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2010/04/25

なぜ芸術文化は低生産性なのか

二日目の講義では、音楽産業の性格を取り上げた。40年ほど前から、この分野の蓄積が進み、とりわけ現代では経済学者で、芸術家であるというマルチ人間もあらわれるようになってきた。両方の分野ができるからと言って、そのことに説明がつくとは思われないが、それでも蓄積が進んだために、議論が行いやすくなった。

どのようなことが議論の俎上に乗せられてきたのか、ということは、なかなか全貌は明らかにするのは難しいところであるが、たとえばなぜ音楽産業は「赤字体質」を持っているのか、という点や、なぜ芸術文化政策を行なわなければいけないのか、政府が芸術文化を援助すべきか、というような議論の整理がようやく行なわれるようになったと言えよう。整理ができたからといって、議論が定まったわけではないが、相対立する意見が整理されることは必要であり、講義の題材としては、たいへんおもしろい内容を提供してくれるので、今回取り上げた次第である。

学生の反応はといえば、最初はどのようなところへ連れて行かれるのか不安げであったが、途中からかなり協力的で、レポートを出しても直ちに埋めてくれるし、発言内容も次第に濃くなってきたようだ。この大学の特色として、「経験」ということを語らせると、特色を出す学生が多いということに当初から、気づいていたが、今回はそれがよい意味で出てきたように思われる。

経験科学を専攻している者にとっては、願ってもない環境だと思っている。調査でよくタブララサということをいうが、いわば一般の大学学生は、経験に対して真っ白な状態の学生が多い。質問を投げかけても答えることができない学生がいるのも、積極的な姿勢を問題にしてしまう傾向が存在するが、そうではなく、単純に経験の少なさではないかとわたしは考えている。

たとえば、一般の大学で「貨幣とは何か」と質問すると、高校までに習った答えしか返ってこない。それに対して、ここでは当然お金の貸し借りを行なった経験のある人々が通ってきているので、答えもかなり多様な返事が返ってくる。

ということなどがあり、今回も最初は音楽経験を聞いて、そこから議論を進める参加型の講義をとってみた。実際、わたしに労力からすれば、省力化を図っているといわれかねないが、デューイ以来のプラグマティズムからの学問的蓄積にしたがえば、知識と言うのはその人の主観を通り抜けてから初めて、真の知識になる、という教育的な伝統はある程度この大学では有効でないかと思っている。

最後は、結論部分で芸術文化が政府援助をうける理由を9つあまり挙げて、それへの投票を行うことで、結論とした。学生がいちばんシンパシーを感じたのは、平等主義的な観点だった。金持ちも貧乏な人も等しく、芸術文化を享受されるべきだ、という観点で、講義のなかでは、ラスキンやモリスを紹介したのだ。いまでも、この観点は人気が高い。

同点を得たのは、芸術文化が「公共財」であるという観点だ。市民に共通に提供されるべきだ、という点では、平等主義的な観点に近いものだ。いずれも、鑑賞者の立場からの議論を高得点を挙げたのは、経験主義的なこの大学の学生の特性を表しているように思われる。

Photo_3 それで、問題は教育効果はいかがだったのか、という点であるが、ちょっと残念であったのは、力をいれて、じっくりと説明した点、つまりビデオで交響楽団を取材してまで見せて、強調した観点が意外に不人気だったことである。わたしの説明がまだまだ至らないことを示している。今回は、第1回目だったので、今後の講義のときに直していくつもりである。

二日目にも、センター所長の先生がいらっしゃっていPhoto_4 て、恐縮のかぎりである。さらに秋田市内の千秋公園のことを尋ねると、自筆の地図まで書いてくださって、学習センターから公園への散歩コースを説明してくださった。秋田大学の正門を出て、垂直にまっすぐいくと奥羽本線に出るが、それを迂回すると石垣の家が出てくる。この辺は、ゆったりとした家々が並んでいる。写真のような、平屋建ての洒落た家を見つけた。

Photo_5 坂を登っていくと、17世紀の初頭に久保田氏のよって築城された城跡へ出る。雨が降っていたので、花見客が青いシートで円座を作り、写真のような傘を差しての花見を行なっていた。そのころには、風も出ていたので、早々に切り上げて、姉の家に急ぐことにした。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。