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2009/12/29

広隆寺の半跏思惟像

Photo じつは、父親はわたしが生まれる前から、広隆寺の弥勒半跏思惟像が好きで、家には大きな写真があった。母に聞くと、結婚前からすきだったらしい。それで、わたしも物心つく頃からこのことに思い入れはあったのだが、じつは実物を訪れたことはなかったのだ。妻は以前に、伽藍の寒さに耐え、ずっと眺めた経験があるらしい。娘も、修学旅行で拝観したそうだ。

遅ればせながら思い立って、昨日大阪から急遽京都へ向かって、阪急の西院から路面電車風の京福電車に乗り換えて、太秦の広隆寺へ着くコースで寄ってきたのだ。

駅前の喧騒は、山門を入った途端に消えてしまった。長く続く石畳が心を落ち着かせる。まっすぐ直線的に目的に結びつかせるデザインとは異なり、ちょっと微妙に方向を変えて、奥行きを出している。

主眼は、仏像見学である。早速、伽藍に足を踏み入れる。12神像には圧倒された。けれども、明らかに中国文化の像だ。静態の像のなかで、動態を見せる像だけ、重要文化財に指定されていて、重要文化財基準の平板さが窺い知れる像群だ。

先日の青不動がイメージの中に残っていて、ここの不動明王をみても、それと対比してしまう。昨日の法善寺でのお不動さんも、そうだった。ほかの像と比べると、背景や、道具や、下半分に特色があることが、ここでもわかる。ここの不動明王は歯を上向きに出していて、怖さをより倍加させた表現を使っている。このような歯の向きを描いている不動明王では、最古だという。縦のバランスと横の刀と糸のバランスを計ってみたが、見事な配置を見せていると思われる。

大きな観音像が二体あり、それぞれ8手の像と千手の像であった。なぜこのような多くの手を必要としたのかに思いを馳せた。現代になるほど、人びとは多機能的になる、というのがわたしの命題なのだが、それがすでに平安期には始まっていたというのは、想像するだに楽しい。奈良の人びとも、忙しかったのだ。少なくとも願望の限りは・・・。ちょっと直感的すぎる推測かな。

さて、問題は弥勒菩薩半跏思惟像である。とても美しいが、不思議な像だと思う。不思議さは、第一に、この後の天平時代の半跏思惟像や、大陸や半島からもたらされた半跏思惟像と、似ている部分も多いけれど異なる意匠を示している点である。全体的な雰囲気がまったく異なるのだ。頭の髪の毛がほかの弥勒菩薩では顕わになっているのに対して、ここの弥勒は頭巾をつけているかに見える。宝髻というのだそうだ。あるいは頭髪が抽象化されているかのようにも見えるが、これは他に例を見ない。新羅の弥勒半跏思惟像のように、髪を三つの山型に形づけた、三山髻にも似ているが、この宝髻がかなり抽象化されていて、それで頭巾のように見えてしまう。

第二に、細かく見ていくとそれがわかるが、シンプルさに特徴があると思う。身体が天平の体つきとはまったく異なり、いわば近代的なダイエットした身体つきなのだ。それは、この時代以降、近世まで見られなかったシンプルさを現わしているのではないかと思われる。つまり、近代のデザインに通じている。西洋の人びと(パンフレットには、「人間存在の最高」を描いているとする、ヤスパースの小文が載っていた)が、この像に魅せられるのは、世界共通のシンプルさが見られるからではないだろうか。シンプルさは、人びとの想像をシンプルにする働きを持つばかりか、さらに人びとの想像力を呼び込んで、人びとの想念を豊富なものにする。簡素なものほど、人びとの感性を吸い込み、かき立てるのだ。想像力の参加を呼び込む媒体として、この像が存在する。

第三に、先日からどうしても気になるのが、上下のバランスだ。この半跏思惟像の場合も、上半身が注目され、特に首から上のアルカイックな微笑みに注目が集まるのは致し方ないとしても、それ以外のところでも、じつはかなり力がはいっているのが見逃すことができなかった。今回の半跏思惟像でも、下半分に注目した。全体からすれば、ちょうど像のちょうど半分を占めている。半跏の状態がきれいで、すっと伸びたひざ下が襞の衣と対比されていて美しい。

なぜこのような異なる意匠の半跏思惟像が成立したのか、という疑問が沸いてきて困った。今となっては聞く事はできないが、父親はどのように考えていたのだろうか。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。