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2008/08/15

岩手へ

Okowa_2 田舎の生活もついにたたまなければならない日になって、いつものように皆で、松本へ出て打ち上げ。いつもの「山菜おこわ御飯」を食べようと、竹風堂を訪れる。最近になって改築されたらしく、奥に広い食堂が作られていた。こちらもいつものように、ちきりや工芸店を覗く。ろうそく立てを購入。それにしても、山から下りると、なぜこんなに暑いのか。もっとも、ちきりやだけは、民芸派だから、冷房なしで仕方がないけれど・・・。

休みなく、今日からは岩手出張である。明日は、10時から講義が始まるので、一日前に盛岡へ入ることにする。岩手では、期待していたことがある。

大正時代における日本文化の広がりはたいへん大きかったと思っている。岩手では、農学校時代の宮沢賢治、そして、土沢時代の画家萬鉄五郎がちょうど活躍していた。新幹線を新花巻で降りて、まず土沢へ向かい、萬鉄五郎記念館を訪れる。

080815_125201 駅から商店街を通って、途中、昔からあるような食堂を見つけて、カツ丼を食べる。カツ丼は、日本人の国民食だと思う。どの地域へ行っても、同じような味付けが行われており、どこへ行っても美味しい。とくに、今日の味は良かった。大きく削った手作りの鰹節が入っていて、出汁が出ている。田舎でも、このように頑張って生き残っていく店があると心強い。

萬鉄五郎記念館は、残念ながら、企画展の最中で、鉄五郎の常設画がすくなく、期待はずれだった。けれども、企画展のほうの「中村誠展」は充実したものだった。わたしの講義の中でも使った、人物ポスターの典型例である、資生堂の前田美波里ポスターをはじめとして、山口小夜子ポスターなど、黄金時代のポスター群を一望のもとに観ることができた。

宮沢賢治記念館は、夏休みということもあり、子どもたちで一杯だった。自筆原稿がたくさん展示されていて、独特の文字列が並んでいた。散文には、直した形跡がたくさんあるのだが、詩原稿ではあまり修正がない。これらの原稿では、字体から見ると、清書したとは思えない。ということは、賢治のなかで、散文と詩とは異なる媒体だった可能性がある。今度来るときには、もっと時間を取って、じっくりと原稿を読んでみたい。

萬鉄五郎の中心的な作品は、記念館ではなく、岩手県立美術館にあることがわかったので、早々に盛岡へ行くことにする。美術館は、夜の7時まで開いているというので、ゆっくりと観ることができた。企画展では、モディリアーニ展が開催されていたが、そちらは失礼して、常設展示室へ向かう。一部屋全部が、萬の作品で埋められている。

大正時代を象徴している作品は、なんと言っても、「赤い目の自画像」だと思われる。この時代に、たくさんの自画像が描かれているが、キュビズムの手法を萬独自の溌剌としたエネルギーあふれる色使いで、解釈しなおした作品だ。顔がいくつかの断面に分かれており、時代の熱気が全体にあふれていて、それが断面化して描かれている。この一枚の絵がかかれるためには、おそらく10枚以上の絵画現実が想定されていたのではないかと思われる。

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=12444

何が大正時代的なのかといえば、やはり西洋流のキュビズムを日本に導入することに、最高の感情と技術をしても、ここまでが限度であったという点ではないかと思われる。ほかの西洋化と同様に、この時代に日本では明治期以来の西洋化が全面展開し始めたと考えてよいと思う。けれども、ここまでがやっとであり、限界があったのだ。なぜそれ以上は、進まなかったのか、ということが大正時代の特徴だと思われる。

このことは、となりの部屋の松本竣介の絵をみれば、納得がいくだろう。萬鉄五郎が、あれほど悩んで苦労して、それでもうまくいかなかったキュビズム的な手法が、松本の場合には、いとも簡単に(ほんとうは簡単ではないのだろうが)乗り越えられてしまっている。多面的な分断は、画法の本質的な部分として、松本の場合には息づいているのだ。

残念ながら、時代は昭和にかなり入ってしまっているが、今日の1枚は、やはり松本竣介が1939年、1940年に描いた「茶の風景」「青の風景」(原題は違うが、美術館の展示が隣り合わせになっていたことに、敬意を表して、こう呼ばせていただくことにする。)にしたい。

この2枚は、同じ風景を描いているらしい。それは配置や道筋、さらには木立などによって、なんとなくはわかる。けれども、ここの対象物をひとつひとつ比べてみると、細部はすべて異なっている。もちろん、色調も、「茶」と「青」と対称をみせている。つまり、双方は「家族的類似」を表しているのだが、個々にはすべて異なっている状況を描いている。

080815_183401 何が問題か、といえば、画家にとって、対象物(あるいは対象風景)がどのように「観えて」いるのか、ということだと思う。不変的なものとして、配置や構造は同じだと見えているのだが、色や形や、はたまた窓や壁というのは「観えて」いないのかもしれない。1枚の絵のなかでも、おそらく同様のことが起こっているのだと思われる。つまり、不変的なものとは何かということが描かれている、ということだ。

080815_201101_2  駅前に、H先生ご推薦の冷麺専門店「ぴょんぴょん舎」があり、たいへん混んでいたが、並んで入った。噂にたがわず、独特のすっきりとした冷麺であった。焼肉のこってりしたものと合うものだった。少し先の並びにある、エスプレッソ専門のコーヒー屋さん「詩季」で、マイルドのエスプレッソという矛盾した1杯を、今日最後のコーヒーとした。視覚と味覚からの平衡感覚を取り戻した1日となった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。