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2008/09/05

内部的な「似たもの」

東京目黒の庭園美術館で開催されている「舟越桂」展へ行く。すぐ前に切符を購入した、外国から来たらしい3人の高校生が、木のブローチを提示して、ドレスコード割引を請求していた。

http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/funakosi/index.html

この美術館では、陶磁器展のときにはフルーツ模様の着物、などのドレスコードを設定していて、それを示せば、料金の割引を行っているのだ。今回は、「木」で出来たものを身に着けていればよいということであったが、仕事の帰りに寄ったので、準備していなかった。

けれども、ドレスコードによる割引制度というのは、考えてみてれば、圧倒的に女性有利の制度じゃないかと思われる。明らかに、これは作為的にそうしているような気がする。今日、美術館への需要層の8割は、女性層だと思われる。女性層は価格に敏感であるから、ちょっとした工夫で、需要がぐんと伸びる可能性があるのだ。

別に、女性有利だからといって、非難しているわけではない。ただちょっと、不公平なような気がするだけだ。要するに、男性も木のブローチをつけて、美術館へ押し寄せれば良いのだが。

http://www.show-p.com/funakoshi/list/

今日の注目した点は、「似たもの」という関係性である。ふつう、似たものというのは、異なるもの同士の間での「似たもの」を意味する。たとえば、上記の舟越桂ホームページにある、作品リストで2003年「水に映る月蝕(A Lunar Eclipse on the Water)」の女性と、2004年「言葉をつかむ手(Catching Words with Hands)」の女性は、細身の体形、頭の小ささ、髪の毛の形、さらに目つき、いずれもほのかな美しさを醸し出していて、似ている人物だ、と思われる。けれども、異なる彫刻なのだ。二つの別のものが比べられて、「似ている」ということがいえる。

ところが、2002年「雪の上の影(The Shadow on Snow)」では、一つの身体から二つの頭が出ていて、これらの二つの顔はやはり似ている。同じ身体を持っていて、二つの顔があって、これらは「似ている」と言ってよいのだろうか。

さらにいえば、同じ顔のなかで、左右で「似ている」ということはある。このことは、当たり前のことなので、見過ごしてしまうのだが、たしかに鼻の中心線にしたがって、縦に分けてみると、その左右の半分ずつはかなり「似ている」。

けれども、眉毛を比べてみると、微妙に違っている。右は勇ましく跳ね上がっているが、左は自信無さ気に下がっている。右目はらんらんと戦争を闘うぞ、と言っているが、左目は平和な様相を湛えていて、闘っている人間を見下している。玄関を入って、すぐ左に展示されている2005年「戦争をみるスフィンクス(The Sphinx Sees War)」では、同じ顔のなかで、一つ一つの目や耳などの造作は異なるが、全体としては左右が似ている顔が造られている。

「似ている」ということは、比較することの無い一つのもののなかでも、つまり内部的に「似ている」ということが成り立ちうるのだ。昔、老練だと評判の雑誌編集者と会ったときに、右目で笑って、左目で相手を品定めしている顔に出会ったことがある。これほど、人間の身体は、分裂していると同時に、同一のものであるのだ。

作品の中では、2003年「夜は夜に(A Night Will Stay)」に、このことがはっきり出ていた。わかりやすくするためだったのだろうか。頭に角が二本生えていて、右の角と、左の角が、異なるのだ。片方は鋭いが、他方は欠けてしまっている。それでも、左右の顔は、異なっているにもかかわらず、「似ている」のだった。

自分の身体(あるいは、自分自身)に関する認識が、舟越作品を見ることで、より深まった気がする。自分のなかに、もうひとりの「似たもの」が存在することがようやくわかった気がする。

それから、今回の彫刻では、量感ということが大事だと思った。人物の横に回ってみると、人間の顔というのは、意外に厚いものなのだ。「似ている」と言ったときに、厚み、深み、高さ、そして重さというものが、この似ていることの重要な要素になりうるのだが、ちょっと一つぐらいならば、異なっていても「似ている」ということが成り立ってしまうことがわかる。

このほんのちょっとした微妙な違い、つまり「異なる」のか「似ている」のか、というバランスを、作家は描き分けることができるのだ。この微妙な画定線については、すべての人のなかにあるのだが、共通の認識のものとして、彫刻家は線引きができるのだと思われる。この共通の画定線が、美しさということの一つの要素なのかもしれない。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。