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2009/07/23

ピエロが落ちてきた

Photo 有楽町はいつも通り過ぎる街だと思っていた。以前、雑居ビルが並んでいた一角が再開発されて、きれいなビル群に変わってから、ちょっと足が遠のいていた。

大きなガラスの箱のなかをエスカレータが移動していく。こんなに透明だと途中で空気の中に放り出されて、落ちてしまいそうだ。

丸井や無印良品など、モール街の延長にしか見えなかった。けれども、思い返してみれば、まえにはこれら雑居ビルの二階に名画座があって、通ったこともある。だから、シネカノンという新しい名前がよそよそしかっただけで、名画座の伝統は受け継がれているのかもしれない。

見逃していた映画「重力ピエロ」を有楽町シネカノンで観た。かなり面白かった。家族問題であるが、ちょっとひねってあって、十分に現代的だった。現代の家族はいかにして可能か、という点では、ひとつのモデルを提示していると思われる。

映画では表現が重要なのか、それとも、内容が重要なのか、という問題がある。いわゆる「映画的」ということが映画を観るときのひとつの基準となっている。家族は十分にこの意味で、映画的なのだ。

「春が二階から落ちてきた」というフレーズは、これはまた限りなく、映画的だ。「重力・・・」が問題になっていることから、推測されるように、この映画では落ちて沈むか、浮かんで楽しむか、という問いかけが絶えず行われている。ここが秀逸である。

暗号による謎解きよりも、よほど縦の重力関係が魅力的であることがわかった。なぜピエロは重力を超越することができたのか。ということが、絶えずこの家族の心のよりどころとなっていたのだ。

「あんなに楽しそうなのだから。落ちるわけないよ。かりに落ちたって、無事に決まっている」というセリフがあって、映画ではこれが結論になっている。最後のほうで、物語が終わってから、このシーンが出てくるから、このような監督の意図はたしかだ。

けれども、娘から借りた本をみると、このシーンは比較的前のほうに出てくる。つまりは、問題提起のひとつとして作者はこのエピソードを入れている。「ほんとうに落ちても無事なのだろうか」と問いかけてから、物語を始めるのと、「ほんとうに落ちても無事なんだよ」と物語を終えようするのと、どちらが映画的なんだろうか、と考えてしまった。

じつは、どちらも許されている。小説の作者は、「春が二階から落ちてきた」というフレーズを、一番初めと一番最後の両方に入れている。映画でもそのように配置している。同じように、「重力ピエロ」は最初は在りえるかわからなかったけれども、在りえてしまったのだ。

すこし穿った見方で、身びいき過ぎるかもしれないが、このように、重力が関係してくるような街は、やはり仙台でなければならないだろう。城と街の間には、いつも重力がかかっているような気がする。だとすれば、もうちょっと多くの仙台の風景を映画の中に入れてもらいたかった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。