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2009/07/14

扉をたたく人 ?

映画「Visitor」を千葉劇場で観てきた。始まるまですこし時間があったので、千葉市の旧中心部を歩いた。周りには、戦後すぐに栄えたような個人商店の大店が軒を連ねていて、往時を偲ばせる。ここら辺が中心地だったころには、千葉県中から人が集まってきたのだと想像される。

劇場のならびにある家具屋さんの建物は、公園のクヌギの木を巻き込んで、二つの街区に渡って建てられており、風格ある店構えを見せている。けれども、今はショーウインドウも閉められて、建物全体にも生気は感じられない。過ぎ去ったときを記録しているのみだ。

こんな中心地で、これだけの減価償却の終わった建物をなぜ利用できないのか。これからの日本は、残っているものをいかに時間を長くして再利用していくのか、という時代に入っていくものと思われるが、このような中心地の油の乗り切ったものをみすみす壊してしまうのは、ほんとうにもったいない気がする。

映画では、経済学者が主人公なのだ。ある先生と雑談していたら、アメリカ東部では、白人の経済学者がもっとも人種差別者なのだ、とおっしゃっていた。根拠は残念ながらお聞きできなかったが、計量経済史などの文献などから推測するに、そのように言われる部分は確かに存在するような気がする。

このような背景を知っていると、主人公がコネチカットの大学で教えていて、NYに瀟洒なアパートを所有する経済学者という設定は、意味を持っているような気がする。

妻を亡くしてから、生きる気力をなくしていた主人公が、移民のカップルとの出会いから、生活を変えていく物語だ。とくに、若者の母役がとてもすばらしい演技を見せていて、印象に残っている。

問題は、この経済学者の設定にある。たとえば、この主人公の講義は、週に1コマだけで、あとは本を書いていればよい、という生活なのだ。もちろん、大学の委員会などの仕事は一切ない。また、学期の途中なのに、学部長から頼まれて、NYの学会に出ることで、1ヶ月くらいの自由も得ることができるのだ。さらに、学期の途中にもかかわらず、今学期はすべて休講にしてしまう、という特権が許される。こんなことは、いかにアメリカであっても有り得ないのではないだろうか。けれどやはり、あるのだろうか。

学生から講義概要が出ていませんね、といわれて、あわてて数年前の講義概要を出してきて、年を修正インクで直しているのは、笑い話では済まされない。これでは、経済学者という仕事はたいへん暇な職業だということを見せ付けることになっている。ほかの人には笑い話であっても、当事者には深刻な問題な場合があるのだ。願望は時に、滑稽な形で現れる。

千葉市の古い商店の姿に、コネチカットの経済学者の後ろ姿が重なって見えた。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。