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2009年12月に作成された投稿

2009/12/31

大晦日

年も押し詰まってしまった。今年は、書くことと番組つくりに追われた一年間であったという感が強い。放送大学の講義の制作年にあたっていたので、この思いは当然であるのだが。

これまでにも、1年間に3冊仕上げた年もあったから、それから比べれば、今年はそれほどではないかもしれない。一年の最後に当たって、どれほど仕事をしたのか、原稿用紙の数で測ってみた。

1冊のほうは、学部の講義なので、10ページほどを5章だから、約100枚すこしである。もう1冊は、大学院の講義なので、15ページ平均で、15章だから約540枚書いたことになる。これらは、今年の初めから準備ははじめていたのだが、実際に書き始めたのは、1学期が終わった7月からで、約3ヶ月かかってしまった。

ビデオ制作とラジオ収録が二週間ごとに繰り返し、これも合計で20本。ラジオ収録は2月まで続く。これについても、シナリオ案やインタビュー案などを原稿用紙換算すると、同じ程度の枚数になるが、内容はだいたい重なるので、ここでは度外視したい。

それにどうゆう巡り会わせだったのか、たまたま所属していた大学の委員会で軒並み、執筆を伴う作業委員会が3つあり、ここでも合計で100枚くらいは書いた。それに、論文も少ないとは言え数十枚書いた。

というわけだが、いかに仕事を行ったのかを誇るために、この数字を出したのではない。かつて、ある大学の先生が、どのくらい書けば、大学の先生をやめて、食べていけるか、ということをおっしゃっていて、思い出したのだ。

わたしが今年書いた700枚あまりで、生活が可能かどうか。明らかに無理である。放送大学の規定原稿料は、400字詰原稿用紙1枚当たり1800円くらいである。2000円として、140万円だから、これだけでは絶対に生活できないだろう。執筆期間を3ヶ月から、12ヶ月に増やしても、560万円しか稼げない。

もし作家なみに、1枚1万円もらえるならば、ようやく暮らせても、毎年700枚を書くとなると身が持たない。もっともそのときは講義は免除されるだろうから、原稿に集中すればよいのかもしれないが、それだけの原稿の需要がないだろう。やはり、無理だ。

今年1年、芸術家を取材して歩いた。その中で、なぜ一般の芸術家は貧しいのか、というテーマを1章設けて、追究した。この結論には構造的な理由が見つかったので、書いていてそれなりに面白かったが、実際のところ、芸術家だけの話ではなく、中世には、学者も貧しかったのだ。近代になって、教育制度の中で、学者にスポンサーがつくようになったので、生活できるようになったといえよう。この意味では、取材していて、身につまされる思いだった。学者という職業にとっては、制度的幸運としか言い様がない。

お正月はたいへん混むので、年末に弘明寺観音にお礼のお参りをして、今年を締めくくった。明日から、また心を新たにして、1年をスタートさせよう。

2009/12/29

広隆寺の半跏思惟像

Photo じつは、父親はわたしが生まれる前から、広隆寺の弥勒半跏思惟像が好きで、家には大きな写真があった。母に聞くと、結婚前からすきだったらしい。それで、わたしも物心つく頃からこのことに思い入れはあったのだが、じつは実物を訪れたことはなかったのだ。妻は以前に、伽藍の寒さに耐え、ずっと眺めた経験があるらしい。娘も、修学旅行で拝観したそうだ。

遅ればせながら思い立って、昨日大阪から急遽京都へ向かって、阪急の西院から路面電車風の京福電車に乗り換えて、太秦の広隆寺へ着くコースで寄ってきたのだ。

駅前の喧騒は、山門を入った途端に消えてしまった。長く続く石畳が心を落ち着かせる。まっすぐ直線的に目的に結びつかせるデザインとは異なり、ちょっと微妙に方向を変えて、奥行きを出している。

主眼は、仏像見学である。早速、伽藍に足を踏み入れる。12神像には圧倒された。けれども、明らかに中国文化の像だ。静態の像のなかで、動態を見せる像だけ、重要文化財に指定されていて、重要文化財基準の平板さが窺い知れる像群だ。

先日の青不動がイメージの中に残っていて、ここの不動明王をみても、それと対比してしまう。昨日の法善寺でのお不動さんも、そうだった。ほかの像と比べると、背景や、道具や、下半分に特色があることが、ここでもわかる。ここの不動明王は歯を上向きに出していて、怖さをより倍加させた表現を使っている。このような歯の向きを描いている不動明王では、最古だという。縦のバランスと横の刀と糸のバランスを計ってみたが、見事な配置を見せていると思われる。

大きな観音像が二体あり、それぞれ8手の像と千手の像であった。なぜこのような多くの手を必要としたのかに思いを馳せた。現代になるほど、人びとは多機能的になる、というのがわたしの命題なのだが、それがすでに平安期には始まっていたというのは、想像するだに楽しい。奈良の人びとも、忙しかったのだ。少なくとも願望の限りは・・・。ちょっと直感的すぎる推測かな。

さて、問題は弥勒菩薩半跏思惟像である。とても美しいが、不思議な像だと思う。不思議さは、第一に、この後の天平時代の半跏思惟像や、大陸や半島からもたらされた半跏思惟像と、似ている部分も多いけれど異なる意匠を示している点である。全体的な雰囲気がまったく異なるのだ。頭の髪の毛がほかの弥勒菩薩では顕わになっているのに対して、ここの弥勒は頭巾をつけているかに見える。宝髻というのだそうだ。あるいは頭髪が抽象化されているかのようにも見えるが、これは他に例を見ない。新羅の弥勒半跏思惟像のように、髪を三つの山型に形づけた、三山髻にも似ているが、この宝髻がかなり抽象化されていて、それで頭巾のように見えてしまう。

第二に、細かく見ていくとそれがわかるが、シンプルさに特徴があると思う。身体が天平の体つきとはまったく異なり、いわば近代的なダイエットした身体つきなのだ。それは、この時代以降、近世まで見られなかったシンプルさを現わしているのではないかと思われる。つまり、近代のデザインに通じている。西洋の人びと(パンフレットには、「人間存在の最高」を描いているとする、ヤスパースの小文が載っていた)が、この像に魅せられるのは、世界共通のシンプルさが見られるからではないだろうか。シンプルさは、人びとの想像をシンプルにする働きを持つばかりか、さらに人びとの想像力を呼び込んで、人びとの想念を豊富なものにする。簡素なものほど、人びとの感性を吸い込み、かき立てるのだ。想像力の参加を呼び込む媒体として、この像が存在する。

第三に、先日からどうしても気になるのが、上下のバランスだ。この半跏思惟像の場合も、上半身が注目され、特に首から上のアルカイックな微笑みに注目が集まるのは致し方ないとしても、それ以外のところでも、じつはかなり力がはいっているのが見逃すことができなかった。今回の半跏思惟像でも、下半分に注目した。全体からすれば、ちょうど像のちょうど半分を占めている。半跏の状態がきれいで、すっと伸びたひざ下が襞の衣と対比されていて美しい。

なぜこのような異なる意匠の半跏思惟像が成立したのか、という疑問が沸いてきて困った。今となっては聞く事はできないが、父親はどのように考えていたのだろうか。

2009/12/28

不思議に満ちたエレファントを採取した

年の瀬なのに、長い一日になりそうな予感があった。大阪の宿舎を出て、喫茶店文化取材の一日だ。昨日お休みだった、本町の平岡珈琲店へまず行くことにする。

昨日、この辺をちょっと散策しただけなのに、もう足が条件反射的に動くのは、身体が取材用になっている証拠だ。違う道を辿って、最短の距離を刻むことができている。

入ると意外に小さな店だった。最大限活用しようとすると、使い回しがたいへんらしく、腰掛けようとした席は先約があるとのことで、違う席に移されてしまう。小規模経営の利点は、目が届くということだが、家族ふたりでカウンター席を入れても、25席くらいの一室での喫茶店はちょうどよい規模なのかもしれない。

不思議だったのは、この近辺の会社関係の人びとが顧客だとおもっていたら、それだけではなく、もちろん6人連れの客はビジネスで商談を行っていて、この地区の特色を現わしていたのだが、それ以外に、3人の家族連れがいて、みんな珈琲が好きで来たという感じなのだ。

それから、持ち帰り客がいて、たぶんこれだけ競争の激しいところでもまだ守っているのは、このようなビジネス客以外の追加的な客の存在が大きいだろう。それから、取って置きのこの店が客をひきつけている理由は、特製のドーナッツにある、さらっと揚っていて、このどろっとした珈琲との相性は抜群だ。ドーナッツ鍋がカウンターの後ろにあり、さわさわと揚がっていくのをみることができる。

本町から地下鉄を乗り換えて、環状線の玉川駅へ出る。梅田方向へ向かっていったJR線の高架下、ここにカフェ・バーンホフがある。放送大学の番組でお世話になった、田口さんの「カフェバッハ」の流れを組む店だというので、場所らしさを見にいった。味は、すでに「カフェバッハ」で賞味済みなのだが、やはり関西ということで、すこし違った味を加えていて、ほかの関西苦味系と一線を画しているように思えた。複合的で、重層的な味がカフェバッハの味だと理解しているが、その系譜を受け継いでいると思う。

地域の雰囲気が今一歩わからないのであるが、このような関東風の店構えを関西の人びとは受け入れるのだろうか。昨日と今日飲んできた、大阪の苦味系の系譜とは異なる。この辺の好みは、場所に依存するので、受け入れられるのかということについては、美味しいだけでは判定できない。

その後、どうしても寄りたい喫茶店がもう一軒あって、これまで何度も訪問に失敗していることを思い出し、京都へ出る。

これまで京都に来るたびに、何回か探したが、そのたびに時間が迫ってきてしまって、諦めていた喫茶店なのだ。エレファント・ファクトリーという珈琲屋さんである。この名前の由来は、昔の絵本で、タイの象が輸送や建設の原動力になると聞いたことがあるが、その系統なのだろうか。カップにダンボの耳をもった象が描かれていたが、素直に考えれば、店のご主人のシンボルだということだと思われる。身体が大きくて、聞く耳をもっている、という符牒なのかもしれない。だとしたら、かなり自分ということを意識した方が、この喫茶店を運営しているのだということだろう。

今回は、たぶんうまくいくのでは、という期待があった。京都には、一見さんお断り、という伝統があって、普通の人びとの中にも根付いている。このようなわかり難いところに店を構えるのも、この伝統の現れではないかと思ってしまう。自分のことは棚に上げてだが、観光客にはやはり来てもらいたくないなあ。

おそらく、このまま行けば、私有地の表示がしてあって、行き止まりではないかと思える奥に、横に逃げていく横丁があって、こんな繁華街の中心地なのに、子供たちが遊んでいる。そんな横丁の蔦の絡まった、レンガ造りの急な階段を登ったところに、古い木製のドアがあって、ちょっと開くとえらいことになりそうな予感がする。中に何があるのかわからない、友達でも一緒にいて大丈夫だと念を押してくれなければ、その扉を押すのは躊躇してしまう。

けれども、扉は開くためにあるのだ。なかは、工房風の机や椅子が並んでいて、居心地のよさそうなカウンターが廊下沿いに並び、さらに奥にテーブルがある。コーヒーは、評判どおり、苦味系の美味を出している。一緒に頼んだチーズケーキがしっとりして絶品で、コーヒーとの相性が良い。今度書いたテキストの「まえがき」の再校原稿を抱えていたのだが、3箇所どうしても気に入らないところがあった。ゆったりしたお蔭で、頭の中が瞬間的にぐるぐる、ぐるっと働き、うまく書き直すことができた。

ここの店主は、客の帰るたびに、ドアを開けて挨拶をするのだ。なぜそんな丁寧なことをするのだろうか、と不思議に思った。ひとつは、丁寧な商売人だからなのか、ふたつに、こんなに立地の悪いところなので、リピーターを募っているのか、などと推理していた。1回や2回、雑誌に取り上げられたからといって、またコーヒーやケーキが美味しいだけでは、一回限りの効果しかないだろう。

ところが、違っていた。わたしのような一見の客にも、ドアを開けに来てくれた。そこで不躾ではあったが、質問をしてしまった。「おいしいコーヒーを淹れた瞬間とはどのようなときか」と。ちょっと困った顔はなさったが、ただちに「自分では判断できません。お客の反応が決めることです」とおっしゃった。とっさに、このような至言が出るのは、日ごろからこのことを考えているからだと思う。

ひとつの典型を採取できた思いだった。帰りの道は小躍りしながら、京都駅へ向かった。駅近くのパスタ屋さんで、捕まえた想念に形を与えて、新幹線に乗り込んだ。

2009/12/27

審査旅行

審査旅行という言い方も、おかしい気がするが、学生の方々が勤めながら、徹夜もして書いた論文を誰かが読まなければ一生懸命書いた努力が報われない。もちろん、指導してくださる先生は読まなければならないのは義務だとしても、ほかの先生がこれを一字一句すべてチェックするというシステムも、考えてみてればすごいところがある。

先生方が、日本中を駆け巡って、卒業研究を読みまくっているのだ。読んでは旅行し、旅行しながら読み込む。内容は審査できても、努力は審査できない。でも、これほど貴重なものはない。

それで、今回は大阪へ来ている。今日ふたりの方がたを大阪の先生と一緒に審査した。いずれも力作で、病気になって復帰して書いたり、勤めの間に書いたりしたものだ。欧米では、専門外の一般の人が、専門家を凌ぐような論文をよく書く。それが小説や映画の題材になる。「グッドウィル・ハンティング」や「ジュード」などは、印象に残っている映画だ。

放送大学では数は少ないけれども、これが現実のこととして起こってしまうのだ。いまのところは、あまり表には顕われないが、なかには書籍になったり、修士論文への助走になったりして、成果をきちんと挙げている論文もかなりの数になっている。わたしとしても、もっともっと応援したい制度なのだ。

通常、28日が放送大学の御用納めなのだが、月曜日がセンター閉所日なので、実質的に今日が今年最後の日になる。センター所長のK先生も、わたしたちの相手をしてくださった後、これからセレモニィだとおっしゃって忙しそうであった。

Photo_7 大阪の喫茶店はまだまだ未開拓のところだったので、この際挽回しようとして、欲張って歩き回った。なんばというのでしょうか、ミナミというのでしょうか、この辺の言い回しがわからないのであるが、この近辺に宿を取って、回ることにする。

まず、平岡珈琲店へ行くが、日曜日は休みということで、残念だった。それじゃというので、「サザンクロス」とか「スタンダードブックストア」とか、メモしてきた店を回るが、見つからず、閉めてしまっているものもあるらしい。心斎橋通りをずっと南へ下ってきてみて、チェーンの喫茶店が品揃え豊かに店を構えているので、これと競争しようとすると厳しいな、と思った。

Photo_2 なんばで苦味系珈琲の系譜を継いでいる、「蘭館珈琲ハウス」で濃い目のブレンドを注文する。先日仙台で飲んだ、苦いけれども軽いという系列の味だった。やはり乾いている味だ。この味は、なかなか出せないから専門店では流行るのだろう。

Photo_3 大阪に来たら、夕飯はお好み焼きにしている。カキと豚の入ったものを注文する。東京でもあるではないか、と思うが、しかしここで食べると、違う味がするのだ。郷土料理というのは、やはり場所らしさということが効くのだと思われる。

Photo_4 さらに、ミナミで一番濃い珈琲という「丸福珈琲店」へ行く。外見はふつうの喫茶店のようのだが、一歩店に踏み入れると、懐が深いのだ。奥まで座席がずっと続いている。

Photo_5 喫茶店では、奥深さというのは、必須の条件だ。なかに入っていくに従って、コーナーがいくつもあって、それらがグループの対話を育むのだ。6人とか、8人の客が入ってきて、前もこの席に座ったよね、とか、ああちょうどここが空いていたわ、とか言う。クラス会、街の会合のあとちょっと寄る店なのだと見た。多くの人びとが多様な場所のイメージを持って入ってきて、それぞれ満足させる席が用意されているのだ。これは、余裕がなければできないことだ。

Photo_6 今日最後の珈琲は濃厚な一杯となった。出張恒例となった感がある、映画を観て、宿舎へ戻った。Photo_8

2009/12/25

校正に追われて

校正に追われる日々が続いている。初校は終わり、ようやく再校も終わろうとしている。

原稿を書き終わってだいぶ経つのに、すこしも忙しい感じが抜けきらない。それは昨日のように、ラジオ収録に時間が取られていることも関係しているのだが、それ以上に、校正に追われていることが大きい。

ようやく終わり間近になってきているので、忙しい感じもこれっきりですか、というところなのだが、これっきりがなかなか抜けきらないのだ。このような時間が永遠に続いてしまうのではないか、と危惧するくらいだ。

このようなときには、忙しさに身を任せて、浮遊するに限る。きょうも、校正稿を抱えて、幕張から横浜へ向かって帰り道を移動しながら、あちこちを回遊した。

といっても、最後は編集者の方へ校正稿を送らなければならないので、送るための郵便局か、速達メール便の営業所のある街で、こもってひたすら推敲するのだ。作業に入ってしまえば、数ヶ月前の頭が蘇ってくるので、たいへん懐かしい気分に満たされる。だから、校正という作業は、楽しい。

最近、幕張から横浜へ帰る道で、京葉線の新木場から臨海線に乗って、品川シーサイド、あるいは大井町へ出る道を開拓して、活用している。きょうも、目ぼしい喫茶店を見つけ、校正作業を行おうと、大井町の駅前を散策した。

メール便を送る営業所は、2箇所見つけたのだが、肝心の校正を行う喫茶店が見つからない。たいてい、宅配便の方に聞けば教えてくださるのだが、どうもあまり良い喫茶店はないらしい。珍しく機能的な街なのかもしれない。

それじゃ、というので、駅ビルへ昇って、ケーキ屋さんを物色する。結局は、最近女性が喫茶店の需要層になってきており、男性はあまり喫茶店にはたむろしなくなったのだ。だから、女性が入るようなところを見つければ、美味しいコーヒーにありつけるのだ。

あった、あった。格子の窓から、中を覗くと、ちょうど隠れ家風になっていて、長居できそうなスイーツの店である。さっそく、原稿を広げて、ケーキを食べながら、校正に入った。遠めにみても、家族連れや、女性同士のグループが多い店で、装飾の具合などからして、わたしなど場違いな感じがないことはないが、背に腹は変えられない。

ちょうど時間がよかったらしく、客がわたしのまわりだけ、入ってこなかった。落ち着いて、3時間ほどかかって仕上げる。さっそく、さきほど見つけたメール便の営業所に駆け込んで、発送する。

送ったという解放感に浸って、家に着くと、なんということか、郵便とファクシミリと、さらにパック便で、次の校正稿が届いていた。

2009/12/19

雪の中の講義

Photo 朝、目を覚ますと、外は雪。積もるまでには至らなかったが、宿泊所を出て、宮城学習センターへつく頃には、外套に雪がかなり付着していて、手で払うほどだった。写真では、垣根の雪しか見えないが、実際には吹雪までとは行かないが横殴りの雪が降っていた。地元のひとに聞いても、本格的な雪は今年初めてだとのことだった。

講義室は40人定員の部屋で、おかげさまで満員だった。風邪をひいた方から連絡があったりして、欠席は4人。これまでに数回、仙台では違うテーマで講義をしていて、そのときやはり出席なさっていた人びとの顔もみることができてうれしかった。

今回は、ことし1年面接授業のテーマとして掲げてきた「魚市場」をめぐる問題についてだ。ベスター著『築地』を題材にしてきた。今回で、このテーマは最終ということになる。講義を進めて、切れのよいところで顔を上げて、時計をみると、いつもちょうど休憩時間に当たっているのだ。1年間ずっと講義してきたので、時間感覚が身についてきているのだと思われる。

Photo_2 昼は1時間たっぷりあるので、前回O先生と一緒に行った、学習センター裏の道を隔てたビルの地階にある「カフェ・モーツァルト」へ。まだ、開店時間ではなかったが、人気のない席を占める。ピアノの調律師が入っていて、素敵な音を響かせていた。コンサートでも近々あるのだろうか。

鶏肉のサンドウィッチが美味しいのだが、パンがインドのナンのような素材でできていて、肉厚でやわらかい。コーヒーは苦味系。二杯いただく。庭に面していて、その下は50メートルほどの絶壁になっていて、広瀬川に通じている。庭の雪が新しい。

Photo_3 講義はとんとんと進み、明日のための宿題を出して、定刻17時15分に終了。体力があるときには、1日5時間程度なので、集中するにはちょうど良い時間だ。聞く側の学生の集中力を保つ工夫が必要で、通常の一方的な講義形式だけでは、5時間という時間はかなり厳しい。今回は、風邪気味の方が数名いらっしゃって、顔を真っ赤にしたりしきりに寒いとおっしゃったりしていたので、居眠りする人が出るのではないかと心配したが、それも杞憂に終わった。質問も気の利いたものが多く、出席者との対話を楽しむことができた。

講義のあと、身体の熱さを覚まそうと、歩いて5分くらいのところにある老舗の喫茶店「わでぃはるふぁ」で、ストロング・ブレンドを飲む。「軽い苦味」とメニューに書いてあった。感触がよくて、さらっとした感じだ。苦味というと、典型的にはトルコ・コーヒーのようなどろっとしたものを想像するのだが、この粘りがない。また、酸味もまったくない。乾燥した苦味、砂漠の砂で浄化したコーヒー、といった感触で、独特の境地を開拓していると感じた。

店主に近くの地元のレストランを紹介してもらう。方向だけ確かめて、歩いたのだが、なかなか見えてこない。幸い交番があって、若く目がきらきらした巡査が電話で道を聞いて、教えてくださったので、すぐ到達することができた。この寒さのなか、外での消耗は避けたい。カニオムライスが特色の店だそうで、トマトスープとサラダがついてきた。食べ終わってから、カニはわたしの好物ではなかったことを思い出すほど、美味しかった。

ご主人が横浜の上大岡に住んでいたことがあったそうで、そこで水餃子の「スープ」がたいへん美味しい店があったと、昔話を披露してくださった。言葉で記憶するのではなく、プロは味で記憶を集積するのだ。その味が、このカニオムライスにも効いているのかもしれない。

Photo_5 またもや、ご主人がちょっと散歩なさってはいかが、などというものだから、中心地の定禅寺どおりへ出て、「光のページェント」を見物する。杜の都を強調する催しで、たくさんの人びとをひきつけていた。足元が今日の雪でつるつるに凍っていて、スケートで巡りたいほどだった。

Photo_7 ここまで来たからにはというので、横丁をはいって、以前にもきたことのある、ジャズ喫茶カウントで沈思黙考する。歓迎の意味か、ちょうどコルトレーンのバラードがかかって、講義の熱をさらに冷ましてくれた。もう一枚、サックスとトロンボーンの掛け合いの曲も素晴らしかった。明日に備えるために、早目に宿泊所へ戻って、そこのコーヒーを一杯。

2009/12/18

広島から仙台へ

羽田から広島を経由して、仙台出張という珍しいコースを辿った。朝5時起床だったのだが、震度4の伊豆地震で目が覚めた。それから、広島に着くと、車たちが雪の帽子を被っている。天変地異の中の移動となった。広島は天気晴朗なれど、風強し。

Photo_8 卒業研究の審査が目的だった。地元の先生の協力を得て、社会人の方々が卒業論文を書くという習慣は、たいへん良い制度だと考えている。今回の論文も、生活に根ざした放送大学らしい論文で、自分の見解を十分入れている。現実をきちんと捉えていることと、問題意識が具体的だったことが、評価できるものだった。放送大学の卒業研究制度は、地元の先生方との共同作業という面を持っていて、今回も広島大学のS先生にたいへんお世話になった。丁寧な指導が行われたことが良くわかる内容だった。

Photo_9 広島から仙台への移動時間は、2時間もかからなかった。乗る前に見えた飛行機は、ご覧のような小ささだったので、すこしびびっていた。けれども、飛び立った後は安定していて、しかも速かった。

これだけの移動時間ならば、仙台のひとは、わざわざ東京を経由する必要はない。地方間を結ぶメリットは十分あるといえよう。そんな時代になったのだろうか。それにしても、仙台空港の設備は立派だ。鉄道まで乗り入れている。余計な心配だと言われそうだが、将来運営に人件費がかかりすぎることが無ければよいが。

仙台に着いて、一年に1回はどうしても食べたくなる牛タン定食を三越裏の稲荷小路へ食べに行く。ねぎのスープがこの寒さのなかで、美味しいのだ。隣に座った人たちが何を注文するのかも楽しみで、今回のカップルは追加で、「ハラミ」を追加していた。すこしメタボ系の方がただったので、人事なれど心配してしまった。みんな酒も飲まずに、食べ続けている。

いつも不思議に思うのは、なぜ仙台で牛タンなのだろうか、そしてカキの産地に近いのに、カキ鍋がないのはなぜだろうか、ということだ。

飛行機が遅れたせいで、このあと喫茶店の「ギャルソン」へ行こうと考えていたのだが駄目になった。東京で原稿作成が忙しくて見逃してしまっていた映画「パイレーツ・ロック」を駅前のチネ・ラヴィータでみる。

1966年に英国のロック専門局が海上から海賊放送していたときの物語だ。「カポーティ」のフィリップ・シーモア・ホフマンが主演しているのも見ものだ。中心テーマは、自由と規制というまともな内容だが、そこは英国人特有のユーモアあふれる場面展開を見せて、とても楽しかった。F○○Kという言葉が初めて放送されたという名誉ある放送局なのだそうだ。事故が起こって流れたことにストーリーではしているが、さてどうだか。自由と規制のぎりぎりのテーマとしては、たいへん面白い話だった。

1960年代の音楽がたくさん出てきていた。映画の主人公の女友達がマリアンヌという名前ということになっていて、何故かここでレナード・コーエンの「So Long, Marianne」が流れてくるのだ。

妻と結婚したときに、荷物のなかにこのレコードがあり、異文化としてわが部屋へ入ってきた。何回と無く聞いたことを思い出した。1960年代の音楽など思い出すこともないと思っていたのだが、それは間違いで、無意識のうちに思わず口ずさんでしまう歌を、まだまだ記憶しているらしい。歳のせいか、昔を思い出すことが楽しくなりつつあるのだ

2009/12/16

公共の敵

現代のピカレスク・ロマンの可能性をねらっていると思われる、J.デップ主演の映画「パブリック・エネミーズ」を観てきた。

直訳してしまうと、公共の敵ということになってしまって、映画の正確な意味を伝えることができなくなってしまう。

銀行ギャングなのだから、まぎれもなく社会の敵なのだが、じつは欧米には、公共の敵が大衆から愛されるパターンが「伝統的」に存在する。

公共の敵でありながら、社会から愛される理由はどこにあるのか、というのが、この映画のひとつのテーマなのだ。

もちろん、ロビンフッドなどの時の政府に反抗するという要素は不可欠だが、もうひとつは、個人生活の普遍的なあり方は、ピカレスクの必須条件だ。妻の獲得から、最後の接近まで、異常なまでの愛の追求は圧倒的だ。

もうひとつは、悪代官との対決であり、相手にとって不足ないFBI捜査官パーヴィスの存在は欠かせない。デリンジャーとの対話で、眠れないのは、死への恐怖か、という問いかけに対して、デリンジャーは「コーヒーさ」と言ってのけるところが面白い。デリンジャーを片付けることになって、表面上は勝者となったパーヴィスが、最後には自殺する運命にあるというのも、皮肉な結末だ。

公共というものは、「バイバイ」するに十分価値のあるものだというところがたいへん面白かった。けれども、社会からは、決して「バイバイ」することはできないのだ。

2009/12/14

経済学の教科書

13日に、経済学の最長老だったP.サミュエルソンが、亡くなった。90歳を越えていたのだから、大往生だと思う。

サミュエルソンに出会ったのは、高校時代だった。高校の政治経済授業で、国民所得決定という、1国全体が簡単な図式で説明できてしまうという、そのシンプルさに感激した。

社会科のY先生が、英語版を片手に、講義を行っていって、明解さにびっくりしたのだった。それで、友人と近くの渋谷紀伊国屋へ放課後行き、現物を確かめたのを覚えている。受験参考書を買うお金をこちらへ回して、まだ翻訳のなかった英語版を購入した。

大学に入った頃は、公共経済学が流行っていて、やはりサミュエルソンの公共財論文を大学ゼミでみんなで読んだ。そこでも、簡潔な記述に魅せられた。友人がマルクスを読んでいて、こちらも読みかじったが、圧倒的にサミュエルソンのほうがわかりやすかった。

どちらのほうが説得的であったのかはわからない。というのは、自主ゼミでは、圧倒的にマルクスが選ばれたが、公式のゼミでは、圧倒的にサミュエルソンの論文が選ばれた。レベルの異なる、おかしな比較と思うかもしれないが、次週に読む論文が片方のゼミでは、マルクスで、もう片方のゼミでは、サミュエルソンだった、という時節もあったのだ。大学時代のゼミは、ほんとうに奇妙な趣味に支配されていたのだと、今になると思う。

2009/12/11

内部告発者の二重性

福岡に卒業研究の審査で来ている。審査のあと、研究指導を担当していただいたY先生とケインズの話をしていたら、つい長くなって夕闇が迫ってきてしまった。

ずっと前に、G先生に連れてきていただいた、ふぐ尽くしの店を探して入ったが、模様替えされていて、以前の味は望めなかった。でも、久しぶりの味だったので、おいしかった。宿舎に一旦戻ってから、福岡の街に出る。相変わらず、中洲はにぎわっていて、眠ることを知らないところだ。川をいくつか越えて、キャナルシティにあるシネコンでM.デーモン主演の「Informant!」を観る。

インフォマントは、後になればなるほど余韻の残る、気になって仕方ない作品である。インフォマントとは、情報提供者のことである。一見したところ、俳優マット・デーモンを中心とした、どたばた喜劇のように見えてしまうが、じつは実話である。と期待を裏切るところから始まる。

リジンという旨味調味料商品が鍵を握っている。これを製造する会社の内部告発をめぐる事件を描いている。すごいと思われるところ(他のひとはすごいとは思わないだろうな)は、人格の形成物語になっているところである。ふつう、このような双極性障害(躁うつ病)の場合には、正常な状態から異常な状態が発症して、次第に人格の崩壊へと進んでいく。これが人格障害を描く常套手段だ。

それの裏をいく映画である。つまり、最初はインフォマント初心者だったのだが、次第にあか抜けた、というか、提供を受けるもの達を翻弄する情報提供者に育っていく。その過程が社会的には情報提供者に育っていくとみえて、じつは人格としては崩壊の過程であった、というたいへん興味深い物語だ。

双極性障害といっても、この映画の場合には、ほとんど躁病が強調されていた。実話であるという内容の作り話がすごいところだ。

それでは、どこから情報提供者の物語は始まったのかを、改めてみてみると、もちろん情報提供を受けるFBIが現れた時だといえるのだが、じつはどこから屈折したのかといえば、それは意外に「妻」からの助言に端を発していて、それは虚実の葛藤の生まれるところを示唆している。

つまり、情報提供者として、会社や社会に対して嘘をつくことは大したストレスではないのだ。ところが、妻に対してだけは、特別でここへのストレスが原因で、ひとつの双極性(二面性)が生まれたことがわかる。

主人公のウィテカーは、最初は会社の情報提供についてかなり消極的であった。それが途中からどんどん積極的になっていき、最後は自分でうその情報を造り出してまで、情報提供しないではいられなくなった。最後は、情報提供中毒と化してしまう。

原因はFBIにあるのか、本人にあるのかが問われる映画となっている。現代において、このような人間が成り立つのか、という問題提起が興味深いところだ。現実に影響あるという意味で、あとになればなるほど気になる映画だ。

問題は、やはり多機能性というテーマではないかと考えている。会社の役割と、情報提供者という役割との、二重生活を行わなければならなくなったときに、双極性障害(躁うつ病)が表れてしまうのだ。このことは、病気に至らないまでも、すべての現代人特有の病理現象であると思う。その意味では、この物語はサラリーマンにとって切実な映画なのだと思われる。

残念ながら、映画への批評は、かなり厳しかった。筋が複雑すぎるというのが大方の見方だが、障害を正直に描いたら、やはり複雑にならざるを得ないだろう。この複雑な性格の表れが面白いのだ。病気にとっては、切実なのだ。つまり、前提として、躁うつ病を描いた映画であることを批評諸氏は忘れてしまっているとしか言いようがない。

二重生活の表れがどのように出るのか、わたしにはたいへん興味深く、なるほどと思った映画である。とくに、妻の行動がわからない、という批評もあったが、病人に対する態度であると考えれば、納得がいくと思われる。映画の題材として、よくぞここまで練り上げた、と独断的だがわたしは評価したい。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。