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2009/11/02

集まりの中の記憶

今日は、母が病院で検査だというので、午前中東京へ出て、付き添いを行う。最近の病院は施設が充実してきて、この病院にもコーヒーのタリーズが入っていて、席は満員状態だ。患者で満員なのか、タリーズで満員なのか、わからないくらいだ。

その後、K大の講義のために、神奈川へ帰って、大学への坂道を登る。休日にはさまれた月曜日で、以前にはこのようなとき、大学は休みになったものだ。最近はむしろこのようなときこそ頑張って、講義を行うようになってきている。本来、大学の講義は余暇に行うものであったのだから、休日に一生懸命講義を行うというのは、ほんとうは良いことかもしれない。

さらに、夕方から松戸へ伺った。故A先生を偲ぶ会が気の置けない方々だけ集まって催された。結局、5時間以上もお邪魔してしまった。

話している中で、気づいたことは、記憶の積み重ねがみんなの集まりの中で起こるという現象である。もちろん、記憶は個人のものであり、個人の脳のなかに蓄積されていることは確かだろう。けれども、実際には蓄積されたものと、話す中で出てくるものとが異なる場合がいくつもあるということに気がついた。

どのようなことがそこに作用しているのかは、流行っている脳学者に聞かなければならないかもしれないが、考えてみれば、それは単純なことなのかもしれない。蓄積は個人的に行われても、それを呼び覚ますのは集団の力が作用するということなのかもしれないのだ。

ひとつの思い出を話すと、連鎖的に関連した類似の思い出が次から次へ出てくる。ときにはかなりずれてしまって、異なる記憶へ飛んでいってしまうこともあるが、やはり、集まりには呼び覚ます力があるような気がする。つまり、忘れていることを思い出すには、ひとりの人よりもふたり以上の人のほうが効果があるということかもしれない。

故人については、とくに忘れていることを思い出すのは、わたしたちにとって、かなり重要なことのような気がする。それは、記憶そのものが思い出として重要である場合もあるが、それ以上に、現在を生きるということ自体が、他者との間で記憶を呼び覚ましあって、共同の生活が成り立っているからだと思われる。

そんなこんなで、故人になってからも影響力を与えてくださっているA先生に感謝しつつ、夜汽車に揺られて、横浜へ帰ってきた。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。