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2009/07/15

W.アレン的家族

W.アレン監督の映画「それでも恋するバロセロナ」を観る。ペネロペ・クルスがアカデミー賞助演女優賞を受賞したということなのだ。感情がぐわっと周りを圧倒する演技は健在で、日本人にはないような、血の濃い部分がある。

だが、ペネロペ・クルスは後半からの出演なので、途中までは、これも濃い演技を見せるハビエル・バルデムが魅力的だ。日本人だったら、これだけ肉厚ならば、メタボの部類に入ってしまって、到底男性的な魅力は出せず、薄れて単なる肉の塊的な人物になっているだろうに、なぜハビエル・バルデムの演技は、怖いような雰囲気を持って、ぐっと観客をひきつけるのだろうか。

もちろん、映画「ノーカントリー」の影響のあることは否めないが、何か人生の深さを経験したかのような演技のせいだと思われる。「ほんとうのこと」ということが現実のなかに存在し、それを取り出すことが難しく、並大抵のことではできないことをあきらめていて、そのことを表には出さない、という感じなのだ。

二人のアメリカ人ヴィッキーとクリスティーナは、親友同士でバロセロナを訪れる。そこでハビエル・バルデム扮する画家のフアン・アントニオに会う。フアン・アントニオは、ペネロペ・クルス演じるマリア・エレーナと喧嘩して別れたところだった。

このあと、画家と二人の女性をめぐって、物語は進んでいく。W.アレンはこれを恋愛小説風に展開していくことになるのだが、なぜか途中から、4人がひとつの家族のように見えてきて仕方がなかった。つまり、夫婦二人と性格の異なる子供二人、という感じなのだ。

何が言いたいのかといえば、この夫婦はかなり普通の夫婦とは異なるが、どのようなときに仲良くなるのかという点では、ほかの家族に似ている。つまり、もう一人の家族が作用を加えたときに、夫婦の凝集力も強まるのだ。

最終的には、映画の家族は崩壊してしまう。ちょっと深読みかもしれないが、またどこにもそんなことは書いてないが、この映画はかなり、実生活でのW.アレン的な状況を描いてしまっているような気がする。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。