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2009年5月に作成された投稿

2009/05/28

農業製品の輸入

午後から、平凡社から『コーヒーハンター』を出版したK氏を訪ねる。インタビューの打ち合わせで、時間を取っていただいたのだ。

印象的だったのは、コーヒー豆は農産物であるという、いわば当たり前のことだった。日本では、栽培が難しいので、ほぼ100%は輸入しているのが、現状だ。そこで、「おいしい」という消費者の立場だけからしか、コーヒーが語られる事がないのはバランスを失している、という主張には強いものがあった。

けれども、このことを日本人として言うことができるのは、本当にコーヒーのことを知っている限られた人たちだろう。K氏は20代のときから、中米のコーヒー研究所に入って、栽培技術を学び、さらに、ジャマイカ、ハワイ、スマトラのコーヒー農園を手がける、という経験の持ち主で、わたしたち日本人の枠組みをはるかに超えている。

だから、よく知っていて、取り引きにも通じているといえるだろう。つまり、生産者と消費者との間の「情報の非対称性」がもっとも典型的に現れているのが、コーヒー取引だということだろう。

話していて、ゆとりある態度が素晴らしかった。コーヒー農園で一日労働して、夕方日が沈んでいく山間地を望む姿が二重写しになった。雑談のなかで、デネーセンの『アフリカの日々』が話題になった。北欧の貴族がアフリカの農園経営を行う話だったが、最後は失敗に終わっても、ヨーロッパとアフリカを結ぶ人とコーヒーとの関係を描いている点で、コーヒー文化モデルの一つとして、今でも訴えるものがある。

Photo_2毎日飲んでいるコーヒーが、このような人びとによって栽培されていると考えるだけで、すこし味の内容が濃くなる思いだった。ここでいただいたコーヒーは、グアテマラのサン・セバスティアン農園のもので、上品でフルーティという言葉が合っている1杯だった。カップ&ソーサーは、ブラジルのサントスにある商工会議所で購入したものだそうだ。

2009/05/26

取り込むことと放り出すこと

放送大学が他の大学と異なる面を持っている点は、数々あれど、もっとも気に入っている点は、教員と学生の区別が外見ではわからないことにある。

構内をふらふら歩いていても、ほとんど気にならない。みんなふらふら歩いていて、学生も教員も同じ挨拶をする。大学内は、ほぼ同じ気質の人たちで満たされている。もっとも、ふらふらというのは気分の問題で、実際には、あまりに多様過ぎて、かえって見分けがつかないというのが正確なところだ。

もしこれが一般の大学ならば、「ふらふら」は若い学生たちのなかではかなり目立ってしまう。哀れみを受けるか、それとも尊敬の対象となるか、いずれにしても教員と学生との間には、歩き方でもかなりの断絶があり、一緒に歩いていても、二つの違和感ある世界が隣り合わせで、というより混在して存在する。

なぜこんなことを話題にするのかといえば、今日はひとつの建物のなかで、二つの世界がまったく分けられているところを訪れたのだ。ふつう、建物のなかで二つの世界を別々に分けているところは珍しい。かなり費用がかかってしまうというのが実情ではないか。

ところが、今日訪問した病院では、病院スタッフが歩く通路と、患者あるいは顧客が歩く通路が完全に分けられていて、通常わたしたちがその病院を訪れると、診察室以外では、看護師の方をまったく見かけることはない。医師も、廊下を歩いているのを見たことがないのだ。

病院では、ほとんど自分たちと同じ境遇の患者だけを、表面的には見かけるだけだ。技術的に考えるならば、院内感染、あるいはスタッフの外部との接触を極力避けようとしていることはわかるが、そのかわりに、医師たちとの親密な接触を妨げてしまうという難点も持っている。

けれども、これ以外に、じつは大きな影響を与えているのは、安心感なのかもしれない。つまり、白衣というのは、以外に圧迫のイメージが強いのだ。だから、病院へ行って、気が滅入るのは、「白衣」が目だって多いところだ。白衣を見ることないというのは、かなりの安心感となっている。

ひとつの建物へ入って、異邦人感を持つのは、自分が違う世界に来たのではないかと思うときである。この点を避けているだけで、この病院の試みは成功しているのではないかと思われる。

Photo_3 ここは大病院なので、5階の喫茶店には、「東京會舘」が入っている。かえりに、今日最後のコーヒーとチーズケーキ。両方とも美味しかったが、それ以上に、以前から目を付けていた、カップ&ソーサーが素敵だった。MIKASAのボーンチャイナで、白地に紺色の細い線が縁を飾っている。譲ってもらえないかと、相談したが、現在生産終了していて、もう手に入らないとのことだった。このようなたっぷりしたカップに目がないのだ。

2009/05/20

線という活動

どのような状態になると、芸術活動が活性化するのか、ということは永遠の謎だが、何人かの人びとを観察していると、そこに共通点がないわけではない。きょうは、偶然にも線描という方法を手に入れた途端に、能動性を発揮した二人の展覧会を相次いで見ることになった。

きょうは朝から、大学で3つの会議が重なってしまうという珍しい現象にあった。そのうち、二つへ出席すると返事を出したが、実際には1時間で終わるような会議はひとつもないので、結局のところ、お昼過ぎまでひとつの会議に出て、他のふたつはパスすることになった。

さらに、午後からは打ち合わせが相次いで二つ続いたため、それで時間になってしまった。慌てて、最初の展覧会会場のある千葉駅へ向かう。ところが、駅前のデパートへ飛び込んだのは良いが、てっきりデパートはひとつしかないと思い込んでいて、会場を間違えてしまったのだ。もうひとつあって、老舗のデパートのほうが会場だった。

14代今泉今右衛門氏の展示会だ。以前にも、東京での展示会へは伺わせていただいた。前回には、ちょうど幾何学模様の雪をモチーフにした「墨はじき」を編み出したときで、それまでとはちょっと異なる展開を見せ始めたときだった。そのときには、あまり説明を聞いても、こちらの未熟さもあって気づかなかったのだが、この技法はどうやら「線描」の方法らしいのだ。

先代の13代が吹墨技法を編み出して、点描的な方法論を確立していたことが、前提となっているのではないだろうか。おそらく、このことはご本人に聞いてみないとわからないが、先代の点描に対抗して、14代は線描にこだわったのではないかと思われる。

その線描の技法がとりわけ美しかったのは、白い地の部分に線描された透明な更紗文だった。これが窯から出てきたときには、かなり感動的な瞬間だったのではないかと想像される。このことを今右衛門氏に聞いてみたいと思った。このことだけでも、今回企てている取材の価値はあるように思われる。

Photo 今日二つ目の展覧会は、千葉市美術館に来ている「パウル・クレー東洋への夢」展である。先週の予告どおり、訪れたしだいである。パンフレットによると、わたしが先頃読んでいた『クレーの日記』の日記番号842に、「ここでやっと私の線の使い道が見えてきた。1907年のある日に陥った装飾の袋小路から、ついに出口を見つけた!」という言葉があったらしいのだ。ちょうど、この言葉を綴った頃の線画が来ていた。これによって、クレー特有の線描画法が確立していったらしい。

クレーの線描には、世代を経ても本人にとっては共通な特徴があるように思える。それは、クレーが絶えず、線を二重にしたり、絵具でコピーした線を使って厚みや奥行きを出したり、さらには筆太の線で欠落した部分を残す表現をしたりしている点に表れている。つまり、線描のあらゆる文法を駆使して、線を活動主体としたクレーの世界を創りあげているのだ。クレーは、「線は造形のエレメント」だと言っている。

Photo_2 きょう最後の珈琲は、美術館近くのいつものコーヒー豆屋さんで、ホンジュラス。豆でブラジル・サントスNO2と、キリマンジェロAAをそれぞれ200gずつ煎ってもらって帰宅する。

豆屋さんの出口に、珍しく「コーヒーの木」の苗が置かれていたので、これもさっそく購入する。店の人は、このままですこし育つまでPhoto_3 我慢して、そのあと鉢を入れ替えてください、と言っていた。実がなることまでは期待していないが、どこまで育つのか楽しみだ。ものの本によると、3メートル位までは成長するらしい。

2009/05/15

ジグソーパズルか、ブリコラージュか

何年かぶりに、飯田橋へ出る。学生時代には、神楽坂などに繰り出すこともあったのだが、このところはすっかり横浜と千葉とを行ったり来たりしていて、東京のなかでも、ちょっと足が遠のく場所が増えている。

Sn3b0090_2 やはり、ギンレイ・ホールにどのような映画がかかっているのか、ウィンドウを覗きたくなるのは、飯田橋へ来たら昔も今も同じだ。きょうはお堀端の道まで、行列が続いていた。それも、学生ではなく、サラリーマン・ウーマンが見事に20人ぐらい、開館を待っている。「おくりびと」が目当てらしい。

ちょうど、会社がひける夕方6時だったので、これから映画というのは、健全な生活だと思われる。仕事場の近くに、名画座のあることが働くことの必須条件だと、わたしは思う。その点では、わたしの場合、幕張のシネプレックスの存在は大きい。

さてきょうは、かつて放送大学の学習センター所属で、当時は「若手」だったOBの先生方との会食を、後楽園涵徳亭で行なった。最高齢は工学のO先生で、74歳になるというのに、いまでもテレビ出演があり、元気そうだった。最年少は、今年放送大学に英国から赴任してきた30歳代のI先生だから、この年の差分だけ、放送大学でも「若手」層の積み上げが進んだことになる。

昔話を確かめたり、外にいる方には放送大学がどのように見えるのかなどを伺ったりして、まわりに居る方々との話をするだけで、時間が過ぎてしまった。話を聞いていて、やはり感じ方が違うな、と思ったのは、「生涯学習」という点だ。

多くのOBの先生方は、国立大学や私立大学へ転勤して行ったのだが、そこで教えている学生は、やはり若い人が中心で、教え方が違っている。あまり強調すると、それほど「一般大学教育」と「生涯学習」とは違わない、と言われてしまいそうだが。

簡単に言ってしまうために、G.バウマンの秀逸な比喩をお借りするならば、そこには「ジグソーパズル」と「ブリコラージュ」の違いが存在するのではなかろうか。現代の大学教育では、世の中の多様な分化現象にあわせて、どんどん専門化が進み、それぞれの専門領域の共通性を探ることがさらに難しくなってきていることは、共通認識としてある。

問題は、それぞれバラバラになった専門領域を、どのように大学教育・生涯学習のなかで統合していくのか、ということだ。ひとつは、複雑な組み合わせをひとつひとつ合わせていって、あたかもジグソーパズルのように、繋ぎ合わせて統合されていくことが求められている。おそらく、ジグソーパズルのように、最後の完成形がはっきりしているときには、このようにして専門を組み合わせるだけで、問題は解決するのかもしれない。

けれども、現実はそれほど甘くはない。最終の完成形などというものは、実際にはイメージすらも、通常は存在しないのだ。そこで、多少無駄だとは思っても、どうしても「外見上はあまり結びつかないさまざまな要素の寄せ集め」をとりあえずは行ってみて、ブリコラージュの変形を続けることになるのだ。

生涯学習の場合には、独断や偏見が忍び込む危険性は伴うが、最終到達地点は不確実なのだから、その模索を同時に行なう必要があり、この点で、一般のカリキュラムがある程度固定できる「大学教育」とは異なってくるのではないだろうか、などなど、久しぶりに懐かしい声に囲まれて、昔行なった青い議論を再び思いだしてしまった。

2009/05/12

一日の使い分け

Photo 千葉での生活も次第に慣れてきて、横浜時代のように、一日を使い分けることができるようになってきた。

朝の通勤路では、桜とつつじの華やかだった季節が終わり、タンポポからさらに、クローバーが目立つ季節を迎えている。黄色い花からから白い花へ転移が始まった。それにしても、種子を飛ばすころの白いたんぽぽならいざ知らず、こんなに首の長い黄色いたんぽぽを見たのは初めてだ。

Photo_2赤やピンクが優勢を極めている季節は、人間が暖かさを求める季節に当たっている。そして、黄色から白色へ移るにしたがって、暑さが自然を支配する季節になるのは、人間が暖色と寒色を決めたことと関係があるに違いない。実際の季節の色ではなく、期待される季節の色がそのことを決定している点が、やはり人間の仕業であることを示している。

きょうは午前のうちに、3つの打ち合わせをこなし、偶然の立ち話も楽しみ、さらに溜まっていたメールも済ました。試験問題の校正も行えば、すでに12時になっていた。先生のなかには、朝の7時半から仕事をしている方がいて、先生方の「激務」の様子がわかるというものだ。あるいは、裁量労働制の影響なのかもしれない。わたしの場合には大学での仕事はこれまでとして、あとは家に帰っての仕事を残して、大学を後にする。

Photo_3 京成電車で千葉中央駅まで出る。幕張まで来てしまうと、この電車も大都市の交通というよりは、小都市の電車という趣で、のんびりとした乗客を運んでいて、この日中という時間であることも手伝って、居眠りをしている客をどこか遠くの世界へ攫っていってしまいそうだ。

街の温度は、5月だというのに7月並みで、どこか木陰が欲しいと見回す。通り道を1本入ったビルの裏に、千葉モノレールの葭川公園駅があり、その近くに素敵な喫茶店を見つけた。外見よりも内部からの眺めがよい。「楡」という店だが、昔は楡の並木でもあったのだろうか。鎌倉時代から在る千葉城につらなる地域だから、きっと古い樹があったのだと想像される。

Photo_4 ランチが凝っていて、メニューから2種類のものを選べる。オムライスとあんみつという組合せにする。それに、ミニサラダと吸い物、さらに飲み物がついている。オムライスには、にらが入っていて美味しかった。あんみつは見た目に涼しげで、黒糖が香っていた。コーヒーもたぶん美味しいのだと思われるが、これからいつもの珈琲の豆屋さんへいくので、ちょっと抑制がはたらいた。

今日の後半の仕事がなければ、道沿いにある千葉劇場で、「シリアの花嫁」がかかっているので、寄り道をし、さらに展覧会を千葉市美術館でみたいところだが、両方ともに断念する。後悔しないように、見ることができるときに見る、というのが信条なのだが、信条どおり行かないのが現実なのだ。

Photo_5 先週、みすず書房から出版されている『クレーの日記』を読んでいたのだが、ちょうど美術館では、16日から「クレー展」を開催するとの垂れ幕を目にした。また来週来ることにしよう。帰りに、ブラPhoto_6 ジル産のブルボン豆と、コロンビア産のエメラルドマウンテン豆を浅く煎ってもらって持ち帰る。珈琲豆の店ではセールだったので、ホンジェラスをカップでのみ、試飲でインドネシア産の「バリ神山」を味見して、今日最後の1杯とする。

2009/05/02

新しい1歩を踏み出すとき

忌野清志郎氏が亡くなったと報ぜられた。それで、1970年代の映像をYouTubeで見た。

何といっても、「ぼくの好きな先生」が初期の作品では思い出に残っている。当時、1973年ごろ、いわゆる石油ショックが襲ってきて、日本は今日どころではなく、経済マヒの様相を呈していた。

今日の金融危機だと、危機に陥る金融資産があるということだが、1970年代には、まだまだ資産もなく、高度成長期が終わってしまい、原油の輸入もできなくなり、日本経済は戦後最大の危機を迎えていたその年だった。フロー経済の危機で、オタオタしていた時代だった。

当時、横浜の学生であって、東横線の白楽というところに下宿をしていた。この年、下宿の近くの神奈川大学の大講堂で、浅川マキと、それから忌野清志郎が所属していたRCサクセッションがコンサートを開いたのだ。当時はまだ、ロックバンドではなく、アコースティックのバンドであった。

まだまだ、大学紛争の残滓が残っていて、そのコンサートも当然学生の資金稼ぎだったと思われる。神奈川大学大講堂へは、そのとき初めて行ったのだが、外見からして横に細長く階段状になっていて、流れるようなフラットな形状が素晴らしい建物だった。今は、取り壊されてしまって、跡形もない。この神奈川大学にその後教えに行くようになるとは、当時はまったく考えても見なかった。

RCサクセションはどちらかといえば、前座であった。生のベースの音を響かせて、渋い舞台だった。けれども、そのなかで、なにか変わるんだ、というメッセージを出し続けていて、それがこちらにびんびん響いて伝わってきて、たいへん印象に残った。この1年のうちに、終わりになるか、それとも、生まれ変わるか、の瀬戸際に立たされていたのだ、とあとで知ることになる。

1歩踏み出すかどうかの、直前の舞台だったのだ。その後、結局1年では終了せずに、35年有余にわたって、ロックに邁進したことになる。そのコンサートには、わたしの友人たちもたくさん来ていて、そろそろ就職を考える時期にさしかかっていた。

経済学部のS君と、彼の恋人だとみんなに思われていたKさんも来ていたし、また同じく教育学部のMさんも合流してきて、帰りの坂道を歩きながら、漠然と将来のことに思いを馳せ、駅の手前の中華料理屋で、どの1歩を踏み出すのかを話した記憶がある。

RCサクセションの歌は、そのような意味では、元気付けたっぷりの亢進剤の役割を果たしてくれたような気がする。その後、節目節目にそのような歌がラジオから聞こえて、そのつど1歩を踏み出す能動性を受けたような気がする。

新聞でビートたけし氏が「ぐっと上がっていく時に、よく一緒にやった」と言っていて、うまく表現していた。世代特有の問題というものがあるのだ、と思った。

いまでは、すっかり歌を唄ったからといって、さすがに感情を高ぶらせることは少なくなったが、当時まだ売れていなかったバンドが、「ぼくの好きな・・・」を選んでいく姿は痛快だった。わたしも就職を考える際にも、会社へ入るかいなかを真剣に考えなければならないという時期を迎えていた。だから、こうした道に入っていった、ひとつの伏線として、切羽詰った彼の影響があったのかもしれない。もしあの世で出あったら、当時の話をぜひ聞きたいと考えている。またひとり、話を聞きたい人が亡くなってしまった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。