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2011/05/23

海抜1メートル

42今日のなかで最も印象として焼きついたのは、被災した小学校の壁に残された「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉だ。逆説とでも言えるような、言葉だけが残されていたところだ。

41小学校という制度が、津波という災害・事件によって、単なるコンクリートの塊に化してしまった。この現場では、ほんとうに言葉を失くす思いだ。この事態をどのように受け止めたらよいのか、ほんとうに戸惑ってしまった。海抜1メートルで、急斜面の裏山を負った地形であるという地理的な条件、津波の方向などの力学的な条件などから推測できることはかなりあるにもかかわらず、現場ではもっと圧倒的な何かが足らないという空気が流れていた。

20裏山の削られた急斜面に、津波の到達上限を示す立て札が立っていた。それは身長の3倍を超えるようなところだった。近くのフェンスは押し倒されていた。ガラス類は小学校ホールのステンドグラスをはじめとして、すべて跡かたもなかった。校歌を載せた瀬戸物の文字板は、ところどころの文字を残して、流された。柱を削り、鉄筋がむき出しになり、倒れかかったコンクリートの橋が力学的な限界を示していた。まわりの住宅地は根こそぎ土台から無くなっていた。

25_246瓦礫は取り除けば無くなるが、そもそも生徒と教師、学校と住民など人間関係が、どうだったのか。それを示すものはすべて流されてしまってわからない。推測や、憶測が飛び交う中で、現場だけが残された。

37あっという間に、夕暮れになってしまった。次々に、住民の方々が仕事帰りに訪れ、慰霊の祈りを捧げていた。言葉にはできないものの支配する時があるのだ。線香の煙だけが揺らいでいた。

17今朝5時に横浜の家を出て、宮城へ向かった。同僚のN先生がTK大学のK先生と始められたプロジェクトに参加するためである。すこし背伸びして、飛び乗った次第である。午前から午後にかけて、W町のイチゴ農家でお話を聞いた。

36津波の被害は甚大で塩害などが追い打ちをかけて、見通しが立たない中で、いくつかの方向性を探っている最中とのことだった。この辺には、イチゴ農家が固まって栽培していたのだが、多くの方が離農を考えていて、続けるためには、相当の努力が必要であることが理解できた。近くのハウス栽培の畑には、壊れて流されたパイプが積み重ねられていた。波をかぶった竹林が茶色く枯れているのが目立った。

7お話の中に、なぜイチゴ栽培を続けるのか、ということが再三出てきて、そうなのか、と気持ちを新たにした。協力できることは限られてはいるが、共感できるものがあった。昨年のイチゴで作ったジャムをいただき、途中親戚のイチゴ農家のものが使われているというイチゴ羊羹を購入した。再び、この味のイチゴを食べる価値があると思った。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。