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2009/07/21

医者の役割について

医療問題はこれからの日本の大問題であるということは、誰でもがわかっていることなのだが、いざ自分のことになるとまるっきりわかっていない。病気と向き合うことが、いつのまにか医者と向き合うことになってしまい、自分の問題がどこかへ行ってしまっている。

ここの大事なところを、医療というよりは癒療という感じで、いわば社会的なプラシーボ効果(映画のなかでは、「うそ」「にせ」が強調されていたが)を描いた映画として、「ディア・ドクター」を有楽町のシネカノンで観た。

本来は、医者を描いた映画なのかもしれないが、どうもわたしは患者を描いた映画として観てきたようだ。

八千草薫が胃ガンの患者役を演じていて、このような患者のあり方だったら、有り得るかもしれないな、と思った。決して、目だった演技ではなかったかもしれないが、このような控え目の演技は誰でもができるとは限らない。地味な感じではあったが、たぶん本年度の主演女優賞を独占する位の会心の演技だっただろう。

横顔から斜めの顔になって、きりっと表情が変わって、正面の顔へと繋がっていく。病気から正常へ、顔の表情だけで演技できる女優は、そう多くはないだろう。いつもは、感情を表にあらわさない役を演じてきたが、久々に笑顔が美しい。66歳役で、これほどさりげない色気を見せることのできる人も少ないのではないか。

「映画的」であるという点では、後半になればなるほど印象が濃くなっていくというところを挙げておきたい。さらに、映画が終わってからの印象が極めて大きく残っているという点も挙げることができる。つまりは、想像力を惹起しているということだと思われる。

大きな嘘というのは、知らず知らずのうちに、みんなで作り出してしまうから大きくなるのだ。医者は社会によって仕立てられるものだ、という基本的なところが、現代では忘れられている。それは、医術があまりに技術的な傾向を強めたことに一因があることは確かなのだが、それ以上のことになると、なかなか理解できないでいる。

医療には、精神的な部分が不可欠である、という当たり前のことを喚起している点で、たいへん興味ある映画だった。丁寧にひとびとを描いている点でも、好ましい映画だと思う。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。