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2009年3月に作成された投稿

2009/03/30

空から旅して歩く

大学の委員会に出席するために、幕張へ。この委員会では、重要でほんとうに話し合うべきことがあったのだが、この時期だからというので、来年度へ持ち越しとなった。それで、20分で終了した。

遠路はるばる来たのだが、拍子抜けだった。本来ならば、会議が短くて喜ぶべきところだが、こんなに短いのも、逆に仕事をしたという満足の気分にはならないから、不思議だ。

隣の席には、先日お昼を一緒に食べて、面白い話をしてくださった、中世の歴史を専攻なさっているG先生が座っていらっしゃった。これをどうぞ、といただいたのは、発刊されたばかりの岩波新書『日本の中世を歩く』だった。ちょうど新聞広告でみて購入しようとしていたところだったので、たいへん有り難かった。

これだけで、委員会に出た甲斐があった。帰りの電車内と、コンサートまでの待ち合わせの時間に読むことができた。最初のところが、素敵だ。わたしのような美味と、快感を楽しむことだけの旅を諌めている。『梁塵秘抄』に謡われた次の一節が興味深く、この本全体を表している。

  熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し 勝れて山峻し
  馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽たべ若王子

熊野詣に徒歩で行くには辛い、かといって、馬に乗ったら苦行にならない。そこで、空から行くからその羽をください、若王子。という意味だそうだ。旅をするのに、つぶさに体験するのは返って、意味がない。また、早く通り過ぎるのも考えものだ。結局、超越することが重要だ、ということだろうか。

G先生の旅は、時空を自在に飛び回って、ポイントを余すところなく伝えている。たとえば、旅をして足利へ行く、足利学校がどうしてこの地に建てられたのか、と自問する。その問いから、足利学校の前身を探求し、当時の日本の「大学」の成り立ちを解いていく。

つまり、歩いて、地面の表面をなぞるだけでもないし、馬に乗って、歴史をすっとばすわけでもない。空から、横の広がりを見たり、深く時間軸に沿って、探査していくことが、真の旅だと言っているようだ。

この本を持って、同じところを旅して歩きたくなる一冊だ。旅は美味と温泉だけじゃない、といっている割には、各地で美味しいものと美酒を食しているらしい。自分のことを振り返ってみると、放送大学の取材でも、このような旅ができれば理想的だし、ほんとうに言うことはないのだが・・・と先達の方法を見て反省すること多かった。

2009/03/29

別れの季節

Sakura 今年の桜は、開花が遅れていて、今日は弘明寺の桜まつりの日なのに、まだ冬用のコートを手放すことができない。青空に透かしてみると、いつもならば、花に覆われてしまう空もまだ2分咲きの花では、透ける部分が多い。

Center 太陽が当たっているにもかかわらず、肌寒い。学習センターの建物とも一応お別れになる。けれども実際には、ゼミやボランティアでご厄介になるから、完全にはお別れではないのだけれども、心なしか、建物の色も青ざめている。

青色の気分でお別れと言うのも悪くない。さっぱりとしていて、2年前のお別れよりもなんとなく、また帰ってくるからという気分が強い。循環的だということが、放送大学の取り柄だ。

Kさんが久しぶりに訪ねてきて、京都で研究会があり、招かれて発表するのだというのだ。80歳を過ぎて、ますます盛んな探究心に驚いている。知的好奇心にも寿命があると、思い込んでいたのが間違いで、わたしの老後も考えなおす必要がある。

夜には、神奈川学習センターみんな揃って、送別会を催してくださった。中華街へ繰り出し、重慶飯店別館(ここは本館、別館、新館がそれぞれあって、大きな組織体なのだ)にて、食事をする。送られるのは、H所長、K先生、そしてわたしで、わたしの場合は2度目の神奈川学習センターからの旅出である。

思い出はたくさんあるが、やはり学習センターの範囲を逸脱して、横浜美術館、開港資料館、歴史博物館、さらに都市発展記念館などの外部のところと提携を行い、それぞれを回って、お願いに歩いたことは、楽しかった。

Allmember2_2 組織論を専攻するわたしにとって、現場を見て、実際にそれらの組織がどのように動いているのかを見ることができたのは、研究では得られない経験だった。

などなど、次から次へ思い浮かんできた。当初予定していた話をつい脱線してしまった。最後だから、学習センター精鋭部隊全員の写った写真を載せても大目に見てもらえるだろう。

2009/03/26

沼津の魚市場

Photo_2 遠くから聞こえるざわざわという群集の声が当たり前であるかのような場所は、世の中にそれほど多くはない。駅や市役所などはすぐに思いつくが、今回は朝の4時、5時という時間である。

Photo_3 沼津の魚市場へ来ている。講義で魚市場を取り上げていて、もっとも面白いと思う点は、「身近」なものであることと、「遠隔」地で取れたものという、相異なった性格を持ったものが同居している点である。だから、もし食べている魚の来歴を知ろうとすると、ほんとうはたいへんな作業になるのだが、市場へ行けばどこから来たのがすぐわかる、というところが市場の市場たるところだと思う。

Photo_5 講義の統計などは、調べれば容易く手に入るし、写真なども出来合いのものは最近ではインターネット経由で得られることになったが、それでも市場というものの現実はなかなか伝わってこない。Aさんが欲しいと思っているものが、Bさんが持っていて、それぞれAさん、Bさんがたくさんいるのだ。それをどう一致させるのか、という古典的な問題が(わたしだけかもしれないが)現代でも面白いのだ。

Photo_6 それで、経済学のテキストのような理解をしても良いが、実際に一尾一尾の魚がそれぞれ取引されていくのを見ることは大切だと最近思うようになった。そこに行って見なければ、経済学が教えるような調整メカニズムがそこで一瞬できまるとは思わないだろう。ひとつの取引それぞれが調整のプロセスなのだ。

というわけで、築地、銚子に続いて、ここ沼津の魚市場を訪れたしだいである。朝早くから始まる。早いのはほんとうに苦手なので、沼津の街から歩いて20分くらいのところにある市場へは、薄暗いなか、太陽がすこし昇り始めてから着いた。途中、川辺を散歩しているご夫婦や、自転車で市場へ駆けつける人々に出会う。

Photo_7 外市場を通り抜け、「イーノ」という新しく作られた、市場へ入る。ここの二階が見学者用に、開放されていて、銚子のように近くに寄ってみるのも良いが、真上から観察するのも「せり」の場合にはよりわかるような気がして、良いのだ。築地のように、競り取引ができなくなるほど、観光客が来てそれを排除しなければならない、という事態をはじめから予想して避けるように作られた建物だ。

Photo_8 市場に入って、まず探したのは、沼津名物のアジだが、さすがに大量に水揚げされていて、リフト車で次から次へ、海から船が横付けされて直接市場へ運び込まれていた。まだ、小魚の段階で、上からみていると、メザシのオンパレードというところだ。

色鮮やかなのは、金目鯛だ。白い発砲スチロールの箱にピンクの身体を寄せ合って、せりを待っていた。水揚げの量もたいへん多かった。夜には、刺身や煮魚になって、食卓に並ぶことだろう。

Photo_9 この市場は近海ものが多いので、先日の銚子市場のようなマグロが並ぶことはあまり無いらしい。今日、もっとも高額だったのは、鯛で、キロ2500円だったそうで、3~4キロのものが2尾並んでいた。近海の清水の先で獲れたものだそうだ。

Photo_10 もっと大きく重い、ハマチなどがその隣にも並んでいたが、それらは養殖もので、やはり価格は安くなるそうだ。それに素人にはわからないが、と仲買の方がそっと教えてくださったが、尻尾に「虫」がいたのだそうだ。それで結構、安くなったとのこと。その虫が害のあるものであれば、まったく取引されないだろうから、質を落とすだけの「虫」だったのだろう。けれども、こんな判断は、一消費者では到底できないだろう。卸市場というものの存在する理由の一端がわかった気がした。

Photo_11 貝類の競りも行われており、一番最後には、生簀のヒラメたちが競り落とされていた。競りはほんとうに一発勝負で決まる場合が多い。それで、同じ価格をつける仲買が何人かいる場合には、どうするのか。

経済学の教えるところによれば、競り市場では、オークションが機能するのだから、同じ競り価格が叫ばれれば、価格が上がっていって、最後に最高値をつけて落札した者の手Photo_12 に渡る、となっている。けれども、理論と実際は異なる。ここでは、同じ価格の場合には、ジャンケンをしていた。つまり、相場はあらかじめ決まっていて、それよりも高くなることも低くなることもないのだ。ただ、ここでは誰のものが誰に渡るかが決定されればよいのだ。

そして、落札されたことは、水で濡らされて、ぺたっと箱に貼られた会社印のついた入札票が示すことになる。6時を過ぎる頃には、仲買人たちが仕事を終えて、市場を出て行く。運搬人たちがトラックへ運び込んで、散っていくのだ。

Photo_13 朝ごはんは、市場の2階の隅にある魚定食の店にて食べることにする。ごろっとした焼き魚(今日はマグロだった)が無造作に皿に乗っていて、いかにも魚市場の定食だ。こんなのを毎日食べていたら、街中の定食は食べられないだろう。とうぜん、味噌汁は蜆の味が美味しい、たっぷりしたのものだ。

Photo_14 見学者通路の壁には、魚の種類を描いたポスターが並んでおり、理科の勉強にも最適だ。図鑑と生の魚を見比べながらの見学は、滅多にできない体験だ。そのなかの1枚だけ、昔の沼津港の写真が掲げられていた。

Photo_15 そういえば、高校時代に戸田の友人宅へ泊めてもらい、帰りに船で西伊豆を見ながら沼津へ出たことを思い出した。そのときの印象では、道の両側に干物屋さんが出ていて、緑のプラスチックのかごに、あじの干物が入っており、高校生でも買えるくらいの土産物だPhoto_16 った。海から港へ入ってきて、上をみると、富士山が典型的な姿を見せていた。

2009/03/11

街歩き

京都での取材は、文献収集だったので、それが終了した後には余裕が出来た。とはいえ、取材での材料探しは数多く行っておくと、あとで楽になるので、題材を探しての美術館めぐりと喫茶店めぐりを午後から行うことにする。

生活美という考え方については、哲学者のランガーなどをはじめとする芸術論者からは批判が出されているが、社会を問題にする場合に生活の美的性向については避けて通ることができない問題である。ちょうどアサヒビールの大山崎山荘美術館で、「濱田庄司の目」展を行っていたので、世界から濱田庄司が集めてきた民芸品をみることにする。焦点は、役に立ち、なおかつ洗練ということがいかに美的に表現されるか、という点である。

現在とは違って、超円安の時代にこれだけのものを収集できたという濱田の財力にも感心するが、それ以上に、使い込まれ、使用者の愛着がしみこんだ品々には、それなりの美しさが宿っている。それは近代が目指したような機能美でもないし、古代から続く様式美でもない。けれども、たどたどしさや、自然な不均等さ、さらには余裕ある弛みなどが、これらには顕著に見られる。たとえば、面取りした李朝の器には、ぴんと張ったまっすぐな直線の糸をちょっと弛めて、曲線を意識したような適度なスラックが観られる。このスラックは、生活に根ざした余裕の美だと思われる。

京都市内に戻って、昨日の喫茶店めぐりを再開したいと思うが、行きたいと思っていた「かもがわカフェ」と「エレファント・ファクトリー」はいずれも定休日だった。そこで、近くのスマート珈琲店へ回ってみるが、さすがに寺町にあるだけあって、満員でさらに3組が待っているとのこと。

仕方ないので、京都では街中でもっとも宣伝され配給されているように見える小川珈琲店(三条)へはいり、バリスタ大会で優勝したと宣伝されているエスプレッソをきゅっと飲む。これは、噂に違わず美味しかった。仕事の終わった後で、ちょっと一息つくというときには、カフェインが強く効いていて最適な1杯になりそうだった。

最近どうしても気になるのが、喫茶店の造りが女性、それも30代40代の働く女性にターゲットを絞っている感があることだ。店のなかに入ると、女性たちが会話を楽しむように作られている。1970年代に流行った、男性が一人で静かに本を読むというスタイルが忘却のかなたへ行ってしまい、そのような男性はあまり見られなくなった。昨日のJamJamのようなところでしか、生息できない品種となりつつある。

小川珈琲だけがとりわけそうであるというわけではないのだが、昔のあんみつ屋に似た造りになっている。単に、まめが大豆から珈琲豆に変わっただけなのかもしれない。その後、二条通を東から西まで歩く。学生たちが通うような喫茶店が、町屋を改造して、居心地のよい空間を作っている。今日、最後の1杯は、このような今風な店の大テーブルにて、大学生時代を思い出しながら。

2009/03/10

神戸の取材

来年度のビデオ制作取材のために、京都と神戸を訪れている。論文の取材と違うのは、文献蒐集だけではなく、やはりビデオ制作では人と会わなければならないという点である。このためのスケジュール合わせがあって、このことが不得手なのだ。

うまくいかない場合と言うのは、だいたいこちらに原因があって、目的があいまいなままに取材申込を行うものだから、取材に応じていただく側としても、こちらの意図を測りかねているようなのだ。それでいつも、応じてくださる方にはたいへん迷惑をかけている。

けれども、その場になってみると、話しているうちにようやくこちらの意図が自分でもはっきりとしてきて、会う毎にいつもたいへん参考になって、会ってよかったなと思うのであるが、結局それは自分の想像力や構想力の足りなさを露呈することでもあり、恥じることになるのだ。自分の楽観主義にあきれる毎日である。

目的・ねらい・見方をはっきりさせてから、人と会え、というのは社会の常識なのだが、我がことながら非常識なので困ってしまう。

けれども、それ以上に得るものが多く、いわば取材の外部効果というものがあるのだ。取材そのものもさることながら、取材の周辺で得るものが間接的でありながらも、たいへん大きい。

今回は副産物として、喫茶店めぐりを行うことができた。神戸と京都の喫茶店事情についての雑誌「珈琲の本」(エルマガジン社発行)を読んで、そこに掲載されていた店を回ることで、コーヒーをめぐるパッションをなお一層得たという感じだ。

神戸元町駅を下りて、商店街へ下っていくと突き当たりに、緑の壁を基調とした喫茶店「エヴィアン」がある。酸味も残しているが同時に苦味もベースにしたブレンドを数十年にわたって出し続けているというので、たいへん期待して訪れた。ここ数年、日本人の珈琲趣味がすっかり東京御三家や、シアトル系コーヒーに押され、これが主流となったために、日本の喫茶店から酸味系のブレンドが駆逐されつつあった。酸味を極端に愛するわたしのような者にとっては、たいへん残念な日々が続いている。

けれども、エヴィアンのブレンドは、これを超えている。もちろん、最近の苦味系も活かしながら、あとに酸味が残るような複雑なコクのある味を実現している。この美味しさは、たぶん地元のコーヒーファンにとってはかなり「くせ」になる味だと思われる。ブレンドというのは、自然プラス・アルファの味だと考えており、ハヴィタスに属する状況が左右する。神戸には、それがあると強く感じた。

つまり、客層は必ずしもコーヒーファンだけに限られるのではなく、ふつうの常連客を集めていて、客回転のよさも抜群である。一杯引っ掛けて、また仕事に戻ろうとするさまざまな勤労層を集めている点で、これまでの喫茶店の中でも、上位に位置する店である。1杯300円を維持していて、この立地で、この値段。さらにこの美味しさがあるので、通常の外来チェーン店には決して負けないだろう。

2番目に回ったのは、JRの高架下に連なる商店街のずっと奥のほうに位置する「グリーンズ・コーヒー・ロースター」。ロースターという名前が示すように、店を入ると奥にどーんと焙煎機が置いてあって、工房の雰囲気をかもし出している。さらに客席も少なく、二階に数席あるだけだ。急な螺旋階段を上がって、ちょっと隠れ家的な雰囲気の店であって、長居できそうで落ち着く店だ。職人的な雰囲気のなかで、アートと技術の中間を狙っていることが表に現れている。

ブレンドは、たいへん標準的な味を実現していて、他の特色あるコーヒー種を頼めば、それなりに美味しいコーヒーが出てくることを予想させる「クリアな味」のコーヒーであった。「卓越」ということでは、標準をいかに工夫するのか、というであり、このことは意外にたいへんなことで、それを実現していることが卓越していることの証拠である。大きな窓からは通りが見えて、高架下にもかかわらず、電車の音さえ気にしなければたいへん居心地の良い美味しいコーヒー屋さんだった。

もう一軒というので、トア・ロードのタルコ屋もいってみたいが、今日がちょうど定休日で残念ながら、営業していなかった。そこで取材にいくまでの4時間あまりをエヴィアンの地下にあるジャズ喫茶「Jam Jam」で過ごすことにした。

学生時代に、新宿のジャズ喫茶を教えてくれたのは、同級生のIくんだったが、彼の行きつけの店が新宿歌舞伎町のコマ劇場向かいのビルの地下にあった喫茶店「木馬」であった。ここは天井が高くて、大広間があって、がんがんと大きな音響を響かせていて、素敵だった。

ここに似た雰囲気を持っているのが、この「Jam Jam」である。手元の照明を引き寄せて、400ページほどの本を1冊ちょうど読み終わることができた。音楽もピアノソロとトリオなどを中心として、選曲の流れが良かった。椅子もゆったりとしていて、ひじ付き椅子の位置が素晴らしかった。最後の曲は、前衛的な曲で、女性の声が楽器のようにスイングしていて、もうすでにこの店に居続けて3時間は越えていたのだが、それでももう1曲聞いてから出たいと思わせるものだった。

地下から出て、表通りの大丸百貨店の裏に回ると、そこにもテラス式のヨーロッパ風のカフェがあり、エスプレッソがおいしそうだった。ここは昨年のバリスタ優勝者などがいるのだそうだ。今日は外見だけを眺めて、通り過ぎ、その裏にある旧居留地38番を見学して、早々に取材地へ向かうことにする。

珈琲の味というのは、その土地の文化を吸い込んで育ってきていると思われる。この点で、神戸の珈琲文化というのは、このように多層的な構造を示していて、一日訪れたわたしでさえも、この構造の複雑に絡んだ味を楽しませてくれるだけの蓄積があるのだ。地域特有の「固有の味」とでもいうべきものを、それぞれの喫茶店が発達させている点で、日本のなかでも稀有な場所のひとつだと感嘆させられたしだいである。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。