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2010/04/13

顔について

人間の顔が人間関係を象徴している、という考え方は、個性というものを強調する世の中になった現代では、きわめて当たり前に受け入れられている。たとえば、「美人顔」は社会に受け入れやすいという神話は、強調され続けている。フロイト流に、顔の一部をセックスのシンボルに見立てて、顔の強調はじつは潜在部分の表象であるとする見方も成り立つかもしれない。

Photo 今回作成したテキストに、掲載すべき図があって、それを入れなかったことが気にかかっている。それは、カナダの経営学者ミンツバーグの戦略図なのだが、この図が傑作なことに、身体の一部に、どうしても見えてしまうのだ。それで、ミンツバーグは女性たちに何に見えるのかと問うそうだ。ときには、セクハラになるかもしれないという図と質問なのだが、錯覚というのは恐ろしいもので、じつはそうではなく、ミンツバーグの意図しているのは、この図を遠目でみればすぐわかるように、「顔」に見えるというのが正解ではないかと、わたしはつねづね考えている。

今日は午前中にはやばやと、出席すべき委員会が終了し、仕事も断片的だが行ったので、昨日の薬が効いていることもあって、午後は新富町にあるギャラリーで開かれている「加藤泉展」を見に行く。当初は、先日大阪で見た「ゼロ年代展」に関係させて、ゼロ年代がどのような時代であったのか、そのヒントを探ろうという通俗的な関心できたのだが、間違っていたことに気づく。

http://www.arataniurano.com/artists/kato_izumi/index_en.html

問題は、ここでも「顔」であった。この展覧会に出展されている「無題」の連作には、いろいろな意味と、シンプルな形象とが仕掛けられていて、無数の解釈ができる工夫がされているが、共通に描かれているのは、基本的な要素を持った「顔」であることは間違いない。

つまり、顔は戦略的なシンボルを多数備えているのだ。鼻から口へかけての関係は人間欲望の中核を形成し、両眼は横の広がりを、両頬は平面の面積を、さらに額から頭にかけてはもやもやとした想念を表している。加藤泉の顔は、これらを基本にしており、ミンツバーグの戦略図と共有している部分が多いとわたしは勝手に解釈している。つまり、顔は縦組織と横組織のつながりを問題とする普遍的な形象なのだ。

この縦のライン、鼻は男性、口は女性を表わしていて、外を歩いていて、人の顔を見つめてしまうと恥ずかしい気持ちになるのは、このシンボル性に原因があるとすら疑うくらいだ。鼻と口の語る多様性は驚くばかりで、加藤泉がいつまでも同じ対象をなぜ描くのか、という質問に解答を与えている。この縦のラインの秘めた饒舌は欲望がどんどん噴出してくるような契機を与えてくれるのだ。もっとも、「無題」の場合には、葉っぱのような可愛い欲望に過ぎないのだけれど。

ゼロ年代世代特有の、透明性、曖昧性、具体性、イラスト性、レイヤー性、フラット性などの家族的類似性を部屋いっぱいに繰り広げてあった。この多様性を堪能して、有楽町線に乗って、池袋へ出た。

言葉にしてしまうと、こんなことになってしまうが、おそらく現代の顔の持っている、人間生活の戦略的な意味がここには含まれているように思われる。

池袋では、これも見逃していた映画「シャネルとストラビンスキー」を新文芸坐で観る。シャネルの自由さを象徴する、下着のコルセットを脱ぎ捨てるシーンから始まり、奔放な恋愛を繰り広げ、最後のクレジットが終わり、ついに恋人のポートレートにストラビンスキーが収まるのをみて映画も終わる。

これはこれで、シャネル解釈の一貫性を保っている。女性が名誉と地位と権力と金を手に入れたとき、無名の芸術家へ匿名の寄付を行い、独立と自由とを行使する。「わたしは、あなたの愛人ではないのよ」という言葉が、単なる恋愛の関係ではなく、まったく異なる意味を持つに至っていると思う。

問題は、この恋愛活動のシンボルとして、顔が予期を与え、顔が実行を促し、顔が評価を与え、人間行動の支配記号として、顔が映画を引っ張ったことである。シャネルの横顔は、鼻から口にいたる欲望をきわめて強調していた。顔は、ほんとうに戦略的だった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。