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2009年1月に作成された投稿

2009/01/20

岡山出張

昨日はそのまま、岡山出張に出かけた。K大学から新横浜までは、たいへん近い。そのまま新幹線に乗って、3時間半で岡山へ着いてしまう。

日が変わって今日は、午後の面接審査までのあいだ、来年度の講義準備で、いくつかの取材・資料収集を計画していた。けれども、そこへいくまでに、いつものように岡山では、喫茶店のリサーチが欠かせない。

前回6月に訪れたときにも、この岡山ではとても良い喫茶店のネットワークが発達していることがわかったが、もうすこし見て回る必要があると思っていた。

Photo 今回は自家焙煎ということにねらいを定めて、店を回ることにした。岡山では、自家焙煎を看板に掲げる喫茶店がたいへん多い。それは、関東のキイコーヒーや関西のUCCなどの大手の焙煎業者がほとんど進出してきていないからだろうと推測できる。また、岡山の人のコーヒー趣味が、スターバックスやタリーズなどの文化をまだすこししかうけいれていないからだろう。(それでも、駅を中心にして少なからず進出してきている。)

まず、岩田町の「後藤珈琲」を訪れた。輸入生豆用の麻袋が見えて、豆専門店の様子がわかった。客こそ少ないけれども、もっと人のくるところに店を開くならば、関東圏の「珈琲問屋」のような店になる可能性があると思われる。もしかしたら、こちらのほうが歴史は古いのかもしれないが。それから、柳川の「下山珈琲」も豆専門店だ。

Photo_11 ゆったりした流れの旭川の手前にある、前回も入った「コーヒー亭」で、魅惑珈琲(たぶん、コロンビア系)とトーストをいただき、ようやく朝食にありついた。ここまで、宿舎から早足で30分くらいかかっており、朝の散歩としてはちょうど良いくらいだ。このころには、観光客たちも後楽園方面を目指して、喫茶店前を通り過ぎていくのが見える。

Photo_4わたしの座っていた席がちょうどテラスのようになっていて、ガラス窓に観光地図が張ってあったため、若い観光客が地図を見ながら、こちらをのぞきこんで来て、もう休んでいるのか、という顔をこちらに向け、コケティッシュな笑いを見せていた。

散歩コースのついでに、前回も寄った「夢二郷土美術館」に入る。ここで今日の絵一枚として、「林檎」をあげたい。美人画の系統にある、夢二の一連の作品のひとつなのだが、林檎を描きいれることで、大正期の澄ましたモダン気分ではなく、あったかな生活を感じさせる作品になっている。そこが、他の美人画と異なっていて好ましい。

商業主義的に量産するなかで、筆が荒れるくらい、描いているなかでも、全体のバランスがたいへん良い。

おそらく、林檎畑で、編んだかごを片手にした、このような服装の女性がいることはまずないだろう。これは虚構であることが一目瞭然であるのだが、それでもいかにも現実にありそうだと思わせる構図をとっており、いつの間にか、隣に来て林檎を勧めてくれそうな女性が描かれている。

この絵は、都市化が進んで、日本の農家にある、儚いものが失われつつある日本で、そこに立つ女性の在り様を、あらわしている。なぜこれほど、夢二が大衆の支持を受けたのかといえば、大正時代に入って、絵というものが一般庶民の中に浸透し始め、日本人、とりわけ変わりいく女性の心を掴んだからに相違ないものと思われる。

Photo_5そのことは、働き始めた婦人層を描いた「婦人グラフ」の表紙絵にも言えることだろう。断髪のモダンガールにも、繊細な日本人的な特質が残っていることを、うまく描いていると思う。このことが、女性層の共感を呼んだ理由だと思われる。

Photo_6後楽園を迂回して、観光客のコースからはずれ、岡山城も横をすり抜け、月見橋の欄干から、近代と中世の織り成す、余裕在る風景を楽しみつつ、県立図書館へ入る。

相変わらず、この図書館は混んでいる。けれども、ほとんど開架式で、統計も大型図説も表に出ているので、行列をして並ぶという、他の図書館では恒例の景色は、ここでは見られない。

Photo昼食は、近くのパスタ屋さんを目指したが、12時からだとなっていて、以前もそうだったのだが、またもや、Aへ入ることになる。豆のスープとサラダ、ツナトマトのスパゲッティ、そしてデザートのアイスクリーム。美味しかった。

Photo_2 岡山大学へ行く間に、喫茶店に入ろうと考えていた。この近くにも、「街」とか、「小野珈琲」とか入ってみたいような喫茶店がたくさんあるが、やはり半年前に閉Photo_4店してしまった「カフェ・カーネス」の系統を継いでいるらしい 「Favonius」で、自家焙煎の珈琲を飲んでみたかった。けれども、残念ながら、定休日に当たっていた。

それで、結局は前回と同じパターンになってしまったが、珍しい珈琲に出会えたから、紆余曲折も、OKということにしよう。

Photo_5喫茶店「エスプリ」は、ちょっと間違えば、キッチュになりかねないが、グリーンの寂びを前面に出した店構えだ。店内がすべて喫煙という、今では珍しくなってしまったつくりになっている。ケーキが美味しいので、たばこを吸う女性客によく利用されている。

Photo_9  この店の豆は、珈琲輸入商社として有名な「ワタル」から豆を仕入れているらしい。学生時代に横浜へ出てきて、珈琲がほんとうに美味しかった。そのときの卸業者がたぶんこの「ワタル」だったと思われる。いずれ、輸入の現場を取材したいと考えていた。このようなところで、商社から店への流通についての情報が得られるのはありがたい。

Photo_10 なぜか、今日は歩いても歩いても、もっと歩きたい気分だ。結局、駅からスタジアムのある公園を通って、岡山大学へ入る。途中、腹が痛くなるが、ちょっと歩きすぎたせいなのかもしれない。

これで、出張の第一目的である面接審査にようやく到達した。岡山大学のH先生に、Sさんの卒業研究を1年間見ていただいたのだ。Sさんは大病を患ったにもかかわらず、論文を最後まで成し遂げた。放送大学の学生は、日々、仕事を持ちながら勉強するだけではなく、病気や事故などとも闘いながら、論文を書いているのだ。すこしぐらい、体調が悪くても、審査に来るだけの理由がある。

終了後、H先生が珈琲をご馳走してくださるというのでついていくと、街一番のホテルでポット・コーヒーを振舞ってくださった。これだけ飲んだので、帰りの新幹線では、さすがにコーヒーを飲まなかった。お土産は黍団子と大手まんじゅうだった。

2009/01/19

今年度の最終講義

K大学の講義も今年度の最終回を迎えた。今回の講義では、すこし新しい試みを行った。と言っても、ちょっとトピックスの幅を広げ、新しい方法を試したに過ぎないのだが。

それで、学生たちが、全体としてこちらの意図をわかってくれたかどうかが、気になっていた。新しい題材・分野を講義する場合には、やはりいつもと異なる伝え方になるので、ほんとうに理解されたかどうか反応が気になる。前のほうに座っている学生は、これだけ一緒に時間を過ごすと、お付き合いだと思って、すこしは素振りを見せて、調子の良いときには頷いたり、しゃべりの乗らないときには無視したりして反応を返してくれる。

そして最終的には、試験で理解の程度はわかるのだが、その前にやっておくこともいくつかある。これまでの講義では、怠っていてあまり行わなかったことだが、今回は全体の復習とまとめをきっちりと行った。自分でまとめを行ってみると、自画自賛になってしまうが、途中で感じていたよりははるかにまとまっていることがわかって、むしろ自分にとって有益であったし、かつそれで嬉しくなった。

たぶん、それは、自分でもそのときには気付かなかった伏線がいくつかあることに、まとめを行ってみて初めて気付いたからだろう。もっとも、このまとめが学生にとっても有益であったかどうかは、来週の試験の蓋を開けてみないとわからないのだが。けれども、いつもよりはずっと、力が入っていることだけは感じてもらえたかな。

その意味でも、いまごろ試験勉強をして備えているだろうから、ぜひ良い文章を仕上げていただきたいと願うしだいである。

2009/01/11

「1930年代・東京」展

二日間連続して、松本竣介の絵画に出会うことになった。

明日で終了してしまうというので、学習センターでの仕事を早目に終わらせて、目黒の庭園美術館で開催されている「1930年代・東京」展へ行ってきた。多くは、昭和初期の1920年から1930年代にかけての絵画、建築、写真などだが、その中に松本竣介の1939年制作「建物と人」が来ていた。

この絵には、いぜん岩手県立美術館でお目にかかっているから、二度目になるのだが、昨日の今日だからびっくりした。昨日の「街」に連なるもので、建物群や人物群が重なるうえに、青い色調の透明な膜が張られ、これらが現実の世界と似て非なるもうひとつの世界を描いていることを明示している。

だから、どうしても少しずらした違う世界を描いているように見えてしまうので、気がつかなかったことがあるのだ。たとえば、昨日のものは、換喩的に横に広がっていくような、多視点的な描き方をしていた。けれども、どうもこちらの絵は、同じ描法を使っているので、一見すると同じ効果を狙っているかのように思ってしまうのだ。

けれども、「建物と人」では、建物も人も、縦に並んでいる。昨日の横に並べてあるものと微妙に構図が異なっている。縦に並べることによって、隠喩的表現を強調していて、建物もどっしりとした建築物から徐々に手前に来るにしたがって、動的な乗り物へ視点がずれてきている。人びとも、表情の見えない不特定多数のなかから、次第に顔が見えるようになり、最後は妻の肩に手をかけようとする、おそらく自分が描かれている。抽象物から具体物への変遷が見事である。

他にも、杉浦非水のポスターや、山名文夫のカフェバー図案集など、コメントすべきものがたくさんあったが、またの機会にしよう。

庭園美術館の入場料割引のドレスコードは、今回帽子であった。先ほどの「建物と人」でも、1930年代の特徴をあらわす帽子が描かれていた。宵闇迫るアールデコの庭園美術館の建物に、夜間照明の帽子がぼんやりと輝いて、わたしたちを1930年代へ誘っていた。

2009/01/10

街の豊かさは何に表れるか

昨日から、卒論の審査のために、群馬にある放送大学の学習センターへ来ていた。群馬大学のKo先生にTさんの論文指導をお願いしていて、その成果が出たのだ。ここが放送大学の柔軟なところで良い点だと思われるのだが、日本各地の大学の先生方に協力いただいて、卒業論文作成指導をお願いするシステムがある。

審査が終わった後、同僚のKa先生とY先生が、こちらの学習センターに詰めていて、積もる話で盛り上がった。群馬学習センターは放送大学設立当時、地域センターのモデル校として、とくにデザインに気を配って建設が行われた経緯がある。4半世紀が経って現在改装工事中なのだ。全てが新しくなったようで、ほぼ新築に近いほどに、生まれ変わった。話に夢中で、センターの閉所時間をすっかり過ぎてしまっていたのも忘れるほどだった。夜になって、雨が激しくなってきた。

明けて今日は、雨も上がり、快晴。朝早く目が覚めてしまったので、持参してきた論文を一本読む。思わぬ分野の論文を読んでいて、思わぬ議論が発達していることを偶然知ることがときどきあり、異なる分野の論文をこのような旅行中に時々読むことにしている。夜中の宿屋、夜行列車の中などで読んだ論文がとくに印象に残る場合がある。今日の一本もたぶんそのような論文になるに違いない。

群馬の桐生には、わたしの研究分野に関係する題材が多数存在する。ときどき何を取材するのかわからなくなるほど、現実というものの多様さにいつも驚かされるのには困ったものだ。昨日、Ka先生が桐生の情報をたくさん提供してくださったので、それを片手に、前橋から桐生へ向かう。快晴は良いのだけれども、やはり上州のからっ風は相当なものだ。

Ookawa_2桐生に着いて、上毛電鉄の西桐生を過ぎ、急な坂道を登りきると「大川美術館」の玄関に着く。先日亡くなった大川栄二氏が設立した個人美術館なのだが、早くから集めていて、個人収集家としては名高い。それぞれ名作を集めている中で、「松本竣介」の収蔵品が多いことで知られている。

なかでも、彼の代表作「Y市の橋」の系譜に連なる「運河風景」や、「都会」「序説」などの青の系譜に属する「街」などがあり、さらに人物像として「婦人の像」や「自画像」が展示されている。

今日の一枚は、「街」を取り上げたい。ここには、松本竣介の現代的な世界観が表現されていると思われる。「街」には、時計台の建物を囲んだ「公共街」があり、派手な屋根に象徴される「ショッピング街」と小さな煙突が林立する「工場街」がうっすらと白く浮かびあがっていて、人びとはそれらの間から浸みだして来ている。

このなかでは、テーブルを囲んで食事をする人びとだけが、その位置が微妙だが、それぞれの街は、全体を包む青で分断されている。薄く塗られた青がその時代を表しているのだろうか。

けれども、分断された街々は、一枚の絵のなかに描きこまれた限りで、どうしようもなく有機的な連関を保たねばならなくなっており、さらに人間たちがこれらを結びつけている。だから、全体は青く沈んでいても、動的な社会的美しさを保っている。どう見ても、松本竣介には、間接的にではあるが社会科学的な視点が存在するけれども、それが直接的に第二次大戦の表現へ向かわなかったことで、かえって異彩を放っている。

Sinnju_2 絶筆となった絵は、3枚存在することを知った。以前、松本市の美術館で見たものと並んで、もう一枚の絵「建物」が展示されていた。

大川美術館からふもとへ降りていく途中の家々は、皆ゆったりと佇んでいて、桐生という街の物質的蓄積と、歴史的な豊かさを強く感じさせられる。本町三丁目の交差点近くに「新樹」というアンティーク喫茶店があって、からっ風に曝されてすっかり冷え切った身体を温めようと、メニューにあった「お雑煮」を昼食にする。鳥の出汁に、ほうれん草と鳴門巻きというシンプルで薄味の椀であった。

店に入って感じたのは、上州らしさというのだろうか。ふつうの地域で喫茶店に入り浸る常連客というのは、男性客なのだが、ここは全部女性客だった。さらに、経営者も従業員も女性だった。入れ替わり立ち代り、裏の駐車場から駆け込んでくる人びともすべて女性で、この街では男性はどこにいるのだろうか。もっとも、ここは甘味のおしるこなどを豊富にそろえているので、それで年配の女性客を集めているのかもしれない。

Souko_3  それ以外にも、外装は写真のとおりだが、内装もこっていて、一枚板のテーブルが素敵だったし、ウインドウに並んだ土偶たちも素朴な笑いを見せていた。これで帰路についても十分という気がしたが、まだ1時を回ったところだったので、とりあえずKa先生ご推薦の蔵群や群馬大学工学部を目指し、歩き始める。

Souko2 まず、寄ったのは、蔵や倉庫が保存されている「有鄰館」、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」からとられたらしい。社訓として使われていたらしいが、当時の商人は教養があったということだ。途中、以前卒業生のKoさんから教わった、絹の買継商「書上家」の家のあとも見る。ここは坂口安吾の終焉の地としても有名だ。文書が大量に残されていて、東大のそうそうたる人びとの論文と、一般向けの解説の載っている報告書が書店で売られていた。

Dousou3_2 すぐ帰ってしまわなかったことがほんとうに良かったと思えたのは、群馬大学工学部同窓記念館で、1916年竣工の木造の講堂見たときだ。写真でわかるように、奥行きが広いばかりか、空間として包み込むような親しさがあり、思わず演壇に駆け上がって、声を張り上げてみたい衝動に駆られる空間だった。

Koudou1_3  一度でいいから、ここでしゃべってみたいと人に思わせるようなホールだ。なぜそう思うのかといえば、近代にできた、きちきちでべたーとした客席とは違って、それぞれすべての席の人Koudou3_2 の顔が見えるような距離感で収まっているホールだからだ。もし2階、3階席から質問を受けてKoudou2_3も、十分やり取りできそうな、ということは、対話のできる講堂になっているということだ。

駅までの帰り道は、1本道を変えて、ノコギリ屋根の工場跡がまだ残っているところをカメラに収めながら、当時の織物工や紡績工たちのことに思いをはせた。石積みの工場の壁には、何人の会話が染み込んでいるのだろうか。また、どれだけの商品が生産されたのだろうか。

Kabe3_2 Kabe2 現在では、その工場跡にパン屋さんが入ったり、レストランに変わったり工房になったり、変容を遂げている。たとえば想像するに、町並みが区画ごとに整然と並んでいて、もしかすると、これらはもうすこし大きな工場群の規格に合わせて、町並みが作られていたことを意味しているのかもしれないのだ。これらの痕跡には、すこしの豊かさと、すこしの残酷さが刻印されている。Kojo2_3

  からっ風が夕闇を急速に運んできた。帰りの電車は、高崎へ出て、横浜直通電車に乗る。O先生ご推奨の、普通車のグリーン席を試した。Ticket_2


2009/01/03

今年の初仕事

Photo_12 新春恒例となりつつある、修士論文の読み込みのために、幕張の放送大学へ行く。ことしは、快晴続きで、雲の少ない正月三ヶ日となった。左の写真の右端に、ほんのちょっとだけ、放送大学のアンテナの先っぽがみえるはずだ。

公園の道も、すっかり冬支度の木々で覆われ、常緑樹の緑が濃さを増している。いつもは、年末の31日か、正月5,6日に行うのであるが、ことしはこれからも詰まっているので、3日に行うことになった。さすがに、放送大学には人影は見えない。守衛さんだけが詰めていた。けれども、すでにメールだけはびんびんと入ってきていて、H先生はすでに仕事体制に入ったようだ。

Photo_13 研究室からは、遠く幕張のビル群が見える。窓の前のテーブル席について、さっそく読み始める。ことしは事情があって、副査分を含めて全部で10名を超える数になった。多い方で600枚ほどを書いてくるので、全部に眼を通すとなると、かなり時間がかかる。

Photo_14このようなときには、大テーブル一杯に論文群を広げて、もちろんコーヒーを飲みながら、ゆったりと一日かけて読み込みたいものだ。かなりの力作のものから、ちょっと問題のあるものまで、比較する間に、論文たちの達成の程度がわかってくる。

このテーマならば、このポイントについて、どのように述べることができるかと予想しながら読んだり、この展開をしていくと、どこまで論ずることができるか、と限界を見定めたりしながら、進めていく。一番楽しいのは、もし自分自身でこのテーマを書くとしたら、どのようにしようか、と想像することだ。

どうしても頭から離れないので、比喩もワインがらみになってしまうが、やはり論文にも「栽培」と「醸成」とがあるように思われる。どのようなテーマで、どのような作業をすれば、どのような果実になるのか、というのは、「栽培」であり、論文でも必要最小限、自然に任せて、これを育成することが重要だ。

これに対して、「醸成」については、あまり早くでも駄目で、あまり遅くても駄目だ。ちょうど良い期間、寝かせておいて整理検討を十分し、校正に時間をかけないと良い論文にはならない。

Photo_15 と、えらそうなことを言うけれども、他の人の論文は悪いところがすぐわかるのだが、自分の論文となると、それがすぐにはわからないのはどうしてだろうか。

一日はあっという間に過ぎて行き、窓から夜景が見えてくる。今日、一日のコーヒーは、昨日の大和橋のコーヒー屋から購入したブラジル・サントス。すこし薄めに入れて飲み続ける。

2009/01/02

思いがけないこと

Photo 街を歩けば、世相がわかる。林をさまようような経済と、その上に突き抜けるような社会の青さがある。

これだけの円高で、思いもかけない儲けを出しているのは、輸入業者だ。けれども、みんな慎重になって、いつ反転するかわからないので、収益を抱え込んで黙っている。

とりあえず挙げるならば、ワイン業者だ。大手の会社は在庫を抱えてしまっていて、なかなか値下げに踏み切らないが、中小の業者はここぞとばかりに輸入に精を出している。

新春福袋で、「Romanée-conti」が千葉そごうに出ていた。ちょうど勝沼ワインがそごうにあると聞いて訪れてみようとしたが、さすがに本物はセラーに仕舞ってあるらしく、売り場には写真だけが掲げられていた。

Photo_2 発想が貧困で、金銭文化極まれり、というところだが、売り場自体が円高での、海外での成金趣味をそのまま棚に持ち込んでいるようだった。もちろん、ワインは飲料であるばかりでなく、国際的には一種の財産で、資産運用の対象となっているし、「見せびらかし消費」のターゲットなのだから、成金趣味丸出しでかまわないのだが、円高が文化を主導しているようで、なんとなくメカニカルな感じがして、嫌な気分だった。案の定、勝沼ワインどころか、国産ワインはほとんど棚からは除かれて、跡形もなかったのも、世の趨勢としか言い様がない。

以前書いたように、年末に勝沼で、このような国際標準的なワインマーケットではなく、国産の地元のワインメーカーをめぐっておいて良かったと思う。人々が示す「テイスト」というものが金銭文化だけではなく、地域性にも根ざしていることを、これからもどのくらい言うことができるのだろうか。今後さらに円高が進んで、輸入シャルドネが甲州種国産ワインを駆逐しはじめないことを願うのみである。

Photo_3 さて、もうひとつ円高で注目しているのが、やっぱり「コーヒー」である。こちらも大手の動きは鈍いが、中小の業者の攻勢は鮮やかだ。コーヒーには、国産がないだけに、円高はメカニカルに美味しさに直結している。

千葉県庁近くの大和橋にあるコーヒー業者から、ブラジルの美味しいのが入ったという宣伝ハガキが送られてきたので、検見川神社への初詣に出たついでに、境内でいただいた甘酒を覚まそうと、散歩がてら出かけてみる。店の入り口には、樽で作られたPhoto_17 福袋がバーンと置いてあって、缶詰の福袋には、ブルマンNO1も入っているという触れ込みだ。

Photo_18

新春の1杯は、わざわざ飲みに来る価値のある、この店のブレンドから始まった。購入したのは、ブラジルのセットで、樽風に作られたコーヒー豆入れが付いてきた。今年もワインとコーヒーで、年が始まっPhoto_8 た。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。