« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月に作成された投稿

2009/07/31

耳鳴りと精神病

学生の試験期間も最終段階に入り、他方こちらは試験採点の期間に入った。夏とは思えぬ涼しい日である。朝のうちが稼ぎ時なので、K大の約200名分の試験採点に取り組む。

最近は試験も講義のうちだ、と宣言しており、試験準備に最低でも30時間から45時間かかるような試験問題を出している。この形式は、学生にとっては、かなり工夫がいるので、おそらく労力からしたら、ほかの試験よりも難物であることは確かだろう。けれども、試験を仕上げたあとの圧倒的な達成感はあると思われる。

記述するだけでも、試験時間全体の8割くらいはかかる分量なので、この点でも前もってある程度考えておかなければ、到底書くことはできないだろう。このような形式はレポートに近いのだが、やはり試験答案として記述する緊張感は大切にしたいところだ。

わたしの大学時代で印象に残る試験だったのは、やはり論文形式のものであった。なかでも自分でかなり苦労して書いたものは印象に残っている。たとえば、N先生が古代ユダヤ思想を講義なさっていて、試験には家族論について書いた思い出がある。20数年前に書いたことなのに、いまだに内容を覚えている。S先生は、アメリカ論だったが、このときもかなりの分量を書いた記憶がある。

それにもかかわらず、文章だけはちっとも上手くならなかったのは残念だが、印象だけは残っているのだ。考えてみれば、昔は論文・レポートの書き方などは注意してくれなかった。今回の答案にも、学生が自分の文章を作り上げていくことに没入したと思われる答案が散見されて、すこしは試験効果があったのでは、と試験作成者としては自惚れているところだ。

夜の7時くらいまでには、無事終了することができた。余勢を駆って、妻を誘い、映画「クララ・シューマン」のチネチッタ最終回に滑り込む。いつものネオン塔が迎えてくれた。

2ロベルト・シューマンが耳鳴り・頭痛から始まって、薬におぼれ、次第に精神を病んでいく過程が、この映画の背景をなしている。このなかで、クララがいかに行動するかということに興味を覚えた。映画的だと思われたのは、「アヘンチンキ」である。クララの心を映像で出すことは難しい。そこで、この「アヘンチンキ」が登場する。

クララは、はじめロベルトの言うことを聞いて、医者からこの薬をもらう。けれども、医者の話を聞いて躊躇する。さまざまな症状が進行するにしたがって、次第に習慣化を許してしまうのだ。「アヘンチンキ」はいわば運命の象徴であり、愛の象徴であると同時に、死の象徴でもあるのだが、そのことを知っていてもそれを避けることはできないのだ。

女性客が多かった。ひとつ空いた隣の席に座っていた方は、箱のポップコーンにコークという完璧な映画鑑賞スタイルで、シューマンが亡くなったときには感極まったらしく、顔を盛んに拭いていた、と妻が言っていた。クラシック・ファンにとっては、シューマンとクララとブラームスの結ぶ人間関係は、教養の一部といえるが、まったくのところ教養と同じで、その内容はまことにわかり難いのだ。

家に帰って、今日最後のコーヒーは、先日購入したインドネシア産豆。淹れたときよりも、すこし時間を置いてから飲むと、甘くすっきりした味になる、たいへん不思議なコーヒーである。

2009/07/28

S氏の急逝

試験期間中ではあるが、幕張で臨時の委員会があるというので、出席。一緒になったH先生と、夏のスタミナを付けるために、久しぶりにステーキ・ランチを食べに行く。火曜日はいつもいくホイトウの中華料理店がお休みなので、別のところを探さなければならないのだ。

以前は、ランチでも、たしか160グラムくらいの1枚肉のステーキがあったように思うが、現在は小さくきったサーロイン肉のランチになっている。けれども、相変わらず、スープに山盛りサラダ、味付けご飯。デザートには、各種フルーツにヨーグルトなど。そして、お目当ての中心である生クリームたっぷりの、自分で焼くワッフルがあり、ほんとうに盛り沢山の状態は、依然と一緒だ。

カロリーを消費するためにすこし運動してかえらないと、ベルトがかなりきつくなっている。カンファレンス室へ戻って、Aさんが淹れてくださったマンデリンを飲む。苦い中にも、甘みがあって、すっきりとした味わいだ。満腹の状態でも、これを飲めば、消化が進むような気がする。

T先生とN先生が試験のためにいらっしゃっていて、自然に健康の話になった。T先生からは、コレステロールを減らす方法を伺う。一日一錠、必ず飲んでいるとおっしゃる特効薬を教えていただく。

予防の段階ならばまだよいほうだ、と考えねばならない。世の中は、こんな平穏な状態ばかりではない。

研究室へ戻ってみると、N社からメールが届いていた。つい先日インタヴューに応じてくださったS氏が急逝なさったとの知らせだった。原因はまだわからないが、インタヴュー前日にも倒れたとおっしゃっていて、今から考えると、身体がそうとうキツイ状態だったのだ。無理を押してだったが、数分のインタヴューは最後までやり遂げてくださった。インタヴューとは別に、もうちょっと何か言いたかった、かのような表情をなさったと思えた瞬間があって、今も印象に残っている。心からご冥福をお祈りいたしたい。

2009/07/27

雨のなかの試験

K大の試験を行ってきた。この試験期間が終わると、講義全体がまとまったような気分になって、ちょっと軽くなるのだ。もちろん、採点はまだ残っているのだが、それは時間の問題だ。ひと纏まりがつくことが大事なのだ。

会場に入ると、200人程度が階段教室に座っていて、こんなに受講生がいたのかな、という錯覚にとらわれるが、見ていくと、いつもの顔ぶれが揃っているので、クラスを間違えたわけではないらしい。

最初は、人数が多いだけにざわついていたが、いざ試験が始まると、カリカリと鉛筆を走らせる音だけが響いて、良い感じだ。試験会場の雰囲気については、なるべく落ち着いた空気を大切にしている。最近は、注意がきつくなって不正行為の発生を未然に防ぐように、というお達しが出ているために、試験補助員たちが会場をやたらと回って歩くが、これは学生のときの経験からして、つまり試験に集中しているものからすれば、このようにうろうろされると目障り、耳障りなのだ。

そこで、最初の20分は出欠を取ったりしていて忙しいのでできないが、20分を過ぎた頃からは、なるべく監督補助員の人たちには座っていただき、静かにして見回りも必要最小限にしてもらっている。50分を過ぎる辺りから、答案を完成して退出する学生が出てくるので、このときにはなるべく手渡しで直接受け取ることにしている。

どの顔の学生が、どの程度の答案を書くのか、ということを知るには、このときが一番だ。

今日は、試験が終わる頃になって、外がにわかに暗くなり、嵐のような強い雨が降り出した。天気予報どおりだった。雨の日には、おとなしく試験に精を出そう。帰りには、六角橋商店街で喫茶店に入ろうと考えていたが、雨足が弱くならないので、眺めるだけにする。この商店街には、あたらしく三つの喫茶店が相次いで開店していたのだが、夏休みにはすこし計画していることもあるので、訪問はこの期間中にすることにした。楽しみについては、先送りをしたほうが2倍楽しめる気がする。

2009/07/24

学習センターの試験監督

放送大学の試験期間が始まった。大学院の試験が先に行われたので、学習センターもまだ閑散としており、落ち着いた雰囲気のなかで、淡々と進んでいる。神奈川学習センターでは、いつものように、8月末に行われる学園祭「フェスタ・ヨコハマ」の参加申込みの学生の方がたと、今回からお目見えした学生証を渡すスタッフの机が、学習センター玄関を賑わわせていた。

今学期から試験問題の持ち帰りが始まり、このことの作用がどのような影響となって出てくるのかは、まだ予断を許さないところがある。けれども、ひとつだけ言えば、終わってしまったということで教科書がときどき忘れられ捨てられていくように、学生たちは試験問題も最後ゴミ箱へ捨てていく人が少なからずいるのではないかと思われたが、やはり一般の大学とここが異なると思われるのだが、そのような学生はまったく見ることがなかった。

試験が始まるまでの間、試験室で気まずい面持ちでにらめっこしていても仕方ないので、問題持ち帰りについて、挙手による簡単なアンケートをとってみる。問題の持ち帰りに積極的に賛成の人が約2分の1。持ち帰りに賛成でも反対でもない人が約4分の1。それから、帰ってから復習をするという人が2分の1、などという結果だった。ひとつの教室だけの結果だったので、あまり一般化はできないが、復習するという人が意外に多いのは、放送大学ならではと思ったしだいである。

試験が終わって、机の上の消しゴムのくずをきれいにするのと同様に、試験問題を丁寧にたたみこんで、かばんに仕舞っていく姿が見られた。このような方はおそらく家に帰ってもう一度試験問題を見るタイプではないかと思った。

試験監督が終わって、学習センターの元の研究室に卒業生のF氏が訪ねてきた。博士課程をT大で修め、著書『20世紀末バブルはなぜ起こったか』桜井書店刊を上梓したことをこのブログでも紹介した。この本は、先日K大の生協でも平積みされているのを見たから、まだまだ売れているのだろうと推測される。それで、一橋大の研究ゼミに呼ばれて講演なさってきたとのことだった。

それでさらに今度は、神奈川学習センターで面接授業を行っていただこうと企画している。10月から全4回に分けてお話なさるそうなので、もし関心のある方はぜひ面接授業に参加していただきたい。これは宣伝。

2009/07/23

ピエロが落ちてきた

Photo 有楽町はいつも通り過ぎる街だと思っていた。以前、雑居ビルが並んでいた一角が再開発されて、きれいなビル群に変わってから、ちょっと足が遠のいていた。

大きなガラスの箱のなかをエスカレータが移動していく。こんなに透明だと途中で空気の中に放り出されて、落ちてしまいそうだ。

丸井や無印良品など、モール街の延長にしか見えなかった。けれども、思い返してみれば、まえにはこれら雑居ビルの二階に名画座があって、通ったこともある。だから、シネカノンという新しい名前がよそよそしかっただけで、名画座の伝統は受け継がれているのかもしれない。

見逃していた映画「重力ピエロ」を有楽町シネカノンで観た。かなり面白かった。家族問題であるが、ちょっとひねってあって、十分に現代的だった。現代の家族はいかにして可能か、という点では、ひとつのモデルを提示していると思われる。

映画では表現が重要なのか、それとも、内容が重要なのか、という問題がある。いわゆる「映画的」ということが映画を観るときのひとつの基準となっている。家族は十分にこの意味で、映画的なのだ。

「春が二階から落ちてきた」というフレーズは、これはまた限りなく、映画的だ。「重力・・・」が問題になっていることから、推測されるように、この映画では落ちて沈むか、浮かんで楽しむか、という問いかけが絶えず行われている。ここが秀逸である。

暗号による謎解きよりも、よほど縦の重力関係が魅力的であることがわかった。なぜピエロは重力を超越することができたのか。ということが、絶えずこの家族の心のよりどころとなっていたのだ。

「あんなに楽しそうなのだから。落ちるわけないよ。かりに落ちたって、無事に決まっている」というセリフがあって、映画ではこれが結論になっている。最後のほうで、物語が終わってから、このシーンが出てくるから、このような監督の意図はたしかだ。

けれども、娘から借りた本をみると、このシーンは比較的前のほうに出てくる。つまりは、問題提起のひとつとして作者はこのエピソードを入れている。「ほんとうに落ちても無事なのだろうか」と問いかけてから、物語を始めるのと、「ほんとうに落ちても無事なんだよ」と物語を終えようするのと、どちらが映画的なんだろうか、と考えてしまった。

じつは、どちらも許されている。小説の作者は、「春が二階から落ちてきた」というフレーズを、一番初めと一番最後の両方に入れている。映画でもそのように配置している。同じように、「重力ピエロ」は最初は在りえるかわからなかったけれども、在りえてしまったのだ。

すこし穿った見方で、身びいき過ぎるかもしれないが、このように、重力が関係してくるような街は、やはり仙台でなければならないだろう。城と街の間には、いつも重力がかかっているような気がする。だとすれば、もうちょっと多くの仙台の風景を映画の中に入れてもらいたかった。

2009/07/21

医者の役割について

医療問題はこれからの日本の大問題であるということは、誰でもがわかっていることなのだが、いざ自分のことになるとまるっきりわかっていない。病気と向き合うことが、いつのまにか医者と向き合うことになってしまい、自分の問題がどこかへ行ってしまっている。

ここの大事なところを、医療というよりは癒療という感じで、いわば社会的なプラシーボ効果(映画のなかでは、「うそ」「にせ」が強調されていたが)を描いた映画として、「ディア・ドクター」を有楽町のシネカノンで観た。

本来は、医者を描いた映画なのかもしれないが、どうもわたしは患者を描いた映画として観てきたようだ。

八千草薫が胃ガンの患者役を演じていて、このような患者のあり方だったら、有り得るかもしれないな、と思った。決して、目だった演技ではなかったかもしれないが、このような控え目の演技は誰でもができるとは限らない。地味な感じではあったが、たぶん本年度の主演女優賞を独占する位の会心の演技だっただろう。

横顔から斜めの顔になって、きりっと表情が変わって、正面の顔へと繋がっていく。病気から正常へ、顔の表情だけで演技できる女優は、そう多くはないだろう。いつもは、感情を表にあらわさない役を演じてきたが、久々に笑顔が美しい。66歳役で、これほどさりげない色気を見せることのできる人も少ないのではないか。

「映画的」であるという点では、後半になればなるほど印象が濃くなっていくというところを挙げておきたい。さらに、映画が終わってからの印象が極めて大きく残っているという点も挙げることができる。つまりは、想像力を惹起しているということだと思われる。

大きな嘘というのは、知らず知らずのうちに、みんなで作り出してしまうから大きくなるのだ。医者は社会によって仕立てられるものだ、という基本的なところが、現代では忘れられている。それは、医術があまりに技術的な傾向を強めたことに一因があることは確かなのだが、それ以上のことになると、なかなか理解できないでいる。

医療には、精神的な部分が不可欠である、という当たり前のことを喚起している点で、たいへん興味ある映画だった。丁寧にひとびとを描いている点でも、好ましい映画だと思う。

2009/07/20

K大の最終講義

合宿の最終日には、お昼までM2の方々がたっぷり発表をおこなった。それで、月曜日は本来祭日で、お休みなので、ゆっくりと横浜まで帰るところだが、近年は祭日といえども休日とは限らない慣習が定着してきて、日本の余暇を見てきた者にとっては、文明が逆行しているように思えて仕方がないのだ。

とはいえ、現実は現実なので、早々に幕張を退散して、京葉線、日比谷線、東横線を乗り継いで、K大キャンパスに姿を現す。じつに、授業開始して10分後というきわどいタイミングだった。

終わりよければすべて良し、なので、試験1週間前の最終講義を終えて、気分も爽快だった。このようなときには、桜木町に繰り出して、dbへ。入った途端に、講義終了をお祝いするかのように、1971年アトランティックから出たアルバム「コルトレーン・ジャズ」の「Little Old Lady」が流れてきた。

コルトレーンは、以前にも言ったように、高校時代から大学時代に、複数の友人から紹介されて聴きだしたのだから、それほど多く聴いているわけでない。だが、なぜ続いて聴いているのかといえば、強いて理由をつけるとすれば、「音のはずし方」が素晴らしいからだと思う。はずしたとしても、はずしたと感じさせないつながりを保持している、という不思議さがある。

このはずしたときに、普通ならば、予期を裏切られるので、不快を感じてしまうことになるのだが、普通ではないということだ。このはずすときに、コルトレーンの場合には、いわゆる「idle」がかかるのだ。人間にとって、この予期を裏切るアイドルの大切さは、いくら強調してもしたりないと思われる。

コルトレーンはこのアルバムの随所で、このアイドルをかける手法を聞かせてくれるのだ。最後の一杯は、きょうはコーヒーでなく、やはり酒になった。

2009/07/19

論文にとって重要なこと

論文にとって重要なことは何なのか、をずっと考え続けた合宿だったような気がする。

ある人は、4年も費やして、世界に断片的にしか存在しないと思われた現象を、それこそ綱渡り的に結びつけて、世界の共通現象といえるところまで持っていった。はじめは、到底結びつくとは誰もがまったく思わなかった。

ある人は、はじめから発想が素晴らしかった。着想が勝負だ、と本人も思ったらしく、それにこだわった。それはそれで良いのかもしれないが、ブラッシュアップは行われず、脇を固めることだけに邁進した。

ある人は、自分の世界観、宇宙観を1方的に、しゃべり続け決して譲ることがなかった。これはこれで、ほかの大学では決して見ることのない論文が出てくることを予感させた。

ある人は、ほかの人が思いつかないような、二つの世界を強引に結び付けて、これが真実だと主張した。

H先生は相変わらず常識人で、論文を書く人には、第1に、なるほど、すごいですな、と褒めなさい。第二に、それから、先どうなりますかと期待して褒めなさい。第三に、結論はどうなりますか。と自信を持たせさらに褒めて、木に上らせるようにする、とおっしゃっていた。ちょっとニュアンスは違うが、こんな感じの言葉だったと思う。人間の出来が違う。

この域に達するまでには、まだ何年もかかることだろうが、ゼミの方々には伝えておきたい。真意はやはり最後は書き上げていただきたいと思っているのであって、決して書いてもらいたくないとは考えていないことだ。そういえば、数十年前には、諸先生方にご迷惑を掛けていたのは、じつはこのわたしだったのだ。

2009/07/18

想像力への刺激

恒例の大学院合宿が始まった。今年は例年より人数が多く、2日間では収まらず、3日間連続である。連休を利用して、全国から幕張目指してみんなが集まる。

毎年、このセミナーハウス研修室のマイク設備が悪く、調子が悪いのだが、今年はそれもなく順調だと思っていたら、こんどはパソコンの状態が悪い。

放送大学の学生は、勤めている方が多いので、日常的にパソコンを使っており、最新版のソフトを入れている。そこでそれらのソフトで入れてきた文書を、旧式のパソコンでは読み込まないのだ。

これらのことは瑣末なことであって、もしパソコンがだめなら、紙版のレジュメで済ます、という柔軟な学生もたくさんいて、また、自分のパソコンを提供してくださる先生もいらっしゃって、それほどストレスを感じさせないところが大人だな、と思う。と言いつつ、じつは事前の点検を怠ったわたしの落ち度であることは明白なのだが、風に柳よと流しつつ、次の時間に、千葉学習センターの職員の方々のところへいって、お世話になった。このように、複数の組織を渡り歩いたことが、いまになって役立っている。

修士の1年生から発表が始まるのだが、面白くてみんなの興味関心を惹くようなスピーチには、一定の性質があるように思われる。たとえば、発表それ自体は、それほどではなくとも、自然にみんなの質問が集中するようなものがあるのは、面白い現象だと思われる。

それは決して準備が良いわけでもなく、びしっと決まっているわけではないのだが、なぜか議論を呼び起こす力が感じられる。たぶん、人々の想像力を共通に刺激するような何かが、そこには存在するのだと思われる。

議論の進め方も効いているのかもしれない。内容と、それを効果的に進める方法とは、どこかで関連しあっているような気がする。他者が期待するようなことをうまく取り込んだ論文は、自分でもうまくいっていると感じているような論文なのではないかと思われる。ここには、件のケインズの「美人投票」の原理が働いているのかもしれない。

二日目には、これも恒例の懇親会となった。今年は2,3年前に借り切った「ホイトウ」を再び使った。SさんOBの方がたも駆けつけて、40名を超える大勢となったので、かなり広い店に大テーブルが3列となった。

2009/07/15

W.アレン的家族

W.アレン監督の映画「それでも恋するバロセロナ」を観る。ペネロペ・クルスがアカデミー賞助演女優賞を受賞したということなのだ。感情がぐわっと周りを圧倒する演技は健在で、日本人にはないような、血の濃い部分がある。

だが、ペネロペ・クルスは後半からの出演なので、途中までは、これも濃い演技を見せるハビエル・バルデムが魅力的だ。日本人だったら、これだけ肉厚ならば、メタボの部類に入ってしまって、到底男性的な魅力は出せず、薄れて単なる肉の塊的な人物になっているだろうに、なぜハビエル・バルデムの演技は、怖いような雰囲気を持って、ぐっと観客をひきつけるのだろうか。

もちろん、映画「ノーカントリー」の影響のあることは否めないが、何か人生の深さを経験したかのような演技のせいだと思われる。「ほんとうのこと」ということが現実のなかに存在し、それを取り出すことが難しく、並大抵のことではできないことをあきらめていて、そのことを表には出さない、という感じなのだ。

二人のアメリカ人ヴィッキーとクリスティーナは、親友同士でバロセロナを訪れる。そこでハビエル・バルデム扮する画家のフアン・アントニオに会う。フアン・アントニオは、ペネロペ・クルス演じるマリア・エレーナと喧嘩して別れたところだった。

このあと、画家と二人の女性をめぐって、物語は進んでいく。W.アレンはこれを恋愛小説風に展開していくことになるのだが、なぜか途中から、4人がひとつの家族のように見えてきて仕方がなかった。つまり、夫婦二人と性格の異なる子供二人、という感じなのだ。

何が言いたいのかといえば、この夫婦はかなり普通の夫婦とは異なるが、どのようなときに仲良くなるのかという点では、ほかの家族に似ている。つまり、もう一人の家族が作用を加えたときに、夫婦の凝集力も強まるのだ。

最終的には、映画の家族は崩壊してしまう。ちょっと深読みかもしれないが、またどこにもそんなことは書いてないが、この映画はかなり、実生活でのW.アレン的な状況を描いてしまっているような気がする。

2009/07/14

扉をたたく人 ?

映画「Visitor」を千葉劇場で観てきた。始まるまですこし時間があったので、千葉市の旧中心部を歩いた。周りには、戦後すぐに栄えたような個人商店の大店が軒を連ねていて、往時を偲ばせる。ここら辺が中心地だったころには、千葉県中から人が集まってきたのだと想像される。

劇場のならびにある家具屋さんの建物は、公園のクヌギの木を巻き込んで、二つの街区に渡って建てられており、風格ある店構えを見せている。けれども、今はショーウインドウも閉められて、建物全体にも生気は感じられない。過ぎ去ったときを記録しているのみだ。

こんな中心地で、これだけの減価償却の終わった建物をなぜ利用できないのか。これからの日本は、残っているものをいかに時間を長くして再利用していくのか、という時代に入っていくものと思われるが、このような中心地の油の乗り切ったものをみすみす壊してしまうのは、ほんとうにもったいない気がする。

映画では、経済学者が主人公なのだ。ある先生と雑談していたら、アメリカ東部では、白人の経済学者がもっとも人種差別者なのだ、とおっしゃっていた。根拠は残念ながらお聞きできなかったが、計量経済史などの文献などから推測するに、そのように言われる部分は確かに存在するような気がする。

このような背景を知っていると、主人公がコネチカットの大学で教えていて、NYに瀟洒なアパートを所有する経済学者という設定は、意味を持っているような気がする。

妻を亡くしてから、生きる気力をなくしていた主人公が、移民のカップルとの出会いから、生活を変えていく物語だ。とくに、若者の母役がとてもすばらしい演技を見せていて、印象に残っている。

問題は、この経済学者の設定にある。たとえば、この主人公の講義は、週に1コマだけで、あとは本を書いていればよい、という生活なのだ。もちろん、大学の委員会などの仕事は一切ない。また、学期の途中なのに、学部長から頼まれて、NYの学会に出ることで、1ヶ月くらいの自由も得ることができるのだ。さらに、学期の途中にもかかわらず、今学期はすべて休講にしてしまう、という特権が許される。こんなことは、いかにアメリカであっても有り得ないのではないだろうか。けれどやはり、あるのだろうか。

学生から講義概要が出ていませんね、といわれて、あわてて数年前の講義概要を出してきて、年を修正インクで直しているのは、笑い話では済まされない。これでは、経済学者という仕事はたいへん暇な職業だということを見せ付けることになっている。ほかの人には笑い話であっても、当事者には深刻な問題な場合があるのだ。願望は時に、滑稽な形で現れる。

千葉市の古い商店の姿に、コネチカットの経済学者の後ろ姿が重なって見えた。

2009/07/10

f植物園にて

もし自分が自分でなくなるとしたら、どのようなときだろうか。そればかりか、自分ではない自分がそこにいるときには、どのように対処したら良いのだろうか。

玄関に並んでいると思い込んでいた自分の靴が見当たらない。そればかりか、見慣れぬ靴がそこにあり、履いてみるとみごとにぴったりなのだ。けれども、その靴は自分のものではないと、間違いなくいえる。

さて、自分の靴がわからない自分がほんとうの自分なのか、それとも、見慣れぬ靴にぴったりの自分が、ほんとうの自分なのか。

このようなときに、自分はほんとうにたくさんいるんだな、と実感してしまう。

この喩えは、かなり普遍的に、いろいろな場面で使えそうである。歯が痛くて、歯医者へ行くが、帰ってみると、まだしくしく痛い。どこからか、声が聞こえてくる。「ほんとうに痛いのはこころでしょう」と。

園丁という響きは、英国のブーツを履いて、しっかりした帽子をかぶった人を想像させる。そのような庭は、整然としていて、なぜ整然としているのかも、論理的に説明されそうな気がする。けれども、なぜかこの物語の主人公は、整然としておらず、自分と自分でないものとの区別がつかない。おそらく、妻が誰なのかも見失っている。もちろん、亡くなった子どもについても。

たぶん、ここで重要なのは、植物園の園丁と、家庭ガーデニングの小母さんの違いだろう。後者ではたぶん、ブーツを履いても、それを失くしてしまうことはないだろう。けれども、前者では確実にいえるのは、ブーツをなくしたら、園丁は失格なのだ。履き物は、本人の存在証明なのだ。だから、それを失くしてしまうことは、人格をなくしてしまうことと同じだ。

それじゃ、どうしたら離れていってしまった自分と出会い、それを取り戻すことはできるのだろうか。物語の趣向は、尽きることがない。いつもながら、素敵なフィクションへ誘ってくれる。あとは、梨木香歩『f植物園の巣穴』を読むことをお勧めしたい。

2009/07/09

放心癖

経済学者たちの伝記を読んでいると、すこし病的な性癖について、それもかなり共通に報告しているところにぶつかる。最近、ふっと自分のことにひきつけて思い出されたことがあった。アダム・スミスや、T・ヴェブレンという著名な経済学者なのでちょっとおこがましい気はしないでもないが。でも、彼らのなかでもとりわけ異端部分に属するところなので、そうなのかな、と思われる。

放心癖と呼ばれている性癖である。スミスは、若いころから出ていて、職場を変える原因にもなっていたことが想像される。他者と話をしていて、突然相手の声が聞こえない、相手からすれば、自分の話を聞いていない、と思われる現象である。

どのようなときにこの現象が顕著になるのかは、本人の自覚が希薄なだけに、なかなか確定的なことは言えない。病的であるという理由がここにあるのだが、最近のわたしの経験を重ねると、だいたいのことがわかってきた。自分のなかでほかの事を考え始めることと、他者の声を聞かなければならないこととが同時におこると、どうやらそのような現象が生ずることになるようだ。

だから通常、人間は訓練すれば、二つのことが同時に行うことができるようになるので、普通の人であれば、子供から大人へ移行するときに、他者の声と自分の声と同時に処理できるようになるのだ。ところが、そこが病的なところなのだが、自分の声のほうが勝ってしまったのだ。

ところが、その訓練には当然個人差があって、どうしても自分の声のほうが優先されてしまう場合が起こってしまう。これが多くの場合に、「放心癖」と呼ばれてしまうことになるのだ。とくに、なにか素晴らしいことが浮かんだときに症状が出る。

さて、このような放心癖が、自然派の詩人たちに特徴ある、絶句するような風景を相手に出てくる場合には良いのだが、自分のことで危機的なのは、対人関係で出てきてしまうことにある。二人関係で出る場合には、笑い話ですむ場合もあるが、雑談やさらに議論の場で頻繁に出てくると、アダム・スミスのように問題とされてしまうのだ。

昨日も、議長になにか言われたような記憶はあるのだが、そのことに反応せずに、自分の文脈で発言している自分のあるのを、離人症的に眺めていた。

アダム・スミスの場合、丘のうえの商工会議所で仕事を終えたあと、近くの酒場で議論をしている最中に、なにか素晴らしいことを発想してしまったに違いない。エディンバラのハイゲートの坂道を転げるように帰って、天文学などのことを考えたであろうことは、やはり放心癖を再発させてしまったからだ、と想像することはそれほど難しいことではない。

2009/07/06

言葉にならない現実

ロケが続いている。今日は、先日の有田での今右衛門窯でのロケに、もうひとつ加えたいインタヴューがあって、今右衛門の東京店へ向かった。自分で言うのも気が引けるが、内容は大成功であった。ぜひ来年の5月から放送されるので、見ていただきたいと思っている。

インタヴューの醍醐味がようやくわかってきたように思う。つまり、言葉にならない現実があり、このことが言葉にならない理由があるのだが、それを説得してむりやり言葉にして表に出してしまうのが、インタヴューなのだ。

このようなインタヴューの強制力ということは致し方ないとして、いかに自然にそれを引き出すのかが問われるのだと思われる。

最初は強制的に聞き出そうとして、あれこれ工夫をして、話をつくってしまう。たとえば、今日の焦点は、やはり「職人技」という点だったのだが、どうしても昔話を聞きだし、いかにも職人にあるような話を取り上げてしまう。けれども、そのように強制的に聞き出した話は、往々にして全体の話のなかでは、その一部でしかないことがわかってしまう。

そして、そのあと全部聞き出したと思った後に、もうこれ以上聞きだすのは無理だ、と思っていると、急にもうひとつの話が出てくるのだ。経験が束となった伝統の力というものを、思い知ったインタヴューであった。

K大の講義があるので、お礼を述べて急いで地下鉄に乗る。雨が降っていたが、有田とこの青山のビデオがうまく行きそうなので、気分はすこぶる爽快だ。

2009/07/03

職人技のインタヴュー

Photo_9 有田の今泉今右衛門窯へ来ている。180年ほど前の趣のある母屋へ挨拶をして、美術館で打ち合わせをする。でもやはり、仕事場へ入るときがとても緊張する。

Photo_10 仕事場らしいなと思うのは、表の門を兼ねた角張ったアーチ状の入り口をもつ、木造の100年近い建物が母屋に面してあり、道路からこの建物があることで、奥の森閑とした仕事場を確保しているのだろうと思われる点だ。到底、この奥に30人ほどの職人の方々が、息を凝らして磁器と面と向かっているとは思われないほど、静謐な佇まいだ。

なぜか、前に来たときからすでに7年程が経過しているとは思われないほど、変わらぬ姿を見せている煉瓦の煙突が懐かしい。右のガラス戸を空けると、釉薬の置いてある部屋があり、対談のなかで、手作業で釉薬をかける意味を教えていただいたのを思い出す。

そして、隣の部屋では、ろくろの職人さんたちが細工を行っている。今回は、今右衛門さんだけでなく、何人かの職人の方々にもインタヴューを試みた。ひとつひとつ全てが技の凝縮されたものなのだが、言葉にできないところが、熟練たる手仕事の良さであるのだ。そこをあえて言葉にしてもらったのだが、うまく伝わればよいなと思う。言葉にならない手仕事のいわば「暗黙知」ということを実際に感ずることができたのは、このようなインタヴューをおこなうものの役得だ、としか言いようがない。

Photo_11細工、窯焼き、下絵付け、上絵付けと順番に聞いていった。そのなかでも、極めつけの話で、わたしたち用にわかりやすく話を作ってくださったような気がしないでもないのだが。つぎのような話をしていただいた。

線描きという工程で、模様の線の部分を描くところなのだが、その線を均等の幅で描くときに、線を描くのは「筆で描くのではなく、絵の具で描く」のだそうだ。筆を磁器に触れて描いてしまうと、力の入ったところは太く、力の入らなかったところは細くなって、均等の幅を実現することは難しい。そこで、職人の方々は、筆を実際には浮かせて、絵の具がちょっと触れる程度で、筆を滑らせていくのだ。このことを習得するまでの、すこし時間がかかるとのことだった。

Photo_13 かつての完全徒弟制のもとでは、隣の師匠の技を「盗む」より他なかったらしい。こんにちはさすがにそこまでにはならないとしても、伝統の技は無言のうちに伝わっていくに過ぎないのにもかかわらず、ほんとうに確実に伝わるのだ。

Photo_14 わたしがしゃべってもらいたかったと考えていたことの120%を超えて、盛り込んでくださった今右衛門さんと職人の方々へ感謝したい。また、終始付き添ってくださったM氏にもお礼申し上げるしだいである。

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。