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2011/05/30

藍はなぜ阿波の国なのか

9朝になって、雨は止んだのだが、風が残っており、樹々がしなるほどの強さだ。徳島市を出て、昔は県の大動脈であったことを想像させる吉野川を遡る。途中、バスは鉄橋を渡る。先日の北上川も広い川幅を持っていたが、吉野川も台風2号の後だけあって、水量が多い。

10川をすこし遡ったところに藍住町がある。近世の阿波地方を日本の藍中心地にまで発展させた阿波藍の産地である。平安時代以来、天然藍が染物の雄であった。日本人の記憶の中に、青色の系譜が脈々と流れているのを見るにつけ、藍染の重要な位置がわかる。東北地方が明るいオレンジの「紅花」を求めたのと同様にして、インディゴ・ブルーの変幻自在な藍色が関西から、中部そして関東にも広がった。現代でも、ジーンズをはじめとして、紺色を楽しむ文化があるように、昔の人びともこの色を楽しんだにちがいないのだ。

14藍住町には「藍の館」という施設があるというので、今日はこれに集中することにした。行ってみると、期待以上の収穫があった。藍染のほとんどすべてがわかるように展示されているのはもちろんであるが、そもそもは奥村家という近世から明治期に繁栄した家(1808年建造)を保存してあって、近世商家を知る上でもたいへん興味深かった。

12大きな門と母屋と作業小屋(寝床と呼ぶらしい)が残っていて、白い漆喰と茶色の木造がきれいだ。さらに、ここに藍色が加わると、シンプルなのだが、とても素敵だ。母屋を入ると、右が生活の場として厨房や女中部屋が配置され、左が手代、番頭、支配人が配置された営業の場となっている。すべての部屋が一覧望できる構造になっている。支配人が座る2畳ほどの部屋が司令塔となっていて、母屋の中央を占めている。あとは、遠くから来る買付け客を泊める2階の客間が3室もある。収容人数はかなりの人数に上る。さらに、宴会場にもなる離れの間があるのだ。商家として、機能的で支配的な構造になっている。

11今日の展示物の中で、一つだけ上げるならば、着物の数々や、工芸品に反映された藍もさることながら、写真にとって来た「十徳」は素晴らしいものだった。使い込まれた布や、機動的なデザインが藍色に相応しいものだった。藍染というものが、単に技術や生産として素晴らしいばかりで無く、使われてそして文化として染み込んで来たものであることをしめしている。

13藍が緑の植物からうまれ、最後はインディゴブルーの文化に昇華していく。この過程は、発酵という過程を含んでいるだけに、通常の技術に、意識以上の何ものかが、乗り移ったかの様なものの存在を想像させる。藍の栽培から、蒅(すくも)の加工まで10ヶ月ほどかけて藍玉が作成され、俵に詰めて出荷される。この途中の独特の臭いがあり、これも現場ならではの迫力だ。とくに、寝床での過程は、究極的には待つ以外にはないのだ。奥村家の家訓が「常静」ということだそうだが、この意味を実現している。

15ちょうど観光客が藍染めの体験を行っていたので、横で見学させてもらった。上手に仕上がると、写真のような上品なハンカチが出来上がる。白い壁に、藍が似合う。

152職人によって培われて来た産業ではあるが、他の職人産業と同様に、天からの恵みに多くを依存する社会意識の存在を感じた次第である。それにつけても、藍染がある特定の土地を必要としていたわけであるが、それは数百年保持されたとはいえ、現代にあっては、化学薬品でこれらの色が簡単に可能になってしまう、という現実は、過酷だと思う。植物から作品に至る、藍の寝床での、あの発酵作業の労働は、どうなってしまったのだと、思う。衰退期の産業というものに共通の、あっさりとした悲哀というものに、想いを馳せた次第である。

20午前中にゆったりとした見学が済んでしまったので、強風のなかバスを待つ。吉野川べりで吹き飛ばれそうになる。生物的な身体というものがいかに軽いのかということを十二分に感じた。風が雲のなかに円を描いて吸い込まれるかのような錯覚に陥る。バス停の標識が地獄への道しるべのように、不気味に見えるのも致し方なかった。

17これが夕暮れならば、十分に気分は急降下するのだが、まだまだこれから午後が始まるというときなので、江戸時代の商人たちが、川を辿り、この地に降り立ち、台風を物ともせずにあの奥村家の来客部屋に止めてもらい、地元へ戻るという、野心的な気分を思い返した。わたしも常静の気分で舟を待っているかの様な想定で、土手にかろうじて立っていた。バスが吉野川の数キロ先の土手に姿をあらわしたのは、定刻から数十分経ったのちであった。

21徳島市でのランチは、昨日事情通の学生から教えていただいた、街の洒落たフレンチ・レストラン「ジョワ」でとった。白身魚とムースのミルフィーユという写真のような肉厚の魚料理で、美味しかった。

隣に座っていたサラリーマン風の若い人は常連らしかったが、仕事が辛いのか恋に破れたのか、携帯で激しくしゃべった後、しばし目をつぶっていた。それは最終的には、どんな逆境にあってもこのようなとびっきりのランチをいつでも食べることができるという仕合わせの表現であったと解釈しておこう。22中心街を数分歩けば、評判のランチが数軒存在するという地理的な条件はたいへん好ましい。近くのTという鮨屋さんも紹介されたが、今日はしまっていた。鮨屋さんはいくつか紹介されたが、今回はタイミングが合わなかったのは残念だった。

23空港へのバスに乗るために、ふれあい橋を渡っていると遠目に、舟が見えた。32昨日、N先生との雑談で、徳島の中心部は城を中心としたひょうたん型の中洲になっていて、その周りを遊覧船が通っていると聞いていた。ちょうど出発の時刻に遭遇したらしい。運転手の方と、二人だけの遊覧であった。

25徳島市には、吉野川などの支流が300以上も流れ込んでいて、それが徳島城の自然の掘割を形勢しているとのことだ。川の分岐は複雑で、陸地から眺めるのと、川の中から眺めるのとでは、違って見えてくる。先ほど通過したバスから見た川が、こんなに広く深く街を刻んでいるのだと思う。

30結局、わたしの泊まった宿舎の辺りがメインであって、ヨットや小型船が繋留されているのは、上から見ても壮観だったが、したから見ても、別世界のように見える。31宿舎では、外国人たちも写真にこの風景を収めていたから、たぶん相当に西洋的で典型的な風景なのだと思われる。これを利用した東京の屋形船のようなものが存在しないのが不思議なくらいだ。

そのあと、喫茶店巡りをして見た。TやIを回って見たが、かつては盛っていたかもしれないが、チェーン店が進出して来てからそれを上回る力をまだ発揮出来ていないらしい。駅前はほぼチェーン店に支配されていた。周辺部もちょっとあぶないと思われる。少し酸味の利いた珈琲を最後に1杯飲んで、台風一過の、まだまだ風の強い徳島空港を後にした。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。