古典的ネットワークである家族ネットワークは破壊できないという隠喩なのだろうか。ネットワークというものの利点は、集団効果にあるが、同時にネットワークの欠点も集団効果にあるのだ。個人を飲み込む存在であることは確かだ。

2011/07/11

黄薔薇

家を出て、千葉劇場を目指した。乗るのは、京成電車なのだが、人家の間を縫ったり、土手の中を走ったりして、街中の洗練された電車というよりは郊外型の路面電車の雰囲気だ。千葉中央から歩いて、劇場を目指した。「家」をテーマにした映画が続いている。映画「お家をさがそう」は、妊娠6カ月をむかえた主人公ヴェローナが夫であるバートと家さがしに出かけるという話だ。けれども、家を見つけることは、結局その人のすべてを明らかにすることになるということだ。

ロードムービーの形をとって、コロラド州から、フェニックス、ツーソン、マディソン、モントリオール、マイヤミをたどって、最後は見捨てていた母の家に辿り着く。これだけを観れば、「青い鳥」童話の現代版ということになってしまうだろう。結局、Homeというものは、身近な所にあるものなのですよ、ということだ。

けれども、ロードムービー形式をとったことで、バートとヴェローナたちは最後にHomeに行きつくが、妹やいとこたちが、いかにHomeに失敗しているのかを見て回ることになる。また、自分たちの内面もさらけ出すことになる。バートは、じつは「保険の保険」業見習いで、常に客からの携帯電話を手放せない。けれども、いとこの夫が「脅迫業」を行なっていることで、自分の仕事を見直すきっかけをつかむことになる。家と仕事は切り離せない関係にあるのだ。

Photoさて、劇場から数十メートルのところにある千葉市美術館では、「橋口五葉展」を行なっていて、じつは先日観たところだったのだ。だから考えてみれば、このところこの暑さにもめげずに、千葉市の中央部を歩きまわっていることになる。五葉展では、今回幻と言われていた「黄薔薇」が展示されたのが、呼び物だった。日本画から油絵、さらには浮世絵に至るまで、広範な技能を発揮した画家だ。

まず、目をひくのは、夏目漱石の本の装丁である。また、泉鏡花の本の装丁も、とても綺麗だ。とくに、夏目の「吾輩は猫である」には数点の橋口五葉による装丁本があり、それぞれの猫が面白い。デザインされた文字も良いし、全体の意匠も古典的で落ち着いている。やはり、大衆の動向を、ちょっと進んで掴むのがうまかった画家だと思われる。

記憶に残っているのは、三越呉服店の日本美人画ポスターで、懸賞広告画として1等を受賞した作品だ。杉浦非水に続いてもおかしくない技巧を発揮した。そのころと同じ画法にしたがったのが、上記の「黄薔薇」で平板さをPhoto_2追究した、綺麗でたいへん目立つポスター絵だと思われるのだが、不評であったということだ。それでたぶん、この分野から撤退することになったのだと推測される。その後、浮世絵に転じて、涼しげな傑作「髪梳ける女」や「化粧の女」を制作して、大正時代の浮世絵を究めたと言ってよい作品を送り出した。

Photo_3お昼は、美術館の最上階にあるレストランで食べる。窓からは千葉市をずっと遠望できる。それにもまして、ランチが美味しい。写真に写っているのは、和風ハンバーグである。ところがハンバーグの下に、白いものが見えるであろうか。これが、大根なのだ。和風も極まっている。

ひとりで食べるのが惜しいくらいだが、窓に向かって、一人で座る席がたくさん設けられているところを見ると、やはり映画帰り、美術館帰りの女性たちがひとりでそっと食べていくのだろう。Photo_4さて、午後からは仕事が待っている。今日は先生方も少ないと思われるので、近くのM菓子店で小さなアップルパイを購入して、幕張へ向かう。


2011/07/08

人生何を残すか

映画「木漏れ日の家で」を観る。妻に一緒に行こうか、というと、インターネットで調べて、OKということになった。91歳の女性アニェラが主人公の物語であることは確かだが、それにもまして、脇役の犬やよそよそしい息子や孫、近隣住民の演技というか、支援というか、が素晴らしい。

年齢が90歳を超えると、一人で生きるということに、どのような意味があるのか、ということがひとつのテーマとなってくる。そのとき、一緒に暮らすものがいれば、それに付随して意味が出てくるだろう。人間は関係で生きている動物だからだ。しかし、人生そうは上手くできていない。そこで結局のところは、人間がいなければ、モノや動物が代行することになる。

この映画の場合、最初は犬で、最後は家ということになるだろう。このこと自体は住むことの重要性を表しており、たいへん自然なことに思えるが、それでも最後はどのような結末を整えるかが問題となるだろう。今回の家は、かなりの問題だ。ちょっと見たときには、木造のあまりに古い建物なので、映画に再利用するので、無理したのではないか、とも思われたのだが、よく見ると、愛着が湧いてくる建物だ。

玄関がテラス風になっていて、そこで太陽を十分得ることが出来るようになっている。さらに、そのうえの二階が温室風のテラスになっていて、ここで一日暮らすことができたら、素晴らしいな、と思えるところになっている。

玄関を出て、表に回ると、何と思わず懐かしさの原因がそこでわかってしまったのだ。表の構図が、わたしの田舎の家そっくりなのだ。縦長のガラス戸が4つ並んでおり、それには、両開きの鎧戸がついている。主人公は、これを外から閉めるのだ。やはり、そうなのか。じつはわたしも、通常外から閉めるのだ。いろいろな理由があるのだが、全部勘案すると、このような結果になる。そしてさらに、二階には大きな口の開いた窓が鎮座している。この全体的な構成がそっくりなのだ。

樹々がびっしりと生えている山では、このような純粋木造物は、かなりの年代が経とうとも、腐らずに保つことができるのだ。さいごに、この建物の決着がつくと同時に主人公の生命が潰えることになるが、それは山の精霊、魔法使い、魔女的なものの宿命と言えるかもしれない。魔女は、土地に固有な存在なのだ。

真夏になって、ようやくにして田舎が呼んでいる。映画のように、仲良しの「犬」がいるという状況も悪くはないし、年中住むのであれば可能だが、夏だけ一緒といういうわけには、いかないだろう。近くにいる、三匹の犬をもうちょっと可愛がることにして、自前で飼うことは自制しようと思う。今日は珍しく、妻がイタリアンを御馳走してくれた。その足で、K大午後の講義へと向かった。

2011/07/07

70年代の新しさ

今日は雨になるから、きっと過ごしやすい日になるだろう、というので、午前中は読書に勤しんで、午後から飯田橋へ出かける。着いた時刻が悪かったらしく、何でこんなに人が居るのかというほど、街に人が溢れかえっていた。喫茶店で時間を潰そうと入っても、座席がないという。

仕方がないので、直接映画館に入り、始まるのを待つことにする。親切なモギリの方々で、次の回が始まる前には、会場に入る優先順位をつけてくださって、今か今かと、会場に入る準備万端。

会場から出てくる人をみていると、ほぼ同じ年配であったが、けれどもいつものように、圧倒的に女性が多かった。映画は1970年代初めに制作された、「ハロルドとモード」である。80歳過ぎた女性モードの最後の人生の話である。最後になって、自分の人生にどのような意味を与えるのか。それは、70年代であっても、大きな問題だ。それが21世紀になって、これほど現実味を帯びる問題になるとは、190年代のほとんどの人は思わなかったのではないか。

彼女のそれまでの人生は、映画を観る観客には隠されている。腕に刻まれた入れ墨の番号や、警察官に対する態度などから、それとなく察せられる、とはいえ、それを裏に秘めておいて、表面にそれとなく出すことのできる演技は並大抵のものではないと思われた。

そのうえで新たな出会いが始まることから、このドラマが成立することになる。映画の主人公は、12歳のハロルドのほうであり、幼さの領域から、大人になるまでの、教養過程の映画であることは間違いない。自殺願望という幼さが、どの様にして、生きるという現実社会へ社会化されるのかを描いている。こちらのほうがはっきりしているから、主題のブレがないので、多少の大人げない社会批判や、警察批判や、教会批判も許されるかもしれない。

それにしても、笑いの基本として、警察官のピストル発射や、牧師の道徳的説教をこれほど典型的な材料としてとりあげ、成功している映画も少ないといえる。警察官も牧師もこれほど典型的に扱われたのであれば、許していっしょに笑ってしまうに違いない。

2011/07/05

赤ずきんへの期待と、「ダグ」の懐かしさ

午前中、徳島の面接授業で集めたレポートの添削を終えて、ポストに投函する。台風で一部の授業を中止せざるを得なくなり、その代替処置として、レポートを書いてもらった次第である。台風で講義が中止になったのも初めてだったし、レポートで代替というのも初めてだった。

Photo_5空は青、風は強く、けれども暑さは強烈な昼だった。夜が遅かったせいか、階段を登る頃には、すっかり逆上せてしまって、途中でダウンしてしまった。そこで、涼を取る作戦に転換して、新宿をめざした。

Photo_2久しぶりの新宿駅前は、すっかり近代的になっていて、平面的なガラスの壁面が並ぶ街並みになっていた。その典型が新宿ピカデリーで、全く新しい雰囲気を持っていた。びっくりしたのは、時間を潰したいと考えていた、喫茶店「ダグ」がどういうわけか、すぐ隣にあって、昔の距離感とひどく違っていて戸惑った。表通りからみて、この通りの雰囲気を作っていたのはダグのほうだったのだが、映画館というのは目立たなPhoto_3い建物だったのだが、今では、ガラス張りのたいへん目立つビルに生まれ変わってしまった。裏の立ちうどん屋はどこへ追いやられたのだろうか。裏のダグは無くなってかなりが経つが、どこが地下への入り口だったのかもいまではもう分からない。

でも、ダグも雰囲気だけは残していて、古いレンガと椅子とすっかりくたびれた床が似合っていて、テーブルに置かれたコーヒーとチョコケーキが落ちそうだった。危うい均衡を保っていた。時間は、ビル・エバンスのワルツにPhoto_4乗って、熱い空気とともにゆったりと流れていた。映画の時間がなければ、昔のディグ時代のように、半日は過ごしたいと思った。そのような場所の雰囲気をようやく保っていた。

問題は今日の映画「赤ずきん」である。昼の上映だというのに、すでに満員で両隣にまで客が詰まっている。

赤ずきんの新たな解釈であることを謳っているサスペンス映画だ。狼とは何か、を問いたいらしい。グリム童話の残酷をうまく描いているのだが、残念ながら途中から、グリム童話の世界から決定的に離れてしまっていた。観客は小さなころに想像した赤ずきんのほうに興味があり、それが大人になってからも、そのイメージを維持できるのかを期待してきていた。けれども、どうもそれは満たされなかったといえる。

狼がおばあさんを襲うところの解釈は、そうかもしれない。けれども、娘や、実の母親を手にかけるだろうか。童話のなかで、決定的なところは、おばあさんを飲み込んで、ベッドで赤ずきんを待つところだ。大きな目の、大きな耳の、大きな口のおばあさんは、ほんとうのところ、この物語から絶対に外すことはできないはずであるのだが。


« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。