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2010/03/04

現実と幻覚と

先日、妹が料理を作ってきて、母の家で食べることになった。中国からお土産で持ってきた調味料の、「花椒」が粒のまま入っている茄子と豚肉の料理だ。これまでも、麻婆豆腐などに花椒の粉などが入っていて、独特の味を出していることは知っていたが、これを丸ごと粒で食べたのは初めてだった。

口にしたことのある人は、印象ある刺激なので覚えていると思われるが、口中が痺れて、そのあとずっと、しょっぱい味が残る。試しに、白飯だけを口に含んでみたが、十分それだけでご飯を食べた気分になるほどだ。

この刺激は一種の麻薬と同じような、感覚を麻痺させる効果を持っている。映画「バッド・ルーテナント」は、ハリケーンのカトリーヌ後のニューオーリンズという状況での、コカイン中毒の悪徳刑事物語だ。木曜日は映画館が男性の日になっていて、割引価格なのだ。いつもより心持男性ファンが多かった。ニコラス・ケイジは癖のある俳優なので、好き嫌いがはっきり分かれるが、今回の映画はちょうどN・ケイジのオーバーな演技が映える役どころだ。

麻薬中毒には、幻覚がつき物だが、彼の場合その幻覚の中に爬虫類が出てくる。映画の冒頭でも、邪悪さを象徴する蛇の映像から始まる。それも表現のひとつだが、彼の幻覚にはなぜかイグアナが出てくる。ときどきのこの登場が面白い。彼だけに見えて、時には歌ったり踊ったりしてしまう。つまり、幻覚のなかで彼自身から何かが抜け出て、世界の構成にダイナミックにもうひとつの要因を付け加えてしまうのだ。

何が言いたいのかといえば、同じ幻覚でも動的な幻覚と、静的な幻覚があるように思われる。ケイジ演ずるテレンス・マクドノー刑事は、かなり積極的な幻覚を経験していて、個性を突き出て、さらに世界を変えようとするような、幻覚作用を描いている。外へ外へと作用が向かっていって、他者へ他者へと影響が拡大していく。

同じ幻覚を描いているものでも、日本映画では表現がかなり異なる。映画「人間失格」は太宰治の同名小説を映画化したもので、やはり主人公が麻薬中毒へ陥っていく。それを象徴するシーンでは、花火が使われていて、トンネルの雨の雫が途中から、線香花火の雨に変わるのだ。けれども、この幻覚が世界を変えることはない。あくまで、美的な感覚の問題に止まっていて、それ以上の作用を及ぼすことはない。この結果、麻薬の作用は、本人自身を傷つけ、内部へ内部へと影響を及ぼし、最終的には本人自身が崩れてしまうことになる。

ちょうど同じ時期に、日本の幻覚作用と、米国の幻覚作用とが映画で描かれているのは、やはり何かの符牒に相違ないのではないか。幻覚をそのまま通り過ぎるのではなく、何なのだろうと、眺め考えることが必要な時代になっていることを感じている。マグドノー刑事が映画の最後の場面で、正気に返って水族館に座り、自分が助けた男と何か考えている。これが重要なのだと思われる。

どこかで見たような場面じゃないかと考えたら、ドンキホーテが浮かんできた。麻薬を打たなくとも、十分に幻覚を味合うことができるのが、人間の特質だと思う。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。