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2008/09/02

対話の基本形

Sさんが学習センターの研究室を訪ねてきた。学習センターの機関紙について、ちょっと話し合いたいと申し入れがあったのだ。話は有益なことで、互いにたいへん楽しく話すことができたと思う。

ここで書いてみたいのは、じつは話の内容ではなく、Sさんとの話の作法についてである。これまで何回か描いてきた「放送大学らしさ」ということである。今回もそれを感じた。「放送大学らしさ」というのは、どういうところで出てくるのだろうか。

ひとつは、このような話し合いの場面で表れる。ひとつの側面から見ると、明確に合理的だとも思われるが、他の側面からみると、いわば納得づくの非合理性が表れているのではないかとも思われることが起こるのだ。

ポイントを明確にして、話し合いに臨んで来る人が多い。もちろん、個人差があるのだが。それと同時に、こちらの反応を見ながら、出方をはかりながら、ときにはすこし大げさに賛成したり時には大いに反対したりというやり方で、話を進めるのだ。

社会では常識的だと思われるこのような話し方は、一般の大学ではあまり見られない。この差は歴然としていて、何かを頼みに来たり交渉したりするときの身構えが異なるのだ。つまり、社会における話し合いには、常識的な基本形があるのだが、一般の大学では、まだ社会に出たことのない学生に対して、このコード規則を適用することはあまりしない。大目に見ているような気がする。

これに対して、放送大学の学生の場合には、(1)最初にテーマを決め、(2)意見を互いに出し合い、さらに(3)最終的な合意点を必ず探ろうとする。この三点は最小限はずさない。Sさんの対話の仕方を見ていると、その形式に則っている。もちろん、この基本形をはずす学生も多いが、そこが違うな、と思われるのは、はずしていることを知っているのか、知っていないのかという自覚が、放送大学生にはあるのだと思われる。

そのことは、最後のところへ到達できるかどうか、というときに決定的に表れる。基本形をはずしていても、そのことを知っているのであれば、ほぼ最終点まで到達できる。けれども、闇雲に基本形をはずしている場合には、到達点を探ることはほぼ絶望で、話し合っていて、無力感を感じることになる。

ましてや、対話では、基本形をわざとはずしてくることは、日常茶飯事である。けれども、だからこそ、基本形の存在が貴重になるのだ。どの程度はずしているのかを比較推量しながら、話し合いや対話は進むものだからだ。

Sさんのあと、Kさんが見えて、いつものように夏の期間に収穫した論文の題材やら、展覧会や音楽会の情報やら、雑談をして帰っていった。雑談だから、筋が無いようにも思えるが、あとで考えてみると、やはり文脈を通じさせようとしていたらしいことがわかる。この辺の感覚には、社会人特有の鋭いものがあると思う。この感覚に鈍感だと、放送大学の特性を見逃してしまうのではないかと思われる。

さて、Sさんとの間で確認したことが、周りめぐって、(おそらくその多くは潜在的に表れるのだろうが、)どのような形でセンターだよりに反映されるのか、楽しみに見守りたいと考えた次第である。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。