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2008/10/07

縄文文化の「見せびらかし」

ふつう、縄文文化は質実剛健で、繊細華美な弥生文化と好対照を見せているという印象が強い。けれども、かならずしもそのとおりではない事態が現れていて、興味深い。

今日は、神奈川学習センターのFさんと、学生のサポーター制を手伝っていただいているKさんと一緒に、「横浜開港150周年」記念講座を開設してくださった、「横浜市歴史博物館」を訪れて、25日から始まる講義の打ち合わせを行った。ちょうど特別展「縄文文化円熟」が開催されていて、観覧する機会を得た。今回の講義に関係するということで、特別に券をいただいたのだ。

http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/special/special100.html

そのなかで、ちょっと表現がきついかもしれないが、「目を見張るような」展示があった。案内してくださった学芸員のIさんが、このなかで一番見せたいものがあります、といって連れて行ってくださったのが、「耳飾」の展示のところだった。はじめは、なんの変哲のない装飾品の展示のようにみえた。そして、何も展示には説明されていなかったので、もしIさんの説明を受けなければ当然見過ごしてしまっていたに違いない。

耳飾が小さなものから、次第に大きなものへ並べてあるのだ。これだけならば、小さな耳飾と大きな耳飾があるますね、で終わってしまうだろう。けれども、改めてみてみると、その大きな耳飾は、拳大の大きな耳飾で、もしそれを普通の人がもらっても、到底耳に飾ることなどできない代物なのだ。

そこで、説明によると、この小さな耳飾を子どものときに小さな穴を耳に開け、入れるのだそうだ。そして、身体が大きくなるにしたがって、穴に嵌めていく耳飾を次第に大きくしていくのだそうだ。この風習は、世界中に残っていて、現代ではアフリカにあるそうだ。

つまり、陶器でできた大きな耳飾を両耳からぶらんと下げて、毎日生活しているのだ。これは想像するに、おそらく歩くたびに顔にぶつかるので、たぶんこれを身につけた人は、ほとんど動くことはできないと考えられる。

これは、社会経済学者ヴェブレン言うところの「見せびらかし」の余暇である。ある高貴な身の上を、この耳飾で表示しているのである。この耳飾を身につけているのでは、到底労働できないので、労働免除の階層に属していることを表示できるのだ。

久しく「見せびらかし」の用具を見ることが無かったので、題材として価値ある、ほんとうに良いものを見せていただくことになったと思う。実際に、こんなに大きな耳飾をつけている人間を見てみたいものだ。おそらく、女性とは限らないのではないだろうか。

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