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2008/10/03

アジアの交響楽団

午前中に、締め切りの仕事を2つこなして、午後には学習センターで、所長のH先生と、同僚のH先生と雑談。さらに、これまで読みためてきた本の内容整理を行う。原稿用紙に書き出し始めると、意外に分量が多いことに気づき、はじめからパソコンに打ち込むべきだったと後悔する。

最近の情報論では、情報はあまり生産的ではなかった、ということが常識になりつつある。それは、上記のことを言っている。つまり、本の内容を読み取るのは、飽くまで手作業で手間ひまかかることで、生産的ではない。それどころか、むしろこの過程は生産的にしないほうが、のちのち良い結果を生む場合が多い。

それで何が生産的なのかといえば、それはメモを「手書きで残すか」、それとも「パソコンで残すか」というところの、文字化した後のいわば流通段階での生産性を問題にしているのだ。ここは、かつての分業論の論理とまったく同じで、途中を省くことができれば、生産性が上がると考えられるのだ。

ここのところを間違えてしまうと、とんだことになる。けれども、マクルーハンのように、むしろ思考段階でも機械との結びつきで、意味のまったく異なる次元、つまりは内破的な世界がたち現れるとするという議論もあるので、この辺は「微妙」だ。

さて、今日の仕事もこれまでとして、東京初台にある東京オペラシティコンサートホールへ駆けつける。妻の誘いで、チャン・ヴォン・タック指揮、「ホーチミン市交響楽団」 ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番、ブラームス・交響曲第2番などを聴いた。

たぶんホールのせいも相当あるのだろうが、音が柔らかく、ほわーんとした感じの特色をもつ楽団だった。アジア的な音を特色としているということなのだろうか。けれども、ブラームスの3楽章目の静かな繰り返しのところは、なぜか聴き慣れた感じがしてたいへん良かった。柔らかな音の特色がちょうどこの曲にあっていたと思う。それから、アンコール曲の「Return to the mother land」も、やはり柔らかな、懐かしい感じをもつ曲だった。

そこで思い出したのは、いつものように聴きながらつい考えてしまったことなのだが、「繰り返しのパターン」ということについてだ。ちょうど原稿を書いていて、その議論のパターンが音楽のパターンに重なってイメージされたのだと思われる。

これには二つのパターンがあり、ひとつは直線的な増加のパターン、もうひとつは、累積的な増加のパターンだ。これらのパターンが同時に現れる場合もあるが、それらが別々に顔を見せるところもあり、その入れ替わりを楽しんだ。

パンフレットによれば、フランスとの結びつきが強いらしい。やはり、植民地時代の影響だろうか。そこで活躍して、本国に帰って活動を続けている人が含まれているということだ。ならば、フランス人的なブラームス解釈という伝統を引き継いでいるのかもしれない。

帰りに、どこかでラーメンでも食べよう、と言っていたが、結局家で食べたほうがよいということになり、帰路を急いだ。というわけで、コンサートの前に、オペラシティの喫茶店で飲んだ、カフェラテが今日最後のコーヒーとなった。

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