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2011年2月に作成された投稿

2011/02/24

デザインを歩く

教材の作成がだいたい終わった。今年度は、5人の合作だったので、多様な可能性を追求できる。組織論的にいえば、スラックの魅力がある。そこで余裕のある一環として、教材のちょっと背伸びした新しい使い方を考えてみた。

考え出すと、夜も眠れず、とまではいかないにしても、これまで考えられなかったことが次から次に出てきて困るほどだった。その中で実現しそうなことだけを、最後の収録の時に、もうひとりの主任講師であるI先生に相談すると、すぐ賛成してくださった。近くにいたYディレクターをはじめとして、HディレクターやIディレクターが最初は何の話かと、怪訝そうな顔をしてはいたが、話すうちに理解してくださった。学生の方にどれほどアピールするのかはわからないが、試して見る価値はありそうだという点では、一致をみた。

今日はそういう訳で、珍しくデザイン会社へ制作プロモーションである。Rという会社のHさんに今回の放送教材ビデオ「格差社会と新自由主義」のパターン制作でお世話になっていた。わたしは、「優等生」だったので、直前にお願いすることはなかったが、I先生はぎりぎりの期限で会って依頼していたらしく、それでHさんとは顔なじみとのことだった。

イラストが素晴らしいと聞いていた。今回は出だしからラッキーだ。映画と同じで、仕事が成功するか否かは、キャスティング、つまり人びとのネットワークがうまく働くかで決まるのだ。

Hさんは、にこやかに応対してくださり、順調に予想通り進む予感がした。予算の問題があるが、たぶんどうにかなるだろう。なにしろ、これは放送大学が常日頃主張しているような、学生のための教材作りの一環だからだ。さあ、何ができるか、ご期待のほどお願い申し上げますというところだ。

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NHKの西門近くにある会社を出て、学生時代に良くきた宇田川町のはずれを歩く。「東京カフェを旅する」に載っていた、喫茶店「マメヒコ」が近辺にあることを思い出した。レモンケーキと浅煎りコーヒーで一服する。渋谷時代に通って、勉強部屋として使っていた「ブラックホーク」の雰囲気に何となく似ていて、茶色のくすんだ壁に大きなテーブル、上から照明が降りてきて、渋谷的で地味な雰囲気を一瞬感じたしだいである。けれども今日、原稿を取り出して仕事をしていたのは、わたしひとりであった。だから、こんな想いは、わたしだけの特殊事情なのだ。いずれにしても、35年も前のことだったのだとあらためて時間の隔たりを感じた。

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デザインをお願いしたついでに、次は目黒の庭園美術館へ回る。久しぶりだが、いつ来てもこの庭の懐が深い。この様子が、手を伸ばし、さらに欠伸をしたような気分にしてくれる。アールデコの建物の上にぽっかりと開いた空間が贅沢なのだ。

タイポグラフィック・ポスター、つまり文字によるデザイン表現のポスター展が行なわれていた。ポスターについては、これまで何度も足を運んだが、流れがよくわからないのだ。今日の展覧会はそれぞれまとめてあって、代表的な作家の典型的なポスターがよくわかった。ヤン・チヒョルトの構成主義ポスター、マックス・フーバーのグランプリポスター、マックスビルの展覧会ポスター(この円形の一端が撥ねているのは、誰の何を表しているのだろうか)、ウェス・ウィルソンのグレートフルデッドポスターなどなど、他にもたくさんあったのだが、全部が全部、とても印象に残った。

会場に入って、大広間に飾ってあった有名なカッサンドルの「デュボネ」ポスターをみたのだが、それぞれ1枚ずつみていったら、何時間かかるかわからないな、と思っていたところ、次の間から救い主の声が聞こえてきた。偶然にも、今日は学芸員のギャラリートークの日だったのだ。たいへん的確な紹介が続き、わたしのような素人にもよくわかる解説だった。ちょっとおかしかったのは、横尾忠則の天井桟敷ポスターと、鈴木清順監督のチィゴイネルワイゼンポスターに対して、特別の思いれがあるところだ。わたしたちの世代であれば、この思い入れは理解できるところだが、聴衆はこれらの60年代から70年代の感覚が分からないようだった。学芸員の方は明らかにずっと若い方だったので、ちょっと不思議な感じがした。Photo_3

2011/02/14

産むという関係

三連休は雪で出られないということだったので、月曜日まで伸ばして、ようやく外へ出た。というよりも、外へ出る元気もないことを理由にして、仕事のほうを進めたというのが実情だ。わたしの基準からすると、ちょっと勤勉すぎる気がするが、世間から見ればこのような生活は怠惰なのだとみられている。

今日の毎日新聞に、英カーディフ大の調査が載っていた。それに依ると、現代の日本人には「子どもが欲しい」という欲求が他の国より低い傾向にあるということだ。

ちょうど菅野美穂主演の「ジーン・ワルツ」を観ようと思っていたところだった。現代の産科医を取り上げた作品で、4例の妊婦を描いており、同時に大学病院の医療体制の問題も扱っている映画だ。

近くの映画館ではすでに朝の一番の時間しか上映していない。ということは、客が少ないということなのだが、このようなものに佳作がときどきあるので、理由のある客の少なさは、気に留めずに出かけることにしている。

「ジーン・ワルツ」が映画として、良い映画かと問われるならば、映画にクールさを求めているわたしとしては、映画的な跳躍が存在しない分だけ、チョットな、というところがある。けれども、テーマがテーマだけに、シリアスになってしまう部分が残ってしまうことは仕方ないところだろう。極めて概念的なところがあるかと思えば、お産のところのように現実的なところがあって、これは評価の分かれるところだろう。

この映画を観て思いがけないところがあるのだが、それは外側からくる、映画的跳躍の部分ではなく、わたし個人の内部を覗くような、映画によって記憶が掘り起こされるような部分なのだ。妊娠やお産のシーンになる度に、わたしの娘や息子についての過去の記憶が思い出されて仕方なかった。

「子どもを産むということは、ひとつの奇跡だが、この奇跡は日常に数多く起こるものだ」という、この映画の主旨はわかりやすい。自分の経験からして、自分の子どもが生まれてきたのはほんとうに奇跡だったと思う。けれども、この感動は、今から省みると自分にとって特別のものであったのだが、ちょっと唐突かもしれないが、冷静に考えてみると人類共通のものでもあった気がする。

自分のことで恐縮だが、結婚したのが遅かったので、じつは子どもが授かるとは思わなかった。この映画のなかでも、4人の患者が出てきて、出産にまつわる様々な問題を見せてくれる。高齢出産の問題は、ひとつの焦点になっていた。当時、わたしの友人たちも、高齢出産のことで情報をたくさんもたらすので、かなり厳しいことに陥った。そんな記憶も、数十年も経っているのに、急に思い出された。このような記憶からしても、二人も子どもが生まれたことは奇跡だった。病院にタクシーで乗り込んで、待合室で待つというときには、どんな仕事もほっぽり出して、永遠の時間に身を任せたい、と思ったことも、ようやく思い出した。三木卓の詩を口ずさんだこともあったことも。

こんな記憶を思い出させてくれるということは、ほかの映画ではほとんどないことだろう。なかでも、5分間の生命のために産む、という話は、特別な思いでみてしまった。もちろん、映像としては難しかったが。これから、子どもを産む人も、過去に子どもを産んだ人も、さらには、自分の子どもはいなくても、社会で子どもが産まれてくることを実感する人にも、これを観ると自分のなかで、何かが起こるかもしれないと期待させる映画だと思う。

2011/02/10

K-サポートの人びと

神奈川学習センターのサポーターたちの合宿発表会があると知らせがあった。そして、夜には懇親会が予定されていて、久しぶりに古くからの懐かしいOB学生の面々と飲むことができるというので、このところ連日にわたって酒宴が続いているにもかかわらず出席した。

今日から、関東は雪模様だという予報が出ていて、生憎の天候であったことにもめげず、20名を超える参加者があり盛況だった。今年度の新規加入者もかなりの人数に上るということだ。

サポーターの方々の活動発表を聴きながら、この会の発表で出てきた数字を拾って書き留めてみた。つぎの数字は、何を表しているか、わかりますか。はじめに、「132」、そして「65」、それから「4100」、さらに「34」。それぞれKsupportの「学習相談支援チーム」「地域連携チーム」「機関紙編集チーム」「バス研修・行事サポートチーム」に因む数字なのだ。と、ここまで言ってしまうとおおよその見当はついてしまう。

活動実績の数字なのだ。「132」は、「学習相談支援チーム」が年間に行なった学習相談数。わたしも学習センター所属のときに学習相談を担当したが、年間数件あれば良いくらいだった。この「132」という数は、ひとつの学習センターの学習相談としては、きわめて輝かしいものだ。

「65」は、「地域連携チーム」が11月6日に主催したウォーキングの参加者数(関係者の数は入っていない)。今年度は放送大学の学生の参加者よりも、地域からの参加者のほうが多かったそうだ。じつはわたしは、「地域連携チーム」の不肖のOBなのだが、かつて「ウォーキング会の広がりが学習センターの範囲を超えて、外にまで影響を与えたら成功ですね」と話していた。この基準に従うと、大成功を収めたことになる。

「4100」は、機関紙「神奈川学習センターだより」の年間発行部数。平均600部発行予定で刷っていたのが、需要に追いつかず、1700部も増刷したのだそうだ。そして、「34」は、「バス研修・行事サポートチーム」が10月29日に担当した山梨バス研修旅行の参加者数(関係者の数は入っていない)。これもたいへん好評で、あっと言う間に定員がいっぱいになってしまったらしい。

なぜ数字にこだわったか、というところが、じつは肝心な本題である。これらの数字は、放送大学の関係した数字のなかでも、小さな、少ない数だと思う。比較するならば、全国に配られる放送大学全体の機関紙「オンエア」は、発行部数10万部だ。けれども、大切なことは、小さな数字であるにもかかわらず、たいへん重要で意味ある数字だということだ。

じつは最近、「地域情報」とは何か、という論文を数編読んだ。地域性を持つことで、固有の重要な情報と、その情報の流れ方が存在するという趣旨だった。情報には、広い範囲に散布されることで意味を持つ情報と、地域に深く存在することで意味を持つ情報とがある。直接会って伝える性質や、双方向的に伝える性質が、地域情報には含まれる。このことは、つねに言われてはいることなのだが、なかなか実践し実現することが難しい。

大きな組織である放送大学の中にあっても、ほんとうに「小さな活動を核にしたい」という各チームの活動発表を聴いて、あらためて地域的なるものの重要性を確認した。

写真は、発表会に先立って、制作スタジオでテレビに映った方々、副調整室(なぜここを副調整室と呼ぶのか、ようやく理解したのだ)、そして、主調整室のある放送局(なぜか、演奏所と業界では呼ぶのだ)、そして、附属図書館での貴重書閲覧と続いた。
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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。