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2008/09/14

不味さの感覚

これまでに「不味い」と思った料理を思い出すのは、美味しかった料理を思い出すよりも難しいだろう。おそらく、美味しいと思った料理については、もう一度食べてみたいという継続性が生まれるのだと思われる。だから、「不味い」という記憶は、早く失われるように思える。

しかし、すべての記憶を消去しているわけではないことが、今回わかった。昨日、茗荷谷のパスタ屋さんへ入った。いつものすこし離れたパスタ屋さんではなく、駅のそばのふつうのパスタ屋さんだ。そこで、たまたま頼んだランチのパスタが、昔の記憶を思い出させた。

たぶん、ハーブ系の緑のもので味付けられた伝統的なパスタなのだ。それは、おそらくパスタの多様性を保つために、1年に1回程度メニューに上がるような珍しい種類の料理なのだが、人生で2回もめぐってきてしまったのだ。

これが、ほんとうに「不味い」のだ。今回のものには、和風の工夫を加えてあったが、このグリーン色で、口の中での「えぐい」感じの味は、なんといったらよいだろうか。世の中は広いから、この味が好きだ、と言う人も、1万人に1人くらいはいるかもしれないが、味の基本形からするとかなり端に存在する味だと思われる。

最近、にがうりが流行してきていて、この種の味覚が習慣のなかに入ってきているから、健康食ブームのなかで、この味も正統のなかに入ってこないとはいえないが、それでもたぶん、多様性の確保と相関関係にあると思われる。

思い出したのは、ロンドンのパスタ屋さんだ。10数年ほど前に、ブルームズベリー地区のB&Bに1週間ほど宿を取っていて、近くのラッセルスクエアにかつては、セイフウェイ・スーパーがあり、その並びにパスタ屋さんがあった。

ここで、いつもは名前のわかるパスタを食べていたが、そのときは魔がさしたというか、まわりにまだ客も居なかったので、メニューの端っこに並んでいたパスタを頼んでみたのだ。

このとき、ウェイターが顔をしかめたのを見逃さなければ、こんな悪い経験もしなかったのだろう。ほんとうに、身振りというのは、コミュニケーションにとって重要だと、あとで思ったが、それはたいへん遅い判断だったのだ。

やはり、出てきたのは、真グリーン色の抹茶パスタ顔負けの、草臭いパスタだった。ウェーターは、配膳するときにも、わたしの顔を覗き込んでいたが、頼んだ以上観念した。これを食べるのは、心底苦痛であった。

人生というのは、こういうものだ。むしろ、嘆くどころか、味覚のバリエーションが広がったことに感謝しなければならないだろう。これらにも、おそらく共通する「美味しさ」の要素がふくまれていて、それで「不味い」ということがわかるのだから。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。