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2008年12月に作成された投稿

2008/12/27

夢のなかのワイン

よく夢にまで出てくるようになれば、本物だといわれるが、わたしの身体全体がワインを欲しているらしい。ついには、眠ってからの世界に登場してきたのだ。

それはたしかに「ぶどうの丘」のワインセラーで、味わったものだった。銘柄はどういうわけかラベルからすると、次の4つだった。「香り甲州2007辛口(大泉葡萄酒)」「フォーシーズンズ(山梨ワイン)」 「甲州辛口(五味葡萄酒)」「グリド甲州06(中央葡萄酒)白やや辛口」。そして、カウンターに陣取って、ワイングラスを傾けているのだ。

飲んでいるうちに眠り込んで、夢かうつつかわからなくなるのだった。ふっと目が覚めると、まだ机の上には仕事が残っていて、現実に引き戻された。まだまだ、年末まで酔っている暇はない。

とは言いつつ、最後に飲んできた「酒折」と「ソレイユ」ワインが気になったので、インターネットで調べてみると、学習センターのある弘明寺のK酒店でも、後者が販売されていることがわかる。

早速、仕事の帰りに商店街のちょうど中ほどにある店によると、夢に出来てきたワインが棚に並んでいる。正夢だったのだ。そして、蔵元ではすでに完売となっている「ソレイユ甲州辛口」が店頭に山積みとなっている。

燈台下暗しとは、よく言ったものである。このような形で、全国に山梨ワインのネットワークが築かれていたのだ。それがなぜ、一般には広まらないのか、ということはたいへん面白い題材であり、課題でもあると思われた。

甲府でもうひとつ、気になっていたことがある。それは、ちょうど同じ期間に講義を担当なさっていたO先生が、このたび岡山の大学へ移転なさったのだが、岡山にある美味しい珈琲店の名前を聞かれ、忘れてしまっていて答えられなかったことだ。

これもインターネットで調べてみると、旭川端の「カフェ・カーネス」であることがわかったが、残念ながらわたしが訪れた後、3ヵ月後に閉店となってしまったらしい。惜しむ声があちこちに載っていた。

1月の後半には、岡山出張があったので、この店へ寄るのを楽しみにしていたので、たいへん残念だ。老舗の良いところは、後継者をしっかりと確保する努力を行っているところだが、やはりそのことに失敗してしまったのだろうか。ほかの店員とか、親戚とかに受け継ぐ人はいなかったのだろうか。

2008/12/26

甲府での講義

三日間の集中講義をYP大学で行った。今回は、テキストを使って、「築地」の魚市場を取り上げた。年末になると、とくに雑誌などで特集が組まれる。昨日も、新聞の第1面に宣伝が載っていた。

「築地」と聞くと、やはり「せり場」のイメージが強い。つまり、アメ横が消費者向けの市場であるならば、築地は卸、あるいは玄人むけの市場というイメージがあり、「市場論」を講義する者にとっては、一度は取り上げたい題材だ。

時あたかも、1週間ほど前に、「築地」があまりに外国人観光客に人気で、ついにはせりの立会いに邪魔になるといって、締め出しを発表した時期だった。このところ、築地に行くと、ほんとうにリュックの外国人を見かける。しかも、かなり奥のほうだ。

Dsc03229 たぶん、今回講義で使った経済人類学者T.ベスターの『築地』は、その人気にかなり貢献?した本だと思われる。時間がかかっていて、良くできたルポ&理論書であると思う。今回の講義では、読みあわせと、要約を繰り返し、途中3回ほどのグループ討論を重ねて、最終的な結論を出してみた。クラスの人数もちょうど27人で、5グループとなって、議論しやすい人数だった。

Class22 築地市場というものが、市場メカニズムと、組織ガバナンスと社会文化ガバナンスの混合物であることが、見事に描かれ、しかも、日本人の魚事情とのかかわりが、経済的のみならず、文化的にも明らかにされていて、たいへん興味深い題材だと思われる。

Class33_2 観光案内としても面白い。東京の真ん中の、海岸よりに位置していて、銀座に近い、けれども文化的には、東京よりも世界に近いのだ。そのコントラストが魚をめぐって描かれている。ちょうど受講生たちが生まれた1988年ごろに日本の魚生産と消費は、歴史的なピークを向かえ、それ以後ずっと低下してきている。

かれらにどのくらい魚を食べるか聞いてみたら、1週間に1回くらいが平均値だった。かれらの世代くらいから、魚を食べない世代が表に出てきたのだろう。

最後には、800字の記述試験を行って、大団円だ。学生たちも最後まで、健闘していた。三日間ともに、朝の9時に始まり、夕方の6時まで、15コマ22時間半のゼミ講義だった。帰省前のちょっとした勉強にはなったと思う。

その間、わたしの夜の食事では、夏に寄れなかった「フォー・ハーツ・カフェ」で、酒折の白ワイン辛口を初めて飲んだ。また、たらこスパゲッティの美味しい「楽」では、ソレイユ甲州辛口をグラスワインでいただく。いずれも美味だった。

胃のほうは、最初のころは、疲れが出なかったのだが、最終日になるころには、先日の数十種類の試飲が体中に効いてきて、震えとまではいかなくても、すこし普通ではないようだ。そうは言っても、やはり甲州の白ワインの美味しさには代えられない。

2008/12/23

ワインと酩酊文化

Photo これまで、消費文化のなかでも、主として「覚醒文化」について注目してきた。それは、やはり経済と関係していたからだ。コーヒーと労働は相性が良い。

けれども、文化というものは当然「社会相対」的なものであるから、「覚醒文化」だけでは、バランスが悪かった。となれば、覚醒文化に対抗するのは、「酩酊文化」である。じつは、ビデオ授業では、これまでにビール文化を取り上げてきた。ビールの流行は、かなり消費文化の本質的な点をついていると思われる。

でも、できればもっと地域に密着して、酩酊文化を取り上げることはできないか、考えていた。毎年、山梨へ来ることになって、そのたびにコーヒーはだいぶ取り上げてきたが、前回からはワイン文化を考えるようになった。

Photo_2 今日、わたしの胃袋は、生まれて以来、最大の疾風怒涛の危機にある。ついに今日の最後には、鼻は利かなくなるし、味もついには見分けられなくなるほど、ワインを飲みまくった。これで身体を悪くしても、本望である。

宿泊しているところには、朝の温泉があったので、よく胃に言い含めて、覚悟して出る。1時間ほど歩いて、醸造所の固まっている地区の下岩崎地区、等々力地区を訪れる。

Photo_3 最初に訪れたメルシャン工場のある、宮崎葡萄酒醸造所あとの資料館などは、本日定休日で残念だった。もう一度訪れる機会を作ることにしよう。さて、今日の目標は、甲州種の辛口白ワインを味わうことにある。

メルシャンのとなりにある「蒼龍葡萄酒」で試飲したのは、以下の銘柄のものだ。けれども、これ以外に、まだ発売して1週間だという、勝沼産シャルドネを使ったものが美味しかった。名前は控えてこなかった。シャルドネの美味しいのは、ヨーロッパから輸入して瓶詰めをここでするメーカーがあるが、それとは違って、国産シャルドネだそうだ。でも、今日は甲州種に限ろうと考えていたので、購入を抑えた。この次、またシャルドネだけを賞味しにくることにしよう。

蒼龍葡萄酒
甲州辛口 720ml・白・辛口 ¥1,067
甲州樽熟成 720ml・白・辛口 ¥1,382
勝沼の甲州 720ml・白・辛口 ¥1,592
SORYU PREMIUM甲州2005 白ワイン (辛口) \2100

あくまで試飲ということなのだが、たっぷりと大きなワイングラスで注いでくれる。1軒目から、とても仕合せな気分になってきた。次に向かったのは、最近、シュール・リー製法(澱の上の純なところをとって特色があるとのことだ。じっさい、すっきりした味わいだ。)の 「アマリージョ」を出して評判になっているダイヤモンド酒造である。ここでは、次のものを飲んだ。女性たちの先客があって、ご主人が丁寧に説明してくださった。新酒を購入。

ダイヤモンド酒造
シャンテ デラ・ドライ 白/辛口 720ml・\1,270
アマリージョ 白/辛口 720ml・\1,585
甲州樽発酵 白/やや辛口 720ml・\2,320 
シャンテY・A Ch 2006 白/辛口 720ml・\2,845 
甲州ヌーヴォー 白/辛口 720ml・\1,270

Photo_4 つぎに入ったのは、山梨ワインである。表の道路からは見えないし、母屋にワイン資料館と、試飲室が作られていて、なんとなく入りにくい感じだった。誰もいないので、戻ろうとすると、住んでいる自宅から奥さんが出てきて、試飲室へ案内してくださった。これは、幸運だった。ここを見逃していたら、ここに来た甲斐が無かったといってもいいくらいなのだ。

Photo_5 地下のワインセラーにも案内してくださって、オーナー制度を敷いていることを知った。畑を契約して、200本くらいから預かってくださるそうだ。こうなってくると、ワインもその時だけの消費物というよりは、むしろ財産であり、長い目で育成していく文化そのものであることがわかる。酩酊文化、奥深し。ここで飲んだのは、以下のものだが、なかでも、「フォーシーズンズ」と 「樽醗酵(白)」 は素晴らしかったので、購入。 

Photo_6 山梨ワイン
勝沼(白)  蔵元価格(税込)720ml 932円
ヤマナシワイン甲州 蔵元価格(税込)720ml 1,397円
四季の詩 2006 蔵元価格 720ml 1,627円
フォーシーズンズ 2007 蔵元価格(税込)720ml 1,852円
樽醗酵(白) 2007 蔵元価格(税込)720ml 2,777円

さて、ここまででも、かなりの量を試飲したことになる。足元もすこしふらふらするが、ここちよい歩きである。昨年、甲府のN酒店で勧められた勝沼醸造にもよることにする。洒落た建物に、高いカウンターが据え付けられていて、気楽なおしゃべりで、専門的な説明をしてくださる係りの方がいて、さかんに「河」のある地域を意識していることを言うのだが、わたしの知識が足りないせいか、葡萄栽培で山と河との違いを理解することができなかった。今後の課題である。ここでは、次のものをいただいた。このなかで、すでに昨日、「古傳樽熟」を宿泊所の食堂で飲ませていただいており、その上級酒に当たる「アルガブランカ ピッパ」を味わう。結局購入したのは、今年出た「アルガーノ 甲州」。最後に飲ませていただいた「イセハラ」は、フランスに輸出していて、現地では1万円の値段がつくそうだ。すでにここでは完売だとのことだ。

話を聴いていて、葡萄酒をめぐる二つのテイスト文化のあることに気付いた。ひとつは、このようなそれぞれの醸造所が独自に製品間で発達させているテイストで、個別にゆるぎない文化を持っている。それと並んで、わたしたちが媒介している(すこしおこがましいが)横に連なるテイストで、個々の醸造所を超えて結ばれるネットワーク文化を形成している。このような二つの文化を同時に持つことのできるワイン地区はかなり限られていて、少なくとも東京や横浜のような広域のところでは、両方を発達させることは不可能だろう。

勝沼醸造
勝沼醸造 本葡萄酒 古傳樽熟 2006年 白  辛口 3,150円
アルガブランカ ピッパ 2004年  白 辛口 (樽醗酵・瓶熟成)
アルガーノ 甲州   AGUA VICOSA PRAZER 2008年 白 やや辛口
勝沼醸造 本葡萄酒 杯中至楽(白)白 辛口
アルガブランカ ヴィニャル イセハラ2007年  白 やや辛口

Photo_7 最後に訪れたのは、きょうの本命と考えていたグレイス・ワインである。ここは、他のところよりバランスよく、赤もまた、シャルドネも美味しいのだ。けれども、今日は甲州種限定、限定。次のものを比べてみた。そのなかで、購入したのは、2008年の出たばかりのものだ。今年のは、強い酸味を残していて、たいへん特徴ある味になっている。これが正式の商品になるころには、また評判を取ることだろう。

中央葡萄酒
グレイス 樽甲州(白)2007年 オーク樽醗酵、貯蔵¥3171 辛口
グレイス 甲州・鳥居平畑(白)2007年 シュール・リー製法 ¥2400辛口
グレイス 甲州・菱山畑(白)2007年シュール・リー製法¥2210 辛口
グレイス 甲州(白)2007年シュール・リー製法 ¥1890 辛口
グレイス 甲州・茅ケ岳(白)2007年 シュール・リー製法¥1690 辛口
グレイス グリド甲州(白)2007年 ステンレスタンク醗酵、貯蔵¥1596 やや辛口      
ヴィンテージ甲州(白)2008年 タンク醗酵 ¥1300 辛口

Photo_8 さて、これで終わりになるのかと思っていたのだが、ワインを飲みすぎて、昼食を取ることを忘れていることに気付いた。宿泊所に帰って、一服すると、すぐに胃は回復して、ここのワイン・カーブのあることを思い出した。1,100円を出して、試飲容器タートヴァンをもらえば、数百種の勝沼ワインを試飲できるのだ。ここでまたたっぷりと、以下のワインをすべて飲み歩いた。

アルガーノ甲州シュールリー(勝沼醸造)白ワイン (やや辛口) \1680
錦城ワイン 白(錦城葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1280
セレクト勝沼白(蒼龍葡萄酒) 白ワイン (中口) \1068
勝沼甲州樽熟成06(蒼龍葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1593
グリド甲州06(中央葡萄酒) 白ワイン (やや辛口) \1596
自家葡萄園(山梨ワイン) 白ワイン (極甘口) \2057
フォーシーズンズ(山梨ワイン) 白ワイン (やや辛口) \2057
ローレア勝沼 白(山梨ワイン) 白ワイン (辛口) \1037
J・Fミレー「無原罪の聖母」(シャトージュン) 白ワイン (辛口) \1313
エキストラセレクション(シャトージュン) 白ワイン (辛口) \2100
J・Fミレー落ち穂拾い夏(シャトージュン) 白ワイン (やや辛口) \2625
古代甲州2004(大和葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1615
麻屋シャルドネ樽熟成2005(麻屋葡萄酒) 白ワイン (辛口) \2100
ホンジョー樽白(岩崎醸造) 白ワイン (辛口) \1575
ホンジョーオールド甲州(岩崎醸造) 白ワイン (辛口) \1260
香り甲州2007辛口(大泉葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1680
勝沼醸造 古傳樽熟06(勝沼醸造) 白ワイン (辛口) \3150
勝沼醸造 稀種甲州(勝沼醸造) 白ワイン (やや辛口) \1890
勝沼醸造 杯中至楽 白(勝沼醸造) 白ワイン (辛口) \1365
ブロケード勝沼甲州(錦城葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1575
SORYU PREMIUM甲州2005(蒼龍葡萄酒) 白ワイン (辛口) \2100
ザ・甲州(ダイヤモンド酒造) 白ワイン (やや辛口) \1795
シャンテ甲州(ダイヤモンド酒造) 白ワイン (辛口) \1070
Y・Aアマリージョ2007(ダイヤモンド酒造) 白ワイン (辛口) \1585
ハラモワイン甲州種(原茂ワイン) 白ワイン (辛口) \1270
等々力甲州2003(大和葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1930
甲州(イケダワイナリー) 白ワイン (やや辛口) \1575
樽熟甲州(イケダワイナリー) 白ワイン (やや辛口) \1575
セレクト 白(イケダワイナリー) 白ワイン (やや辛口) \2100
06鳥居平甲州シュールリー(シャトレーゼ)白ワイン (辛口) \1890
甲州 辛口(五味葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1322
かざま甲州辛口ヴィンテージ(甲斐ワイナリー) 白ワイン (辛口) \2500
2007年甲州 百(マルサン葡萄酒)白ワイン (やや辛口) \1260
ルバイヤート甲州シュールリー07(丸藤葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1660

Photo_9 これだけ飲むとさすがに、酔うどころではない。小説「さかしま」の世界にどっぷりである。もういくら飲んでも、耽溺することなく、この地区の味の分布が半分くらいわかるようになった。勝沼の白ワインのテイスト文化は、100年以上かけて造られてきていて、独自性の競争と美味しさの共通性とが奥深さを形成しているといえる。

今日最後のコーヒーは、甲府に戻って、3ヶ月ぶりの「ロッシュ」で、ライト・ロースト。

2008/12/22

山梨出張

前日からの仕事がどうもうまくいかなかった。うまくいかなかったで済む話と済まない話のあることはわかっているのだが。それにもかかわらず、どうしてもうまくいかないことが起こる。さてどうしようか、と考えているうちに、電車に乗る時刻になってしまった。

山梨出張の前に、締め切りの仕事を仕上げようと考えて朝6時まで頑張った。ここ数ヶ月の泥が脳に溜まっているらしい。結局いろいろな本を読むうちに、タイムアップで、山梨へこの仕事をもっていくことにする。山梨でうまく泥を落として切り抜ければ、なんとか追いつくことができるだろうという、楽観主義なのだが、それはどこまで通用するのだろうか。

つまり、たいていの人は複数の人間関係を抱え、複数の仕事をしているのだ。それで、どちらかの仕事をすれば、他の仕事はできないのだ。そのやりくりを行うことで、何とかやっている。

先日、時間の達人と皆が認めるK先生に、どうしたら複数の仕事をなんなくこなすことができるのか、聞いてみた。その結果は図らずも、聞くんじゃなかった、という結果だった。同時に二つの仕事はせずに、ひとつずつ集中して終わらせる、という回答だった。集中せよというのは、厳しい。もちろん、それでは誰にとっても適用できる答えというわけには行かないかも。

時刻表で検討すると、横浜から甲府まで、特急を使っても鈍行と30分しか違わないことがわかった。旅は鈍行が一番、という内田百閒に従って、横浜線を抜け、高尾に出る。

鈍行の良い点は、それぞれの駅で待ち合わせがあり、そのときにコーヒーやそばや、ラーメンをつまみ食いできるところだ。高尾はすでに東京の住宅地でありながら、中央線のスタート地点としての役割を意識している駅だ。もうすこし美味しければ言うことはないが。

相模湖を過ぎて上野原などの新興住宅が丘のうえにある地区を過ぎると、電車のなかも閑散としてきて、鈍行の旅らしくなってくる。甲斐の国に入ると、すでに葡萄園が葉を完全に落とし、びっしりと敷き詰められた絨毯のごとくに、蔓だけの畑が連なる。ゆうゆうと、甲府に到着。

山梨大学附属図書館で、他では手に入らない研究書があるというので、閲覧を申し込むと、残念ながら研究室に入ってしまってみることができないという。仕方ないので、すこし早かったけれども、放送大学の山梨学習センターへ行く。今日はお休みにもかかわらず、センター所長のY先生が出てくださって、卒論生Hさんとの面談を可能にしてくださった。Y先生の善意に恐縮するしだいである。

おかげでHさんの方向性も定まった。Hさんの報告を聞いていると、放送大学で卒論を書く意味に、ふつうの大学とは異なる意味が加わっていると感じる。経験的なことなのでうまく言えないが、あえて大上段風に言うなら、学術論文を書きながらも、人生の「生き方」モデルを追及したいという、実践的な意味をこめようとする姿勢が特徴として出ている。学生によっては、このことがマイナスにはたらいて、論文ではなく感想文風になってしまう人も出てくる。けれども、放送大学は社会人の大学なのだから、むしろ積極的にこの方向を狙うのも良いのでないかと、最近では考えている。

HさんとY先生との雑談で、金融危機のことが話題になった。貨幣や金融について、現在の日本人が転換点にあるという認識を持っていらっしゃることがわかって、興味深かった。

さて、今日の宿は、甲府からすこし戻って、勝沼(現在は甲州市)の「ぶどうの丘」というかつての町営ホテルに決めていた。駅に着くと、すでに陽が落ちていて、昼間の展望は夜空とつながって、闇のなかに溶け込んでいた。

ブドウ畑の谷と山の起伏を楽しみながら、さながら迷路の庭園を散策するがごとくに、向こうの丘のうえまで到達する。旅の醍醐味は、孤独にその土地に溶け込むことだが、その趣が十分達成される場所だ。そして、ここは単に眺望が良いだけでなく、ワインが集められ、さらに大浴場の温泉があるのだ。着いて早速、グラスワインで、前回の甲府で美味しかったアルガノワインのなかでも、2006年のいかにも熟成したという味の辛口白ワインを注文する。窓からは、甲府盆地が一望でき、近くにはワイン工場、遠くには笛吹町から甲府の繁華街へ通ずる照明が輝いていた。ひとつの宇宙が手に入ったかのような展望だ。

部屋に帰ると、宮崎あおい主演「初恋」を放映していた。1968当時の新宿を再現していたが、当然現在から見る当時という形になっていて、当時の、人が溢れるような猥雑な街という趣向は、画面には現れていなかった。人間関係が希薄になっていく時代という時代精神は良くわかるが、このような希薄さのなかで、主人公以外みんな死んでいく。そして、誰もいなくなった、という結末は、いかにも空しい。山のようにワインが詰まれた売店から、麻屋葡萄酒の「勝沼甲州シュールリー2006」を購入して、今日の最後の一杯とした。

2008/12/18

年末の来訪者

12月に入ってからの仕事ラッシュもピークをすぎ始め、ようやく余裕が出来てきた。先週は、教授会を挟んで、幕張での仕事がずっと続いた。また、いくつかのテキスト執筆も、再校段階に入って、赤字を入れる場所も、少しずつ少なくなり、最終に近づきつつあるのがわかる。

神奈川学習センターへ出るのも、このところは土日だけだったので、今日のようなウィークデイ出勤は珍しい。職員の人たちは毎日出ているので、1週間も会わない感じがするのだろうか。皮肉でなく、「久しぶりですね」と言われてしまった。

午後には、卒業生のKさんがきて、博士論文を出版するので、編集に余念がない、という話をしていった。80歳になってから、腰と目を手術したとは到底思われない元気さだ。

その本のなかで、桐生の織物について書かれているので、観光の見所について教えていただく。来月には、わたしも前橋へ卒論審査に出かけるので、ちょっと足を伸ばして、桐生まで行って見ようと考えている。

きょうは、わたしの授業科目『経済社会の考え方』へ、東京のAさんからの質問が来ていたので、通信制の大学の利点を活かして、電話で応答する。以前は、質問をすることに、なんとなく漠然として行いにくかったらしい。働いている人にとっては、今でも時間を見つけることはそう楽なことではないが、近年質問について事情が変わってきた。

それは、テキストに「研究課題」という欄が設けられたために、その課題をめぐっての質問、意見、解答などが増えてきたことだ。これは、思わぬ効果だと思う。もし「研究課題」について、もっと効果があるならば、もうすこし工夫をする余地がある。春休みになったら、すこしこの問題について、考えてみようと思う。

さらに、12月28日のセンター最後の日に、学生から会いたいと予約が入った。年末の来訪者はまだまだ続く予感がする。ちょうど、切羽詰った仕事が終わったということが、相手に伝わるのだろうか。今までなくて、今回急に、このような訪問者が続くのは、不思議な感じがする。

2008/12/09

久しぶりのテレビ収録

久しぶりのテレビ収録なので、すっかり時間尺(というそうだが)が狂っていたらしい。先日のラジオは、常にぴったり終わっていたのだが、今回テレビのほうは撮り始めて見ると、なんと20分は優に超過してしまうことがわかった。

これほどの極端な超過はこれまでも経験したことがない。今回、H先生の科目にゲスト出演という形で準備を進めてきた。一コマだけだったので、準備を行い過ぎてしまったのだ。この点でテレビというのは、たいへん正直なのだ。準備したすべてのとおり、結果を反映してくれる。

けれども、準備された制作の方々には申し訳ないが、ここからが共同作業の面白いところだ。また、このように思えたのも、H先生との組合わせだったからかもしれない。台本を途中でガラッと変え始め、アドリブを随所に入れ始め、さらに最後に台本で用意したところをかなりカットした、というよりも、変えてしまった。

変え始めると、緊張感は保持しているものの、お互いのアイディアが湧いてきて、きわめて興味深い作業になる。決められたシナリオどおりに進行させるのも良いが、やはり現場では、尺を臨機応変に変えて、そのときの言葉の尺を反映させるのが、もっとも良い結果を呼び込むことになる。

だから途中、進行が途切れると、なかなか元に戻らないのだが、新たに創り出すきっかけがちょっとでもつかめるようになれば、進行に復帰できる。最後の5分が今回の見せ場だった。その場で、パターンも書き直してしまい、あっという間に異なる筋書きに持っていき、締めくくりの場面へなだれ込み、ぴったりの時間へ持っていくことができた。

来年にも、いくつかのテレビ科目を受け持つので、もうすこし正しい時間尺を鍛えておきたいと考えた次第である。

2008/12/07

沖縄と横浜を結んだ授業

今回、琉球大学のT先生と面接授業を一緒に担当した。T先生が沖縄の学生を前にして、同時にテレビ会議システムで講義を行い、横浜の講義室へ同時中継を行った。その後、こんどはわたしが横浜の学生を前にして、沖縄の講義室へ映像と音声を送った。そのあいだ、インターネットのテレビ中継で双方向の質問や意見交換も維持し、2日間で合計11時間15分の授業が成立したのである。まずは、参加してくださった学生の方々の長時間にわたる努力を労いたい。

ひと言でテレビ会議システムといっても、いざ授業で使おうとなると、じつはたいへんな労力を必要としている。だから、これまでは、対面指導やゼミや面接審査などの参加者の少ないところで使用されてきた。実験を重ねてきた先生方には感謝申し上げるしだいである。

今回、40名規模の正式授業に、たぶん初めてこのシステムが使われたのだと思われる。今回は、A先生にすっかりお世話になってしまった。カメラだけでも全部で10台分を同時に見なければならないし、さらにレジュメをシステムへ掲示することなど、通常の授業ではおよそ使うことのない神経をかなり使うのだ。

081206_120402 それから、今回の講義の目玉として、T先生が沖縄料理の試食を用意した。沖縄と東京圏の健康を比較することに関連して、沖縄食を味わってもらおうという趣旨である。珍しい沖縄野菜のハンダマ、サクナ、紅芋などが勉強机の上に並んだ。

横浜で好評だったのは、甘みのある、親しみやすそうな紅芋だった。やはり、味の薄いものは、多少避け気味のようだった。食べ終わっての感想としては、味覚というものには意外に地域性があるのだな、ということだった。

40名が全員しゃべることができるマイクが素晴らしい音質で、これまでのテレビ電話システムのどれよりも明確な音声を聴くことができた。今回のシステムのなかで、映像などの進歩もあったが、やはりこのエコーキャンセラー付きの音声システムがたいへん良いことが印象に残った。

最後に、拍手で幕を閉じたが、帰りに「またこの方式でやってください」、と学生の方から声をかけられて主催者の一人としては、たいへん嬉しかった。それにしても、放送大学の学生のかたは、やはり世間というものを良くご存知で、ひと言声をかけて去っていく、という心憎い方々が多いのだ。実り多い面接授業だったと、企画してくださったH先生へ報告することにしたい。A先生をはじめとしてFさんやKさん、学習センターの職員の方々など、この2日間の長いあいだ、支えてくださった方々に感謝申し上げるしだいである。

2008/12/04

夜の図書館

Library at Night(A.マングェル著)というたいへん魅力的な題名の本を、妻が借りてきていたので、横取りして読んでいる。なぜ夜と図書館とは、こんなに合うのだろうか。1週間に1日は、K大の図書館の書庫へ行くが、やはり昼行く書庫と夜行く書庫とには違いがある。その違いについてこの著者は、次のように書いている。

「だが、夜になると雰囲気は一変する。物音は遠くなり、頭のなかにあふれる思考が声高に語りだす。夜になって初めて、ミネルバの梟は飛ぶとヴァルター・ベンヤミンはヘーゲルの言葉を引用している。覚醒と眠りの中間地点に近づいたように思えるその瞬間、世界はふたたび居心地よく感じられる。体の動きはいつのまにかひそやかになり、秘密の活動に従事しているような気になる。幽霊か何かになったようだ。いまや本はその正体をあらわし、読者である私は、ちらりと姿を見せる活字の秘儀に誘われて1冊の特別な本に手を伸ばし、特定のページを開かずにいられない。夜になると、蔵書目録の定める秩序はもはや通用しない。影のなかではその威力も保たれないのだ。・・・日々の制約から自由になり、夜遅く、誰の目にも触れない時間になると、私の目と手は整然と並んだ本の列のあいだを気ままにたどり、混沌を取り戻す。1冊の本が思いがけない別の本を呼びさまし、文化の違いと時代の壁を越えて、つながりが生まれる。ある本の1節から、記憶の片隅に押しやられていた1節が浮かびあがるが、その連想がどこから来るのか、昼の光のもとでは説明できない。朝の書斎が見通しのきくまっとうな世界秩序をあらわすとしたら、夜の書斎はこの世界の本質ともいうべき、喜ばしい混乱をことほいでいるように思える。」『図書館』(A.マングェル著 野中邦子訳 白水社 2008年10月刊)

長く引用してしまったが、秩序と混沌とをかぎ分けるほど、本を読んだと自負できるわけではないが、片方の「混沌の状態」だったら、いやというほど知っている。だから、夜の図書館が好ましいと思えるのかもしれない。1冊の本が別の本を呼びさます感覚は、文章がペンの先に現れる瞬間と同じで、神が降臨する瞬間である。

「心のあり方としての図書館」の章では、「二度と近寄りません」とまで、哲学者カッシーラーに言わしめたヴァールブルク図書館に触れ、ヴァールブルクの魅力的な次の言葉を引用している。「・・・心霊の存在と魂の動きに目に見える形を与えるために・・・」つまり、図書館というのは、「時間のなかに存在し、ギリシアやアラブの過ぎ去った時代を呼び起こして、これらを見習うべき文化的模範にする一方、空間のなかにも存在し、散逸したものを、遠くのものを近くへ引き寄せた・・・見えないものを見えるようにし、世界を手中に収めさせた」のである。

「人の理解がおよばない、不可解と混沌のうちにありながらも首尾一貫した何か、また、私たちもその一部をなす何か―そのイメージのなかにこそ、人間とこの世界が作られているのではないかという問い。・・・」この先続く、言葉は到底引用では、伝えきることはできない。ぜひこの本を手にとって、読んでいただきたい。

『ドンキホーテ』の書斎の次に、G.エリオットの『ミドルマーチ』が出来てきて、ユイスマンスの『さかしま』の書斎に続き、エーコの『薔薇の名前』の僧院図書室、『海底二万里』ネモ船長の図書室、フィンランドのサンタクロース文庫などなど、図書館の脈絡を余すとこなく伝えている。

もちろん、アレキサンドリア図書館、アメリカ議会図書館、大英図書館など大図書館の話も満載だ。それぞれの図書館ごとに1冊以上の本が書かれているので、図書館好きならば、ロンドンへ行き、大英図書館のかつてマルクスが資本論を書いた席に座ってみたいとか、フーコーが知の考古学を書いた国立図書館へ入ってみたいと、ちらっとは考えることだろう。

ふつう、このような図書館案内書は、文章が無機的になりがちで、説明文になってしまうのだが、この本は読み物として成立している。その原因は、脈絡のつけ方なのだと思う。つまりは、多くの本を読んで、ほんとうに考えているということが現れているのだと思う。今度、わたしも教科書の1章で、「読書論」を書いたのだが、この本には到底およばない。煎じて飲みたい、とまで思ったしだいである。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。