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2010/05/14

インタヴューあるいはオーラル・ヒストリー

夜になって、放送大学テレビ科目「社会の中の芸術」第6回が放映されていた。わたしのインタヴュー番組の最後の回に当り、有田の今泉今右衛門さんに話を伺ったものだ。今回の番組制作では、インタヴューという手法を毎回中心に据えた。

講義で伝えたいことを、他者の言葉を通じて、迂回させて学生に届けようと当初から考えていた。他者が媒介するから、わたしの伝えたいことが、糸電話のように、途中で変容しつつ伝達されていく、けれども良い変容が加わる可能性に賭けてみようという作り方を試してみた。

今回の今右衛門さんへのインタヴューに如実にあらわれていたのだが、こちらが質問したことが、完全にインタヴューされる側に乗り移ってしまうという貴重な経験をたびたびすることになった。もちろん、憑依とまでは行かないのだが、フラットなこちらの考えが、微妙なギザギザをつけた話となって、戻ってくる。その繰り返しが楽しかった。このようなときには、番組では質問するほうの側の映像をカットしてしまって、ずっと相手の話をベタにつないでも、十分に番組は繋がっていくのだ。

もっとも、そんな言い方は失礼で、むしろインタヴューをしてそこから新たなことを学ぶほうが大きい。だから、通常であっても、全体のインタヴューは番組に出るものの数倍の話を聞いていて、それをまた、自分の中で反芻させて、ようやく最後に映像に定着されるのだ。そこに互いに相通ずるものが反映されないで済むわけはない。

これは、いわゆる「トーン」の問題だと思う。『仕事』『アメリカの分裂』『インタヴューという仕事』などのインタヴュー集で著名なスタッズ・ターケルが、「フィーリング・トーン」ということがインタヴューでは大切だ、と言っている。感受性が合うということが起こったとき、インタヴューはうまくいくのだ。

Photo きょうはK大の講義のあと、久しぶりにダウンビートへ寄って、そこで読みかけの本『スタッズ・ターケル自伝』(原題:タッチ・アンド・ゴー)を読み終わった。2008年に96歳でなくなっているが、90歳を超えた記憶力だと思う。店で頼んだギネスが美味しかったからでもないのだが、活字を読んでいて、泣けてくる文章がたびたびあらわれてきた。薄暗いジャズ喫茶だから、目がしょぼしょぼになったわけではなく、ほんとうに涙が出そうになる文章が続いたのだ。

Photo_2 たとえば、過去の自分にインタヴューしている。8歳のころに父親が自分をだしに使って、愛人とデートをした場面を自分に思い出させている。たぶん、最近まで気にも留めていなかったことが、インタヴューによって蘇ってくるのだ。それはたぶん自分が父親の世代になって、初めてトーンが合ってきたということだろう。

妻に対するインタヴューはさらに感動的だ。妻がソーシャルワーカーとして、仕事上、ミーンズ・テストを行わなければならない場面を聞きだしている。ここまでの伏線も素晴らしいが、それを聞き出す視線を明らかにしている。ここはぜひ読むことをお勧めしたい。インフォーマルなことを、インフォーマルのままで残すことができるのが、インタヴューあるいはオーラル・ヒストリーの良いところではないかと思う。

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