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2009/02/21

酒の神ディオニューソス

Photo_3 酒の神ディオニューソスには親近感を持っている。わたしの家系には、日本酒の醸造を行っている分家が何軒かあり、その関係で西洋の神様ではあるが、ディオニューソスに対しても守護神のひとりとしてみる習性がある。酒に強い体質を受け継いでいるのも、ご先祖様のお陰だと思っている。今日も、勝沼からの帰り道で身体全体はアルコールで痺れているにもかかわらず、頭のなかはかなりハッピーな状態を保っていて、電車に揺られても良い気分だ。

Photo_4 山梨県の勝沼で葡萄酒に関する集会「なぜ今、日本ワインなのか」があるというので、制作取材と趣味の両面作戦でいそいそと出かける。現在、世の中はワインブームであると言われていて、テレビの連続ドラマや漫画連載で取り上げられている。それは、円高なので、輸入ワインが隆盛を極めているという面の反映でもあるが、それ以上に流行や社会文化、さらに消費者心理のような要素が混交していて、消費社会論の対象としてはきわめて題材に富んでいる。

Photo_5 なかでも、「日本の葡萄酒がどのような状況にあるのか」という点は、産業としても面白いし、また消費者を巻き込んだ社会文化状況としてもたいへん興味深いところだ。ワインについては、わたしはまったくの素人であるのだが、消費社会論を専攻するものとしては、この現象を見逃すことはできない。

Photo_6 もっとも中心にある問題は、グローバル化とローカル化という大きな流れのなかにあって、もともと「美的」であるとか、「美味的」であるとか、という主観的な規準が社会的な規準を反映せざるを得なくなっている、という問題がワイン文化のなかにもあるのだと思われる。葡萄酒という地域性の強かった産物がグローバリゼーションの影響を受け、変化を遂げているということだ。あるいは、グローバリゼーションが進展するからこそ、地域性という葡萄酒の特性が強調されているのだと思われる。

この集会の講師であるY氏は、内外のワイン書籍を上梓している有名なワイン評論家だが、葡萄酒の良さは葡萄の持つ「自然」と、醸造家および生産・販売者の持つ「技術」によって決まるとする。その結果として、グローバリゼーションの進展は、輸送技術の進展を伴って、世界中のワインがあらゆる場所で販売され、勝沼のワインも競争に曝されている、とする。とくに、20世紀後半から今世紀にかけて、加速度的にこの傾向が強まってきたとする。

Photo_7 これに対して、聴衆のなかからは、ローカルな醸造家の努力が重要で、葡萄酒のもつ地域性の重要さが強調される意見が出されていた。この「美的」な意味での地域性という点には、たいへん興味を覚えた。きっかけを掴んだような気分がして一応の満足を得たので、集会後の交流会では、ディオニューソスの酒宴にもっぱら参加することにした。

Photo_8 葡萄酒は、「人びとの垣根を取り払う」と言ったJ.J.ルソーの言葉は至言である。醸造家のAさん、醸造所オーナーのMさん、アドバイザーのMさんの話を伺うことができた。このなかでも、今回の目的を上回る成果を十分に果たすことができた。酩酊文化恐るべし、という感想を持ちながら、勝沼「ぶどうの丘」を下り、中央線に乗り込んだ。沿線では、梅が咲き始めていた。

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