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2010/06/01

北側の庭

北側の庭、という発想には、ちょっと驚いた。ふつうの家では、北側の庭は建物の影を被ってしまうので、植物が育たない。けれども、もし陰にならないならば、どうだろうか、という考え方は初めてだった。

まったく問題ないばかりか、むしろ北側の庭を見る視線を考えればわかるように、太陽の光線を直接浴びることもなく、間接的に目の前に広がる緑から光線を受けることになるのだから、かなり優しい光を受け止めることになっているのだ。

昨日の旧斎藤家別邸の庭園は、じつは北側にあり、それもかなり切り立った斜面を登っていて、見上げるように展開しているのだ。昨日の写真を観ていただければわかるように、上下左右からの間接光が回り込んで入ってくる。

これはちょっと驚きの光景だ。つまり、ふつうは眺めの良い部屋というのは、建物の開口部が南に開かれていて、日差しをまともに受ける部屋となっている。だが、この別邸は、北側に開口部があるのだが、それにもかかわらず、かなり眺めは良いし、庭が間接光であふれる状況を作り出している。

もちろん、この建物が避暑用作られていて、空けはなたれた縁側も夏涼しくなるような方向性を目指していることはたしかだ。だから、北側の庭という発想が成り立っている部分は大きい。

さらに、北側からは、光ばかりか、風も北側斜面の樹木の間を下って、優しくなってそよいでくるのだ。庭の奥にある滝の音は、耳に心地よいのも、たぶん夏用だからだ。大広間に座った人には、目と耳と鼻に向かって、光と音と風がすっと忍び足で寄せてくることだろう。

夏の暑い時期に、北側の畳の上で、読書をしながら昼寝をする気分は、いかばかりだろうか。わたしの場合、想像するだけで、すっかり満足してしまった。

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コメント

先生:

拝見!

旧斉藤家の庭は素晴らしいと知りました。夏用別邸の功能は分かるようになりました。十分前、隣の奥さんと一緒に静岡いく時、農家夏用部屋で泊まりました。この部屋の特徴は四面で木壁が下がり、お昼ごろ、涼しい風が通り、近いところ小河の音が響いて、静かな山村の夏です。なかなか懐かしいです。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。