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2009/01/10

街の豊かさは何に表れるか

昨日から、卒論の審査のために、群馬にある放送大学の学習センターへ来ていた。群馬大学のKo先生にTさんの論文指導をお願いしていて、その成果が出たのだ。ここが放送大学の柔軟なところで良い点だと思われるのだが、日本各地の大学の先生方に協力いただいて、卒業論文作成指導をお願いするシステムがある。

審査が終わった後、同僚のKa先生とY先生が、こちらの学習センターに詰めていて、積もる話で盛り上がった。群馬学習センターは放送大学設立当時、地域センターのモデル校として、とくにデザインに気を配って建設が行われた経緯がある。4半世紀が経って現在改装工事中なのだ。全てが新しくなったようで、ほぼ新築に近いほどに、生まれ変わった。話に夢中で、センターの閉所時間をすっかり過ぎてしまっていたのも忘れるほどだった。夜になって、雨が激しくなってきた。

明けて今日は、雨も上がり、快晴。朝早く目が覚めてしまったので、持参してきた論文を一本読む。思わぬ分野の論文を読んでいて、思わぬ議論が発達していることを偶然知ることがときどきあり、異なる分野の論文をこのような旅行中に時々読むことにしている。夜中の宿屋、夜行列車の中などで読んだ論文がとくに印象に残る場合がある。今日の一本もたぶんそのような論文になるに違いない。

群馬の桐生には、わたしの研究分野に関係する題材が多数存在する。ときどき何を取材するのかわからなくなるほど、現実というものの多様さにいつも驚かされるのには困ったものだ。昨日、Ka先生が桐生の情報をたくさん提供してくださったので、それを片手に、前橋から桐生へ向かう。快晴は良いのだけれども、やはり上州のからっ風は相当なものだ。

Ookawa_2桐生に着いて、上毛電鉄の西桐生を過ぎ、急な坂道を登りきると「大川美術館」の玄関に着く。先日亡くなった大川栄二氏が設立した個人美術館なのだが、早くから集めていて、個人収集家としては名高い。それぞれ名作を集めている中で、「松本竣介」の収蔵品が多いことで知られている。

なかでも、彼の代表作「Y市の橋」の系譜に連なる「運河風景」や、「都会」「序説」などの青の系譜に属する「街」などがあり、さらに人物像として「婦人の像」や「自画像」が展示されている。

今日の一枚は、「街」を取り上げたい。ここには、松本竣介の現代的な世界観が表現されていると思われる。「街」には、時計台の建物を囲んだ「公共街」があり、派手な屋根に象徴される「ショッピング街」と小さな煙突が林立する「工場街」がうっすらと白く浮かびあがっていて、人びとはそれらの間から浸みだして来ている。

このなかでは、テーブルを囲んで食事をする人びとだけが、その位置が微妙だが、それぞれの街は、全体を包む青で分断されている。薄く塗られた青がその時代を表しているのだろうか。

けれども、分断された街々は、一枚の絵のなかに描きこまれた限りで、どうしようもなく有機的な連関を保たねばならなくなっており、さらに人間たちがこれらを結びつけている。だから、全体は青く沈んでいても、動的な社会的美しさを保っている。どう見ても、松本竣介には、間接的にではあるが社会科学的な視点が存在するけれども、それが直接的に第二次大戦の表現へ向かわなかったことで、かえって異彩を放っている。

Sinnju_2 絶筆となった絵は、3枚存在することを知った。以前、松本市の美術館で見たものと並んで、もう一枚の絵「建物」が展示されていた。

大川美術館からふもとへ降りていく途中の家々は、皆ゆったりと佇んでいて、桐生という街の物質的蓄積と、歴史的な豊かさを強く感じさせられる。本町三丁目の交差点近くに「新樹」というアンティーク喫茶店があって、からっ風に曝されてすっかり冷え切った身体を温めようと、メニューにあった「お雑煮」を昼食にする。鳥の出汁に、ほうれん草と鳴門巻きというシンプルで薄味の椀であった。

店に入って感じたのは、上州らしさというのだろうか。ふつうの地域で喫茶店に入り浸る常連客というのは、男性客なのだが、ここは全部女性客だった。さらに、経営者も従業員も女性だった。入れ替わり立ち代り、裏の駐車場から駆け込んでくる人びともすべて女性で、この街では男性はどこにいるのだろうか。もっとも、ここは甘味のおしるこなどを豊富にそろえているので、それで年配の女性客を集めているのかもしれない。

Souko_3  それ以外にも、外装は写真のとおりだが、内装もこっていて、一枚板のテーブルが素敵だったし、ウインドウに並んだ土偶たちも素朴な笑いを見せていた。これで帰路についても十分という気がしたが、まだ1時を回ったところだったので、とりあえずKa先生ご推薦の蔵群や群馬大学工学部を目指し、歩き始める。

Souko2 まず、寄ったのは、蔵や倉庫が保存されている「有鄰館」、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」からとられたらしい。社訓として使われていたらしいが、当時の商人は教養があったということだ。途中、以前卒業生のKoさんから教わった、絹の買継商「書上家」の家のあとも見る。ここは坂口安吾の終焉の地としても有名だ。文書が大量に残されていて、東大のそうそうたる人びとの論文と、一般向けの解説の載っている報告書が書店で売られていた。

Dousou3_2 すぐ帰ってしまわなかったことがほんとうに良かったと思えたのは、群馬大学工学部同窓記念館で、1916年竣工の木造の講堂見たときだ。写真でわかるように、奥行きが広いばかりか、空間として包み込むような親しさがあり、思わず演壇に駆け上がって、声を張り上げてみたい衝動に駆られる空間だった。

Koudou1_3  一度でいいから、ここでしゃべってみたいと人に思わせるようなホールだ。なぜそう思うのかといえば、近代にできた、きちきちでべたーとした客席とは違って、それぞれすべての席の人Koudou3_2 の顔が見えるような距離感で収まっているホールだからだ。もし2階、3階席から質問を受けてKoudou2_3も、十分やり取りできそうな、ということは、対話のできる講堂になっているということだ。

駅までの帰り道は、1本道を変えて、ノコギリ屋根の工場跡がまだ残っているところをカメラに収めながら、当時の織物工や紡績工たちのことに思いをはせた。石積みの工場の壁には、何人の会話が染み込んでいるのだろうか。また、どれだけの商品が生産されたのだろうか。

Kabe3_2 Kabe2 現在では、その工場跡にパン屋さんが入ったり、レストランに変わったり工房になったり、変容を遂げている。たとえば想像するに、町並みが区画ごとに整然と並んでいて、もしかすると、これらはもうすこし大きな工場群の規格に合わせて、町並みが作られていたことを意味しているのかもしれないのだ。これらの痕跡には、すこしの豊かさと、すこしの残酷さが刻印されている。Kojo2_3

  からっ風が夕闇を急速に運んできた。帰りの電車は、高崎へ出て、横浜直通電車に乗る。O先生ご推奨の、普通車のグリーン席を試した。Ticket_2


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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。