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2010/02/06

親密さ

親密さには、家族のようなものから、コミュニティや友人のようなものまで、類型は数多くあるのはたしかであるが、ほんとうに親密だということを言いうるには、このような形式的な関係だけでは、言い尽くせないものがそこにあるのも、たしかだ。

映画「抱擁のかけら」を観て来た。会った途端にそうならざるをえないような関係、という親密さを演じさせたら、女優ペネロペ・クルスに適うものは現代ではいないのではないか。また、このような演技を取り出す、アルモドバル監督もすごい。映画「ボルベール」のときには、香りや匂いが官能的に画面に現れていたことで、印象に残っている。このときも、家族の親密さは(父親との関係以外は)うまく描かれていた。

特別なことを特別なこととして、近しく感じ合えてしまうというのは、人間本能の一種だと思われる。けれども、このような本能は、おそらく絶えず磨いていなければ曇ってしまうような、限りなく鋭敏なものなのだと思われる。

わたしたちも日常の中で、少なからず発揮していることはたしかなのであるが、それはほんの一瞬でしかないから、身が持つのだと思われる。演技だとはいえ、常にこのようなことを演じなければならない女優業というのは、たいへんな職業だと思う。

わたしたちは日常生活で、特定の人にしか、親密さを感じないからこそ、その親密さに意味が出てくるのだということになっている。けれども実際は、親密さが複数にならざるをえないのが、現代の生活だ。だから、現代人は少なからず俳優的な側面を自分の生活のなかで持ってきてしまっている。

このような親密さの演技を持続するペネロペ・クルスの日常はどのようになっているのか。今回、ずいぶんと痩せたような印象を与える。今度はもうすこし太って、また猛烈な親密さを演じてもらいたいな、と思っている。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。