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2009年11月に作成された投稿

2009/11/27

観光を斜めに横切る

この時期、京都に来るのであれば、ほかの観光客といかに会わずに、しかしながら、自分の観光を行うのか、ということに尽きる。

京都の中心部の魅力は、1街区歩くと、必ず特徴ある良い喫茶店があって、観光の休憩所としても有効に使われている点だと思う。京都の喫茶店の質が高いのも、もちろん学生街であるからだということもあるが、観光客によって利用されていることもあるだろう。

朝、ホテル近くにある三条のイノダコーヒーへ朝食を取りに行く。7時開店で、いつもは常連客がゆったりと新聞を1時間くらいかけて読み、そして名物の砂糖・クリーム入りのモカ系コーヒーを啜っているだけなので、油断していたら、この時期は満員なのだ。朝、ホテルの食事であわただしく取るよりも、こちらのほうが良いと、わたしを含めた観光客は考えるらしい。

一緒に待っていた家族連れがあり、5歳くらいの女の子が絵を描いていた。ちょうど、わたしの娘がこれくらいのころ、京都観光に連れてきて、午前中ずっとこのコーヒー屋にいたことを思い出した。

別棟の静かな席がちょうど空いたので、つい長居をして、旅行に持ってきた校正原稿に目を通すことができた。けれども、幸か不幸か、電車の中ならば見過ごすようなところだったのが、じっくりと見ることになったために、結局原稿校正は終了できなかった。その間にも、観光客はひっきりなしに訪れて、通り過ぎていく。

ひとつ仕事を行ったことで満足して、お昼は前回やはり満員で入ることの出来なかった、寺町のS喫茶店へ入る。ここは2階のランチが有名なのだが、まだお腹は空いていなかったので、1階の喫茶席で、コーヒーを1杯。ここは客席にむき出しで、焙煎器が置いてあり、さらに年配のご主人が焙煎作業を行いながら、客の接待も行っている。気配りを行いつつ、これだけのマルチの作業をこなすには、相当の訓練が必要だと思われるが、自然の流れを作り出している。見習うべき生活習慣だ。

午後、山科から京阪線に入って、膳所にある大津市生涯学習センターへ向かう。目の前に、紅葉の美しい城址公園があり、その向こうに琵琶湖が広がり、薄ぼんやりと比叡山を望む絶景の場所である。今は、陸続きになってしまっているが、その昔の膳所城は、琵琶湖のなかの出城で陸から隔てられていたそうだ。

幸い、ウィークデイの日中にもかかわらず、わたしの話を聞きにきてくださった方が考えていたより大勢いらっしゃって、話甲斐があった。大津市の「おおつ熟年大学」という、よく練られた企画と、滋賀学習センターの周到な準備の賜物だと思われる。関係者の方々に感謝申し上げる次第である。講演内容は、金融危機と格差社会との関係を展望したものだが、今日的なテーマなので、質問も根本的なものが出て、たのしく対話できたと思う。

帰りに、滋賀学習センター所長のS先生がびわ湖畔を案内してくださった。湖畔際に、喫茶店が4軒集めて建てられたところで、コーヒーをご馳走になった。ジョギング・コースが目の前を通っていて、ちょっと疲れたら、ここに寄って休んで行くらしい。

原稿を抱えて滞在するには、もっとも適している場所だと思った。けれども、いづれの湖畔のホテルも、この時期は満室で、駄目だそうだ。観光客を斜めに見ながら、いずれ資金をためて再来したいと念じつつ、大津を後にした。

2009/11/26

青不動

今年度制作のテレビ科目「社会の中の芸術」の収録が終わった。終わりにふさわしく、最後はワイン文化を取り上げ盛り上げを図った。スタジオに、取材に伺った醸造所のワインをずらっと並べ、話をスタートさせた。

話の中の必然性?で栓を抜いて、ワインをグラスに注ぐと、スタジオ中に豊かな香りがぱっと散って、感覚を刺激した。これまでの苦労がねぎらわれるようで、幸せな気分だった。

もちろん、これは授業であり、学生や先生方の中には、授業中にワイン抜くなんてとんでもない、というご意見の方もいらっしゃるので、飲むところまではいくことはできない。雰囲気だけを演出しただけにとどまったのは、ちょっと残念だった。世の中でストイックに構えるべきところでは、そうすることが重要だと思われる。もっとも、講義には流れがあるので、取材ビデオのなかで勧められたところでは慎み深く賞味させていただいたが、これは役得ということだろう。

テーマとしては、「グローバリゼーションの世の中で、いかにローカル性、地域性、固有性ということが成り立ちうるのか」ということを、山梨県勝沼町のワイン文化を取材しながら考える、というもので、たいへん興味深い話をいっぱいインタヴューしてきたので、乞うご期待である。

最初は、このような講義が成り立つのかという不安はあったのだが、終了してみると、何か壁を破って、すこしではあるが、向こう側を垣間見ることができた、という思いだ。今回の機会を与えてくださった、同僚のA先生と「人間と文化」コースの先生方に感謝申し上げる次第である。

ワインを一口も飲まずに出てきてしまったのは、ほんとうに心残りだったけれども、言葉どおり、新幹線に飛び乗って、京都へ向かう。明日、滋賀での放送大学の公開講演会を引きうけていたのだ。

前日に京都入りしたのには、理由がある。哲学のS先生との雑談のなかで教えていただいたのだが、今回約1000年にして、初めて公開された絵があり、それを観たいと思ったからである。青蓮院の青不動である。

うわさに違わず、すごい。平安時代の乱世にあって、「不動」という大日如来のメッセージを見事に伝えている。中央に座していて、不動の「強さ」は圧倒的だ。忿怒の相を見せて、上には火の鳥、下にはふたりの童子を従えているという、縦の寓意と、両手方向に水平へと広がる三鈷剣と羂索の横の寓意は、いつまで観ていても、当時の乱世秩序を物語っていて飽きさせない。この時代にも、ネットワーク結合と、ネットワーク切断の思想があったことを知る。

すこし非対称を取り入れているが、バランスのよさは保っていて、安定した安心感を与える。とくに注目したのは、真ん中から、下の部分だ。上半分に目立つ配色や、寓意を明確にしたものが配置されているために、どうしても上半分に目をやってしまうが、これらが目立つのも、じつは半分を占める下の部分があればこそだと思われる。

このなにやらわからない、下半分がじつは全体を統合している、という構図を持っていて、この部分の作者の工夫を見逃すべきではないと思った。作者はきっとここを描ききったとき、やったと思ったに相違ないだろう。

今日の最後は、京都に来るといつも寄る高瀬川脇のMにて、スタジオでは果たせなかった白ワインを2杯飲む。さすがに、ここまでは、紅葉見物の観光客も押し寄せて来ない。

2009/11/13

テレビの距離感

最近になって気になり出したのは、テレビ授業収録のときのカメラとの距離だ。スタジオに入って、しゃべる位置につく。だいたい、カメラは3メートル位のところにあるが、この3メートルというのが微妙なのだ。

つまり、3メートルより内側に入ってくると、顔がアップされてしまい、伝える言葉より本人の本体が勝ってしまうような気がする、そうかといって、3メートルより離れてしまうと、しゃべる本人ではなく、風景や背景が目立ってきてしまう。

つまり、テレビでものを言う場合には、3メートル原則がちょうどよいことになる。だから、通常の講義でも、講義室の中で教壇から、3メートル離れたらもうテレビ授業のほうが臨場感は勝っていると言ってよいだろう。

生講義だから、多少緩くしても、5メートル離れたら、講義室で行う意味がない。もっとも、ほかの学生との関係があるから、この効果は別問題としなければならないが・・・。少なくとも先生との距離感からすれば、こちらから眺めていて、5メートルより離れて座っている学生のこころを慮ることはできない。それで、先生によって、言葉つぶてを遠くの学生に投げる方がいらっしゃるが、それは物理的距離が圧倒的に足りないことを理解していないのだと思われる。

NHKの番組で、「世界街歩き」という番組が好きで、たびたび観る。今日も夜遅く特集を行っていて、サンフランシスコ編とミラノ編を再放送していた。

きわめてテレビ的だなと思うのが、この距離感なのだ。街歩きでふつうは遠くから眺めるという傍観者的な番組が多いのだが、じつはこの番組では、明らかに前述の3メートル原則を大幅に破っている。

サンフランシスコでは、人の家の裏庭にずんずんと入っていくという魅力を見せていた。1メートルまで迫って、人のあとをカメラがついていく。そして、ときどきカメラマンの足くらいまでは、カメラに写ってしまうことになる。

つまり、「世界街歩き」では、1メートル原則で撮っていることになる。けれども、1メートル以内には、絶対に踏み込まない原則を守っている。たとえば、旅人がこんにちわ、と挨拶はするが、土地の人はあまり挨拶を返さない。あとで吹き替えで入れているせいかと、最初は思っていたのだが、それだけでもないようだ。あるいは、カメラは表面さらりとした説明ならば聞くが、どろどろした心の内側にまでは踏み込まない。これは、きわめてテレビ的だと思う。

テレビは、あまりに詳細な映像であるために、何でも写してしまう癖がある。だから、どこかで抑制が必要なのだ。クールを保っておいて、視聴者の想像力を読み込む工夫が必要なのだ。

路面電車が出てきて、外側から近接を試みる。けれども、決して路面電車には乗らない。乗ってしまうと1メートル原則を破ることになるからだ。喫茶店にせっかく入っていくのに、立ち止まることなく、決して座ってしまわない。これも1メートル原則を守っているからだ。

だから、「世界街歩き」をみていると、ぼんやりと街を歩いている気分に浸れるのだ。もし詳細なレポートが送られてきてしまったら、こんなにぼんやりとは観ることができないだろう。このように、情報量が多過ぎることをさけて、ぼんやりと見過ごすように作らなければならないという宿命を、「世界街歩き」は一心に受けて、つまりはテレビ的世界をいつも写してくれているのだ。

2009/11/10

「わたし出すわ」

午前中、来年度制作する授業番組の打ち合わせが、虎ノ門にある放送大学の東京連絡所で行われた。天気が良かったので、新橋から歩いた。

なぜ歩いたのかと言えば、最近この地区の再開発が激しくて、ちょっと見ないうちに二階建ての古い商店が、近代的な八階建てのビルに変わってしまうために、それを確かめるためなのだ。それにしても、そんなに事務所の需要があるのだろうかと要らぬ心配をしてしまうほどだ。

減価償却が終わった建物こそ、社会的には利益を生むと考えているものとしては、たいへん残念な傾向が現れ始めている。歩くことで、街の雰囲気を掴んで、記憶の中に蓄積していく。それで何があるというわけではないが、ちょっと会議が早く終わったりしたときに、記憶された喫茶店に入ったりするのだ。それには、風景は変わらないほうが良い。蔦の絡まる古いビルのままで良いのだが・・・。

打ち合わせのほうは、順調に進んだ。ふつう、このような会では、テレビ収録とテキスト編集についてのスケジュール打ち合わせに終始するのだが、先生方の思い入れが強いのだろうか、内容の議論にたびたび発展し始める。それほど、面白いテーマなのだ。5人の先生方が担当するが、それぞれの個性がぶつかり合う、ちょっと異色な授業科目になる予感がする。これまでの経験からして、沢山ぶつかり合うほうが、結果としてよい科目になるのだ。乞うご期待。

2 ほかの先生方は、本部幕張の会議に出席するために、急いで地下鉄へ向かうらしい。折角新橋まで出てきたので、このまま帰るのはもったいない、ということで、久しぶりに銀座の喫茶店「らんぶる」へ寄って、ブレンドを注文する。

Photo その後、(中学生の頃だったが)初めて銀座で映画をみた劇場、銀座テアトルシネマ(当時は、テアトル東京だった)へ向かう。テアトル東京が閉館するときにも、あの評判の悪かった映画「天国の門」をここで観た。

森田芳光監督の映画「わたし出すわ」に入る。主人公のマヤが東京から函館へ帰ってきて、高校時代の友人を訪ねる。ここで、この美しい魔法使いは、一人ひとりに資金援助を申し出る。さて、何に使うのか、その資金はどこから得たものなのか、謎が謎を呼んで、悪い魔法使いまで呼び寄せることになる、という現代版のグリム童話である。

解釈がそれぞれの人によって異なるであろう、と主演の小雪が言っているので、そのとおりかもしれないが、わたしにとっては、これまでのところ本年度最高の映画だと思っている。熟練たちが造った映画だな、という印象が残った。もっとも、この良さは十分に歳がいっていないとわからないかもしれない。

何が良かったのかといえば、幸福について「互酬」という手法で徹底して描いているところが、映画的で、現代的なのだ。AからBへというプレゼントが、BからAへ返されるのではなく、BからC、さらにCからDへ・・・Nへと伝わり、最後にまたAへ帰っていく仕組みが日常として幾重にも描かれている。

なかでも、大きな「互酬」として、友人たちへの善行であるプレゼントが、最終的な自分への返礼というプレゼントとして帰ってくるところが感動的だ。また、小さな「互酬」としては、友人たちとの付き合いが、さまざまな形で、返礼(時には負の返礼)として表れてくるのだ。(これらは観てのお楽しみ)さらに細かいことには、外国とのビデオ電話会話のやりとりも「互酬」的な雰囲気を持っているのだ。

儲けて、貯めて、そして惜しみなく、与える、という原則が冒頭のテーマで提示され、物語は始まっている。とことん、互酬を追求している。あまりに、多義的に描いたために、皆の解釈はそれぞれ異なることになっているが、結局はひとつのことを言っている、そういう映画だと思われる。「友愛」が世間では問題になっているが、このようなレベルならば、友愛関係も具体性を持つと思われる。

Photo_2 帰り道、いつものコーヒー豆屋さんへ寄って、コロンビアとパナマ産の豆を購入した。今日の最後の一杯は、穏やかな酸味が効いて、薄く煎れたホンジェラス(内乱が心配だが)だった。

2009/11/09

酩酊文化と葡萄酒と映画

ようやく歯科の先生から、OKが出て、これでしばらく様子を見てみましょうという段階に達した。祖先から受け継いだ歯は、脆弱さを持っていて、数年に一度は爆発を起こす。そうなったら、原稿を書いていても、映画を見ていても、かつては何も手につかなかった。

このような状態が、ちょうど原稿を書いている最中にピークとなった。これが一番きつかった。今回は、後から考えてみると、肩こりが激しくて身体も最悪、事件が次から次へ起こって回りの環境も最悪、さらに仕事も、5つから6つの異なる原稿群を同時に書くという状態を3ヶ月続けたことになる。振り返ってみると、よく切り抜けたなというところだ。この間、支えてくださった方がたに、この場を借りて、感謝申し上げたい。

なぜ切り抜けることができたのかは、外的状況については幸運が続いたことがあるが、個人的にはやはり、葡萄酒と珈琲によるところが大きいと思われる。昼は、コーヒーで覚醒を図り、夜は、葡萄酒で酩酊に沈んだ。この起伏が良かったのだと思われる。

それで、肝心の歯の治療は、何回かできなくなったが、それも今日で、すべて完了ということだ。結局、歯が治っていれば、もっと仕事が速く進んだのかもしれない。それはそうかもしれないが、この年齢になってくると、歯の痛さも楽しみ(苦しみ)ながら、原稿が書けるようになるのだ。今回原稿と歯の治療がほぼ同時に、終了になるというのも、常日頃からの不徳と不摂生のいたすところと観念しなければならないだろう。先生の言うことをよく聞いて、歯磨きの方法を改めなければならないと反省した。

午後からは講義で、そのあと、日本版映画「サイドウェイ」を観る。米国版が以前かかっていたときに見逃してしまっており、その後忘れていた。今回、葡萄酒のことをすこし調べていて、関係あるかもしれない、と見てきたしだいである。映画批評をみると、米国版と比べると、あまり評判は良くない。

原因ははっきりしていて、現在日本のワインブームを見誤っているとみた。このテーマで映画館へ足を通わせるのは、ワインファンなのに、ワインのことに関して、米国版より見劣りがする。これは、レトロ映画を製作するときに、はずしてはならない点である。現在の映画ファンは、多様化している。だから、映画の演技がよければ、脇役は必要ない、などと言えないのだ。

俳優と同等の葡萄酒の魅力をとことん見せて欲しかった、と言うところだ。酩酊文化には、十分過ぎるくらい、サイドウェイに通ずる魅力がある。

もしこの映画を甲州の勝沼で撮っていたら、面白かったかもしれない。葡萄酒の業界には、まだまだ女性の仕事場は限られているらしい。しかし、この映画で登場したようなテイストの係りとしての職場は、勝沼でもいくつか存在しており、これはブドウ畑と一緒にとれば、かなり絵になるところだ。

米国版そのままの脚本で、日本版でも、葡萄酒のピノ=カベルネ論争を取り入れていた。ピノ種は複雑で、生産が困難な葡萄であり、テロワールが良く出る。これに対して、カベルネは耐久性に優れるために、どの土地でも育ってしまう。テロワールがあまり出ない。それはそうだが、カルフォルニアで日本人が論争しても、あまり面白くないだろう。それよりも、甲州種・シャルドネ論争を甲州で繰り広げたほうが良いのではとちょっと考えた。

と、取り留めのない空想話になってしまったが、勝沼の葡萄酒を飲みながら、ひとり細々とした仕事の反省会を開いたしだいである。

2009/11/07

歩いても、歩いても・・・・・・。

Photo

今日獲得したのは、「虚ろい(うつろい)」という言葉だ。帰ってきてから、体中のあちこちが痛い。といっても病的なものではなく、筋肉痛プラス倦怠痛Photo_2あり、結局のところ、これまで運動不足で使わずに いた部分で虚血していて、そこに一挙に血が還流したため、それで体中が驚いている状態なのではないかと想像する。

Photo_3「虚ろい」という言葉は、今日のウォーキングの事前講習で、横浜国大の運動生理学のE先生が使われた言葉で、「血液がうまく循環しないこと」は身体によくない、という状態を指したものだ。Photo_4

神奈川学習センターのウォーキング会へ、リーダーのFさん、Kさんから招待を受けたので、今日はたっぷりと英気を養おうと、はりきって参加した。

ほんとうは、ボランティアの一員なので、もっと貢献しなければならなかったのだが、今年は仕事の巡り会わせが悪く、お手伝いできなかった。それでも、参加することに意義があるということで、とりあえず、本番だけに駆けつけたしだPhoto_5いである。

出発時には、気温もそれほど高くなく、しかし、空は晴れて青空が広がっていて、最高のウォーキング日和となった。学習センターの前、ストレッチ体操でひざを伸ばして、青空へ向かって出発だ。

E先生には、両手を振って、歩幅を均等に、早足で歩くように、と言われていたのだが、大岡川の並木道沿いの桜の紅葉を見ているうちに、すっかり幸福な気分になって、精神は運動よりもおしゃべりのほうへ傾く。

Photo_680名ほどの参加者があり、7班に分かれて、歩きははじめた。それで、ついつい小集団特有の、Hさんたちとのおしゃべりに夢中になってしまう。もちろん、要所要所でのリーダーの歴史解説はたっぷりとお聞きした上ではあるが・・・。

Photo_25 昨年のウォーキング終点の大通り公園は、ことしは中間点くらいにあたり、これを過ぎてからも、かなり歩いた。公園では、ちょうど職人の方々が実演を行っていて、木工のところでは、使い古された道具が飾られていた。作りたてのブックエンドが売られていて食指が動いたが、H先生の共感を得ただけで我慢した。

Photo_10歴史はいよいよ明治時代の「関」の内に話は進むことになる。写真では、遠くにちょっと見える横浜市庁舎があるが、ここには地域の魚市場があったらしい。さらに石川町の手  前には、製鉄所(船の修繕のためのもの)があり、道はさらに進んで、元町の商店街の裏手を進むことになる。

Photo_111本違う道から見ると、元町もちょっと異なった様相を見せる。丘のうえには、外国人の住宅があり、そこから堀川を渡って、居留地へ通う道として、元町を垂直に横切る道があり、突き当たりには「百段階段」があったらしい。現在の「霧笛楼」の辺りだ。

Brooksそれにしても、元町に「みなとみらい線」が開通してからは、渋谷と直結しPhoto_12たこともあって、ブランドが大挙をなして押し寄せてきた。Bなどもそうだが、明治時代に「アイス・カンパニー」製氷会 社のあったところには、冷やすどころか、熱い結婚式場が立っていた。

Photo_23 海岸通に出る手前には、ヘボン式ローマ字を作ったヘボン博士の家があったそうだ。今はレリーフ が飾られているが、この黒い穴の中Photo_13を覗くと、姿を拝見できる。

海岸通は、ほんとうに久しぶりだった。それで、マリンタワーが例の150周年記念に改修され、新たなビルになっていて、この辺の賑わいのすごさに驚いた。英国7番Photo_14 館も整備されて、ニューグランドホテルのならびに姿を見せていたが、このような様式の住宅なら、いくつか並んで姿を残していないと、見映えがしない。Photo_24 つまり、建物にとっては、単なるレンガの保存よりも、街並みが重要なのだ。Photo_15

並木道には、イチョウの木が黄緑の葉を最大限伸ばしていて、遠くに見える山下公園を、カーテンのように遮っPhoto_17 ている。その中を、市営バスの赤い靴号が観光客を運んでいた。振り向くと、ちょっとしゃPhoto_18れたもう一台の市営バスも角を曲がって姿を見せた。

最後は、象の鼻公園で解散。余力を残した人びとは、そPhoto_19のまま大桟橋の木のビルの上から、夕陽の沈むのを見て、今日のウォーキングの熱を冷まし、ランドマークタワーと、大観覧車Photo_21のネオンを魚にビールを飲んだ。

問題は、これでPhoto_22「虚ろい」は直った か、ということになるのだが、身体の血の巡りは見違えるほどよくなったことは、皆の顔色からわかるが、さて心のなかの「虚ろい」まで直ったかどうかは、ちょっと外見だけからはわからない。

2009/11/06

「一瞬も一生も美しい」という共通感覚

Photo_4 約束の時間まで、1時間以上あったので、花椿通りからすこし行った昭和通り沿いにある喫茶室「ウエスト」に入る。ちょうど、ハープシコードで「平均律クラーヴィア曲集」が流れていた。

学生時代のアルバイト先に、芸大や東工大の友人がいて、銀座に出る機会があると連れてきてもらっていた。今日のように、男一人で堂々と入ることが出来るようになったのは、老年に達したという証かもしれない。白いテーブルクロスや白い壁はちょっとまぶしいが、銀座で落ち着いて一息つくには、とても良い空間を保っていると思う。

Photo_2 今日は、資生堂宣伝制作部のYさんへ取材を申し込んであり、ここまで準備にかなりの時間をかけてきた。それほど、今回のインタヴューには、期待できるという予感があった。

銀座には、資生堂ビルがいくつかあって、今回はその中で、本社ビルにある「ハウス・オブ・シセイドウ」でビデオ収録が行われた。ここはギャラリーになっていて、資生堂の創業時からの商品や広告の主だったものが展示されていて、見学者が後を絶たない。通常は会社帰りのサラリーマン・ウーマン風のひとが一人で見ているが、ときには外国から少人数の団体客もきている。ちょうど、今日も大きなテーブルで、中国からのグループが説明を聞いていた。

期待どおり、インタビューの話の内容はたいへん興味深いものだった。おそらく、広告会社以外では日本で唯一、会社内にすべての広告部門のデザイナーを抱えている会社ではないかと思われる。80名のデザイナーを抱えているそうだ。いわゆる、インハウスデザインを展開して、90年以上が経っている。

Photo_5 話は広告美術についてであるのだが、このような資生堂スタイルを形成するに至った経緯から、さらになぜインハウス方式をとるのか、というたいへん面白く奥深い話をたっぷりと伺ってきた。来年の4月には、ぜひご覧いただければ、とここで宣伝しておきたい。

もちろん、創業時の新聞広告、初期のヒット作オイデルミンから始まって、唐草ポスター、前田美波里のビューティケークポスター、「ゆれるまなざし」ポスター・・・という資生堂ポスターがたくさん出てくる。Yさんの作品も特別に取り上げていただいて、詳細な解説がご本人から聞ける。

結局、45分番組にもかかわらず、いつものように、その倍以上のビデオを収録させていただいた。半分に縮めるのは、ちょっと無理かもしれないな。

Photo_6 今日のインタビュー取材が終わって、放送大学に勤めていて良かったな、とほんとうに思った。わたしのしゃべる部分をカットしてでも、今日の話をたっぷりと入れて、授業番組を作りたいと思った。制作のみなさん、よろしくお願いします。

ソニービル前へ出ると、自分の感覚が急に現実に戻ってきて、周りをぐるっと見回す余裕ができた。すっかり暗くなった銀座の街のネオンが眩しかった。

2009/11/04

C・レヴィ=ストロースが亡くなった

クロード・レヴィ=ストロースが10月30日に亡くなったとの報道があった。100歳だったそうだ。

最初に読んだ本は、『悲しき熱帯』であったが、その後続々と翻訳が出た。ちょうど大学院へ入ったころ、ゼミの皆が取りあげたこともあって、構造主義がいっぺんに入ってきた。

『親族の基本構造』は、とくに印象深い。ひと夏、伊豆の民宿で一気に読んだ記憶がある。さらに、「近親婚禁止が親族のネットワークを発展させる」という構造主義の基本原理は、頭から離れず、その後バリエーションを考えて、幾たびか使わせていただいた。

来日したときの講演を何回か聴く機会があったが、文化人類学者らしい発言が耳に残っている。たとえば、人類が戦争を行う、ということについて訊かれたときに、答えて曰く。戦争も人間の営みだから、その現場に行って考えたい、と。

現実を根本的に考えるという姿勢には、いつも啓発された。論文や本の書き方でも、ひとつの典型例を提示していた。まずは、一冊最後まで、全部書いてしまう。その上で修正を加えていく、という書き手の典型だった。まねしようとしても、なかなかまねできない書き方だったが、頭の中では、いつも理想的な書き方として認識していた。あの宇宙大の「概念の積み木」を組み立てることのできる人は、これからもあまり出ることはないだろう。

2009/11/02

集まりの中の記憶

今日は、母が病院で検査だというので、午前中東京へ出て、付き添いを行う。最近の病院は施設が充実してきて、この病院にもコーヒーのタリーズが入っていて、席は満員状態だ。患者で満員なのか、タリーズで満員なのか、わからないくらいだ。

その後、K大の講義のために、神奈川へ帰って、大学への坂道を登る。休日にはさまれた月曜日で、以前にはこのようなとき、大学は休みになったものだ。最近はむしろこのようなときこそ頑張って、講義を行うようになってきている。本来、大学の講義は余暇に行うものであったのだから、休日に一生懸命講義を行うというのは、ほんとうは良いことかもしれない。

さらに、夕方から松戸へ伺った。故A先生を偲ぶ会が気の置けない方々だけ集まって催された。結局、5時間以上もお邪魔してしまった。

話している中で、気づいたことは、記憶の積み重ねがみんなの集まりの中で起こるという現象である。もちろん、記憶は個人のものであり、個人の脳のなかに蓄積されていることは確かだろう。けれども、実際には蓄積されたものと、話す中で出てくるものとが異なる場合がいくつもあるということに気がついた。

どのようなことがそこに作用しているのかは、流行っている脳学者に聞かなければならないかもしれないが、考えてみれば、それは単純なことなのかもしれない。蓄積は個人的に行われても、それを呼び覚ますのは集団の力が作用するということなのかもしれないのだ。

ひとつの思い出を話すと、連鎖的に関連した類似の思い出が次から次へ出てくる。ときにはかなりずれてしまって、異なる記憶へ飛んでいってしまうこともあるが、やはり、集まりには呼び覚ます力があるような気がする。つまり、忘れていることを思い出すには、ひとりの人よりもふたり以上の人のほうが効果があるということかもしれない。

故人については、とくに忘れていることを思い出すのは、わたしたちにとって、かなり重要なことのような気がする。それは、記憶そのものが思い出として重要である場合もあるが、それ以上に、現在を生きるということ自体が、他者との間で記憶を呼び覚ましあって、共同の生活が成り立っているからだと思われる。

そんなこんなで、故人になってからも影響力を与えてくださっているA先生に感謝しつつ、夜汽車に揺られて、横浜へ帰ってきた。

2009/11/01

東京駅近くでの同窓会

社会人にとって、休日の価値は測りしれない。同窓会を開くのに、どうしても全国から集まるために、休日に行うしかない。そこで、働いている方にとっては貴重な休日を奪ってしまうことになる。

今回、H先生とわたしとが代表として招かれて、経済学分野の修士課程卒業生の同窓会が開かれた。東京駅近くの居酒屋が会場となった。新潟や名古屋、長野など、そして近郊の埼玉、神奈川などから多数の方々が集まった。それには、東京駅というのが効いたのだと思われる。

新潟のUさんは、昼に新幹線で来て、夜にはとんぼ帰りをするそうだ。明日の仕事を持ってきて、懇親会が始まる時間まで机に向かっていたとのことだ。

今日の東京駅にはデモ隊が出て、いつもの東京駅よりは騒がしかったけれど、それでも、休日の東京駅は全体として、のんびりした感じがあって、好きだ。すこし早目に着いたので、校正原稿を投函し、いつも帰宅時にのぞく地下街の古書店へ寄って、3冊購入した。

ひとりずつ近況を伺っていると、修士論文を書いた後、その過程がどのように人生へ影響を与えたのか、がわかって興味深い。やはり、論文を書いたことで、その後第2作目、第3作目と書いていくことになった方々が少なからずいらっしゃって、この報告を聞くのが嬉しい。

もうひとつの近況報告のテーマは、定年後の生活ということだが、みなさんいろいろなことに遭遇しながらも何とか生き延びている、ということで、これも聞いていてたいへん楽しい。とくに、新しいことに挑戦して、その顛末が劇的なのである。新たに、調理師の資格を60歳近くで取ったという人もいて、その体力に驚きを感じた。

最後に感じたことは、このようなサロンを東京駅近くに造りたいな、ということである。あちこちへ「教養セミナー」「放送大学サロン」などを提案しているのだが、どうも反応が今一歩なのだ。どなたか篤志家がいて、放送大学が自由に使える小さな部屋を東京駅近くで貸してくださらないだろうか。飲み会に使うのではなく、もちろんセミナー用のものだ。だから、休日の有効利用ということでも良いのだ。

日曜日の昼に、セミナーを開いて、発表会を行い、夕方すこし飲んで散会する、というのは、いかにも放送大学らしいと思われる。もちろん、地域ごとであれば、学習センターでということも考えられるが、全国の卒業生へ声をかけるならば、東京駅だろう。

夜になって、雨が降ってきたが、駅まで走ってもさほどの距離ではない。長野からいらっしゃったKさんがお別れに、おみやげだと言って、善光寺の七味唐辛子をくださった。

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『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。