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2011/05/26

おばはん、あるいは社交

2W大での講義は、いつものとは異なるものの、ようやく講義の形態が定まってきた。O先生も休憩時間にきて、気の置けない話をして、授業へ向かわれる。きょうは、地方から出てきた卒業生と会うために新宿に行くことになっていて、それまで時間つぶしにカフェ・Gをお付き合いします、とのこと。さっそく、ブルーベリーやその他の果実が複雑に焼き込んであるケーキを頼んだ。

雑談のなかで、神楽坂へ最近行った話をしたら、O先生は、縄張りの中のことは何でも聞いてください、という顔をなさって、「おばはん」がたくさんいたでしょうとおっしゃる。わたしは中年の女性と言うが、内容は同じことかもしれないが、敬意を払っている点ではO先生のほうに分があるかもしれない。

たしかに、思い返すと、わたしたちが食べようとしていた和風ランチの店の前にもいらっしゃって、メニューを眺めていたし、坂の途中にある中華料理屋の肉まんじゅうの前にも、行列していた。つまり、美味しいと「おばはん」は相性がとてもよいらしい。美味しいところには、「おばはん」があらわれるということである。これは、これまでこのブログでも実証してきた。

問題は、なぜ「おばはん」が現れるのか、という点である。「おばはん」的なことの本質はなにか、ということである。O先生の答えは、明快であった。「社交」ですね。家で十分、自分たちで作る腕を持っていながら、パーティを自宅で開くのではなく、外へ出るような傾向は、社交的である、ということかもしれない。最近の「女子会」の盛んなのも、すべて「おばはん」のなせる技だ。時間の余裕に圧倒的な優位を持っているところが取り柄だった。最近になってすこし雲行きが怪しくなっているのはたしかだが、もうすこしは時代の贅沢として残されるであろう。

そしてじつは最も気になっていたことは、わたしたち二人のところへ、戻ってくる問でもあるということであった。なぜ喫茶店でおしゃべりをするのか。それは、わたしたち二人とも自分の内部から、「おばはん」的な暮らし方をしていると自覚しているからだ、ということになった。姿かたちは、残念ながら、性別を異にしているのだが、どうも二人とも、心性はかなりの程度「おばはん」なのだ、ということに落ち着いた。でも、ちょっとだけ付け加えると、「社交」と言い換えるところだけ、なんとなく職業臭があり、そうなりたいという願望の要素が強いことも、じつはかなり自覚しているといってよい。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。